単純に、羨ましかった。
 三つ目ではない、美しい顔を持つ妹が。穏やかで優しく、皆からも慕われる妹が。

 小さな子供が、路上で泣いていた。他の子供にいじわるされていたのを、プリンは物陰から見ていた。幼い頃の自分と同じように、彼は泣いていた。封じてきた記憶が、嫌でも思い出される。プリンはその場を去ろうとした。この子供を助ける義理もなかった。
 しかし結果として、プリンは立ち去らなかった。そこに、クロエが現れたからだ。プリンの一つ下の妹は、泣いている子供に眉を下げ、スカートのポケットを探った。どうにかして泣き止ませたいと思っているようだった。出てきたのは、小粒のチョコレート。彼女はほっとしたような表情を浮かべ、子供に手渡した。子供は驚いたように、チョコレートとクロエを交互に見つめた。クロエが何かを子供に囁く。彼は、嬉しそうに笑った。今まで泣いていたとは思えないほど、破顔していた。
 クロエは子供に微笑むと、彼から離れていく。プリンは物陰から飛び出し、彼女に声をかけた。

「クロエ」

 振り向いた彼女に言う。

「それ、教えてよ」

 クロエは意味がわからなかったらしく、小首を傾げる。彼女の優しさは、計算ではないことを物語っていた。わかっていても、懇願してしまう。その優しさがほしいと。

「今の行動みたいな、『みんなから愛されるための優しさ』を、教えてよ」

 クロエは目を細めた。今度は意味がわかったようだった。その澄んだ瞳には、何の感情も浮かんでいなかった。軽蔑の感情も、何も。
「いいよ」とクロエはすんなり答えた。計算などしていないと、怒られる覚悟はあったため、驚いてしまう。クロエは続けた。

「その代わり、『ママに気に入られる方法』を教えて……姉さんの計算を」

 その日から、プリンはクロエとともにいることが多くなった。クロエはただ、困っている人を見捨てられないのだと言った。彼女の優しさはやはり本物だったのだ。クロエはたびたび手本を見せた。それは意図的にプリンに見せるためのものではなく、ごく自然に行う行動のようだった。プリンはそれを吸収した。彼女の振る舞いや柔らかい笑みを、自分のものにした。
 プリンもまた、クロエに自分の打算を教えた。これは言葉にしなければ伝わらなかったため、プリンかクロエの自室で教えた。自分を守るために自ずと取得した処世術を、余すところなく伝えた。クロエもまた、それを吸収し、いつの間にかプリンと並ぶほどの『お気に入り』となっていた。
 幸運なことに、ママは、プリンとクロエの両方をかわいがった。どちらかを特別扱いすることはなかったため、二人の関係が悪くなることもなかった。ママは、交互に同量の仕事を割り振った。
仕事の内容は主に男をたぶらかし、殺害するというものだ。クロエは人を包み込むような優しさを持っていたが、仕事に関してはそれをどこかへ追いやった。完全に、割り切っているようだった。プリンはそんな優しさなど端から持ち合わせていなかったため、何も考えず与えられた任務を遂行した。そこに私情など挟む余地はない。そう思っていたのだが――。

「好きになっちゃったんでしょう?」

 麦わらたちが縄張りから逃げ去ったあと。城に帰ろうと歩き出したプリンを、クロエが呼び止めた。すべてわかっているかのような笑みを、彼女は浮かべていた。

「だから、逃がしたんでしょう? 黒足たちを」

 プリンは何も言えなかった。無言になることが肯定になると知っていて、否定できなかった。
「安心して」とクロエは笑みを深くした。「ママにはあなたが逃がしたことを言わないから。代わりに、教えてよ」

 気安く、彼女は言う。

「恋というものが、どういうものなのか。どうして相手を殺せなくなるのか。教えて」

 プリンは初めてクロエに恐怖を抱いた。プリンの経験したすべてを、彼女は欲しがっているように思えた。

「……いやよ」

「どうして?」

「この気持ちを、誰にも話したくはないの」

 ポケットには、サンジから切り取った思い出が入っている。自分にしかない記憶。それと同じように、自分の内でこの気持ちをあたためておきたかった。
 クロエは大仰にため息をついた。そして愁いを帯びた顔でこう言った。

「私、姉さんになりたいのに」

 何を言っているのかわからなかった。聞き返すと彼女は何でもないように答えた。

「その三つの目も、だますことが容易な演技力も、美味しいチョコレートを作れることも、羨ましくて仕方ないの。だって私には大して取り柄もないし、ママも騙せない。私、最初から姉さんを羨んでた。だから、話しかけられたときは嬉しかった」

 自分が話しかけたとき、クロエは嬉しそうには見えなかった。そう話せば、彼女は淡々と言った。

「姉さんが優位になるのが、嫌だったから。対等でいたかったの」

 それを言うなら自分も同じだ。彼女を羨む気持ちはずっと持っていた。

「みんなと同じ二つの目も、その優しさと美貌でみんなから愛されてることも、羨ましくて仕方なかった。だから、声をかけたの。私もクロエになりたかったから」

 すんなりと言葉が出てきた。そう、最初から羨ましかった。一つ違いの妹が、自分にはないものを持っていたから。
 クロエは嬉しそうに微笑んだ。

「私たち、互いが互いになりたいのね」

「……そうね。どちらかが生きてる限り、ずっとこの思いを持つことになりそうね」

 何がおかしいのか、クロエはクスクスと笑った。そして言った。

「ママには、言わないでおいてあげる。私もそのうち経験してみせるわ。『恋』というものを」

 自分たちの関係は、単なる姉妹では片付かなかった。互いを羨み、できることなら相手になりたいという、他人から見れば少し歪んでいるようにも見える関係だった。
 けれど、プリンはこの関係を保ちたかった。どのみち自分たちはママの駒として生きるしかない。であれば、こうした娯楽に似た刺激くらい、楽しんでもいいだろうと思うのだった。

20210724

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