シャラン、シャラン。
 足先についている鈴が、踊り子のやわらかな動きに合わせて鳴っている。東洋的な、エキゾチックな衣装を身にまとう彼女は、足先から指の先まで、すべての動かし方を意識しているようだった。
 空気が変わる、とはこういうことを言うのだろう。サンジは頭の片隅で思った。彼女が現れた瞬間から、その迸る色気に圧倒された。今までの踊り子とは全く違う、やわらかで繊細で、そして艶やかなダンス。彼女の動きに魅了されていると、目が合った。口元をベールで隠した彼女から、伏し目がちに送られた視線に、心臓が高鳴ると同時に肌が粟立った。このままでは、酔ってしまう。彼女の美しさ、そして妖艶さに。
 拍手の音で、サンジは我に返った。踊りを終えた彼女は、ステージ上で深々とお辞儀している。いつの間に終わったのか。サンジも周りにいる仲間たちとともに、大きく拍手を送る。

「なんってスーパーなダンスだ!! あの若さであの色気はなかなか出ねェぞ!!」

「ええ・・・・・・まるで夢を見ているかのようだったわ」

「素敵なダンスね」

「おれ、感動したぞ!!」

「おれも!!」

「ヨホホホホ、もう一度みたいです!!」

「すげェダンスだったなー」

 普段は花より団子な船長も、珍しくステージに見入っていたのか、感心したように言った。

「あいつ、仲間になんねェかなー」

「やめなさい! あの人にも生活ってもんがあるでしょ!」

 ナミに諭され、ルフィは不服そうに唸る。そんな船長に皆は笑った。
 店の賑やかな明かりに照らされる、レンガでできた道を歩く。夜になっても人通りが多く、活気のある島だ。こんな栄えた島だからこそ、あんな踊り子もいるのだろう。あの店を選んだ、ルフィの鼻に初めて感謝した。

「あいつ、仲間にしてェなー」

「まだ言ってる!」

 まだぶつぶつ呟くルフィの声をぼんやり聞いていると、隣にいたウソップに声をかけられた。

「サンジ、お前なんかぼーっとしてるけど大丈夫か?」

「ん? あァ……」

「きっとあの踊り子さんに魅了されちゃったのよ」

 近くにいたロビンに笑われ、「そんな、ロビンちゃん以外のレディにメロメロにならないよ」といつもの調子でこたえる。

「あ、いつものサンジだ」

「おれはずっといつも通りだ」

 とは言ったものの、実際は彼女の夢から覚めていないわけで。取り繕うため胸ポケットから煙草を出す。ライターを探すが、どこにもない。

「……ライター、さっきの店に置いてきちまった。悪ィ、先に船に行っててくれ」

「わかったわ」

 含み笑いを浮かべるロビンに軽く手を振り、サンジは元の道を引き返す。昼間と変わらずすれ違う人も多い。彼女はまだ店にいるんだろうか。淡い期待を胸に歩いていると、前から黒いマントを羽織った女性が走ってきた。ぶつかりそうになり避けようとするも、彼女に袖を掴まれた。何事かと思い、女性と視線を合わせた瞬間。雷に打たれたような衝撃が走った。

「助けて、追われてるの!」

 どこか愁いを帯び、涙で潤んだ瞳。それを彩る、長い睫。すっとした鼻筋。小さくぽってりとした唇。彼女だ。サンジは直感的にわかった。あの、踊り子だ。
 彼女の後ろに目を向けると、黒服を着た男が二人、こちらに向かってきていた。

「追われてるって、あいつらに?」

 確認すると、サンジの後ろにくっついた彼女は、こくこくと頷いた。かわいらしい仕草に口元が緩みつつも、サンジは気を引き締め二人と対峙した。
 結果は、サンジの圧勝だった。

「驚いた……あなた、強いのね……」

 倒れた男たちを指でつんつんと触りながら、彼女は言う。

「93回目にして、ようやく倒したわ……」

「93回目?」

「ふふ、こっちの話……ねえ、あなたの名前は? 私、クロエ。さっき見てたでしょうけど、踊り子なの」

 店で目が合ったのはやはり気のせいではなかった。にこやかに笑うクロエに、サンジは見とれてしまいそうになりながらもこたえる。

「おれはサンジ。海賊やってるんだ」

 普通なら恐れる人も多いが、クロエは感心しているようだった。

「へえ、海賊! だから強いのね」

 彼女は少し考え込むと、決めたと言って顔を上げた。

「ここには寄る辺もないし、あなたの仲間になりたい!」

「えっ、海賊になるってことかい?」

 クロエは何でもないように、頷く。

「でもおれは船長じゃないんだ。ルフィってやつが船長やってるんだが……」

「その人に気に入られたらってことね。ルフィのところに行きましょう?」

 再び潤んだ目で見上げられたため、サンジは息をのみ、自然と頷いていた。初めて見たときからわかっていたが、彼女は今までの女性たちとは、格段に何かが違う。その何かが何なのかは、まだわからなかった。

「かわいい船ね」

 ライオンの船首を見て、クロエは楽しげに言った。よほどこの島を出たいのか、彼女は先ほどから上機嫌だ。手をさしのべて一緒に船に上がると、船首に寝そべっていたルフィがこちらに気づいた。

「サンジ、そいつは?」

「この子はクロエちゃん。さっき店で華麗に踊ってた麗しい踊り子だ」

「おお、連れてきたのか!!」

 でかしたぞ、サンジ、と船長は親指を立て、そしてクロエと対峙した。

「お前、おれの仲間になってくれ!!」

 もちろんクロエは二つ返事で頷き、すんなり麦わらの一味となった。本人がそれでいいならと、ナミたちの中で特に反対する人もおらず、いつの間にか宴が始まった。クロエは宴の中でもう一度踊りを披露し、再び皆を魅了した。ブルックのバイオリンに合わせて自由に軽やかに妖艶に踊る様は、美しいとしか言い様がなかった。皆の拍手に丁寧にお辞儀した彼女は、ナミとロビンの間に座った。

「本当に綺麗に踊るのね……何か特訓とかしたの?」

「まあ一応ね。とはいっても、私の能力に頼る部分が多いんだけど」

「能力って?」

 サンジがビールを手渡しながら問うと、彼女はにっこりと笑った。

「私、ツヤツヤの実を食べた、艶やか人間なの。その気になれば、男も女も骨抜きにできるわ

 ハートマーク付きで話す彼女に、数人は納得し、数人は背筋が寒くなった。

「おれもクロエちゃんに骨抜きにされた〜〜い!!!」

「されてろ。その方がおとなしそうだ」

「アァッ!?」

「はいはい、喧嘩しない」

 新たな仲間の能力もわかり、ウソップたちがうたた寝し始めた頃、宴は終わりを迎えた。ダイニングの皿を片付けていると、クロエが入ってきた。手には多くの皿を持っている。

「外のお皿は回収したわ」

「ありがとう、クロエちゃん。なんって気の利くレディなんだ〜

「ふふ、サンジは面白い人ね」

 少し大人びた笑みを浮かべる彼女に、どきりとする。出会ったときから、彼女の一挙一動に心が奪われてしまっている。これもその力のせいだろうか。
 袖をまくり始めたクロエに、自分がやるから休んでて良いよと声をかけるも、じゃあお皿拭くねと言って布巾を持ってしまった。それも止めるほどサンジも野暮ではなく、クロエとともに皿洗いを始めた。
 蛇口から水の流れる音と、皿をキュッと拭く音。なんとなく沈黙が気まずく、話しかけようと隣を見る。彼女は泡の流された皿を軽やかに持ち、丁寧に拭くと、台にそっと置いた。その指の仕草さえ、なぜか色気を感じさせるもので。いつの間にか見とれていたサンジに、クロエは少し困ったように笑った。

「……見とれちゃった?」

 顔に熱が集まるのを感じる。何も言えないサンジに、クロエはくすりと笑うと、すっとこちらに手を伸ばした。頬に手のひらのひんやりした感触を感じる。

「意識はしてないんだけど、サンジはちょっと当てられやすいみたいね。大丈夫、そういう人も結構いるから」

「……きみは、そういう目で見られることに慣れてるのかい?」

 思いの外、かすれた声が出た。声を出さなければ、彼女の妖艶さに飲み込まれてしまいそうだった。クロエは目を丸くして頬から手を離し、それから諦めたように笑った。

「慣れてるわ。この能力を持ったからには、慣れるしかなかった。襲われそうになったこともある。私の意思で、悪魔の実を食べたわけじゃないのにね」

 遠い目をする彼女に、胸が締め付けられる。思わず彼女を抱き寄せたくなるのをこらえ、サンジは言った。

「つらいこと思い出させちまって、ごめん。おれは、クロエちゃんの力に惑わされることなく、クロエちゃん自身を見れるよう頑張るよ」

「ふふ、そんな頑張らなくても大丈夫だよ。サンジに見られても、不快じゃないもの」

「そうなのかい?」

「うん……あったかい、感じがするからかな。いやらしい視線じゃなくて、私を包んでくれるような、そんな視線」

「そう、なんだ」

 どう反応して良いかわからず、スポンジを動かしながら相づちを打つ。クロエはわかった、といった様子で顔を上げた。

「サンジは元々、私をいやらしい目で見てないんだと思うよ。私自身を見てくれてる。そんな気がする。思えばこの船の人たちもそう。私を私として見てくれてる。みんな本当にいい人たちだね」

 でも私は、一番サンジが好きかな。
 小声で言った彼女の言葉を、サンジは聞き逃さなかった。

「えっ?」

 クロエの表情を見る。布巾で口元が隠された顔は、心なしか赤くなっているように思える。

「お店で目が合ったでしょ? それで一目惚れっていうのかな……この島は前から出たかったけど、あなたと一緒にいたいって思っちゃったの」

 今度は我慢ができなかった。彼女を抱き寄せれば、甘い香りがふわりと香る。思えば自分も同じだ。

「おれも、きみを見た瞬間から、きみに恋をしてる」

「本当?」

 囁くように彼女は言った。こんなに美しく、艶やかで、可愛らしい彼女が自分を好きだなんて、まだ夢を見ているのだろうか。
 そっとクロエを離し、そのつややかな唇を見つめる。察した彼女はゆっくりと目を閉じた。ぽってりとした、小さく淡い唇へ、顔を近づける。
 夢でもいい。今この瞬間は、誰もこの夢から覚まさせないでくれ。サンジはそう、願った。

2020/12/26


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