三ツ星レストラン、バラティエの近くの家に生まれたのは、神様が自分に与えた、人生最大の幸運だったのかもしれない。
 クロエとサンジはいわゆる幼馴染というもので、物心ついた頃から一緒に遊んでいた。サンジはクソとか、汚い言葉を使ったりするけれど(これは口癖なのだと思う)、心は誰よりも優しく、クロエにはサンジが眩しく見えた。
 ただ、彼と居るのが普通になっていたのも、小学生までの話。中学になって、急に周りの目を気にしてしまい、声をかけることはなくなった。何よりサンジの女好きが加速して、女の子にナンパしているところを見てからは、なんとなく距離を置くようになった。今なら、ナンパする彼を見てショックだったからだとわかる。自分がサンジを異性として好きだったから、ショックを受けたんだと。
 いつからサンジを好きになったのか、覚えてない。けれど、この好きな気持ちは高校になった今も変わらないのだと、クラスメイトになったサンジを見て思う。

「んナミさーん、サンジ特製オレンジジュースを作ってきたよ〜〜

 あの、中学からするようになった、デレっと崩れた表情で、朝一番にナミのところへドリンクを持っていくサンジに、心の中でため息をつく。ありがと、とナミが軽く流してるのが救いだ。
 同じ高校で、同じクラスに、サンジの名前があった時は驚いた。どこの高校に進学するのかも知らなかったから。ただこうして毎日、自分以外の可愛い女の子にデレデレしているところを見なければいけないのは、少し傷つく。
 知らない間にずっと目で追っていたらしく、バチリとサンジと目が合った。挨拶すればいいと思うのに、緊張と焦りから、ふいと目を逸らしてしまう。
 ――ああ、なんて可愛くないんだろう。ナミのように可愛くなればサンジもデレデレしてくれるかなと思って、化粧を覚えたり、ほんの少し香水をつけたりして、外見だけ磨いていても、こんな態度をとっていたら意味がない。話しかけられることもないだろう。わかっているのに、どうしても緊張して目を合わせられない。声もかけられない。こんな自分が情けなく、今度は自分にため息をついた。



 ゆっくりと沈む太陽を背に、部活が終わったクロエは自宅への道を歩く。18時過ぎでも、空はオレンジの中に青さが残っていて、夏のはじまりを感じる。ただ半袖はまだ早いかもなと、肌寒く感じる腕を見て思った。ケーキの型や道具の入った鞄は重く、もう一度肩にかけ直す。
 クロエが入っているのは、お菓子作りのクラブだ。昔、サンジが料理を夢中で作っているのを見ていたから、食に興味が湧き、お菓子作りが趣味になった。あくまで趣味なので、パティシエになろうとまでは考えてない。プロの世界の厳しさも、サンジから教わっていた。
 そろそろ家に着くと思い、鞄から鍵を探っていると、どこからか名前を呼ばれた。この声は、サンジの声だ。どきりとしながらそちらを向くと、サンジがバラティエの裏口のところでタバコを吸いながら立っていた。
 いくら気まずいと思っても、名前を呼ばれて無視する訳にもいかず、サンジの方へ近づく。スーツを着ている姿も、むせずにタバコを吸っている姿も見慣れない。サンジはいつの間にか、大人になっていた。

「……サンジ」

 名前を呼んでくれたからか、緊張はなく、サンジのことをまっすぐ見つめることができた。彼はぐるぐると特徴的な眉を少し下げて、言った。

「……クロエが名前を呼んでくれるの、久しぶりだな」

「うん……サンジも、久々に私を呼んでくれたね」

「ああ……呼ばないと、ずっとこのままだと思ったから」

 白い煙をくゆらせ、サンジは言う。どこか切なげな表情だった。

「今、休憩中なんだ……クロエは部活帰り?」

「うん」

「お菓子を作るクラブなんだって?」

 サンジが、自分が何の部活に所属してるか知っていることに驚いた。なんで知ってるの?と尋ねると、クソジジイがクロエの母さんから聞いたらしいとサンジは応えた。

「どんなの作ってるんだ?」

「ザッハトルテとか、クロカンブッシュとかだよ……サンジのと比べたら、全然、大したことないけど」

 慌ててそう言うと、サンジは笑った。自分に向けられた笑みに、懐かしさと切なさで胸がいっぱいになった。

「はは、そんなの、食ってみないとわからねェよ。今日作ったのは持ってねェの?」

「ある、けど……」

「じゃあ、食わせて」

 一流コックに食べさせる、なんてすごいシチュエーションだ。渋々ケーキのピースを取り出し、サンジに渡す。彼はラップを外しながら、美味そうだなと呟いた。いただきますと言って、サンジはがぶっと一口食べる。咀嚼する様子を若干緊張しながら見つめていると。「ん!」と彼は眉を上げた。

「美味いな……本格的に作ってあるんだな」

 そう言って、頷きながらケーキを全部食べた。両親はもちろん、同じ部活の友達も、自分の作ったお菓子を美味しいと言ってくれていたが、サンジにそう言われると格別に嬉しい、ということがわかった。

「ありがとう」

 照れ臭くなりながらも礼を言うと、サンジはこっちこそ食わせてくれてありがとう、と微笑んだ。ああやっぱり、とその笑みを見てクロエは思う。やっぱり、サンジのことが好きだ。

「……最近さ」

 タバコを灰皿に押し付けながら、サンジが呟くように言った。

「うん?」

「クロエ、化粧したり、髪巻いたりしてるだろ」

 そこまで見られていたことに驚きながらも、うん、と頷く。サンジはこちらを見ず、暮れていく空を見上げながら言った。

「……あれ、理由でもあるの?」

 少し迷ったけれど、正直に「ある」と応えた。サンジは驚いたようにこちらを見た。

「何? 好きな奴ができたとか?」

 若干焦っているように見えるのは、気のせいだろうか。気のせいじゃないことを祈りながら、頷く。もう、全て言ってしまおう。ずっと心の中でくすぶっていたこの気持ちを、伝えてしまおう。

「……誰だか聞いてもいい?」

 深刻そうな顔で尋ねるサンジに、クロエは答えた。

「……サンジ」

「え?」

「サンジのことが、好きだからだよ」

「えっ、ちょっ、ええっ!?」

 ホントに?と確認するサンジに頷くと、彼はへなへなとその場にしゃがみこんだ。心配になり、クロエも一緒にしゃがみこむ。

「……よかった〜〜…」

 腕の中に顔をうずめたサンジが、安心したような声で言った。思わず笑みがこぼれる。

「よかった?」

「ああ……おれのこと嫌いになったのかと思ってたから」

 顔を上げたサンジに、ごめんねと謝る。理由を説明すると、そうだったのかと苦い顔をした。

「それはおれも悪いかもな……クロエの気を引きたくて、ナンパしてたところもあるから」

「そうなの? サンジは昔から女好きだったから、それも自然かなって納得してたけど」

 そう言うと、「……まァ、否定はしない」とサンジは困ったように頭を掻いた。そして真剣な顔で、こちらを見た。

「とりあえず」

「うん?」

「……抱きしめてもいい?」

 遠慮がちに聞かれて、いいよと笑って頷く。
 一緒に立ち上がると、サンジがこちらに一歩近づいた。友達でも、幼馴染でも体験できない、恋人同士の距離。間近にあるサンジの顔は嬉しそうで、でも少し照れていて、緊張の色もちょっと見えた。自分も多分、きっと、同じような顔をしてる。
 積もる話はあるけれども、まずはサンジにぎゅっと抱きしめられて、この幸せが夢ではないことをかみしめてから、互いの話をしよう。

20190614


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