昔から、クロエは食べることが好きだった。
 両親が美食家ということもあり、幼いころはよく三ツ星のレストランに連れて行ってもらっていた。おいしい料理を味わう度に感じる、『幸せ』というものを、クロエは幼くしてわかっていた。そしてその『幸せ』を、与える側になりたいと思うようになった。
 食事の時間と同じく、両親といる時間はとても幸せなものだった――父の事業が失敗して、両親が自殺するまでは。
 クロエは借金を肩代わりしてくれた知り合いのつてで、コック見習いとして客船に乗った。そこで稼いだお金は、すべて知り合いに送り、返し終わると自分の夢のために貯金をした。そうして10年ほど修行を重ね、クロエはとある小さな島で、とうとう自分の夢をかなえた。



 サニー号がレイ島に着いたのは正午ごろ。腹減ったーと駆け出そうとするルフィをなんとか引き止め、まずは様子見がてら腹ごしらえということで、皆で島へと降りた。レイ島は小さな島だったが、人は多くなかなか栄えていた。
 ルフィの鼻を頼りに石畳を歩いていくと、小さなレストランに行きついた。家のような外観だったが、看板が出ていたため、レストランだとわかった。中からは賑わっている声が聞こえ、美味しそうな匂いが鼻先に香る。なるほど、いいレストランだ。サンジは期待に胸を躍らせた。
 ドアを開け中に入ると、かわいらしいウエイトレスが出迎えてくれる。

「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」

「はーい

「ここ座りましょうか」

「そうね」

 ちょうど8人ほど座れる席が空いていたため、そこに座った。さっそく用意されたメニューを開く。
 柔らかい字で書かれたメニューは、春島らしく、蕪などの春野菜を使った家庭料理が多かった。サンジは、メインにブフ・ブルギニョン――ブルゴーニュ風ビーフを注文した。

「……いい雰囲気のレストランね。料理もおいしそうだし」

 ナミが周りを見ながら言う。確かに島の人々は、食事の時間をとても楽しんでいるように見えた。

「料理が美味いのはもちろん、店のスタッフやシェフの人柄もいいんじゃねェかな。何より、メニューに書かれた字は間違いなく女の字。どんなレディがシェフなのかな〜〜

 想像してデレっと顔が崩れる。ナミはこちらに呆れた目を向けると、ロビンの方へ向いてしまった。
 しばらくして、料理が運ばれてくる。前菜はスモークサーモンのサラダ。キャベツは甘く、サーモンの塩気とよくマッチしていた。ドレッシングの酸味も、野菜と合うようによく考えられている。
 そして、メイン。ブフ・ブルギニョンが運ばれてきた。赤ワインの濃厚な香りに、食欲をそそられる。

「おっ、サンジそれ美味そうだな!」

 違うメインを頼んでいたルフィが、物欲しそうに言った。あげねェぞと笑い、ナイフとフォークを取る。
 牛肉にナイフを入れれば、ほとんど力を入れずに切ることが出来た。そして一口。
 牛肉の柔らかい感触と赤ワインの風味が広がる。この濃厚さを出しているのはブールマニエか。庶民的なレストランにしては結構な手間をかけている。文句なしに美味い。
 デザートはいちごのコンポート。アイスクリームが添えられている。手作りのアイスらしく、程よい甘みが優しかった。

「美味しいわね!」

「ほんと」

 女性陣は嬉しそうだ。細かなところにもこだわりを感じる料理に、サンジはシェフを一目見たく店内を見回すが、厨房は奥の方にあるらしかった。とはいえシェフを呼ぶのも気が引け、ナミが会計を済ませている間に、ちらと奥を覗いてみる。
 中には、テキパキと料理する男女のコックの姿があった。麗しい女性のコックが、野菜を炒めながら男のコックに指示する。

「ルーゴ、パプリカとトマトでソース作って」

「はい」

 あのコックがこの店のシェフらしい。真剣に料理するその美しい横顔に見惚れてみると、フランキーの声がした。

「おい、サンジ行くぞ」

「ああ……」

 呟くように返事した瞬間。あ、と奥から声がした。女性のコックとバッチリ目が合う。

「あなたは――」

 自分を知っているような言い方だった。こんな可愛い女性に面識はない。戸惑っていると、女性はハッとして、言った。

「違かったらごめんなさい……あなた、イーストブルーのバラティエで働いてた……?」

「えっ、なんでそれを……!」

 女性は嬉しそうに笑った。

「やっぱり、そうなんだ。いやー、こんなところで会えるとは思わなかった! 詳しくお話したいから、22時頃にまた来てもらってもいい? 閉店時間がその頃なの」

「……ああ、わかった」

 じゃあまた、と女性は少し手を振り、手元へ目を落とした。話している間も、ずっと手を動かし続けていた。
 何故女性は自分を知ってるのか。客としてバラティエに来たことがあったのだろうか。
 ぼんやりと考えながら22時まで過ごし、サンジは再びレストランのドアを開けた。そこには、コック服ではなく可愛らしいワンピースを着た女性が、テーブルに座っていた。目が合うと、にっこりと微笑まれる。

「来てくれてありがとう。ここ座って? 飲み物、何がいい?」

「あー……じゃあ、アイスティーで」

「わかった」

 コースターの上にアイスティーが置かれる。女性は再び向かいに座り、口を開いた。

「私、クロエっていうの。あなたはサンジ、でしょ?」

「あ、ああ……」

「私、昔にバラティエの料理を食べたことがあるの。すごく、小さかった頃。それはもう、とっても美味しかった! あの料理を食べて、コックになろうって思ったくらいに……そしてその時、サーブしてくれたのがあなただった」

 クロエは紅茶を一口飲み、言葉をつづけた。

「私と同じくらいの子が働いてるんだもの、その時は驚いた。でもそれから半年くらい後、私もコック見習いとして客船に乗ったわ……あなたも、やっぱりコックに?」

「ああ、そうだ」

 どこのコックか聞かれたらなんて返そうかと思ったが、幸いクロエは聞いてこなかった。

「あのシェフから料理を教わったってことね……あなたの作る料理は、さぞかし美味しいでしょうね……」

 頬に手を置き、ほう、と恍惚としたため息をつく。そして何故か首を振った。

「ああ、ダメダメ、悪い癖だわ……あなたの話を聞かせて? ずっとバラティエにいたの?」

 ずいぶんマイペースだな、とサンジは笑い、自分のことを話し出した。バラティエの前は、クロエと同じように客船に乗っていたこと、シェフであるゼフに随分しごかれたこと。今海賊をしていることは伏せた。
 クロエは話すことが好きかと思えば、聞き上手でもあった。

「ふふ、女性のことで怒られるって、相当だったのね」

「ああ、そうさ。クロエちゃんのことだって、今すぐ抱きしめたいと思ってる」

「あらら、それは相当ね……」

 クロエは神妙な顔で頷いた。その表情がおかしく、サンジはまた笑ってしまった。

「はは、そう思うかい? でもこれは生まれつきで、どうにもならねェんだ……おれが本気でその人が好きだって伝えるには、どうしたらいいと思う?」

「えー……その人のためだけに、特別な料理を作る、とか?」

 なるほど、とサンジは頷いてみせた。

「じゃあ、クロエちゃんのためだけに、料理を作ろうかな」

「え?」

 驚く彼女に笑いながら、サンジは言う。

「おれが乗ってきた船に招待してもいいかい? 実はおれ、海賊なんだ」

 彼女になら言ってもいいと、話していてサンジは判断した。クロエは誰にも言わないだろう。
 ぎょっとしているクロエに手を差し伸べる。彼女は一瞬迷ったようだが、おずおずと手を握った。華奢なその手を握り返す。二人は店を出て、サニー号へ向かった。
 船には誰もいなかった。ダイニングへ通しテーブルに座るよう言うと、食材を出し、サンジは料理を始めた。昼間に彼女が作ってくれた、美味しい料理へのお返しでもあり、彼女が自分の料理を食べたそうにしていたからでもある。真剣なまなざしで作る姿を見つめられ、こうして同業者の前で料理するのは久しぶりだと微笑む。程よい緊張感に、ゼフの前で料理していたころを思い出した。
 20分後には出来上がり、丁寧に盛り付けてそれぞれの皿を彼女の前に置いた。わあ、と彼女は顔を輝かせた。

「おいしそう! いただいてもいい?」

「ああ、どうぞ」

「いただきます」

 手を合わせたクロエは、フォークを手に取り、一口食べた。瞬間、ん〜〜と目を瞑った。

「すっっごくおいしい!!」

 私のなんか比べ物にならないわ、と呟き、その後は無言でゆっくりと味わい続ける。最後にお茶を飲むと、ごちそうさまとお辞儀した。

「ほんとにおいしかった! ありがとう、サンジ」

「どういたしまして。クソうまそうに食べてくれたな」

「うん、実は私どっちかというと、食べるほうが好きなの」

 ずっとサンジの料理だけ食べて生きていきたい、と嬉しいことを言われ、それってプロポーズ?と聞くと、ううんとあっさり首を振られた。

「海賊のあなたと結婚したら、この島にはいられないでしょ? あの店は小さいけど、私の宝物だから」

 ここを出ていきたくないの。クロエはそう言って微笑んだ。
 あの店は彼女がお金を貯めに貯めて、やっと建てたものだ。命と同じくらい、大切なものだろう。

「皿洗いするね」

 お皿を下げようとするクロエを引き留める。

「いや、おれがやるから大丈夫だよ」

「でも、作ってもらったのに何もお礼できない……」

「じゃあ、クロエちゃんちに泊めてくれないかな? 今夜泊まるとこなくて……」

 断られると思いながらそう尋ねてみると、ああいいよ、と彼女はすんなり頷いた。

「えっ、いいの!?」

「一部屋、使ってない部屋があるの。ここにいる間はそこで泊まってていいよ」

「……クロエちゃんって、一人暮らしだよね?」

「そうだよ」

 この子は男を――それも海賊を本気で泊まらせるつもりなのか。クロエちゃん、とサンジは真面目な顔で説いた。

「女の子一人で暮らしてるところに、男を簡単に泊まらせちゃだめだよ」

 クロエは瞬きして、言った。

「ん、でもサンジは大丈夫でしょ? 私でもそのくらいはわかるよ。こうしてちゃんと危ないって教えてくれるし。ほら、行くよ」

 陸の上で寝たいでしょ、と笑って、手を引かれる。サンジは驚きながらも一緒にダイニングを出た。
 島は昼間よりも静かで、落ち着いた街灯が足元を照らしていた。その温かい光を頼りに、石畳を歩く。手は先ほどからずっと繋がったままで、どちらも離そうとはしなかった。
 しばらくして、クロエが口を開いた。

「……サンジが男として生きてきたように、私も女として長い間一人で生きてきた。だから、そういうことはわかるんだ」

 彼女の声は、どこか寂しそうだった。今まで明るく振舞っていた彼女の、心の中を見た気がした。このままこの手を離したくない、とサンジは思った。だから――

「クロエちゃん」

 サンジは立ち止まった。振り向いたクロエに、微笑みかける。

「ちょっとこの辺で飲んでいかないか? もっとクロエちゃんの話が聞きたいんだ」

 クロエは驚いたようだったが、やがてはにかむように微笑み頷いた。今夜は彼女の明るさも寂しさも全て、受け止めよう。サンジはそう心に決めた。

「……サンジって、モテるでしょ」

「いや、モテねェな」

「嘘だな、絶対モテる。というか、女癖悪いのを直したら、モテモテだと思う」

「はは、それじゃ一生モテねェな」

「……でも、そのままでいいかもね」

「えっ?」

「いや、何でもない!」

20190519

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