昔から、クロエは食べることが好きだった。
両親が美食家ということもあり、幼いころはよく三ツ星のレストランに連れて行ってもらっていた。おいしい料理を味わう度に感じる、『幸せ』というものを、クロエは幼くしてわかっていた。そしてその『幸せ』を、与える側になりたいと思うようになった。
食事の時間と同じく、両親といる時間はとても幸せなものだった――父の事業が失敗して、両親が自殺するまでは。
クロエは借金を肩代わりしてくれた知り合いのつてで、コック見習いとして客船に乗った。そこで稼いだお金は、すべて知り合いに送り、返し終わると自分の夢のために貯金をした。そうして10年ほど修行を重ね、クロエはとある小さな島で、とうとう自分の夢をかなえた。
*
サニー号がレイ島に着いたのは正午ごろ。腹減ったーと駆け出そうとするルフィをなんとか引き止め、まずは様子見がてら腹ごしらえということで、皆で島へと降りた。レイ島は小さな島だったが、人は多くなかなか栄えていた。
ルフィの鼻を頼りに石畳を歩いていくと、小さなレストランに行きついた。家のような外観だったが、看板が出ていたため、レストランだとわかった。中からは賑わっている声が聞こえ、美味しそうな匂いが鼻先に香る。なるほど、いいレストランだ。サンジは期待に胸を躍らせた。
ドアを開け中に入ると、かわいらしいウエイトレスが出迎えてくれる。
「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」
「はーい」
「ここ座りましょうか」
「そうね」
ちょうど8人ほど座れる席が空いていたため、そこに座った。さっそく用意されたメニューを開く。
柔らかい字で書かれたメニューは、春島らしく、蕪などの春野菜を使った家庭料理が多かった。サンジは、メインにブフ・ブルギニョン――ブルゴーニュ風ビーフを注文した。
「……いい雰囲気のレストランね。料理もおいしそうだし」
ナミが周りを見ながら言う。確かに島の人々は、食事の時間をとても楽しんでいるように見えた。
「料理が美味いのはもちろん、店のスタッフやシェフの人柄もいいんじゃねェかな。何より、メニューに書かれた字は間違いなく女の字。どんなレディがシェフなのかな〜〜」
想像してデレっと顔が崩れる。ナミはこちらに呆れた目を向けると、ロビンの方へ向いてしまった。
しばらくして、料理が運ばれてくる。前菜はスモークサーモンのサラダ。キャベツは甘く、サーモンの塩気とよくマッチしていた。ドレッシングの酸味も、野菜と合うようによく考えられている。
そして、メイン。ブフ・ブルギニョンが運ばれてきた。赤ワインの濃厚な香りに、食欲をそそられる。
「おっ、サンジそれ美味そうだな!」
違うメインを頼んでいたルフィが、物欲しそうに言った。あげねェぞと笑い、ナイフとフォークを取る。
牛肉にナイフを入れれば、ほとんど力を入れずに切ることが出来た。そして一口。
牛肉の柔らかい感触と赤ワインの風味が広がる。この濃厚さを出しているのはブールマニエか。庶民的なレストランにしては結構な手間をかけている。文句なしに美味い。
デザートはいちごのコンポート。アイスクリームが添えられている。手作りのアイスらしく、程よい甘みが優しかった。
「美味しいわね!」
「ほんと」
女性陣は嬉しそうだ。細かなところにもこだわりを感じる料理に、サンジはシェフを一目見たく店内を見回すが、厨房は奥の方にあるらしかった。とはいえシェフを呼ぶのも気が引け、ナミが会計を済ませている間に、ちらと奥を覗いてみる。
中には、テキパキと料理する男女のコックの姿があった。麗しい女性のコックが、野菜を炒めながら男のコックに指示する。
「ルーゴ、パプリカとトマトでソース作って」
「はい」
あのコックがこの店のシェフらしい。真剣に料理するその美しい横顔に見惚れてみると、フランキーの声がした。
「おい、サンジ行くぞ」
「ああ……」
呟くように返事した瞬間。あ、と奥から声がした。女性のコックとバッチリ目が合う。
「あなたは――」
自分を知っているような言い方だった。こんな可愛い女性に面識はない。戸惑っていると、女性はハッとして、言った。
「違かったらごめんなさい……あなた、イーストブルーのバラティエで働いてた……?」
「えっ、なんでそれを……!」
女性は嬉しそうに笑った。
「やっぱり、そうなんだ。いやー、こんなところで会えるとは思わなかった! 詳しくお話したいから、22時頃にまた来てもらってもいい? 閉店時間がその頃なの」
「……ああ、わかった」
じゃあまた、と女性は少し手を振り、手元へ目を落とした。話している間も、ずっと手を動かし続けていた。
何故女性は自分を知ってるのか。客としてバラティエに来たことがあったのだろうか。
ぼんやりと考えながら22時まで過ごし、サンジは再びレストランのドアを開けた。そこには、コック服ではなく可愛らしいワンピースを着た女性が、テーブルに座っていた。目が合うと、にっこりと微笑まれる。
「来てくれてありがとう。ここ座って? 飲み物、何がいい?」
「あー……じゃあ、アイスティーで」
「わかった」
コースターの上にアイスティーが置かれる。女性は再び向かいに座り、口を開いた。
「私、クロエっていうの。あなたはサンジ、でしょ?」
「あ、ああ……」
「私、昔にバラティエの料理を食べたことがあるの。すごく、小さかった頃。それはもう、とっても美味しかった! あの料理を食べて、コックになろうって思ったくらいに……そしてその時、サーブしてくれたのがあなただった」
クロエは紅茶を一口飲み、言葉をつづけた。
「私と同じくらいの子が働いてるんだもの、その時は驚いた。でもそれから半年くらい後、私もコック見習いとして客船に乗ったわ……あなたも、やっぱりコックに?」
「ああ、そうだ」
どこのコックか聞かれたらなんて返そうかと思ったが、幸いクロエは聞いてこなかった。
「あのシェフから料理を教わったってことね……あなたの作る料理は、さぞかし美味しいでしょうね……」
頬に手を置き、ほう、と恍惚としたため息をつく。そして何故か首を振った。
「ああ、ダメダメ、悪い癖だわ……あなたの話を聞かせて? ずっとバラティエにいたの?」
ずいぶんマイペースだな、とサンジは笑い、自分のことを話し出した。バラティエの前は、クロエと同じように客船に乗っていたこと、シェフであるゼフに随分しごかれたこと。今海賊をしていることは伏せた。
クロエは話すことが好きかと思えば、聞き上手でもあった。
「ふふ、女性のことで怒られるって、相当だったのね」
「ああ、そうさ。クロエちゃんのことだって、今すぐ抱きしめたいと思ってる」
「あらら、それは相当ね……」
クロエは神妙な顔で頷いた。その表情がおかしく、サンジはまた笑ってしまった。
「はは、そう思うかい? でもこれは生まれつきで、どうにもならねェんだ……おれが本気でその人が好きだって伝えるには、どうしたらいいと思う?」
「えー……その人のためだけに、特別な料理を作る、とか?」
なるほど、とサンジは頷いてみせた。
「じゃあ、クロエちゃんのためだけに、料理を作ろうかな」
「え?」
驚く彼女に笑いながら、サンジは言う。
「おれが乗ってきた船に招待してもいいかい? 実はおれ、海賊なんだ」
彼女になら言ってもいいと、話していてサンジは判断した。クロエは誰にも言わないだろう。
ぎょっとしているクロエに手を差し伸べる。彼女は一瞬迷ったようだが、おずおずと手を握った。華奢なその手を握り返す。二人は店を出て、サニー号へ向かった。
船には誰もいなかった。ダイニングへ通しテーブルに座るよう言うと、食材を出し、サンジは料理を始めた。昼間に彼女が作ってくれた、美味しい料理へのお返しでもあり、彼女が自分の料理を食べたそうにしていたからでもある。真剣なまなざしで作る姿を見つめられ、こうして同業者の前で料理するのは久しぶりだと微笑む。程よい緊張感に、ゼフの前で料理していたころを思い出した。
20分後には出来上がり、丁寧に盛り付けてそれぞれの皿を彼女の前に置いた。わあ、と彼女は顔を輝かせた。
「おいしそう! いただいてもいい?」
「ああ、どうぞ」
「いただきます」
手を合わせたクロエは、フォークを手に取り、一口食べた。瞬間、ん〜〜と目を瞑った。
「すっっごくおいしい!!」
私のなんか比べ物にならないわ、と呟き、その後は無言でゆっくりと味わい続ける。最後にお茶を飲むと、ごちそうさまとお辞儀した。
「ほんとにおいしかった! ありがとう、サンジ」
「どういたしまして。クソうまそうに食べてくれたな」
「うん、実は私どっちかというと、食べるほうが好きなの」
ずっとサンジの料理だけ食べて生きていきたい、と嬉しいことを言われ、それってプロポーズ?と聞くと、ううんとあっさり首を振られた。
「海賊のあなたと結婚したら、この島にはいられないでしょ? あの店は小さいけど、私の宝物だから」
ここを出ていきたくないの。クロエはそう言って微笑んだ。
あの店は彼女がお金を貯めに貯めて、やっと建てたものだ。命と同じくらい、大切なものだろう。
「皿洗いするね」
お皿を下げようとするクロエを引き留める。
「いや、おれがやるから大丈夫だよ」
「でも、作ってもらったのに何もお礼できない……」
「じゃあ、クロエちゃんちに泊めてくれないかな? 今夜泊まるとこなくて……」
断られると思いながらそう尋ねてみると、ああいいよ、と彼女はすんなり頷いた。
「えっ、いいの!?」
「一部屋、使ってない部屋があるの。ここにいる間はそこで泊まってていいよ」
「……クロエちゃんって、一人暮らしだよね?」
「そうだよ」
この子は男を――それも海賊を本気で泊まらせるつもりなのか。クロエちゃん、とサンジは真面目な顔で説いた。
「女の子一人で暮らしてるところに、男を簡単に泊まらせちゃだめだよ」
クロエは瞬きして、言った。
「ん、でもサンジは大丈夫でしょ? 私でもそのくらいはわかるよ。こうしてちゃんと危ないって教えてくれるし。ほら、行くよ」
陸の上で寝たいでしょ、と笑って、手を引かれる。サンジは驚きながらも一緒にダイニングを出た。
島は昼間よりも静かで、落ち着いた街灯が足元を照らしていた。その温かい光を頼りに、石畳を歩く。手は先ほどからずっと繋がったままで、どちらも離そうとはしなかった。
しばらくして、クロエが口を開いた。
「……サンジが男として生きてきたように、私も女として長い間一人で生きてきた。だから、そういうことはわかるんだ」
彼女の声は、どこか寂しそうだった。今まで明るく振舞っていた彼女の、心の中を見た気がした。このままこの手を離したくない、とサンジは思った。だから――
「クロエちゃん」
サンジは立ち止まった。振り向いたクロエに、微笑みかける。
「ちょっとこの辺で飲んでいかないか? もっとクロエちゃんの話が聞きたいんだ」
クロエは驚いたようだったが、やがてはにかむように微笑み頷いた。今夜は彼女の明るさも寂しさも全て、受け止めよう。サンジはそう心に決めた。
「……サンジって、モテるでしょ」
「いや、モテねェな」
「嘘だな、絶対モテる。というか、女癖悪いのを直したら、モテモテだと思う」
「はは、それじゃ一生モテねェな」
「……でも、そのままでいいかもね」
「えっ?」
「いや、何でもない!」
20190519
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両親が美食家ということもあり、幼いころはよく三ツ星のレストランに連れて行ってもらっていた。おいしい料理を味わう度に感じる、『幸せ』というものを、クロエは幼くしてわかっていた。そしてその『幸せ』を、与える側になりたいと思うようになった。
食事の時間と同じく、両親といる時間はとても幸せなものだった――父の事業が失敗して、両親が自殺するまでは。
クロエは借金を肩代わりしてくれた知り合いのつてで、コック見習いとして客船に乗った。そこで稼いだお金は、すべて知り合いに送り、返し終わると自分の夢のために貯金をした。そうして10年ほど修行を重ね、クロエはとある小さな島で、とうとう自分の夢をかなえた。
*
サニー号がレイ島に着いたのは正午ごろ。腹減ったーと駆け出そうとするルフィをなんとか引き止め、まずは様子見がてら腹ごしらえということで、皆で島へと降りた。レイ島は小さな島だったが、人は多くなかなか栄えていた。
ルフィの鼻を頼りに石畳を歩いていくと、小さなレストランに行きついた。家のような外観だったが、看板が出ていたため、レストランだとわかった。中からは賑わっている声が聞こえ、美味しそうな匂いが鼻先に香る。なるほど、いいレストランだ。サンジは期待に胸を躍らせた。
ドアを開け中に入ると、かわいらしいウエイトレスが出迎えてくれる。
「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」
「はーい」
「ここ座りましょうか」
「そうね」
ちょうど8人ほど座れる席が空いていたため、そこに座った。さっそく用意されたメニューを開く。
柔らかい字で書かれたメニューは、春島らしく、蕪などの春野菜を使った家庭料理が多かった。サンジは、メインにブフ・ブルギニョン――ブルゴーニュ風ビーフを注文した。
「……いい雰囲気のレストランね。料理もおいしそうだし」
ナミが周りを見ながら言う。確かに島の人々は、食事の時間をとても楽しんでいるように見えた。
「料理が美味いのはもちろん、店のスタッフやシェフの人柄もいいんじゃねェかな。何より、メニューに書かれた字は間違いなく女の字。どんなレディがシェフなのかな〜〜」
想像してデレっと顔が崩れる。ナミはこちらに呆れた目を向けると、ロビンの方へ向いてしまった。
しばらくして、料理が運ばれてくる。前菜はスモークサーモンのサラダ。キャベツは甘く、サーモンの塩気とよくマッチしていた。ドレッシングの酸味も、野菜と合うようによく考えられている。
そして、メイン。ブフ・ブルギニョンが運ばれてきた。赤ワインの濃厚な香りに、食欲をそそられる。
「おっ、サンジそれ美味そうだな!」
違うメインを頼んでいたルフィが、物欲しそうに言った。あげねェぞと笑い、ナイフとフォークを取る。
牛肉にナイフを入れれば、ほとんど力を入れずに切ることが出来た。そして一口。
牛肉の柔らかい感触と赤ワインの風味が広がる。この濃厚さを出しているのはブールマニエか。庶民的なレストランにしては結構な手間をかけている。文句なしに美味い。
デザートはいちごのコンポート。アイスクリームが添えられている。手作りのアイスらしく、程よい甘みが優しかった。
「美味しいわね!」
「ほんと」
女性陣は嬉しそうだ。細かなところにもこだわりを感じる料理に、サンジはシェフを一目見たく店内を見回すが、厨房は奥の方にあるらしかった。とはいえシェフを呼ぶのも気が引け、ナミが会計を済ませている間に、ちらと奥を覗いてみる。
中には、テキパキと料理する男女のコックの姿があった。麗しい女性のコックが、野菜を炒めながら男のコックに指示する。
「ルーゴ、パプリカとトマトでソース作って」
「はい」
あのコックがこの店のシェフらしい。真剣に料理するその美しい横顔に見惚れてみると、フランキーの声がした。
「おい、サンジ行くぞ」
「ああ……」
呟くように返事した瞬間。あ、と奥から声がした。女性のコックとバッチリ目が合う。
「あなたは――」
自分を知っているような言い方だった。こんな可愛い女性に面識はない。戸惑っていると、女性はハッとして、言った。
「違かったらごめんなさい……あなた、イーストブルーのバラティエで働いてた……?」
「えっ、なんでそれを……!」
女性は嬉しそうに笑った。
「やっぱり、そうなんだ。いやー、こんなところで会えるとは思わなかった! 詳しくお話したいから、22時頃にまた来てもらってもいい? 閉店時間がその頃なの」
「……ああ、わかった」
じゃあまた、と女性は少し手を振り、手元へ目を落とした。話している間も、ずっと手を動かし続けていた。
何故女性は自分を知ってるのか。客としてバラティエに来たことがあったのだろうか。
ぼんやりと考えながら22時まで過ごし、サンジは再びレストランのドアを開けた。そこには、コック服ではなく可愛らしいワンピースを着た女性が、テーブルに座っていた。目が合うと、にっこりと微笑まれる。
「来てくれてありがとう。ここ座って? 飲み物、何がいい?」
「あー……じゃあ、アイスティーで」
「わかった」
コースターの上にアイスティーが置かれる。女性は再び向かいに座り、口を開いた。
「私、クロエっていうの。あなたはサンジ、でしょ?」
「あ、ああ……」
「私、昔にバラティエの料理を食べたことがあるの。すごく、小さかった頃。それはもう、とっても美味しかった! あの料理を食べて、コックになろうって思ったくらいに……そしてその時、サーブしてくれたのがあなただった」
クロエは紅茶を一口飲み、言葉をつづけた。
「私と同じくらいの子が働いてるんだもの、その時は驚いた。でもそれから半年くらい後、私もコック見習いとして客船に乗ったわ……あなたも、やっぱりコックに?」
「ああ、そうだ」
どこのコックか聞かれたらなんて返そうかと思ったが、幸いクロエは聞いてこなかった。
「あのシェフから料理を教わったってことね……あなたの作る料理は、さぞかし美味しいでしょうね……」
頬に手を置き、ほう、と恍惚としたため息をつく。そして何故か首を振った。
「ああ、ダメダメ、悪い癖だわ……あなたの話を聞かせて? ずっとバラティエにいたの?」
ずいぶんマイペースだな、とサンジは笑い、自分のことを話し出した。バラティエの前は、クロエと同じように客船に乗っていたこと、シェフであるゼフに随分しごかれたこと。今海賊をしていることは伏せた。
クロエは話すことが好きかと思えば、聞き上手でもあった。
「ふふ、女性のことで怒られるって、相当だったのね」
「ああ、そうさ。クロエちゃんのことだって、今すぐ抱きしめたいと思ってる」
「あらら、それは相当ね……」
クロエは神妙な顔で頷いた。その表情がおかしく、サンジはまた笑ってしまった。
「はは、そう思うかい? でもこれは生まれつきで、どうにもならねェんだ……おれが本気でその人が好きだって伝えるには、どうしたらいいと思う?」
「えー……その人のためだけに、特別な料理を作る、とか?」
なるほど、とサンジは頷いてみせた。
「じゃあ、クロエちゃんのためだけに、料理を作ろうかな」
「え?」
驚く彼女に笑いながら、サンジは言う。
「おれが乗ってきた船に招待してもいいかい? 実はおれ、海賊なんだ」
彼女になら言ってもいいと、話していてサンジは判断した。クロエは誰にも言わないだろう。
ぎょっとしているクロエに手を差し伸べる。彼女は一瞬迷ったようだが、おずおずと手を握った。華奢なその手を握り返す。二人は店を出て、サニー号へ向かった。
船には誰もいなかった。ダイニングへ通しテーブルに座るよう言うと、食材を出し、サンジは料理を始めた。昼間に彼女が作ってくれた、美味しい料理へのお返しでもあり、彼女が自分の料理を食べたそうにしていたからでもある。真剣なまなざしで作る姿を見つめられ、こうして同業者の前で料理するのは久しぶりだと微笑む。程よい緊張感に、ゼフの前で料理していたころを思い出した。
20分後には出来上がり、丁寧に盛り付けてそれぞれの皿を彼女の前に置いた。わあ、と彼女は顔を輝かせた。
「おいしそう! いただいてもいい?」
「ああ、どうぞ」
「いただきます」
手を合わせたクロエは、フォークを手に取り、一口食べた。瞬間、ん〜〜と目を瞑った。
「すっっごくおいしい!!」
私のなんか比べ物にならないわ、と呟き、その後は無言でゆっくりと味わい続ける。最後にお茶を飲むと、ごちそうさまとお辞儀した。
「ほんとにおいしかった! ありがとう、サンジ」
「どういたしまして。クソうまそうに食べてくれたな」
「うん、実は私どっちかというと、食べるほうが好きなの」
ずっとサンジの料理だけ食べて生きていきたい、と嬉しいことを言われ、それってプロポーズ?と聞くと、ううんとあっさり首を振られた。
「海賊のあなたと結婚したら、この島にはいられないでしょ? あの店は小さいけど、私の宝物だから」
ここを出ていきたくないの。クロエはそう言って微笑んだ。
あの店は彼女がお金を貯めに貯めて、やっと建てたものだ。命と同じくらい、大切なものだろう。
「皿洗いするね」
お皿を下げようとするクロエを引き留める。
「いや、おれがやるから大丈夫だよ」
「でも、作ってもらったのに何もお礼できない……」
「じゃあ、クロエちゃんちに泊めてくれないかな? 今夜泊まるとこなくて……」
断られると思いながらそう尋ねてみると、ああいいよ、と彼女はすんなり頷いた。
「えっ、いいの!?」
「一部屋、使ってない部屋があるの。ここにいる間はそこで泊まってていいよ」
「……クロエちゃんって、一人暮らしだよね?」
「そうだよ」
この子は男を――それも海賊を本気で泊まらせるつもりなのか。クロエちゃん、とサンジは真面目な顔で説いた。
「女の子一人で暮らしてるところに、男を簡単に泊まらせちゃだめだよ」
クロエは瞬きして、言った。
「ん、でもサンジは大丈夫でしょ? 私でもそのくらいはわかるよ。こうしてちゃんと危ないって教えてくれるし。ほら、行くよ」
陸の上で寝たいでしょ、と笑って、手を引かれる。サンジは驚きながらも一緒にダイニングを出た。
島は昼間よりも静かで、落ち着いた街灯が足元を照らしていた。その温かい光を頼りに、石畳を歩く。手は先ほどからずっと繋がったままで、どちらも離そうとはしなかった。
しばらくして、クロエが口を開いた。
「……サンジが男として生きてきたように、私も女として長い間一人で生きてきた。だから、そういうことはわかるんだ」
彼女の声は、どこか寂しそうだった。今まで明るく振舞っていた彼女の、心の中を見た気がした。このままこの手を離したくない、とサンジは思った。だから――
「クロエちゃん」
サンジは立ち止まった。振り向いたクロエに、微笑みかける。
「ちょっとこの辺で飲んでいかないか? もっとクロエちゃんの話が聞きたいんだ」
クロエは驚いたようだったが、やがてはにかむように微笑み頷いた。今夜は彼女の明るさも寂しさも全て、受け止めよう。サンジはそう心に決めた。
「……サンジって、モテるでしょ」
「いや、モテねェな」
「嘘だな、絶対モテる。というか、女癖悪いのを直したら、モテモテだと思う」
「はは、それじゃ一生モテねェな」
「……でも、そのままでいいかもね」
「えっ?」
「いや、何でもない!」
20190519
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