プリンは、どこまでも注意が行き届いている。
 ママの目をも誤魔化し、兄弟たちにさえ偽りの自分を演じる――それは、プリン自身に対しても。

 泣いているプリンを見たのは、クロエにとって初めてだった。
 麦わらたちが起こした混乱の中、彼女は狭い路地の、木箱の前でうずくまっていた。ここにプリンがいることを疑問に思い、声をかけようとしたが、彼女が泣き声を上げていることに気づき、クロエは開きかけた口を閉じた。男を騙すときに見せる、嘘泣きではない。本気で泣いているのだ。彼女がこんな泣き方をするなんて、信じられなかった。いつも、あざとさが見えないギリギリのラインで、自分を可愛く見せている彼女が。
 呆然とプリンを見つめていたクロエは、その手にフィルムが握られていることに気づいた。プリンはメモメモの実を食べた能力者。それが誰かの記憶だということはすぐにわかった。

「……プリン?」

 そっとしてあげたい気持ちもあったが、彼女への心配と、泣いている理由を知りたい欲が勝った。
 プリンは顔を上げてこちらを向いた。涙で濡れた、三つの目と目が合った瞬間、クロエは声をかけたことを後悔した。彼女の瞳は、深い悲しみに満ちていた。

「……クロエ姉さん」

「ごめん、声なんかかけて……私、あっちに戻るね」

「待って」

 去ろうとした時、プリンに呼び止められた。フィルムをスカートのポケットに入れながら、彼女は呟くように言った。

「ここにいて、ほしい……」

 クロエは躊躇いながらも、隣に腰を下ろした。
 周囲の喧騒が聞こえてくる。誰もこの路地に人がいるなんて、気づいてないだろう。
 鏡から出てきたのは、兄のカタクリではなく麦わらだった。皆で一斉に攻撃しようとしたが、どこからかヴィンスモーク・サンジが現れ、ジェルマの支援によって、麦わらを抱えて逃げてしまった。クロエがジェルマに敵うわけがなく、身を隠すためにこの路地に入り、プリンを見つけた。
 カタクリが負けたことで泣いていたのか、とクロエは一瞬思ったが、それなら誰かの記憶を握りしめているはずがない。プリンは、誰かの記憶を抜く必要があった……。
 麦わらが出てくるのとほぼ同時に、ヴィンスモーク・サンジが現れた。少し、タイミングが良すぎるのではないか。こんなこと考えたくないが、もし、黒足を連れてきたのがプリンだったら……。

「姉さん」

 隣から呼ばれ、クロエはハッとプリンを見た。プリンは地面に視線を落としたまま、言った。

「……姉さんは、ママが決めた人じゃなく、自分の好きになった人と結婚したいって、思ったことある?」

 突拍子のない質問に驚きながらも、答える。

「……あるわ」

「人を、好きになったことは?」

「……それも、ある」

「その人と……駆け落ちとか考えたりした?」

「どうだろ。考える前に、殺されちゃったから」

 隣でプリンが息を呑んだ気配がした。

「ママに、殺されたの?」

「そうね、そうなるわ。ママも気付いてたんでしょうね。私はプリンより演技が下手だから」

 自嘲して笑うと、プリンは首を振った。

「……姉さん、私はもう、そんなことが上手になりたくないの。本当の自分を、もっと出したい。この目だって、隠さないでいたい。そして、受け入れてもらいたいの」

 彼女の言葉に、クロエは驚いた。声の震えから、本気で言っているのがわかった。
 クロエは、プリンに微笑んだ。

「きっとみんな、受け入れてくれるわ。今のあなたは――本当のあなたは、とっても素敵だもの」

「クロエ姉さん……」

 ありがとう、とプリンは照れたように笑った。打算のない本当の笑顔は、とてもかわいらしかった。
 こんなにプリンを変えたのは、きっと――。

「……忘れちゃいなさい」

「えっ……?」

 目を見開いたプリンに微笑んで、言い聞かすように言った。

「忘れちゃうの。私たちは、ママの駒でしかないんだから」

「……………」

「でも、これだけは忘れないで」

 クロエはゆっくりと言葉を続けた。

「あなたが変わりたいと思った気持ちと同じように、人を好きになった気持ちも、偽物じゃない。その幸福感、切なさを、忘れないでいて」

 プリンの三つの目が、じわりと潤んだ。改めて見ると、本当に綺麗な瞳をしている。
 再び涙を流し始めた彼女の頭を、クロエは優しく撫でてあげた。どうか、この子に幸せが訪れますように。そう願いながら。


20180907

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