愛 | ナノ
 ロンドンのとあるオフィスビルに、シルヴィアはいた。
 街が一望できるガラス張りの窓を背に、彼女はゆったりとしたデスクチェアに座り、キーボードを打っていた。目線はPCの画面に固定しながら、かたかたと指を動かす。
 マグルの発明したものは、とても合理的だとシルヴィアは思う。彼らは電気やガスなどのエネルギーを使って、魔法のようなことを為す。最初にPCに触れたとき、その突き詰められた精密さと正確さに驚きを越して恐怖さえ覚えたものだ。以来、事務的な手紙を書く際は手書きではなく、PCに文字を打ち込み羊皮紙に印刷している。
 今ひたすら打ち込んでいる文面は、自分の論文に難癖をつけてきた、ブラジルの教授に対する反論である。発表から一〇年が経ってもこうした抗議の文は時折送られてくる。そのたびにシルヴィアは丁寧に返事を書く。他にも教授としての仕事があるため、時間はいくらあっても足りない。
 最後のピリオドを打ち込み、シルヴィアはキーボードから手を離した。壁にかかったシンプルな時計を見上げる。一時一〇分前。そろそろ客人が来る頃合いだろう。立ち上がり、そばのデスクで作業していた秘書に声を掛ける。
「応接間に行くわ。五分前にはいらっしゃるだろうから、彼を案内して――あと、オリヴェイラ教授へのお返事書けたから、あとで印刷しておいて」
「わかりました」
 眼鏡を掛けた厳格な秘書が頷いたのを確認し、シルヴィアは今日中に目を通さなければならない書類を片手に応接間に向かった。
 客人は読み通り五分前に到着した。
 秘書がドアを開けた音にシルヴィアは顔を上げ、立ち上がった。奇抜な色のスーツをまとい、銀色の長い髭をベルトに挟んだ、何ともこの場にそぐわない老人は、微笑みながら自分の差し出した手を握った。
「久しぶりですな、ミス・ロジエール」
「ええ、お久しぶりです。ダンブルドア先生」
 シルヴィアはダンブルドアに座るよう勧め、秘書を出ていかせた。向かいに腰を下ろし、半月型の眼鏡の奥から輝く、青い瞳を見つめた。
「君は全く変わらんな。昔と変わらず綺麗じゃ」
「ありがとうございます」
 シルヴィアは笑みで答え、自分から話を切り出した。
「話とは、ホグワーツのことでしょうか?」
「そう、その通り。君に、ホグワーツで働いてもらいたい」
 予想通りの答えに、驚きはしなかった。ダンブルドアは話を続けた。
「働くと言っても、教鞭を執ってもらうという訳じゃない。助手として働いてもらいたいんじゃ。それなら君の仕事も平行してできると思うんだが、どうかね?」
 きらめくような瞳で見つめられ、戸惑いながらもシルヴィアは答えた。
「それは……とても光栄なことですが、私は今のことで手一杯ですし、助手としての仕事が私ごときに果たせるかどうか――」
「なんと。君に助手が勤まらないなら、他に助手をできる者などいないじゃろう? 本当は君を教授として招きたかったんだが、残念なことに空きがなくてね。呪文学とDADAの助手をお願いしたいんだが――」
 シルヴィアは首を振った。なんとお願いされようと、初めから断るつもりだった。本当に自分の仕事で手一杯だったのだ。
「私には、とても――」
「そうか」
 ダンブルドアは肩を落とした。
「困ったな、君にしかできない仕事も頼もうかと思ってたんじゃが……」
 乗せられるのは好きではないが、シルヴィアは問いかけた。
「それは――?」
 ダンブルドアは微笑みながら答えた。
「今年はハリーが入ってくることを、知ってるかね?」
 思いがけない名前に息を飲んだ。
「ハリー……ジェームズの、子が……」
 あれから――ジェームズが亡くなってから一一年が過ぎたのだ。その子が入学する年まで成長していても何もおかしくはない。けれど――。
 時間の経過に呆然としていると、ダンブルドアが穏やかに言った。
「そう。君に、ハリーをヴォルデモートから守ってほしい」
 その名を聞いた途端、自然と体が震えた。多くの人々を殺し、支配した闇の帝王への恐怖は、今も心の底に根深く残っている。
 しかし、彼は死んだはずだった。奇跡の子、ハリー・ポッターによって。
「……例のあの人は、死んでいないとお考えですか?」
「ああ、そう確信しておる。いつ復活し、ハリーを狙うかはわからんが、ホグワーツ在学中は、何としてでも彼を守りたい」
 シルヴィアはうつむいた。ハリーの名を聞いて、頑なだった心は揺らいでいた。
 ハリーを、例のあの人から守る。例のあの人から――自分に、ハリーを守ることはできるのだろうか。研究中はよく危機に見舞われ杖を振っていたが、もう一〇年は攻撃呪文を唱えていない。
「大丈夫、ハリーを守るのは君だけではない」
 ダンブルドアがこちらの考えを見破るように言った。
「勿論我々も――セブルスも、ハリーを守ると約束している」
 シルヴィアは弾かれたように顔を上げた。学生時代に戻ったかのような、懐かしい感情が湧き上がってくる。
「セブルスが――彼は確か、ホグワーツの薬学教授になったと新聞で読みました――」
 ダンブルドアは笑みを浮かべたまま頷いた。
「そう。セブルスはよくやってくれているよ。あんまりいい教師とは言えんが」
 そう言って、悪戯っぽく目を細める。
「セブルスも君が来れば喜ぶだろう」
「そうだったら、いいのですが……」
 自分たちは喧嘩別れをしてしまった。デスイーターになると決意していたセブルスが、どうしても許せなかった。
 ダンブルドアは何も言わずこちらを見つめていた。その瞳には親愛の感情が込められ、慈愛に満ちていた。すべてを見透かし、その上で包み込むような優しさがあった。だからかもしれない。
「……わかりました。その仕事、受けさせてください」
 口は自然とそう発していた。ダンブルドアは嬉しそうに笑った。
「ありがとう、シルヴィア。君なら受けてくれると思っていたよ。これからよろしく頼む」
「至らぬ点があるかもしれませんが……こちらこそ、よろしくお願いします」
 二人は固く握手を交わした。
 果たして自分にハリーを守れるだろうか。セブルスは自分の帰城を喜んでくれるだろうか。不安はあるものの、それでもハリーを守る一員になりたいという気持ちが上回っていた。
 
 キングス・クロス駅構内をシルヴィアは歩いていた。マグルでごった返していたが、その中に自分は溶け込んでいるだろうという自信があった。スーツを纏い黒いスーツケースを引く自分は、きっと出張に行く会社員のように見えていることだろう。
 この駅に来るのも久しぶりだった。マグルチックな――マグルの言葉で表せば「モダン」な――オフィスビルで働いているものの、移動はもっぱら姿くらましか暖炉だ。ここに来る用事と言えば、ひとつしかない。
 九と一〇番線の間にたどり着く。目の前に赤いれんがの壁がそびえている。
 懐かしい感情が湧き上がってくる。不安と緊張、そして少しの期待――それは二〇年前に初めてこのゲートを通った時の感情と同じもの。シルヴィアは緊張している自分に苦笑し、ゆっくりと柱へ歩いた。
 九と四分の三番線に出て目に入ったのは、白い煙を吹き出す紅色の鮮やかな汽車だった。ホグワーツ特急。この汽車に今まで何度乗っただろう。まさか、再びこれに乗る日が来るとは思わなかった。
 生徒で混まないうちにと早く家を出たため、プラットホームは閑散としていた。シルヴィアは列車を心置きなく眺めた後、ケースを持ち上げ汽車に乗り込んだ。適当なコンパートメントに座り、座席にケースを乗せて開くと、スカートの腰にさしていた杖を取り出した。
「アクシオ ザ・ダーク・フォース」
 数秒後、ケースから「闇の力」と書かれた本が飛び出してきた。それが手に吸いよせられるように収まると、もう一度呼び寄せ呪文で別の教科書を取り出した。それからケースを閉じ、持ち上げてラックの上に置いた。
 ドアを閉じて席に座り、教科書を手に取る。ダンブルドアの話を受けてから何度も読んでいるため、表紙は反り返り、ページの端々はすり切れていた。シルヴィアは構わず教科書を開き、幾度も読んだ文章を再び追い始めた。
「すみません」
 自分に向けられた呼び掛けに顔を上げる。プラチナブロンドの、勝ち気そうな少年が戸口から覗き込んでいた。同時に、周りのざわめきが耳に入ってくる。確認のために教科書を開いたものの、いつの間にか没頭していたようだ。
「ここ、座っても良いですか?」
「ええ、どうぞ」
 席をつめると、彼と二人の体格の良い子供が入ってきた。向かいに二人が、隣にブロンドの子が座る。三人とも真新しい制服を着ているため、きっと新入生だろう。ブロンドの少年は早速話しかけてきた。
「あの、ホグワーツの先生でいらっしゃいますか?」
「ええ、今年からね。先生じゃなく助手なんだけど」
 そう正直に答えると、彼の灰色の瞳から、好奇の色が少し消えたのがわかった。彼は視線を落とし、自分が手に持っていた本に目を留めた。
「教科は、闇魔術に対する防衛術ですか?」
「そうよ、それと呪文学の。行く前に予習しておこうと思ってね」
「そうなんですか」
 少年は頷いた。あまり自分に興味を持っていないことは明らかだった。少年はそれを隠そうとしているようだったが、表情は取り繕えないようだった。ふと彼は思いついたように、こう質問してきた。
「先生は、どこの寮だったんですか?」
 ああ、なんてスリザリン的な質問。その質問が三言目に出てこようとは。絶対に彼はスリザリンに入れられるだろう。そう思いながら、シルヴィアは答えた。
「スリザリンよ」
 少年の目は、輝きを取り戻した。
「スリザリン――先生は純粋な魔法族でいらっしゃるのですか?」
 予期していた質問に、内心笑いながらシルヴィアは頷いた。
「ええ、まあ。でもスリザリンだからって、純血だけが入るわけではないわ」
「はい、それは父上から聞いてます――僕はマルフォイ、ドラコ・マルフォイです」
 少年は思い出したように自己紹介した。聞き覚えのある名前に驚き、そして納得した。
「お父さんはルシウスでしょう?」
 ドラコは目を見開いた。
「父上と、お知り合いなんですか?」
「知り合いというか……私の先輩だったわ」
「なら、父上から名前を聞いているかもしれません。先生のお名前は――?」
 ドラコの言葉は、突然開いたコンパートメントのドアの音に遮られた。四人が戸口を見ると、泣きべそをかいた少年と、ふさふさした髪の、気の強そうな少女が入ってきた。少女は自分を見つけると、少年たちには目もくれず声をかけてきた。
「すみません。ホグワーツの先生でいらっしゃいますか?」
「いいえ、ただの助手よ。今年から赴任するの」
「助手、ですか? でも、助手はホグワーツでは取らないって、本に書いてありましたけど――」
 まさか、そこまでホグワーツを知っているとは。驚いていると、何を焦ったのか少女は首を振った。
「いえ、私の勘違いかもしれません」
 シルヴィアは優しく微笑んだ。
「いいえ、あなたの言う通りよ。よく知ってるのね。私は異例なの、理由は言えないけれど。呪文学と闇魔術に対する防衛術の助手をすることになってるわ」
 少女は目を輝かせた。
「そうなんですか! 呪文学はフリットウィック先生ですよね? あの、決闘の大会で優勝したっていうことで有名な……ああ、早く授業を受けたい――私、ハーマイオニー・グレンジャーです。これから、よろしくお願いします」
 そう言って少女は手を差し出してきた。シルヴィアは彼女の大人な挨拶に目を瞬かせながらも握手した。
「ええ、こちらこそ」
「それでグレンジャー、ここに何の用だ?」
 刺々しい声が隣から発せられた。ハーマイオニーは彼を一瞥した後、何もなかったかのようにこちらに話し掛けてきた。
「先生、ここでヒキガエルを見ませんでしたか? この子のペットなんです」
 と、彼女は戸口で不安げに立っている少年を指した。シルヴィアは首を振った。
「残念だけど、見てないわ。一つ一つのコンパートメントに聞いて回ってるの?」
「はい」
「じゃあ、監督席にはもう行った? 前の方にある席なんだけど」
「いえ、まだ行ってません」
「なら、直接監督生に探すようお願いしてみると良いわ。一緒に行きましょう」
 シルヴィアは二人を連れてコンパートメントを出た。人垣のできているコンパートメントの横を通ると、後ろからハーマイオニーがおずおずと声をかけてきた。
「あの、先生、私、授業について聞きたいことがあるんですが」
 シルヴィアは少し後ろに顔を傾けた。
「どうぞ、何が知りたいの?」
「変形術はとても難しいって聞いたんですけど、それは本当ですか?」
「んー、そうね、でもコツをつかめばできるようになるわ。それは何にでも言えるけど。変形術なら、最初はマッチ棒を針に変えることから始まるわ」
「小さな物を変えていくんですね」
「ええ、最終的には生きているものに変える――ああ、ついたわ」
 あるコンパートメントの前で立ち止まり、シルヴィアはドアをノックした。どうぞという声に戸を開けると、Pバッジを付けた監督生たちがこちらを見上げた。
「突然ごめんなさい。この子のペットのヒキガエルがいなくなってしまって、探してあげてほしいんだけど」
 後ろにいた少年の肩に手を置きながら言えば、すでにローブを着ている、紅いネクタイをした眼鏡の少年がすっくと立ち上がった。
「なら、僕にお任せください。必ずヒキガエルを見つけます」
「ありがとう、監督生さん」
 微笑むと、監督生は微かに頬を染めた。
「じゃあ、任せたわね。ハーマイオニー、もう帰って大丈夫よ」
 監督生を見ていた彼女は我に返ったように言った。
「あ、ああ、そうですね。見つかると良いわね、ネビル」
「うん、ありがとうハーマイオニー。先生も、ありがとうございました」
「いいのよ、見つかるといいわね」
 軽く少年に手を振り、コンパートメントに戻ろうと歩き出した。
 ハーマイオニーと別れ、元いたコンパートメントに入ると、何やらそわそわしたように足を踏み鳴らしていたブロンドの少年が、パッと自分を見上げた。
「ああ、先生。遅かったですね」
「ええ、先頭車両まで行ってたから」
 シルヴィアは座席に座ったが、彼はまだ落ち着かないようだった。
「どうしたの、そわそわして」
「あの、あっちの方にハリー・ポッターがいるみたいで、気になってるんですが――」
 納得して頷く。
「ああ、そういうことなら私が荷物を見てるから、行ってらっしゃいな」
「すみません、お願いします」
 彼は二人を連れて出ていった。部屋は静かになり、周りの生徒たちの声が遠くに聞こえるだけとなる。シルヴィアは窓の外を飛んでいく景色を、ぼんやりと眺めた。
「ハリー・ポッター……」
 生き残った少年、伝説の子供。そして、愛する人の血を持つ子。自分に彼を守れるだろうか。
 少年たちが何故か不機嫌になって戻ってくるまで、シルヴィアはまだ見ぬ子に思いを馳せていた。
 ホグワーツに到着し、シルヴィアは生徒たちとともにホームに降りた。ハリーとウィーズリー家に対する悪口を延々と隣で聞かされ、少し気が滅入っていたため、ようやくコンパートメントから出られたことにほっとした。知り合いの悪口を聞くのは、自分のそれより堪えるものだ。ケースを引きながらセストラルに乗る列に並ぶと、後ろから話し掛けられた。
「すみません、今年から赴任する先生ですか?」
 振り向くと、顔がそっくりな赤毛の兄弟と、ドレッドヘアの少年が、口許に笑みを浮かべて立っていた。シルヴィアは先程までの嫌な出来事を頭から追いやり、にっこりと笑みを浮かべた。生徒の前で、嫌な感情をあまり見せたくない。
「ええ、正確には助手ね。呪文学とDADAを担当するの。よろしくね」
「へえ、助手なんですか」
 双子の一人が軽く口笛を吹いた。
「こんな綺麗な人がホグワーツに来るなんて、思いもしなかったな」
「ああ、ラッキーだぜ」
 彼らの言葉に、シルヴィアは笑った。
「そう言ってもらえて嬉しいけれど、それじゃあ今の先生方は、綺麗じゃないって言ってるように聞こえるわ」
 三人は大きく首を振った。
「まさか! ただ、ちょっとばかし――」
「そう、少しお年を召しているだけです」双子のもう片方が言葉を継いだ。
「きっと、若い頃は美人だったはず」ドレッドヘアの少年が続けた。
 これには思わず声を立てて笑ってしまった。
「調子が良いのね、あなたたちは」
 三人は顔を見合わせ、嬉しそうに笑うと、自己紹介を始めた。
「俺はフレッド・ウィーズリーって言います、こっちはジョージ。双子なんです」
「俺はリー・ジョーダンです」ドレッドヘアの子が言った。
「フレッド、ジョージに、リーね。私の名前は――祝宴まで内緒にしておくわ」
「ええ! 気になるじゃないですか、先生」
「謎の美人女教師――ああ、堪らなくそそられます!」
 胸に手を当て、わざとらしく言うジョージに笑った時、ちょうどセストラルに乗る番が来た。一人で乗るのも寂しいからと三人を誘い、一緒に乗った。お陰で、ホグワーツに着くまで退屈せずにすんだ。彼らの話はとても面白く、セストラルから降りる頃には、笑いすぎて頬の筋肉が疲れているほどだった。
 すっかり打ち解けた三人と、城の手前まで来たとき、突然フレッドがエントランスホールの中を指差した。
「おい、あれって……」
「うげ、スネイプだ」
 指差した方を見ると、全身真っ黒の、痩せた男性が大理石の階段の手前に立っていた。どこか見覚えのある人影。
「私を案内する先生がエントランスで待ってるって言われたんだけど、あの先生だとは思わなかったわ。マクゴナガル先生だと思ってた」
 三人は同情するような目をこちらに向けた。
「ここで初めて会う先生がスネイプだなんて……」
「先生、何を言われようとここを辞めようとは考えないでくださいね」
「大丈夫よ、新任教師をそこまで酷くしたりはしないでしょうから」
 三人は心配そうに顔を歪めた。
「でも、奴は外見の美しさに靡くような人間じゃないですよ」
「それにあれは、自分より若い者をこき使うタイプです」
「ああ、先生が調合薬学の助手じゃなくて本当に良かった!」
 調子のいい三人に、再び笑いがこみ上げる。
「そうね、私もそう思う。でも大丈夫、心配してくれてありがとう。じゃあ、また会いましょう」
 いまだに心配そうな顔をしている三人に手を振り、シルヴィアは正面階段を上っている時から感じていた、視線の主へ歩いていった。
  視線の主は、黒い瞳をこちらに向け、腕組みしながらじっと立っていた。眉に皺が寄っているのは、意図的なものではなく、時が経つとともに自然とできたものだろう。口許に薄く浮かぶ法令線も、その威厳のある雰囲気も、一三年の歳月を表していた。
 彼の前で立ち止まると、シルヴィアは笑みを浮かべて彼を見上げた。久しぶりに会う彼に緊張はしていたものの、フレッドたちのおかげでかなり解れていた。
「久しぶりね、セブルス――いえ、スネイプ先生と言った方がいいのかしら?」
 セブルスは薄く微笑み、昔より一段と低くなった声で言った。
「どちらでもいい。君は――変わらないな」
 シルヴィアは笑みを深めた。彼が笑ってくれたのが嬉しかった。
「セブルスは何だか、とても先生らしくなったわ。私もここで働くうちにそうなるかしら?」
「さあな――時間がない、歩きながら話そう」
 脇に置いた自分のケースをさりげなく持ち、階段を上っていった彼に、驚きを感じながらも、後についていった。
 ホグワーツは二〇年前と少しも変わらなかった。荘厳な雰囲気の漂う大理石、廊下に並んだ鎧の甲冑、自分を見てお喋りをする肖像画たち。懐かしいものに包まれながら、シルヴィアはセブルスの斜め後ろを歩いた。
「君の部屋は」
 彼は唐突に前を向いたまま言った。
「四階、呪文学教室の向かいだ」
「なら、すぐ授業に行けていいわね。それに、廊下の見張りもできるわ」
 セブルスはちらりとこちらを向いた。
「そうだな。それと若い女性教授ということで、扉は三重構造で鍵が掛かっている――ここだ」
「若い」を強調したことに少しむっとしたが、口を開く前にセブルスが扉を開き、その光景に言葉を呑んでしまった。そこは日当たりのいい、暖かみのある部屋だった。天井には銀色に磨かれたシャンデリアが吊され、マホガニーの本棚にはすでに様々な本が並べられていた。手前には、羊皮紙と羽ペンが置かれた机があり、開け放たれた窓からは、ホグズミード、そしてその向こうの緑の野が見渡せた。
「ここは使用されてない教室だったが、ハウスエルフに掃除させたらしい。自由に装飾を変えていいそうだ」
 中に入り、部屋を見回していると、戸口に佇むセブルスが言った。
「素敵な部屋ね……今までマグルチックなところに住んでいたから、かえって新鮮だわ。それに――」
 シルヴィアは本棚の前へ歩き、軽く笑った。
「私の本もある」
 セブルスも薄く微笑んで言った。
「君がこうも有名になるとはな。卒業して神秘部に行ったことは知っているが、それからどこに行っていた?」
 シルヴィアはケースを置きながら答えた。
「神秘部に籍を置いたまま、海外で研究していたわ。とにかく色んなところに行った。エジプト、中国、ギリシャ、イタリア――」
 国名を挙げながら、戸口へと歩いていく。
「それから……二年後にここに戻ってきたの」
 コツリと、セブルスの前で足を止めた。無言で自分を見つめる黒い瞳は、暗い洞窟のようで、何の感情も読み取れない。彼はふいと目を反らし、ローブから鍵束を取り出した。
「……この部屋の鍵だ、失くさないように」
 鍵を受け取ったシルヴィアは、気まずくなった空気を取り繕うように微笑んだ。
「先生口調が板についてるのね。なんだか、あなたの生徒になったみたい」
 セブルスは鼻で笑った。
「何を言う。いくら若く見えようと――」
「それは言わないで」
 扉を閉め、鍵を掛ける。
「広間まではわかるな? 教員用の扉が前にあるから、そこから入ればいい」
 最後の鍵を掛けてから、シルヴィアは振り向いた。
「あなたは行かないの?」
「私は部屋に用がある」
「そう、わかった。案内してくれてありがとう。また会いましょう」
「ああ」
 セブルスはマントを翻して去っていった。二人で歩いていた時とは違い、大股で去っていく彼の後ろ姿を見つめながら、シルヴィアは休暇中に呼び出された日のことを思い出していた――。
「クィレルは、ヴォルデモートの配下に着いた可能性が高い」
 あの日、ダンブルドアは机の前にたたずむ自分に言った。
 校長室に静寂が訪れ、眠りこけている肖像画の歴代校長たちの寝息が、はっきりと聞こえてくる。ダンブルドアの隣に吊されている、鳥籠の中のフェニックスの鳴き声で、シルヴィアはようやく声を出すことができた。
「ですが――彼はずっとここの教師をしていたのでしょう? まさか、あなたを裏切るような真似は――」
 ダンブルドアは重々しく首を振った。
「クィリナスはまだ若く、影響を受けやすい。それにホグワーツの教員は、ヴォルデモートにとってとても都合が良い。あの手この手でクィリナスを説得しにかかるじゃろう」
「それでは、ハリーの命が――」
「そう、危険だ」
 半月形の眼鏡の奥から、真剣な目が覗いた。
「君には、クィレルの監視をしてもらいたい。そしてハリーを彼から守って欲しい」
 血の気が引きつつもしっかりと頷く。ダンブルドアは微かに微笑んだ。
「ありがとう、よろしく頼む……君と同じ任務に就くセブルスのことじゃが、彼には君もハリーを七年間守ると知らせていない。クィレルの監視に当たるとだけ話してある」
「……どうして、ですか?」
「セブルスが君も自分と同じ任務をすると知れば、絶対に反対すると思ったんじゃ。まず、君の命を心配するじゃろう。君をここで働かせたいと言ったときでさえ、彼は反対した。ヴォルデモートを倒すため、私が君を騎士団入りさせようとしているとも思ったんじゃろう……それは事実でないとは言えんが」
「私は、構いません。ハリーを守るためなら」
 ダンブルドアは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ありがとう、そう言ってもらえると心強い……そして、二つ目の理由だが――これは彼自身の贖罪のための任務でもある。きっと、一人で遂行したいだろう」
 思いがけない言葉に、ハッと手を口に当てた。
「贖罪って――まさか――」
「そう、そのまさかじゃ」
 頷いたダンブルドアを見て、徐々に視界がぼやけていく。手の中から出した声は震えていた。
「セブルスはまだ、罪の意識を――?」
「そう。一一年間、ずっとだ。彼はこの任務を遂行するために、生きてきたとも言える――君は、セブルスを許すかね?」
 シルヴィアはゆっくりと頷いた。
「許します――もう、とうに許してます」
「それをいつか、彼に言ってあげて欲しい。きっと、救いになるだろう」
「私の言葉が――ですか? エヴァンスでは、なく?」
 彼は微笑みながら頷いた。
「いつか、その言葉を伝えるときが来れば、わかるじゃろう」
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