愛 | ナノ
 スラグホーンとは一九年ぶりの再会だった。握手をしながら、久しぶりだねと快活に笑う彼の顔は、昔とそう変わらなかった。
「君があんな素晴らしい論文を書くとは。さすが、私が見初めた生徒だ」
「そんな、光栄ですわ」
 シルヴィアは笑って首を振る。
「いやあ、本当に素晴らしい論文だった! あれだけ完璧な証明がされていて、私も鼻が高いよ」
「まあ、ありがとうございます。私も先生に教わることができて運が良かったですわ」
 見え透いたお世辞だったが、彼はにこやかな顔を崩さずに言った。
「それはこちらの台詞だよ! さあさあ、座ろうか」
 二人はハイテーブルの座席に腰を下ろした。帽子の組分けが始まってもセブルスの姿はなく、シルヴィアは訝しがりながらも組み分けられた生徒たちに拍手していた。そして、宴が始まった頃、ようやくセブルスが現れ、ハイテーブルの席についた。隣に座ったセブルスに、シルヴィアが小声で声をかける。
「どうかしたの?」
「ポッターが遅れた。ホグワーツの扉の鍵を開けていたんだ」
「どうして遅れたの?」
「衝撃的な登場がしたかったんだろう。宴の途中で大広間に乱入すれば、劇的な効果があるに違いないと判断したんだろう」
 セブルスは鼻を鳴らし、自分の料理に取りかかった。ハリーはそんな目立ちたがり屋ではないと、シルヴィアは口を開きかけたが、すぐに言うのをやめ、ご馳走を食べた。ハリーの肩を持てば、彼が不機嫌になるのは目に見えていた。
 宴中はスラグホーンやセブルスとの会話を楽しんだ。夏休み中は会えなかったため、セブルスとの会話はシルヴィアにとって嬉しかった。しばらくしてダンブルドアが皆を静め、話をし出した。
「今年度は新しい先生をお迎えしている。スラグホーン先生じゃ。先生はかつて私の同僚だった方だが、昔教えられていた調合薬学の教師として復帰なさることにご同意いただいた」
 スラグホーンが立ち上がり、お辞儀をした。調合薬学という科目に、生徒たちはざわざわと波立った。予想していたシルヴィアは、期待を込めてセブルスを見る。セブルスは勝ち誇ったような、嬉しそうな顔をしていた。
「したがってスネイプ先生は、闇の魔術に対する防衛術の後任の教師となられる」
 シルヴィアは大きく拍手した。セブルスは立ち上がらず、スリザリン生からの拍手に片手を挙げて応えると、こちらに向かって微笑んだ。生徒たちのざわめきが大きくなった。シルヴィアはおめでとうと言い、グラスをセブルスのものと乾杯する。そして二人はつかの間、互いに見つめあっていた。

「おいおい、あの二人見てみろよ」
 ロンがハイテーブルを指して囁いた。
「見つめあっちゃってるぜ?」
 やめなさいよロン、とハーマイオニーが諌める。
「そっとしておきなさいよ、私たちには関係ないでしょう?」
「関係大ありさ。スネイプは二重スパイなんだろ? 弱味を作っちゃダメじゃないか」
「うん、確かにそうだ」
 ハリーがジュースを飲みながらうなずく。
「だとしても、本人の勝手でしょう? 恋愛なんて、止められるものじゃないじゃない」
「……まるで恋愛したことあるような言い草だな」
 ロンの言葉に、ハーマイオニーは肩をすくめた。
 ダンブルドアが咳払いした。話をしていたのは、ハリー、ロン、ハーマイオニーだけではなかった。ダンブルドアは少し間を置いて、完全に静かになるのを待ってから話を続けた。
「さて、この広間におる者は誰でも知っての通り、ヴォルデモート卿とその従者たちが再び逃走中であり、力を強めている」
 ダンブルドアが話すにつれ、沈黙が張り詰め、研ぎ澄まされていくかのようだった。ハリーはマルフォイをちらりと見た。マルフォイはダンブルドアには目もくれず、杖でフォークを浮かせていた。
「現在の状況がどんなに危険であるか、また我々が安全に過ごすことができるよう、ホグワーツ一人一人が充分注意すべきであるということは、どれほど強調してもしすぎることはない。この夏、城の魔法の防衛が強化された。いっそう強力な新しい方法で、我々は保護されている。しかしやはり、生徒や教職員の各々が、軽率なことをせぬように慎重を期さねばならぬ。皆に言っておく。どんなにうんざりするようなことであろうと、先生方が生徒の皆に課す安全上の制約事項を遵守できるよう――特に決められた時間以降は、夜間、ベッドを抜け出してはならぬという規則じゃ。私からの立っての願いだが、城の内外で何か不審なもの、怪しげなものに気付いた時には、すぐに教職員に報告するように。生徒諸君が常に自分自身と互いの安全とに最大の注意を払って行動するものと信じておる」
 ダンブルドアの青い目が、生徒全体を見渡し、それからもう一度微笑んだ。
「しかし今は、ベッドが待っておる。皆が望み得るかぎり最高にふかふかであたたかいベッドじゃ。皆にとって一番大切なことは、ゆっくり休んで明日からの授業に備えることじゃろう。それでは、おやすみの挨拶じゃ。ほーれ、ほれ!」
 
 一時限目が自由時間だったハリーとロンは、しぶしぶ太陽が降り注ぐ談話室を離れ、四階下の闇の魔法に対する防衛術の教室へと向かった。ハーマイオニーは、重い本を腕一杯に抱え、「理不尽だわ」という顔をして、すでに教室の外に並んでいた。
 ハリーとロンが傍に行くと、「ルーン文字で、宿題をいっぱい出されたのよ」と、ハーマイオニーが不安げに言った。
「小論文を一五インチ、翻訳が二つ、それにこれだけの本を水曜日までに読まなくちゃならないのよ!」
「お気の毒さま」ロンが、欠伸をした。
「見てらっしゃい。スネイプもきっと山ほど出すわよ」
 その言葉が終わらないうちに、教室のドアが開いて、ロジエールが廊下に出て来た。
「中へどうぞ」
 ハリーは、あたりを見回しながら入った。スネイプはすでに、教室に自分らしい個性を持ち込んでいた。窓にはカーテンが引かれていて、いつもより陰気くさく、蝋燭で灯りを採っていた。壁に掛けられた新しい絵の多くは、身の毛もよだつ怪我や奇妙にねじ曲がった身体の部分をさらして、痛み苦しむ人々の姿だった。薄暗い中で凄惨な絵を見回しながら、生徒たちは無言で席に着いた。
「私は、まだ教科書を出せとは要求してはいない」
 教壇の机にいたスネイプが言った。ハーマイオニーは、慌てて「顔のない顔に対面する」をカバンに戻し、椅子の下に置いた。
「私が話をする。十分注意して聞くように」
 黒い瞳が、顔を上げている生徒たちの上を漂った。
「私が知るところ、これまで諸君はこの教科で、五人の教師についたな」
「知るところ? ――全員が次々と居なくなるのを見物しながら、今度こそ自分がその職に就きたいと思っていたくせに」と、ハリーは心の中で容赦なく嘲けった。
「当然、これまでの教師たちは、それぞれ自分なりの方法と好みを持っていた。そうした混乱にもかかわらず、かくも多くの諸君が辛くもこの学科のOWL合格点を取ったことに、私は驚いている。NEWTは、それよりもずっと高度である。諸君が全員それについてくるようなことがあれば、私はさらに驚くであろう」
 スネイプは、今度は低い声で話しながら教室の端を歩きはじめた――皆が首を伸ばしてスネイプの姿を見失わないようにした。
「闇の魔術は多種多様、千変万化、流動的にして永遠なるものだ。それと戦うということは、多くの頭を持つ怪物と戦うに等しい。首を一つ切り落としても別の首が、しかも前より獰猛で賢い首が生えてくる。諸君の戦いの相手は、固定できず、変化し、破壊不能なものなのだ」
 ハリーは、スネイプを凝視した。危険な敵である闇の魔法を侮るべからずというのなら頷けた。しかし、今のスネイプのように、やさしく愛玩するような口調で語るということは、そもそもが間違っているのではないだろうか?
「諸君の防衛術はそれ故、諸君が破ろうとする相手の術と同じく、柔軟にして創意的でなければならないことになる。これらの絵は――」
 絵の前を早足で通り過ぎながら、スネイプは何枚かを指差した。
「術にかかった者たちがどうなるかを正しく表現している。たとえば、礫の呪文の苦しみ――(スネイプの手は、明らかに苦痛に悲鳴を上げている魔女の絵を指差していた)――ディメンターのキス――(壁にぐったりと寄り掛かり、虚ろな目をしてうずくまる魔法使い)――亡者の攻撃を挑発した者――(地上に血だらけの塊)」
「それじゃ、亡者が目撃されたんですか?」
 パーバティ・パチルが甲高い声で言った。
「間違いないんですか、あの人が、それを使っているんですか?」
「ダークロードは、過去に亡者を使った。そうなれば、再びそれを使うかも知れぬと想定することが賢明というものだ。さて――」
 スネイプは、教室の後ろへとまわり込み、教壇の机に向かって教室の反対側の端を歩き出した。黒いマントを翻して歩くその姿を、クラス全員がまた目で追った。
「――諸君は、私の見るところ、無言呪文の使用に関してはまったくの初心者だ。無言呪文の利点は何か?」
 ハーマイオニーの手が、さっと挙がった。
 スネイプは、ほかの生徒を見渡すことに時間を掛けたが、選択の余地がないことを確認してからようやく、素っ気なく言った。
「それでは――ミス・グレンジャー?」
「こちらが、どんな魔法をかけようとしているかについて、敵対者に何の警告も発しないことです。それが、一瞬の先手を取るという利点になります」
「基本呪文集・六学年用と、一字一句違わぬ丸写しの答えだ」
 スネイプが軽蔑するように言った(隅にいたマルフォイがせせら笑った)。
「しかし、概ね正解だ。左様、呪文を声高に唱えることなく魔法を使う段階に進んだ者は、呪文をかける際、驚きという要素の利点を得る。言うまでもなく、すべての魔法使いが使える術ではない。集中力と意思力の問題であり、こうした力は、諸君の何人かに――」
 スネイプは再び、悪意に満ちた視線をハリーに向けた。
「欠如している」
 スネイプが、前の学年での惨憺たる閉心術の授業のことを念頭に置いているということはわかっていた。ハリーは意地でもその視線を外すまいと、スネイプを睨みつけていたが、やがて、スネイプが視線を外した。
「これから諸君は二人一組になって、一人が無言で相手に呪いをかけ、相手も同じく無言でその呪いを撥ね返すようにする。はじめたまえ」
 スネイプは知らないことだったのだったが、ハリーは前学年に、このクラスの半数に(DAのメンバーだった者全員に)盾の呪文を教えていたのだった。しかし、無言で呪文をかけたことがある者は一人として居なかった。しばらくすると、当然のごまかしがはじまり、声に出して呪文を唱えるかわりに、囁くだけの生徒が何人か出てきた。一〇分後には、ハーマイオニーが、ネビルの呟く「くらげ足の呪い」を一言も発せずに撥ね返すことに成功した。通常の先生なら、グリフィンドールに二〇点を与えただろうと思われる見事な成果なのにと、ハリーは悔しがったが、スネイプは知らぬ振りをしていた(代わりにロジエールが「すばらしいわ、ハーマイオニー」と褒めていた)。相変わらず、育ち過ぎたコウモリそのもののような姿で、生徒が練習するあいだを動きまわり、課題に苦労しているハリーとロンを、立ち止まって眺めていた。
 ハリーに呪いをかけるはずのロンは、呪文を唱えたいのをこらえて唇を固く結んで、顔を紫色にしていた。ハリーは、呪文を撥ね返そうと杖を構え、永久にかかってきそうもない呪いを、気をもみながら待ち構えていた。
「なっとらんな、ウィーズリー」
 しばらくしてスネイプが言った。
「どれ――私が手本を――」
 スネイプが、すばやく杖をハリーに向けたので、ハリーは本能的に反応した。無言呪文など頭から吹っ飛び、ハリーは叫んだ。
「プロテゴ!」
 盾の呪文があまりに強烈で、スネイプはバランスを崩して机にぶつかった。皆が振り返り、スネイプが険悪な顔で体勢を立て直す姿を見つめた。ロジエールがスネイプに駆け寄る。
「大丈夫? セブルス」
「ああ……私が無言呪文を練習するようにと言ったのを、覚えているのか、ポッター?」
「はい」と、ハリーは突っ張って言った。
「『はい、すみません』」
「あなたが謝らなくてもいいんですよ、先生」
 自分が何を言っているか考える間もなく、言葉が口をついて出ていた。ハーマイオニーを含む何人かが、息を呑んだ。しかし、スネイプの背後では、ロン、ディーン、シェーマスがよくぞ言ったとばかりにニヤリと笑っていた。
「罰則、土曜の夜。私の研究室で」と、スネイプが言った。
「何人たりとも、私に向かって生意気な態度は許さんぞ、ポッター――たとえ、『選ばれし者』であってもだ」

 ハリーは土曜の夜、ダンブルドアとの個人教授があるため、罰則は次の土曜に持ち越されたようだった。個人教授とは、例のあの人に関する情報を、生き残るために必要な情報を、ハリーに与えることだとダンブルドアは言っていた。シルヴィアは大きな運命を背負ったハリーを思うと、胸が張り裂けそうだった。
 セブルスはと言うと去年よりも忙しくなり、授業以外で会う時間はほとんどなくなっていた。そんな中、たまたま夕食の席で隣同士になり、久しぶりに話す機会が生まれた。
「あとで話がある。私の部屋に来てくれ」
 そう小声で言われ、シルヴィアは夕食を食べたあと、一緒に彼の部屋へ向かった。ソファに隣同士で腰掛け、シルヴィアは問いかけた。
「……話って?」
「閉心術の話だ」
「閉心術?」
「そう、闇の帝王は永遠の命を渇望している。もしかしたら……君と対面する機会があるかもしれん。時の専門家である君を殺しはしないだろうが……私との関係を知られれば、私も君も危険だ。そのために、閉心術が必要だ」
 シルヴィアはおずおずと頷いた。
「……わかったわ。あなたが教えてくれるの?」
「ああ、これには時間を割いた方がいい。ダンブルドアも賛同している」
「ありがとう、セブルス……でも、私の記憶を見ることは、私があなたとエヴァンスとの記憶を見ることと一緒よ。それでもいいの?」
「……ああ。それは仕方ないと思っている。ペンシーブを持ってこようか?」
「……いえ、いいわ。あなたには私の全てを見てもらいたいの」
 シルヴィアは真剣な眼差しでセブルスを見つめた。セブルスもまた、真剣な表情で頷いた。
「わかった。じゃあそこの椅子へ移動してくれ」
 シルヴィアはテーブル越しにある椅子へ腰を下ろした。向かいに立ったセブルスは、杖を構えながら言った。
「どんな呪文を使ってもいい。私を止めてみてくれ。心を無にするんだ。いくぞ……三、二、一、レジリメンス!」
 目の前の部屋が消えると同時に、切れ切れの映画のように、映像が頭をよぎった。
 八歳。母の香水を内緒で腕にかけた――九歳。ジェームズと緑の丘の上でお喋りした――一〇歳。パーティーでブラックと渋々踊った――
 そこまで記憶がめぐったところで、パッと部屋が戻ってきた。セブルスが困惑したような顔で立っていた。
「君は……もしや、ブラックと許嫁だったのか?」
 隠していても仕方ないだろうと、シルヴィアは口を開いた。
「……ええ、そうよ。許嫁と決められてはなかったけど、親は私とシリウスが結婚することを望んでいたみたい。シリウスがグリフィンドールに入るまではね。あの時はほんとに嫌だったわ……もう死んじゃったけれど」
 そっと目を伏せる。その表情が気に食わなかったらしく、セブルスの眉間の皺が一本増えた。
「そうか……まあいい。さて、再開するぞ……三、二、一、レジリメンス!」
 再び記憶の世界に入った。
 一一歳。組分け帽子がグリフィンドールとスリザリンを悩んだ――一二歳。ジェームズがエヴァンスを見ていることに気づいた――トイレでさめざめと泣いた――化粧の練習をした――
 これ以上記憶を引き出されるのは嫌だった。同時に、その時の思いがまざまざと蘇るからだ。
 外へ集中すると、徐々に部屋の風景が見えるようになってきた――セブルスが呪文を唱えている。シルヴィアは杖を振り、叫んだ。
「エクスペリアームス!」
 セブルスの杖はシルヴィアの手に収まった。セブルスは満足げな笑みを浮かべた。
「よくやった、シルヴィア。やはり君は飲み込みが早い」
 シルヴィアも微笑み、セブルスに杖を返した。
「もう二回やって今日は終わろうか。三、二、一、レジリメンス!」
 シルヴィアは二回とも開心術を破ることに成功した。今度は杖なしでできるようにとセブルスが今後の目標を言う。
「頑張るわ……おやすみさい、セブルス」
 シルヴィアは立ち上がり、セブルスへキスをすると、名残惜しげに彼から離れた。セブルスはこちらを切なげに見つめながら言った。
「シルヴィア、しばらくは……ここに泊まらないほうがいい」
 薄々気付いていたことだった。寂しい気持ちもあったが、シルヴィアはすんなり頷いた。

 腐ったフロバーワームとそうでない虫を分ける罰則を終えたハリーは、報告するため、スネイプの部屋をノックした。入れ、という低い声が聞こえ、ドアを開ける。そこにはスネイプとロジエールがいた。ロジエールはスネイプの向かいに、閉心術でハリーが座った椅子に座り、膝には杖を乗せていた。
「罰則が終わったのか?」
「はい」
「ならば帰っていい」
 グリフィンドールの談話室に帰ったハリーは、今見たことをロンとハーマイオニーに話した。
「ロジエール先生は、スネイプに閉心術を教わってたってこと?」
「うん。たぶんそうだと思う。ペンシーブはなかったけど」
「だとしたら、素敵なカップルじゃない。過去も隠さず見てもらいたいんでしょ」
「素敵なカップル?」
 ハーマイオニーにロンが噛みつく。
「美女と野獣の間違いだろ。なあ、ハリー?」
「えっ? ああ、うん」
 ハリーはとっさにうなずいた。近しい仲だったのだから、結ばれるのはなかば必然的だったのだろう。授業中、スネイプがロジエールに向ける眼差しを思い出しつつ、ハリーは課題に手をつけ始めた。

 ケイティ・ベルが呪いのネックレスに触れ、聖マンゴ病院へ運ばれたのは、一〇月に入ってのことだった。ホグズミードの「三本の箒」からホグワーツに、そのネックレスを持って行こうとしたケイティは、友達のリーアンと口論になり、ネックレスの包みが破けケイティは触れてしまったと言う。
 ケイティの様子はまだ思わしくなかったが、ネックレスは皮膚のわずかな部分をかすっただけで、比較的幸運だった。もし彼女がネックレスを首に掛けていたら、手袋なしで掴んでいたら――ケイティは死んでいただろう。そしてセブルスの処置のおかげで、呪いが急速に広がることは食い止められた。
 凍りついた窓に、今日も雪が渦巻いていた。この状況でも、クリスマスは駆け足で近づいて来ていた。ハグリッドはすでに例年の大広間用の一二本のクリスマスツリーを運び込んでいた。柊とティンセルの花飾りが階段の手すりに巻き付けられ、鎧の兜の中からはフリットウィック先生が作った永久に燃える蝋燭が輝き、廊下には大きなヤドリギの塊が一定間隔を置いて吊り下げられた。
 クリスマスの夜、大広間でご馳走を食べたあと、シルヴィアは自分の部屋に戻って黒の上品なドレスローブに着替え、招待されているスラグホーンの部屋へ向かった。部屋の中の天井と壁はエメラルドと紅、そして金色の垂れ幕飾りで優美に覆われ、中は息が詰まりそうなほど混み合っていた。天井の中央から凝った装飾を施した金色のランプが下がり、中には本物の妖精が、それぞれに煌びやかな光を放ちながらひらひら飛び廻っていて、ランプのあたたかい光が部屋中を満たしていた。
 スラグホーンの熱烈な歓迎を受けたあと、シルヴィアは何人かの知り合いを見つけ、久しぶりに話した。笑いながらふと壁を見ると、黒い影がグラスを持って立っていた。シルヴィアは微笑み、知り合いに別れを告げ、影の方へ向かった。
「セブルス、いたのね」
「……ああ。来たくはなかったが」
 セブルスはシルヴィアの持っているゴブレットに目を向けた。彼が何か言う前に、シルヴィアは口を開いた。
「そんなに飲んでないわ。あまり飲もうとは思えなくて」
 新聞ではディメンターやデスイーターの事件が毎日のように報じられ、ホグワーツではケイティの事件があった。クリスマスといえど、純粋に楽しむことは難しかった。
「ああシビル、我々は皆自分の科目こそ最重要と思うものだ!」
 傍で大きな声がしてそちらを見ると、酔って真っ赤な顔をしたスラグホーンが、トレローニー先生、ハリー、そしてルーナと話していた。
「しかし、調合薬学でこんなに天分のある生徒は、他に思い当たらないね! なにしろ、直感的で母親と同じだ! これほどの才能の持ち主は、数えるほどしか教えたことがない。いや、まったくだよ、シビル――このセブルスでさえ――」
 ぐいとスラグホーンに腕を引かれ、セブルスは彼らの中に入っていった。
「こそこそ隠れずに、セブルス、シルヴィアも、一緒にやろうじゃないか!」
 スラグホーンが楽しげにしゃっくりした。
「たったいま、ハリーが調合薬の調合に関してずば抜けていると、話していたところだ。もちろん、ある程度君のお陰でもあるな。五年間も教えたのだから!」
 両肩をスラグホーンの腕に絡め取られたセブルスは、目を細くして、鉤鼻の上からハリーを見下ろした。
「おかしいですな。私の印象では、ポッターにはまったく何も教えることができなかったが」
「ほう、それでは天性の能力ということだ! 最初の授業で、ハリーが私に提出してくれた物を見せたかったね。生ける屍の水薬――一回目であれほどの物を仕上げた生徒は一人もいない、セブルス、君でさえ」
 ハリーを穴が開くほど見つめたまま、「なるほど?」とセブルスが静かに言った。ハリーがDADAに長けていることは知っていたが、調合薬学での才能は今まで聞いたことがなく、シルヴィアも訝しく思った。
「ハリー、ほかにはどういう科目を取っているのかね?」
「闇魔術に対する防衛術、呪文学、変身術、薬草学――」
「つまり、オーラーに必要な科目のすべてか」
 セブルスが冷たい笑みを浮かべて言った。
「ええ、まあ、それが僕のなりたいものです」と、ハリーは挑戦的に言った。
「それこそ、偉大なオーラーになることだろう!」
 スラグホーンが太い声を響かせた。
「あなた、オーラーになるべきじゃないと思うな、ハリー」
 ルーナが唐突に言った。皆がルーナを見た。
「オーラーって、ロットファングの陰謀の一部だよ。みんな知ってると思ったけどな。魔法省を内側から倒すために、闇の魔術と歯肉病とか組み合わせて、いろいろやっているんだから」
 ハリーは吹き出した。シルヴィアもクスクス笑いを押し殺そうとした。
 口元を押さえながらふと目を上げると、ドラコがフィルチに耳を掴まれ、こちらに向かって引っ張って来られる姿を見た。
「スラグホーン先生」
 フィルチが顎を震わせ、ゼイゼイと言った。
「こいつが、上の階の廊下をうろついているところを見つけました。先生のパーティに招かれたが、出掛けるのが遅れたと主張しています。こいつに招待状をお出しになりましたか?」
 ドラコは、険悪な顔でフィルチの手を振りほどき、怒ったように言った。
「ああ、僕は招かれていないとも! 勝手に押し掛けようとしていたんだ。これで満足したか?」
「何が満足なものか! おまえは大変なことになるぞ。そうだとも! 校長先生がおっしゃらなかったか? 許可なく夜間にうろつくなと。え、どうだ?」
「かまわんよ、アーガス構わん。クリスマスだ。パーティに来たいというのは罪ではない。今回だけ、罰することは忘れよう。ドラコ、ここに居てよろしい」
 フィルチの怒りと失望の表情は、完全に予想できた。しかしドラコも、同じくらい失望したように見えた。そして、ドラコを見るセブルスは、怒っているような、何かを恐れているような表情をしていた。
 不思議に思う間もなく、フィルチは小声で何か呟きながら、向きを変えて歩き去った――ドラコは、笑顔を作ってスラグホーンの寛大さに感謝した。セブルスの顔も、再び無表情に戻っていた。
「何でもない、何のことはない」
 スラグホーンは、ドラコの感謝に手を振った。
「どの道、君のお祖父さんを知っていたのだし――」
「祖父は、いつも先生のことを高く評価していました。調合薬にかけては、自分が知っている中で一番だと――」
 ドラコの眼の下に黒い隈ができていて、明らかに顔色が優れない様子だった。グリフィンドールとのクィディッチ試合で、ドラコが病欠したことをシルヴィアは思い出した。
「話がある、ドラコ」
 突然セブルスが言った。
「まあ、まあ、セブルス。クリスマスだ。あまり厳しくせず――」
「私は寮監でしてね。どの程度厳しくするかは、私が決めることです……ついて来なさい、ドラコ」
 セブルスが先に立って、二人が去った。シルヴィアは彼らの後ろ姿を見つめた。ハリーはルーナにトイレに行くと言い、人混みをかき分けていった。きっと透明マントを使って、二人の後を追うのだろう。シルヴィアが感じた違和感を、ハリーも感じ取ったようだった。

 二月が三月に近づいたが、天気は相変わらず雨のままだった。ホグズミード行きはケイティのことがあり中止になった。ケイティはまだ病院から戻って来ていなかった。新聞には行方不明者の記事がさらに増え、その中にはホグワーツの生徒の親戚も何人かいた。
 ロンが倒れたのは三月一日のことだった。ダンブルドアがハリーから聞いた話では、惚れ薬を飲んだロンを元に戻そうと、スラグホーンの部屋に行き、そこで治してもらった後、彼から勧められた蜂蜜酒を最初に飲んだロンが、痙攣を起こしたのだという。ハリーはとっさにベゾアール石(山羊の胃から取り出す石で、大抵の毒薬に対する解毒剤)を飲ませ、ロンを救った。もちろん、スラグホーンがロンに毒を盛るとは考えづらく、誰か別の者を狙ったものだろう、と言うのがダンブルドアの見解だった。
「……では、スラグホーン先生を殺そうと?」
 ダンブルドアはテーブルの向こうで、ゆっくりと首を振った。
「私には何とも言えん」
 重い沈黙が続いた。ダンブルドアは、これ以上何も言わないと決めたようだった。シルヴィアは諦めて、彼の黒く変色した右手に視線を移した。明らかに呪いを受けているその右手のことは、これまで何度も尋ねたが、ダンブルドアは答えることはなかった。今度もそうだろうと思い、挨拶をして校長室を出た。
 自分を信用していないのではなく、まだ完全に閉心術を使いこなせていないためだとはわかっていた。セブルスの言う通り、例のあの人と対面する可能性はある。こちらの情報が知られれば、どうなるか――考えるだけでぞっとした。
 自室に向かっていたシルヴィアは、ふいに声が聞こえた気がして立ち止まった。すすり泣くような声だった。辺りに人影はなく、男子トイレが横にあった。トイレの扉はわずかに開き、そこから声が聞こえているようだった。
「僕には、できない……」
 すすり泣きの合間に、そう少年は言った気がした。シルヴィアはその声に覚えがあったが、中に入ることはせず、その場を立ち去った――あの声は確かに、ドラコ・マルフォイの声だった。

 それを聞かされたのは、シルヴィアが四回目に杖なしで閉心術をすることができたときだった。ドラコが泣いていたことを話すと、向かいに座ったセブルスは、シルヴィアにこう話しだした。
「シルヴィア、君には言ってなかったが――ドラコは去年、デスイーターになった」
「えっ?」
「そしてダークロードは、ドラコにダンブルドア暗殺の任務を課した……」
 シルヴィアはその言葉を受け入れられなかった。唖然とする彼女に、セブルスは話を続ける。
「ルシウスが予言を手に入れられなかった罰だと、ナルシッサは言っている……学期が始まる前、ナルシッサと破れぬ誓いを結んだ。ドラコを守り、失敗しそうになった場合に、私が任務を遂行すると誓った」
 破れぬ誓い――もし、二人のうちどちらかが誓いを破れば、その者は死ぬ。
「そんな、そんなこと――」
 ダンブルドアを殺すか、セブルスが死ぬか。そのどちらかしか選択肢がない。
「ダンブルドアには、自分を殺せと命じられている」
「……受けるつもりなの?」と、シルヴィアは震える声で尋ねた。
「受けるしかないだろう……」
 セブルスは、額に手を置き俯いた。その様子に、シルヴィアは誰に対するものでもない、強い怒りが込み上げてきた。どうして、彼をこんなに苦しめるのか。
「シルヴィア……私の魂を繋いでくれるか?」
 殺人をすれば魂は裂かれ、それを繋ぐことなどできない。それを知りながら彼は言っている。シルヴィアは自分を落ち着かせると、セブルスへ近寄り隣に腰掛けた。そして、彼の痩せた頬に手を添えた。
「ええ……あなたの魂は私が繋ぎ止めるわ……」
 そう言った途端、セブルスに抱き締められた。温かい腕の中、頭上から言葉が落ちてきた。
「シルヴィア……君が、君だけが私の希望だ……」
 シルヴィアは顔を上げ、セブルスを見上げた。
「私にとっても、私の希望はあなただけよ……だからお願い、生きて――」
 返事をする代わりに、より強く抱き締められた。二人はしばらくの間、互いの事を想い、抱きしめ合っていた。

 シルヴィアの目を覚まさせたのは、誰かの悲鳴だった。飛び起きたシルヴィアは、杖を持ち、上にガウンを羽織ると、部屋を飛び出した。
 様々な色の閃光が飛び交っていた。騎士団員たちとデスイーターが戦っていた。シルヴィアはデスイーターたちに呪文を唱えながら階段の方へ近づく。そして――
 上からセブルスたちが降りてきた。セブルスの黒い瞳とかち合う――時が止まったかのように思えた。彼は決然とした表情で頷き、マルフォイを連れて去っていった。任務を遂行したのだ。感慨に更ける間もなく、こちらに気づいたアレクト・カローが杖を向けた。
「クルーシオ!」
 シルヴィアはさっと閃光を避け、呪文を唱えた。しかし避けられ、アレクトはセブルスの後に続くように下の階へ降りていった。そして後から降りてきたハリーが、その後に続く。
「ハリー、追うのは危険よ!」
 ハリーは耳も貸さず階段を駆け降りていった。彼を追いかけたかったが、磔の呪文を唱えられたため、シルヴィアは応戦するしかなかった。自分を守るのに必死だった。

「スネイプが、殺した」
 セブルスたちが去り、皆が集まった医務室で、ハリーは言った。
「僕はその場にいた。僕は見たんだ。僕たちは闇の印が上がってたから、天文台の塔に戻った――ダンブルドアは病気で弱ってた。でも階段を駆け上がってくる足音を聞いたとき、それが罠だとわかってたんだと思う。ダンブルドアは、僕を金縛りにしたんだ。僕は何もできなかった。透明マントを被ってたんだ――そしたらマルフォイが扉から現れて、ダンブルドアを武装解除した――」
 ハーマイオニーが両手で口を覆った。ロンは呻き、ルーナの唇が震えた。
「次々にデスイーターがやってきた――そして、スネイプが――それで、スネイプがやったんだ。アバダケダブラを」
 マダム・ポンフリーがわっと泣き出した。ジニーがそっと囁いた。
「しーっ、黙って聞いて!」
 マダム・ポンフリーは嗚咽を呑み込み、指を口に押し当てて堪えながら、目を見開いた。暗闇のどこかで不死鳥が鳴いていた。初めて聞く、恐ろしいまでに美しい、打ちひしがれた嘆きの歌だった。シルヴィアは、その調べを外にではなく、内側に感じた。ダンブルドアへの追悼の歌でもあり、自分たちを勇気付ける歌でもあった。全員がその場に佇み、歌に聞き入った。
 病棟の扉が再び開いたときには、随分長い時間が経ったような気がした。マグゴナガル先生が入ってきたのだった。
「モリーとアーサーがここへ来ます」
 その声で、音楽の魔力が破られた。全員が夢から醒めたように、首を振ったりした。
「ハリー、何が起こったのですか? ハグリッドが言うには、あなたがちょうど――ちょうどそのことが起こったとき、ダンブルドア校長と一緒だったということですが。ハグリッドの話では、スネイプ先生が何かに関わって――」
「スネイプが、ダンブルドアを殺しました」
 一瞬ハリーを見つめたあと、マクゴナガル先生の身体がグラリと揺れた。すでに立ち直っていたマダム・ポンフリーが走り出て、どこからともなく椅子を取り出し、マクゴナガル先生の身体の下に押し込んだ。
「スネイプ」
 椅子に腰を落としながら、マクゴナガル先生が弱々しく繰り返した。
「私たちが怪しんでいた――しかし、ダンブルドアは信じていた――いつも――スネイプが――信じられません――」
「スネイプは、熟達した閉心術士だ」
 リーマスが似つかわしくない乱暴な声で言った。
「そのことは、ずっとわかっていた」
「でもダンブルドアは、スネイプは誓って私たちの味方だと言ったわ!」
 トンクスが小声で言った。
「私たちの知らないスネイプの何かを、ダンブルドアは知っているに違いないって、私はいつもそう思っていた――」
「スネイプを信用するに足る鉄壁の理由があると、ダンブルドアは常々そうほのめかしていた」
 マクゴナガル先生は、タータン柄の縁取りのハンカチを目頭に当て、溢れる涙を拭いながら呟いた。
「もちろん――スネイプは、過去が過去ですから――当然みんなが疑いました――しかし、ダンブルドアが私にはっきりと、スネイプの悔恨は絶対に本物だとおっしゃいました――スネイプを疑う言葉は、一言も聞こうとなさらなかった!」
「ダンブルドアを信用させるために、スネイプが何を話したのか、知りたいものだわ」と、トンクスが言った。
「僕は、知ってる」
 ハリーが言った。全員が振り返ってハリーを見つめた。
「スネイプがヴォルデモートに流した情報のお陰で、ヴォルデモートは僕の父さんと母さんを追い詰めたんだ。そして、スネイプはダンブルドアに、自分は何をしたのかわかっていなかった、自分がやったことを心から後悔している、二人が死んだことを申しわけなく思っているって、そう言ったんだ」
「それで、ダンブルドアはそれを信じたのか?」
 リーマスが信じられないという声で言った。
「ダンブルドアは、スネイプがジェームズの死をすまなく思っていると言うのを信じた? スネイプはジェームズを憎んでいたのに――」
「それにスネイプは、僕の母さんのことも、これっぽっちも価値があるなんて思っちゃいなかった。だって、母さんはマグル生まれだ――穢れた血って、スネイプは母さんのことをそう呼んだ――」
 それは違うと、シルヴィアは言いたかった。それだけは、絶対に違う。セブルスはエヴァンスを大切に思っていたし、死なせたことを悔やんでもいる。
 何も知らないくせに、と言いたかった。何も知らないくせに、どうしてそんなことが言えるの。
 シルヴィアは無意識に握りしめていた拳を解き、自分を落ち着かせた。あの記憶を見れば、きっと誰でもそう思うだろう。セブルスが初めてエヴァンスを穢れた血と呼んだ、セブルスの最悪の記憶を。
 シルヴィアは彼について話す皆の話を、黙って静かに聞いていた。時折こちらに向けられる同情の視線には気づかないふりをした。
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