愛 | ナノ
 数年ぶりに女を抱いた。それもシルヴィアを。
 自分の欲を満たすために媚びているだけだとわかってはいたが、恋人同士のような倒錯をせずにはいられなかった。こんなにも、快楽を感じたことはない。学生の頃から思い描いていた身体が、目の前にあった。愛する人を抱くことが、どんなに心地よいものか。娼婦のように寄ってくる女を性欲に任せて抱いていたものとは、まるで違った。
 しかし、今は後悔と恐怖が押し寄せていた。もし、シルヴィアが目を覚まし、自分の行ったことを自覚すれば。どんなに恥じ入り、絶望するだろう。ポッターの亡くなった日に自分の時を止めるほど、彼女はやつを好いている。死ぬまで貞操を守るつもりだったとしたら――こんな状況に陥らせたのはワトソンだったが、貞操を奪ったのは自分だ。だがシルヴィアは自分を責めたりはせず、彼女自身を責め続けるだろう。薬学に精通した者以外が、強い香りの裏にある媚薬の匂いをかぎ分けられはしない。シルヴィアには何の落ち度もない。
 ドアを開けると、放心したようにベッドにもたれるシルヴィアと目があった。すぐに視線を落とした彼女を見て、胸に痛みが過る。彼女は毛布をよりぴったりと身体に巻き付けながら言った。
「あの……シャワー、貸してもらってもいい?」
 かすれた声に情事の名残が残っていた。
「……ああ、自由に使っていい。タオルはその箪笥にある」
 セブルスは壁にある箪笥を指差し、そして研究室へ出る扉へ向かった。
「ありがと……」
 扉を閉める瞬間に聞こえた、やや強ばった声に、胸が締め付けられた。
 彼女の反応は至極まともなものだろう? 何を傷ついたような気でいる。
 身体を交えたことで、シルヴィアへの想いは強くなっている。そんな馬鹿な真似を、自分の首を絞めるような真似をしてどうする。彼女の全てを手に入れる資格など、私にはないのだ。
 セブルスはシルヴィアのために薬を煎じると、それを盆に持った。ノックするとどうぞといつもより暗い、かすれた声が聞こえてくる。シルヴィアは服を着てベッドに腰掛けていた。
「避妊薬だ。これで妊娠の心配はなくなる」
 机に盆を置き、ゴブレットを手渡す。セブルスを見ようとしないまま、シルヴィアは礼を言って薬を飲んだ。ゴブレットを回収しようとすれば、かすかに彼女の指と触れた。瞬間、シルヴィアは指を離し、杯は金属音を立てて床に落ちた。
「あ、ご、ごめんなさい……」
「いや、大丈夫だ……」
 ゴブレットを拾おうと屈むと、もう一度シルヴィアは小声でごめんなさいと謝った。
「あなたに……すごく、迷惑をかけたわ……」
「迷惑など、かけていない!」
 思わずセブルスは叫んでいた。
「だから、謝るな……頼む……」
 重い沈黙が流れた。暖炉の中ではぜる炎が、石壁に揺れていた。しばらくして、シルヴィアが顔をうつむけたまま口を開いた。
「忘れ……ましょう? 私たち、互いに……想う人が、いるでしょう?」
「誰だ――?」
 彼女の言葉が飲み込めず、聞き返せば、シルヴィアはようやくこちらを見上げた。戸惑っているように、深い青が揺れる。
「……私が、誰を想っているんだ?」
 優しく問い掛けると、彼女はゆっくりと言葉を紡いだ。
「……エヴァンスじゃ……ない、の?」
 エヴァンス。リリー・エヴァンス。
 幼馴染みであり、初恋の人であり――自分が殺してしまった人でもある。
 忘れられない女性ではあるが、今好意を向けている相手ではない。セブルスは口を開いた。
「違う、私が愛しているのは……君だ。シルヴィア……」
 青い瞳は大きく見開いた。そして、ゆっくりと左右に首を振る。
「うそ……」
「確かにリリーは好きだった。だがそれは昔のことだ……」
 シルヴィアは戸惑ったようにこちらを見つめ続けた。
「でも……私は――セブを、そんな風には――」
 ずきりと痛んだ胸に、自嘲した。何を傷ついている。そんな資格さえ、私にはないというのに。
 気づかれないよう、後ろ手でベルトに鋏んだ杖を引き抜く。
「ああ……わかっている。ただの戯言だ――オブリヴィエイト」
 彼女がはっと杖を見たときにはもう遅く、次の瞬間にはくらりと上体を傾けていた。そしてベッドに半身を横たえたシルヴィアを、セブルスはじっと見つめた。疲れている上に八時間分忘却させたのだ。気を失っても仕方がない。そっと彼女を抱えると、セブルスは部屋を出た。

 休暇明け、スリザリンの優秀な監督生、クエンティン・ワトソンが退学となったというニュースが、学校中を騒がせた。スリザリンの継承者だったのだと言う者も多かったが、理由は誰にもわからなかった。それはシルヴィアも同じで、彼が学校を去った日に、寮監であるセブルスに聞いてみたが、彼は言葉を濁すだけだった。ただ、クエンティンが犯人ではないと、彼は断言した。
 その反応も、スーツを着たまま寝ていたことも、妙だった。酒を飲んだ記憶はない。それどころか、その晩の記憶がなかった。夕食を終えて部屋に戻ったのは覚えている。いつも通り仕事をしようとして机に向かったことも。それからの記憶が抜け落ちていた。クエンティンの退学と、自分は何か関連しているのだろうか。
 ただ、意図的に忘却魔法をセブルスの手によって掛けられたのなら、追求しない方がいい。シルヴィアはそう結論付けた。忘れるべきだと、彼が判断したのなら。彼女はダンブルドア以上に、セブルスを信頼していた。
 再び授業が始まり、忙しい日々が始まる。監督生が一人いなくなった分、セブルスと夜の見張りに立つことが多くなった。だが、襲撃は最後の事件から一ヶ月が過ぎても起こらず、穏やかな空気が漂っていた。同時に、ハリーがスリザリンの継承者という噂が止み、シルヴィアは人知れず安堵した。
 ロックハートは犯人が私に怖じ気づいたという持論を展開し、皆はうんざりしていた。ただ単に、夜の見回りをやめたいだけなのだ。そんな彼は、二月一四日、とんでもない行動に出た。
 ロックハートを避けるため、いつものように早起きしたシルヴィアは、広間の前でセブルスに会い(最近は何故かよく出会う)二人で中に入ると、けばけばしいピンクが襲いかかってきた。瞬きしながら見回すと、それがすべて花だとわかった。壁に隙間なく趣味の悪い花が埋め尽くされている。こんなことをするのは、一人しかいない。
「ロックハートだな……」
 隣から聞こえたセブルスの声は、恐ろしいほど低く、シルヴィアはとりあえず座ろうと提案した。それから次々と入ってきた教師や生徒たちは、皆同じように驚き、不機嫌な表情をするか、楽しむように笑った。やがて登場したロックハートは、隣につくなり話し掛けてきた。
「どうだい、シルヴィア? すごいだろう?」
「……ええ、すごいと言えばすごいですね。これ、全部一人で準備したんですか?」
「いや、ちょっと手伝ってもらったのさ――誰にってのは、まだ言えないな」
 いたずらっぽくウインクしたロックハートを、シルヴィアは無視した。そんな態度に落ち込んだ様子も見せず、ロックハートは立ち上がった。
「ハッピーバレンタインデイ! 今までのところ、四六人の皆さんが私にカードをくれました、ありがとう! そうです。皆さんをちょっと驚かせようと、私がこのようにさせていただきました――しかも、これがすべてではありませんよ!」
 ロックハートが手を叩くと、エントランスホールに続くドアから、無愛想な小人が一二人行進して来た。それもただの小人ではなく、全員に金色の羽を付け、ハープを持っている。
「私の愛すべき配達キューピッドです!」
 どこがキューピッドなのだろう。可愛げも何もなかった。
「今日は学校中を巡回して、皆さんのバレンタイン・カードを配達します! そして、お楽しみはまだまだこれからですよ! 先生方もこのお祝いのムードを堪能したいと思っていらっしゃるはずです! さあ、スネイプ先生に愛の薬の作り方を教えてもらってはどうでしょう! そしてフリットウィック先生は、魅惑魔法について、私が知っているどの魔法使いよりもよくご存知です。素知らぬ顔して憎いですね!」
 右隣にいるセブルスをちらりと見ると、愛の薬をもらいに来た最初の生徒には、毒薬を無理やり飲ませてやる、という顔をしていた。
「男子諸君も、この機会に憧れのあの人へ想いを打ち明けてみてはいかがでしょう!」
 ロックハートはそう言って、こちらにウインクしてきた。
 小人たちは一日中教室に乱入し、バレンタインカードを配った。授業妨害も甚だしい。教師たちは皆、その日は一日中機嫌が悪かった。しかし、シルヴィアにとって最も困ったのは、小人から大量にバレンタインカードをもらったことだった。教師が生徒から愛の言葉を贈られるというのは、倫理的によくない。ふざけて書いたのだとわかる、ジョージ、フレッド、リーからのもの以外は、読むことも躊躇われた。それを偶然廊下で会ったセブルスに溢せば、「何も消せばいいだろう」と尤もなことを言われた。しかし、結局消すことができず、再びでき始めていた個人的な手紙の山に埋めることとなった。

 春が過ぎ、元の和やかさが戻ってきた頃、それを吹き飛ばすようなことが起こった。ハーマイオニーが襲われたのだ。
 クィディッチ試合が中止されたその日、シルヴィアはセブルスと見張りに立っていた。夜の廊下には他の教師や監督生たちが通り、いつもの静けさはない。今日まで三人の生徒とゴースト、猫が犠牲になり、見回りはいつも以上に厳戒になった。教師の引率が義務付けられ、シルヴィアの土曜授業もなくなった。このまま犯人が見つからなければ、閉鎖される可能性もある――。
 隣からしたくしゃみの音で、シルヴィアは薄暗い廊下から目を離した。
「……寒いの?」
 心配になって見上げると、セブルスは前を向いたまま首を振った。
「いや、大丈夫だ……」
「そう?」
 再び顔を廊下へ向けると、暗がりの中で何か足のようなものが見えた気がした。シルヴィアはすぐに杖をかかげ、廊下全体を照らし出した。しかし人影はない。確かに見えたはずなのに。明かりを落とし、その暗がりから目を離さないでいると、セブルスに声をかけられた。
「……何が見えた?」
「一瞬、足が見えたような気がしたんだけど――」
 セブルスも視線の先を見、杖で辺りを照らした。やはり誰もいない。
「……きっと、ゴーストと見間違えたのだろう」
 本当にゴーストと見間違えたのだろうか。だがあれは、確かに生徒の靴だった。
 ハグリッドが拘束され、ダンブルドアがいなくなった。今までにない恐怖感が生徒を襲い、笑い声も聞こえなくなっていた。ホグワーツが閉校する可能性が本格的に高まってきた。誰もが深刻な顔をしている中、一人だけ陽気な人物がいた。ロックハートだ。
「ハグリッドが拘束されたからには、もう安心だ。そんな顔をしてると、君の美しさが陰ってしまうよ」
 これほど嫌いになった人は、人生で二人目だった。一人目は言うまでもなくシリウス・ブラックだ。今はどうだか知らないが、学生の頃は嫌な性格をしていた。
 そして、マンドレイク回復薬がそろそろできるという知らせで、校内に希望の光が射してきた頃。廊下にマクゴナガル先生の声が響いた。
「生徒は全員、それぞれの寮にすぐに戻るように。教師は全員、教員室に大至急集まってください」
 廊下を歩いていたシルヴィアは、すぐさま一階へと降り教員室に入った。教員たちは皆、戸惑った顔していて何があったのかわからない様子だった。そして、マクゴナガル先生が入ってきた。
「とうとう起こりました」
 静かな教員室で先生は話し出した。
「生徒が一人、怪物に連れ去られました。部屋の中へです」
 思わず手で口を覆った。フリットウィック先生の悲鳴も同時に聞こえた。二つ隣にいたセブルスが椅子の背を握り締め、「何故、そんなにはっきり言えるんです?」と尋ねた。
「スリザリンの継承者が、また伝言を書き残しました」
 マクゴナガル先生は青白い顔で答えた。
「最初に残された文字のすぐ下にです。『彼女の白骨は永遠に部屋で横たわるであろう』」
 くらりと目眩がし、気づくと椅子に座り込んでいた。
「誰ですか? どの子です?」
「ジニー・ウィーズリーです。全校生徒を明日、帰宅させなければなりません。ホグワーツは閉校です。ダンブルドアはいつもおっしゃっていました……」
 ジニー。あの赤毛の、ウィーズリー家の子が。呪文学の授業中、いつも沈んだ顔をしていて気になっていた――。
 バタンという音に顔を上げると、にこやかに微笑んでいるロックハートがいた。
「大変失礼しました――ついウトウトと――何か聞き逃してしまいましたか?」
 この大事に何て神経をしているのか。自然と睨み付けてしまう。他の教師たちもそんな視線を向けるなか、セブルスが一歩進み出した。
「なんと、適任者が。まさに適任だ、ロックハート。女子生徒が怪物に拉致され、秘密の部屋に連れ去られた。いよいよあなたの出番が来ましたぞ」
 ロックハートは青ざめた。
「その通りだわ、ギルデロイ」
 スプラウト先生が口を挟んだ。
「昨夜でしたね、たしか、秘密の部屋の入口がどこにあるか、とっくに知っているとおっしゃったのは?」
「私は――その、私は――」
「そうですとも。部屋の中に何がいるか知っていると、自信たっぷりに私に話しませんでしたか?」
 今度はフリットウィック先生が言った。
「い、言いましたか? 覚えてませんが……」
「私はたしかに覚えている。ハグリッドが捕まる前に、自分が怪物と対決するチャンスがなかったのは残念だとおっしゃってましたな」
 セブルスが言った。
「何もかも不手際だった、最初から自分の好きなようにやらせてもらうべきだったと?」
「そんな……誤解では……シルヴィア……」
 ロックハートはこちらに助けを求めてきた。じっと彼を睨んでいたシルヴィアは口を開いた。
「その通りです」
 ロックハートはショックを受けたように立ち尽くした。本気で助けるとでも思っていたのだろうか。人の機微を感じ取れない鈍感さが鼻につく。
「それでは、ギルデロイ、あなたに任せましょう」
 マクゴナガル先生が言った。
「今夜こそ絶好のチャンスでしょう。誰にもあなたの邪魔をさせませんとも。お一人で怪物に立ち向かうことができますよ。お望み通り」
 ロックハートの唇は震え、歯を輝かせたいつもの笑顔が消えていた。
「わ、わかりました。へ、部屋に戻って、し――支度をします」
 ロックハートは出て行った。
「さて、これで厄介払いができました。寮監の先生方は寮に戻り、生徒に何が起こったか知らせてください。明日一番のホグワーツ特急で生徒を帰宅させると話してください。他の先生方は、生徒が一人たりとも寮の外に残っていないよう見廻りをしてください」
 シルヴィアはゆっくりと立ち上がり、教員たちに続いて部屋を出た。ホグワーツで、死者が出ようとしている。五〇年前と同じように。ホグワーツでこんな事態が起こるなど、考えられなかった。そして、学校を守るダンブルドアはいない――。
「大丈夫か……?」
 余程深刻な顔をしていたのか、セブルスが声を掛けてきた。一緒に階段を下りながら、シルヴィアは頷いた。
「うん、大丈夫――」
 セブルスを見上げれば、かすかに心配の色が見えた。安心させるように少し微笑んだが、彼は険しい顔を崩さずに言った。
「こんな事態だ。すぐに、ダンブルドアは戻られるだろう……誰も死にはしない」
 慰みの言葉に、シルヴィアは頷いた。
 彼の言葉通り、ダンブルドアはすぐに戻ってきた。同時に、ハリーとロンの不在もマクゴナガル先生から知らされた。シルヴィアはもちろん、教員たちは皆探しに行こうとしたが、ダンブルドアが止めた。
「彼らは今、秘密の部屋にいる。探しても見つからないだろう」
 その一言で、教員たちは驚いたようにダンブルドアを見た。彼は静かに言った。
「フォークスと組分け帽子が、助けを求める彼らのところへ行った。私たちには、ハリーたちが無事に戻ってくることを祈るしかない」
 フォークスと組分け帽子?
 何を言っているのかわからず、周りを見れば、他の教師たちも自分と同じく困惑した顔をしていた。ダンブルドアは深刻な表情で、机の上に手を組んでいた。
「みんな、疲れているじゃろう。各自、自分の部屋に戻りなさい」
 皆戸惑っていたが、やがて教員たちは部屋を出ていく。ハリーとロンがいないと聞き、すぐに部屋を飛び出そうとしていたシルヴィアは、扉のすぐ横に立ったまま、出ようとはせずダンブルドアを見つめていた。生きて帰る可能性はあるのか。そう聞きたかったが、どうしても声が出てこなかった。
「ロジエール」
 そっと肩に感じた重みに、ようやくダンブルドアから目を離し、傍に立つセブルスを見上げた。
「行こう」
 頷き、セブルスの後に続いてマクゴナガル先生の部屋を出た。
 いつもと違い、誰もいない廊下に二人分の足音が鳴り響く。階段のところで立ち止まり、別れを告げようとしたセブルスの手を、シルヴィアは無意識に握っていた。
「ロジエール……?」
 驚いたようにこちらを見つめる彼に、シルヴィアは言った。
「セブルス……一緒にいてもいい?」
 一人でジニー、ハリー、ロンのことを考えるのは耐えられなかった。セブルスにいてほしかった。彼は自分の何倍も頼りになる。
 セブルスは戸惑いながらも頷き、そして自分の手を包み込んだ。温もりと安心感に包まれ、血の気が引いた顔がだんだんあたたかくなってくる。
 シルヴィアの部屋に入っても、二人はマクゴナガル先生の声が響き渡るまで、手を離さず寄り添っていた。
 シルヴィアは廊下から響いてきた声にハッとし、セブルスを見つめた。彼もまた、こちらを見つめていた。どっと安堵感が込み上げ、頬が緩む。
「よかった……」
 誰も死なずにハリーたちは戻ってきた。秘密の部屋は閉ざされた。もう何も、怯える必要はないのだ。
 知らず知らず目から涙が零れてくる。
 セブルスはぎょっとしたようだったが、慰めるように頭を撫でてくれた。

 祝宴は去年以上に楽しいものだった。やはり逃げたのかロックハートはおらず、ハグリッドも明け方に戻ってきていた。
 大分酒が回っていたシルヴィアは勢いで抱きつき、ハグリッドは驚きながらも嬉しそうに笑った。それからセブルスの脂っこい黒髪をかきあげ、土気色の痩せた頬にキスした。瞬間、どこからか悲鳴が上がり、キスされた本人は頬を擦りながら生徒たちを一睨みすると、自分を睨んだ。

 五時になれば生徒たちは寮に帰ったり、広間で眠り始めた。教師たちも寝ている生徒たちに毛布をかけると、寝室に戻り始める。ダンブルドアとフリットウィック先生から去り際に、シルヴィアを頼むよとウインク交じりに言われ、セブルスは苦々しく頷いた。彼女はというと、一時間ほど前から彼の肩にもたれて静かに眠っていた。そのせいで話し相手もいなくなり、部屋に戻りたくても戻れなかったのだ。
「ロジエール、起きろ」
 肩に手を回し軽く揺すってみるが、起きる気配はない。ため息をつき、じっと近くにある彼女の寝顔を見下ろした。
 白い肌に天井からの陽光が薄く照らされ、長い睫毛の影を落とす。艶やかな形のいい唇は、ほんの少し開かれ寝息をこぼしていた。
 気づくと、輝く金糸をさらさらと撫でていた。すぐに手を止め、慌てて彼女の肩に戻す。生徒に見られるわけにはいかない。
「ロジエール」
 先程よりも大きく揺さぶれば、シルヴィアはゆっくりと薄い瞼を開いた。
「セブ……?」
 こちらを見上げる目はとろんとしている。気を許した表情に、思わず頬が緩んだ。
「やっと起きたか。寝るなら、部屋に行きなさい」
「ん、そうね……」
 頷いて立ち上がったシルヴィアに合わせ、自分も立ち上がる。当然のように指を絡められ、柄にもなく心臓が跳ねた。まったく、寝惚けているにしても隙がありすぎる。これだから男どもに求婚されるのだ。そう思いながらも、しっかりと絡め返したセブルスは、シルヴィアを部屋へ送っていった。

 週明け、通常授業に戻り、ロックハートの代わりに五年生以上の防衛術を教えることになったシルヴィアは、初めて防衛術教室の教壇に立っていた。しかし、生徒たちの様子がどうもおかしい。学校の危機はなくなり、OWLもNEWTも免除され、授業に集中しないだろうとシルヴィアは思っていたが、実際はその逆だった。皆、顔を上げ、熱心に前を見ている。というより、自分を見つめていた。ある者は不安げに、ある者は目を輝かせ、そしてある者は頬を赤らめ。ちらちらと合う視線を不思議に思い、シルヴィアは言葉を止めた。
「どうしたの? 私の方ばかり見て」
「それは……」
 生徒たちは顔を見合わせ、それからしばらくして、一人の女生徒が手を上げた。
「せ、先生は、スネイプ先生とどういう関係なんですか?」
 年頃の少女特有の、お節介な質問だった。ざわざわと生徒たちがざわめく中、シルヴィアは微笑んで言った。
「友達よ、学生の頃からの。これは去年言ったはずだけど」
「じゃあ、どうしてスネイプの頬にキスしたんですか?」
 一人の男子生徒が声を張り上げる。シルヴィアは動じずに言った。
「私、酔うと楽しくなっちゃうの。セブルスの頬にキスすることは、ハグリッドに抱きつくのと同じことよ」
「ええー!」と一斉に声が上がる。
「スネイプとハグリッドじゃ、天と地です! 天と地!」
「スネイプがオーケーだったら、僕にもしてくれますか!」
「スネイプと同列に語るのは、ハグリッドに失礼です!」
「先生にキスされても、スネイプは嬉しそうな顔一つしませんでした! 俺ならもっとうまくリアクション取れます!」
 まったく、ひどい言いようだ。どうしたら、これほどまでに嫌われることができるのだろう。実際に彼の薬学授業を見たことがなく、生徒の口から様子を聞くだけだったので、そんなに酷い嫌みを言う彼をあまり想像できない。ただ、セブルスは自分に、穏やかな顔を向けてくれているのだと思うと、かすかな優越感を抱いた。
 すぐに終業の鐘が鳴り、シルヴィアは生徒たちと話しながら廊下へ出た。噂をすれば影。呪文学教室へ向かう途中、黒いマントを翻し、大股で歩く彼の後ろ姿が見えた。
「セブ」
 自然と彼の愛称がこぼれた。学生時代にも愛称で呼んだことがないというのに、最近では、昔からそう呼んでいたかのように口が勝手に動く。
 呟きと言っても過言ではない声量だったが、セブルスは立ち止まり、こちらを振り向いた。驚いたシルヴィアは、慌てて手を振った。
「あ、ごめんなさい、呼び止めるつもりはなかったの」
 セブルスは特に気にした様子はなく、そうかと頷くと、再び廊下を歩いていった。まさか、聞かれるとは思わなかった。思わず口走った彼の名前を。なんだか気恥ずかしくなり、シルヴィアはすぐにその場を去った。
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