愛 | ナノ

 追いかけていた文字が急に重く感じ、シルヴィアは本を閉じた。
 開け放した窓からの日は読み始めた時よりも傾き、部屋に影を落としている。壁の時計は午後三時。セブルスは未だ帰らない。
 再び本の世界に潜るのは気が乗らなかった。文章は話を形成する骨格ではなく、ただの文字の連なりと化していた。セブルスがホグワーツに復帰することを考えれば、もう少し、一人で時間を潰せる趣味を作らなければと思う。
 セブルスは薬の材料を買いにダイアゴン横丁へ出かけていた。ハリーが全てを話したおかげで、セブルスもシルヴィアも外へ出る度魔法使いたちの注目を集める。セブルスはそれが嫌であるらしく、わざわざ自分から外に出ることはなかったのだが、今日は珍しくイギリス魔法界の中心に飛び込んで行った。それほど作りたい薬があるのだろう。
 セブルスがどんな薬を作りたいのか、興味があった。ふっと湧いた好奇心は大きく、シルヴィアはソファから立ち上がっていた。掃除の時以外に入らない、彼の書斎のドアを開ける。部屋の四辺は背の高い本棚に囲まれ、奥の壁にはテーブルが棚を割り込むように挟まっている。
 窓のない部屋は薄暗く、シルヴィアは電気をつけた。シルヴィアは魔法が使えなくなったため、セブルスはこの家をマグル仕様にしてくれた。電気は全室を通り、ガス、水道もキッチンや浴室で使える。シルヴィアは家出してから好んでマグルの生活をしていたため馴染みがあったが、セブルスもまたすんなりと受け入れたのは驚いた。聞けば、彼の父はマグルだったらしい。そう語るセブルスの表情は苦々しげで、父親との思い出が良くないものだったことを表していた。
 シルヴィアは部屋の隅にある階段を下りた。石造りの地下は、地上の部屋よりもずっと暗く、中心にある大きな竈がかろうじて見えるほどだった。この部屋はセブルスだけが入ることを想定しているため、電気がない。しばらくすると目が慣れ、竈の近くに本が開かれていることに気づいた。顔を近づけ、目を凝らして読んでみる。
「若返り薬の作り方……?」
 そこには薬のレシピが細かく記されているようだった。なんと興味をそそられる薬だろう。きっとセブルスもその薬の響きに魅了され、慌てて材料を買いに行ったのだろう。完成したらぜひ飲んでみたい。
「……ここにいたのか」
 セブルスの声が部屋に反響した。同時に部屋のあちこちに置かれたランプが魔法で点けられる。シルヴィアは振り返り、「おかえりなさい」と微笑んだ。
「勝手に入ってごめんなさい。ただ、あなたがどんな薬を作ろうとしてるのか気になって」
「いや、大丈夫だ。君が入ってはいけない部屋などこの家にはない」
 階段を下りたセブルスは、竈の横にカバンを置いた。そして中から見たことのない、得体の知れないものたちを取り出し、一つずつ作業机に置いていく。その様を見ながら、シルヴィアは言った。
「若返り薬なんて、あるのね」
「ああ、私も今まで存在を知らなかったが、最近買った古書に書かれていた。それで早速作ろうと思ったんだ」
「……私、飲んでみたいわ」
 セブルスは手を止め、こちらをまじまじと見た。
「本気か? 本には書いてないが、副作用があるかもしれん。君に飲ませる訳にはいかない」
「じゃあ、あなたが飲むの?」
「いや、鼠かなにかに飲ませて観察する」
「まずは動物で実験するわけね……ただ、それで安全が保証されたら、私が飲んでもいいかしら?」
 セブルスは眉根を寄せた。
「たとえ薬が安全でも、君には飲ませられない。もし君に何かあったら――」
「その時は、聖マンゴがあるわ。大丈夫よ、私はそう簡単に死なないわ」
「……そう簡単に、『死ぬ』などと言わないでくれ」
 セブルスは眉間に手をやり、ため息混じりに言った。シルヴィアははっとし、俯く彼をそっと抱きしめた。
「ごめんなさい……」
「反省しているなら、いい」
 自分の背中に軽く触れ、セブルスは静かに言った。
「とにかく、君にこれを飲ませることはできん。試すとしたら、私が試すことになる」
 シルヴィアはぱっと顔を上げた。
「それはそれで心配だけど……とても素敵ね! 小さい頃のあなたに会えるなんて」
 セブルスは困ったように目を瞬かせながらこちらを見下ろした。彼がこの表情をするときは、照れている時だ。彼は気を取り直したように言った。
「まずは鼠に飲ませ、大丈夫だったら私が飲む。それでいいか?」
「……いいわ。実験は十分に行ってね」
「言われなくとも」
 セブルスはあっという間に若返り薬を完成させ、それを買ってきた鼠にスポイトで少量与えた。鼠はみるみるうちに小さくなり、動きが活発になった。若返ったのだ。
 それから一日様子を見ると、鼠は元の大きさに戻っていた。何日か与える量を変えながら実験していくうちに、わかったことがある。
 飲む量が多ければ多いほど若返るが、一二時間が経てば必ず元に戻るということだ。それは一二時間後にすぐに戻るのではなく、時間をかけてゆっくりと戻っていく。
「この薬をあなたが飲めば、いろいろな世代のあなたと会えるのね……」
 想像してうっとりとセブルスを見つめれば、彼は片眉を上げた。
「体は若返るが、脳は今のままだがな」
「いいのよ、それで……私はあなたのことがもっと知りたいの」
 この薬をきっかけに、セブルスの過去や思い出を知れたらいいと、シルヴィアは思っていた。特に両親についてや、いつから自分を好きになってくれたのかについて。セブルスはふっと笑った。
「私のことはよく知っているだろう。それ以上に何を知りたい?」
「……いろいろなことよ。あなたのことを知りたいという欲求は、いつまでも消えないと思うわ」
 幸いセブルスは深くは聞いてこなかった。「そうか」と言って、彼は若返り薬の入った瓶を取った。
「私も君への関心は消えないと思うがな」
 シルヴィアはセブルスへ軽く口付けた。
「嬉しい……愛してるわ、セブ」
「私もだ」
 至近距離で微笑み合う。甘い空気が生まれはじめていたが、セブルスはそれを追いやった。
「……実験が終わったら、思う存分キスをしよう」
「そうね」
 確かに今は実験が先だ。
 セブルスは持っていた瓶の蓋を開け、匙で薬を掬った。そしてそれを口に入れた。
 彼はみるみるうちに背が低くなり、着ていた黒のローブは床に半分ほど落ちた。
 八歳くらいだろうか。学生時代の彼よりも子供らしい顔をしたセブルスがそこにいた。眉間には、幼さに似合わない皺があった。
「大丈夫? 具合が悪かったりはしない?」
「大丈夫だ……まったく、ひどい味だ」
 声変わり前の、高い声でセブルスは応える。体は子供なだけで、頭脳は大人なのだけれど、ローブから杖をもたもたと取り出す姿は愛らしいとしか言えず、かといってそれを口に出すのも怒られそうな気がして、シルヴィアは黙ってローブを自分の背丈に合うように調整するセブルスを見つめた。しゅるりとローブが体に巻き付くと、彼は「ひとまずリビングに戻ろう」と鏡を見ながら言った。
「この体ではできないことが多い。しばらく様子を見る」
 セブルスに続いて階段を上がり、ソファに沈み込む。
「……何か飲み物でも持ってくる?」
「ああ、頼む」
「何がいい? オレンジジュース? ……冗談よ、そんな怖い顔しないで」
 紅茶を淹れてテーブルに置く。セブルスは礼を言ってカップを持った。小さな両手でカップを持ち、これまた小さな唇を窄めて紅茶を飲む姿を、新鮮な気持ちで見つめる。セブルスだけれど、自分の知るセブルスではない。
「それで――」
 セブルスは紅茶を置き、こちらを見た。
「何が知りたい?」
 シルヴィアは迷いながらも答えた。
「……あなたのご両親は、どんな人だったの?」
「……母は魔法使いで父はマグルだった。母は私を気にかけてくれていたが、父との思い出は悪いものしかない。父と母は仲が悪かった。父は魔法も、何もかもが気に食わず、いつも怒鳴ってばかりいた。私はそれが理解できず、いつしかマグルを嫌いになっていった」
 確かに、幼い頃からそんな経験をしていたら、マグルを嫌いになるのも必然だろう。シルヴィアは「そう」と相槌を打つことしかできなかった。
「闇の魔術に詳しかったのは、この頃から?」
「ああ。母の蔵書を密かに読んでいた……おかげでルシウスから興味を持たれるようになった。それまでは孤独だったがな」
「……でも、エヴァンスとはこの頃から仲が良かったんでしょう?」
「……まあ、そうだな。彼女とはスピナーズ・エンドの近くの公園で会った……私からも聞いていいか?」
「いいわ」
「なぜ君は、私がリリーに好意を持っていることを知っていた?」
 彼が疑問に思うのも当然だった。恐らくそれを当時知っていたのは自分だけだろう。シルヴィアは答えた。
「実は、最初にあなたに話しかけた時は、あなたがエヴァンスに好意を抱いているという確証はなかったの。ただあなたの反応でそれが事実だと知った……あなたたちが公園で会ってたのは知っていたわ。一度その様子を見たことがあるから」
 セブルスは目を丸くした。幼い顔立ちが一層際立つ。
「それは、偶然見たのか? それともわざわざ見に来たのか?」
「わざわざの方よ。敵を倒すにはまず敵を知ることからって言うでしょ?」
 セブルスは呆れたような、怒ったような顔をした。
「……そんなにポッターを好いていたのか」
「あの頃はね。今はあなたが好きよ、わかってるでしょう?」
 彼の頬にキスをすれば、眉間の皺は薄くなったような気がした。
 セブルスと共に昼食を作り、食べ終わった頃には彼は一三歳頃に成長していた。地下から上がった時に見た時刻は一〇時頃だったため、それから二時間が過ぎていた。セブルスは薬の経過のメモを書いていたが、やがて目を擦り始めた。
「……少し、眠くなってきた」
「子供は体温が高いって言うしね。ベッドで眠ってきたら?」
「そうする……薬の経過は――」
「私が見ておくわ。添い寝してあげる」
 セブルスはそれで了承したようだった。彼と寝室へ行き、ベッドに寝転ぶ。彼の眠気はピークだったらしく、すぐに寝息を立て始めた。
 穏やかな顔で眠る彼を見つめる。もし、彼との子供ができて、その子の寝顔を見たら――きっとこんな優しい、慈愛に満ちた気持ちになるのだろう。ゆっくりと大人びていくセブルスを見ながら、シルヴィアは静かに欠伸をした。自分も眠くなってきてしまった。けれど、ここで眠ってしまえば、セブルスに怒られる――。
「……シルヴィア」
 自分を呼ぶ低い声に、シルヴィアは目を開いた。目の前には、一三歳のセブルスではなく、もっと成長した、一六歳くらいのセブルスがいた。
「ごめんなさい、私寝てた……?」
「ああ。でも大丈夫だ。念の為カメラで様子を撮っていた」
 用意周到というか、何というか。自分に信用がないということだろうか、と複雑な気持ちになり黙っていると、セブルスは弁解するように言った。
「君を信じてないということじゃない。ただ、君はよく昼寝をするから、もしかしたらと思い準備していたんだ」
「……そうね、私はよく昼寝するわ。よくわかってるのね」
「君のことなら何でもわかっているし、知りたいと思う」
 セブルスはそう言って口付けをした。一度のみで終わると思われたそれは、二度、三度と重ねられていく。
「セブルス……?」
「体が若いからだろうか、君が欲しくてたまらない……」
「そ、そんな、いけないわ、今のあなたの年齢は――」
「ああ、わかっている。だからこそだ」
 だからこそ、何だろうか。燃えると言いたいのだろうか。欲に駆られているからか、いつもの冷静さがないようだった。
 何にせよ、こんなことが許されるはずがない。脳が大人だったとしても、だ。覆いかぶさってきた彼に抵抗しようと体を押すも、彼はビクともしない。がたいは少年のものではなく完全に青年となっていた。
「……嫌か?」
「嫌ではないけど……罪悪感があるわ。それに実験はまだ終わってないし」
「この四時間ほどで大体効果はわかった。実験はこれで終いだ……だが君がそう感じるなら、やめる」
「待って」
 体を離そうとしたセブルスを、シルヴィアは止めた。どうしても聞きたいことがあった。
「……一つだけ教えて」
「何だ?」
「私のこと、いつから好きだったの?」
 彼はふっと笑い、こう囁いた。
「ちょうど、今の年齢の頃からだ。君への好意を、ずっと見て見ぬふりをしてやり過ごしていた」
 シルヴィアは嬉しくなり、そう言ってくれた彼にキスをした。彼は何年も自分を想ってくれていた。それが事実なら、セブルスのしたいようにして構わない。
「いいわ……でもカメラは止めてね」
「……そうだな」
 
 すぐそばに何かが置かれた音がした。シルヴィアは目を覚まし、音のした方へ首を回す。そこには見慣れたゴブレットがサイドテーブルの明かりに照らされ、ぽつんと立っていた。それを置いた主も、同じように佇んでいた。
「……今何時?」
 思ったよりもかすれた声が出る。
「一八時だ……すまない、無理をさせたな」
「……反省してるのならいいわ」
 ブランケットを手繰り寄せながら、上半身だけ起き上がる。身体が重い。セブルスは理性と欲の狭間で戦っていたが、それでも衝動を抑えられなかったようだ。
「……今は何歳くらい?」
「薬の効果からすると、二四歳だと思う」
 確かに先程よりは大人びた表情をしていた。眉間の皺はすでに顔の一部と化し、薄く法令線が見える。
「……闇の印は出てる?」
「……ああ」
 硬さを感じる彼の声に、「そう」とシルヴィアは目を伏せた。セブルスがデスイーターだった事実はどうしたって消えない。セブルスが自分の意思でデスイーターになったという事実は。
 ただ、最終的にダンブルドア側についたことも事実だ。二重スパイになり、情報を錯綜させることができた。例のあの人の目をかいくぐり、ハリーの力となった。
 シルヴィアはセブルスを愛している。デスイーターだった過去も、リリーに好意を寄せていたことも含めて、セブルスを愛している。
 伏せた視線の先に、ゴブレットがあった。ランプの明かりを受けて、中にある白い液体がパールのように光を放っている。避妊薬がこうも神秘的な液体であると知ったのは、果たして何年前だろう。
「……セブルス」
「どうした?」
 セブルスはベッドに腰を下ろした。スプリングがぎしりと鳴る。
「……子どもが欲しいわ」
 息を飲む気配がした。シルヴィアはそっと彼を見つめる。困惑と苦々しさが混じった、複雑な表情をしていた。
「だが、君の身体は――」
「私の身体は、もう平気よ。こないだだって、元気過ぎてヒーラーがもう来なくてもいいって言ってたじゃない……私、あなたに内緒で妊娠についても聞いたの。全く問題ないらしいわ」
「そうか……」
 反対する理由がなくなり、セブルスは何も言えなくなったようだった。シルヴィアには彼の気持ちがよくわかった。
「……大丈夫よ」
 彼の頬に手を伸ばし、ゆっくりと痩せた線をなぞる。
「あなたはあなたのお父さんのようにはならないわ、大丈夫……私もいる。あなたがそうなりそうだったら、私がちゃんと叱る。反対に、私が道を外れそうだったら、あなたがそれを正す。夫婦って、そういうものでしょう?」
 セブルスは「そうだな」と静かに同意したが、目は伏せられたままだった。シルヴィアは彼を待った。伝えたいことは言葉にした。あとは彼の決断を待つだけだった。
 やがてセブルスはこちらを向き、軽く口付けをした。そこには労りと優しさと意思があった。
「……子は授かりものと言うから、できるかどうかはわからないが、君が欲しいと思うのならその努力をしよう」
「ありがとう」
 静かに抱き寄せられる。セブルスの腕の中は暖かく、安らぎをくれる。無意識に感じていた不安も、溶かしてしまうほどに。
 子どもを産み育てることに不安がないといえば嘘になる。しかしセブルスと二人ならば、きっと大丈夫だという自信が湧いてきていた。自分とセブルスの力を信じたかった。先の戦争で生き残った自分たちの力を。
 シルヴィアは穏やかに目を閉じ、自分の腹部を撫でた。いつか子が宿るようにと願いながら、ゆっくりと撫でた。
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