俺の最愛へ



目を覚ます。
いつもと同じように、目覚まし時計が鳴る30秒前にぱちりとまぶたが上がった。
静かにアラームボタンをおろし、目覚ましが作動しないようにする。
立ち上がり、学習机に向かう。
机の引き出しをガラリ、開ける。
折り重なるテキストの上に置かれた可愛らしいピンクの封筒、ウサギのマークがにこりと私に笑んだ。
ひっくり返して宛名を確認する。
そこには無骨な文字でたったこれだけ。







俺の最愛へ お前の最愛より







封を切る。
乱雑に糊付けされたそれは少し力を加えれば容易に開いた。
中に入っている便箋を取り出す。



――俺の最愛へ
この間はバタバタしていて手紙を返すことができなくて悪かったな。
定期考査は終わったのか?
お前のことだから、遅い時間まで勉強していたんじゃないかと思う。
あまり遅い時間まで起きていると身長が伸びないから、必ず決まった時間になったら寝るようにしておくんだぞ。

俺は相も変わらず元気にしている。風邪ひとつ引いていない。
そろそろお前は私立高校の入試が近づいてきたころだろうか。
それまでに数度手紙のやり取りができればいいのだが、できないかもしれないから先に言っておく。
お前は落ち着いていればいい。焦る必要はない。
必ず努力は実を結ぶから、安心しているように。

では今回はここまで。
また。
お前の最愛より



ぶっきらぼうな口調で書かれたそれに思わず口角が上がる。
椅子を引いて学習机に座り、数学のテキストと一緒に青色の封筒を取り出した。
空の模様が描かれた封筒と、海の模様が描かれた便箋。
便箋を手に取り、私はたった今読んだ手紙の返事を書く。



――私の最愛へ
手紙ありがとう。返事があって嬉しいです。
定期考査は無事に終わりました。なんとか学年のトップ10には入ったので大丈夫。
遅い時間まで勉強することもあったけど、体調は崩してないし、身長は気にしてないから問題ありません。

あなたは風邪をひかないとのことですが、私も同じです。
入試前で学校も塾も忙しい時期ですが、インフルエンザどころか咳のせの字も見えないくらい元気にしています。

励ましの言葉をありがとう。
あなたの言葉を覚えていれば、あなたが一緒にいてくれるようで心強いです。
試験までにもう一度お手紙がもらえると嬉しいな。
ではまた。
あなたの最愛より



丁寧に丁寧に封をする。
きっと彼は私がこんな風に丁寧に封詰めした封筒を乱雑にあけるのだろう。
それがとても彼らしいな、と笑う。
どんな反応をするのか知りたくて、あえてイルカのシールを閉めた封筒の、ちょうど〆の字を書くあたりに貼った。
破るのか、丁寧にあけようとするのか。
はたまた、今度の手紙に文句を書きつけてくるのか。
楽しみだ。


「アスカちゃん、起きている?」


声と同時にガチャリと部屋のドアが開けられる。
振り向けば母が私のほうを見ていた。
母から見れば、私は机に向かいテキストを開いているように見えるだろう。
案の定「あら、勉強していたのね」と満足そうな声が聞こえた。


「朝早くから勉強して偉いわ、アスカちゃん。しっかり勉強して高校入試で志望校に行ければ、きっといい大学にも入れるわ」
「はい、お母さん」
「ああよかったわ、アスカちゃんが優秀だからおばあちゃまも褒めてくださるわよ」
「頑張ります」
「うふふ、そろそろ朝ごはんができるから、制服に着替えて降りていらっしゃいね」
「はい、お母さん」


にこにこと満足げに笑んだ母がドアを閉めて階段を降りていく音がする。
ほう、と息を吐いた。
たくさんの言いたいことがぐるぐるとまわって、言葉にできずに喉の奥で蟠る。
耐え切れなくなって便箋を取り出し、思いのたけをひたすらに書きなぐった。
あまりにも汚い思いの奔流は、はっと我に返った時に小さくたたんで机の中に入れた。
見られることを考えると捨てるに捨てられないから、時間のある時にゆっくり破いてしまおう。
そう思い、彼に宛てた手紙をその近くに丁寧に置く。
「アスカちゃん」ともう一度母の声がしたので慌てて制服に着替えて階下に降りた。

今日もまた、代わり映えのしない一日が始まり、そして終わっていく。











ふ、と夜中に目を覚ます。
枕元の時計を見ると現在午前3時。起床時間まではまだ3時間近くあった。
ぎ、と軽く軋む音を立ててベッドから起き上がる。
暗闇の中でも自分の部屋の様子はよく分かった。
電気をつけず、暗闇の中をスマホの画面の明かりだけを頼りに学習机に向かう。
そのまま静かに引出しをあけると、そこにはちゃんと青色の封筒があった。
椅子に座り、封筒を裏に向ける。

――私の最愛へ あなたの最愛より

丸い文字で書かれたそれに頬が緩む。
いつものように乱雑にあけようとして、イルカのシールに気が付いた。
悪戯心にまた小さく笑って、イルカを避けて封を切る。
便箋に目を通せばなんてことのない、柔らかな口調で書かれた言葉が躍っていた。

本当に言いたいことはそれじゃないくせに。

知っているんだぞ、と封筒の近く、小さく折りたたまれた紙を開く。
本音の書かれた紙は便箋の文字とは似ても似つかないほど荒々しく、まるで“俺”の字のようだ。


「“アスカ”、お前も難儀なやつだなあ」


ぽつりとつぶやいた声色は間違いなく少女のものだ。
“俺”が“アスカ”のものだと認識している声だ。


「おんなじ体に俺みたいなのを飼っておいて、手紙の交換なんかしてくるんだから。よっぽどこういうこと書いたほうが発散になるだろうに」


所謂別の人格なのだと、俺もアスカも分かっている。
アスカという人物が俺という人格を生み出さないと耐えきれないような繊い精神の持ち主なのだと、同じ体を持つ俺がよく知っていた。
主人格のくせに、あとから生まれた俺が不快にならないように気を遣って手紙を書いていることだって知っている。
アスカは俺を文字でしか知覚できないけど、俺はアスカがアスカである時もぼんやりと世界を認識しているから。

この密やかな筆談は、きっといつか終わるのだろう。
アスカがつぶれてしまったときに、あるいは、アスカが本当に大人になった時に。
それでいいと思う。


「お前が幸せでいてくれれば、俺はそれでいいんだよ、アスカ」


自分の右手の甲にそっと唇を落とす。
彼女に届くわけのない俺の思いを体の記憶に託す。


「さて、書くか……早くしないとアスカが睡眠不足になっちまう」


ピンクの封筒と便箋を取り出して、返事を書く。
俺が世界で一番大切に思う、俺の最愛へ。
君の心の支えであれと、僅かでも幸福の糧に成れと、願いながら。





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