Bien!



「なあ岩倉。俺と組んで野ステで漫才やろうや」
「……は?」
 頭上からかけられた声に次郎は驚いて、音の方向へ視線をやった。ライトブラウンの木目がどこかちゃちな印象を与える机の天板の先、ようやく見慣れてきた黒色のスラックスが目に入る。じわじわと目線を上げていけば薄桃色のサマーベスト、紺のネクタイ、白のポロシャツと順繰りに景色が映ろっていき、最後に一人の人物の顔が見えた。
「ええと……児玉、だったか?」
 控えめに問えば軽快なトーンで「せやで!」と返される。次郎は自分の記憶に間違いがなかったことに安堵しながら再度児玉と呼んだ人物の顔をじっと見つめた。
 児玉海斗。彼は次郎の所属する一年四組において学級の中心にいるような生徒である。進学校であるこの高校においても成績は優秀で、けれど決して天才ではない。朝誰よりも早く登校し、最終下校まで残って勉強をする努力家であることを四組の誰もが知っていた。運動面でもそうだ。別段運動神経に恵まれているわけではないものの、体育の授業だとか体育祭だとかで懸命に運動に臨む様はいっそかっこよくさえある。努力の跡を隠そうともしないが、かといって下手に威張るでもない。「あいつ頑張ってるよな」と言われる範疇に絶妙な塩梅でとどまっている。決して「がり勉だ」とか「ウザイ」だなんて言われない、きらきらしたタイプ。次郎の知っている児玉海斗というのはそういう男である。
「……声をかける相手を間違えていないか? 俺は漫才なんてできる人間じゃないんだが」
 対して、岩倉次郎という男はよく言えば無害な、悪く言えば存在感の全くない男であった。親の転勤の都合で高校入学と同時に関西に越してきたものの言葉や生活の違いにうまく馴染むことができず、今や教室の隅で息を殺して本を読んでいる。そんな状態である。それなりに勉強ができると思ってこの高校を選んだものの、予想以上にハイレベルな授業や成績のいい同級生たちの姿を見るたびに劣等感に苛まれているし。つまるところ彼は児玉海斗とは真逆を行く、“いいとこナシ”な男なのであった。そんな次郎が突然声をかけられて警戒したような返答になったのは何も不思議なことではあるまい。
「いや、俺は岩倉がええなあと思って声かけたんやで」
 にかぁっと無邪気な笑みを浮かべる海斗を見て、次郎の眉間のしわがさらに深まる。
 どういうことだろうか。次郎は海斗と席が近くなったこともなければ委員会や部活が一緒ということもないし、共通の友人がいるということもない。言うも悲しいが、そもそも次郎はこの学校に友達らしい友達などいないに等しいのだからなにかのつながりがあるということは考えにくい。
 となれば考えられることとすれば、次郎の“何か”が海斗にとって笑えるものだったのだろう。
「俺はお前に何か無様をさらしたか?」
「ええ!?」
 少々憮然とした物言いに対して海斗は目を見開いて体をのけぞらせた。「あ、そのリアクションお笑いするやつみたいだな」と頭の中でぼんやり思う。
「なんでそんなん思ったんや」
 くりくりとした目で次郎を見つめる海斗の様子をうかがう。困惑はしているようだが、次郎が嫌う人を小馬鹿にしたような様子はない。もしや本気で自分を誘っているのだろうか? いや、こういうクラスの中心できらきらしている人間は他の人間を味方につけて孤立している人間をからかって遊ぶことがある。ぜひやりたいと声を上げた瞬間に「身の程を知らない人間」として自分以外の人間がすべて敵に回る可能性だって捨てきれないのだ。
「岩倉?」
 海斗の声に我に返り、首を小さく横に振る。そんな状態になるくらいならノリの悪い奴としてここから3年間を孤独に過ごすほうが余程マシだ。次郎とて好きで孤独に過ごしているわけではないが、その孤独も自分で選んだものと周りから押し付けられたものでは意味合いが大きく変わってくるものである。
「いや……なんでもない。悪かったな。児玉ならほかに誘っても相手は見つかるだろう。頑張ってくれ」
 それだけの言葉をやっとの思いで吐き出す。よし、このくらいの物言いなら自分の心証を損ねることなく、調子に乗っている感じも出さず、どっきりだとしても「多少ノリの悪い奴」くらいの評価が得られるだろう。次郎は自分の席から立ち上がると素早くあたりのクラスメイトに目を配った。誰もかれも次郎と海斗の会話が珍しいからだろう、別のことをしているようなポーズをとりながらこちらに聞き耳を立てているのがわかる。その中でも何人か、海斗とよくつるんでいる男子生徒たちがニヤニヤとこちらを見ていることに気づいて次郎は顔にカッと血が上るのを感じた。
 ほら見ろ、やっぱりそうじゃないか。頭の中で馬鹿にした声が響く。
 次郎は極力表情を崩さないように意識しながら海斗のほうを見た。きっとどっきりに引っかからなかった自分を蔑んだ目で見ているに違いないのだ。
(……あれ?)
 表情に出さないと思っていた次郎すら固まってしまうほど、海斗は残念そうな顔をしている。悲しいと口で言うよりもわかりやすく、眉尻が下がって情けない顔になっていた。
「岩倉、もしかして俺の言っとること、冗談やと思ってる?」
「え、いや……その……」
「他に誘ってもだれか見つかるって、それ、結構俺的にはグサッとくる一言やねんけどなあ……」
 しどろもどろになるしかない次郎など見えていないのか、心の底から残念そうに海斗は言う。
「いや、児玉、そのだな……」
「わかるで? 俺、岩倉とそんな喋ったことないし。てかプリント渡す時くらいやし。なんやこいつって思われんのもわかるけどさ……」
 なんでこいつはこんなにもネガティブになっているんだ!
 叫びだしたいのを抑えて海斗の様子をうかがうが、目の前の男はすっかりしょぼくれている。見ているこちらが悲しくなりそうなほど肩を落とした様子に、次郎は「この構図、俺が悪いのか!?」と狼狽えた。
 どっきりにしては手が込みすぎている。いや、そもそもこれは本当にどっきりなのか? 俺が疑心暗鬼になっているだけで、もしかしてこいつは本当にほとんど話したことのない俺と一緒に漫才をしようと思っているのか? いやいやそんな突拍子もない人間がどこにいるんだ!
 頭の中で様々な感情が渦巻き、そうして。
「そ、そうだな……とりあえず、なんでそんな考えになったのかだけは、聞かせてもらってもいいか?」
 次郎はそれだけの言葉を絞り出すようにして発したのだった。


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