§4
真面目な声のトーンに、びくり、体が震える。
ハラダは金色の目であたしをじっと見据えた。
「君は、もっと会話すべきだ」
「……話してんじゃん」
「そういうことじゃないよ。君は他人との会話以前に自分との会話が全く足りてない」
はあ?
思っているよりも素っ頓狂な声が出る。
何、自分と会話って。友達いない子じゃあるまいし。
そう言えばハラダはもののたとえだよ、と言った。
「そもそも高校生で将来のことを見通している奴のほうが珍しいんだから、自分のやりたいことをやればいいだけなのに、それも分からないんだろう?圧倒的に会話不足じゃないか」
ハラダの言葉が、耳に刺さる感覚がする。
思わず自分の体を守るみたいに耳を塞いで、体を小さくしてうずくまった。
けど、ハラダはそれを許さない。
耳を塞いだあたしの手を掴んで、無理やりにでも話を聞かせようとする。
睨みつけようとしたのに、それよりもずっと鋭い目線とかちあった。
「君がどんな道を選ぼうと僕には関係ない。けどね。これだけは言わせてもらうよ」
ハラダは、ゆっくり息を吸う。
「今の君は、あの時君に「生きているだけ」と言われた僕と同じだ」
息が、止まる。
確かにあたしはあの一件のなかで、ハラダにそんなことを言った。
だからあたしはハラダが嫌いだった。
自分で何かをしようって意志がないように見えるハラダが、あたしは嫌いだと思ったのだ。
ドーゾクケンオ、って言葉を思い出した。
ここちゃんに教えてもらった。
自分と似ているものに対して、すごく嫌だなって思う気持ちのことなんだって。
すとんと胸に落ちた。
あたしがあの時のハラダがあんなにも嫌いだったのに、今のハラダにそんな強烈な嫌悪感を感じない理由はこれだった。
同じようにいろんなことを諦めて、何かのせいにして、流されて生きていると思ったからあたしはハラダが嫌いだった。
今のハラダは奥さんとも子供とも幸せに暮らしてて、それはハラダも頑張ったからで、ハラダは自分で未来を掴みとったと思ったから、あたしとは違うんだって分かったから、だからあたしはハラダが嫌いじゃなくなったんだ。
じゃあ。だとしたら。
「じゃあ……あたしは、どうしたらよかったの」
あのすさまじい事件の当事者だったはずなのに、夢の世界ではあんなにも強く写真というものを力に変えて戦えたのに。
どうしてあたしは、みんなみたいに「ちゃんと」できなかったんだろう。
「あたし、なんとなくでしか選んでこなかったの」
ゆいつんやここちゃん、なるちゃんみたいに写真がすごく好きだったわけじゃない。
かげちゃんや田中みたいに目標があったわけでもない。
――安堵さんって空気読めないし、アタシきらーい。
――ちょっと顔がいいからって男子にちやほやされてさ、馬鹿のくせに調子乗ってるよねえ。
――こっちくんなよ、うざいしさ!
虐められてて現実では友達がいなかったから、ネットにつながりが欲しくて、なんとなく気になったしやりやすそうだったから写真を始めた。
下手くそだったら誰にも見てもらえないから、必死になって上手な取り方を練習した。
夢とか希望みたいな、そんな明るいものはあたしの選択になかった。
ただただ。
「写真は……あたしの、唯一の、存在証明だったの……」
撮った写真が、褒められた。
どこの誰かもわからない人がたった一度だけくれた「素敵な写真ですね」ってコメントが、最初の「あたしがこの世界に居てもいい」って証明だった。
証明が欲しかった。
そのためにたくさん写真を撮った。
写真を撮ったら見てくれる人が増えた。
あたしは世界にいられるようになった。
「あたしは……」
あたしは此処に居るよって、誰かに認めてほしくて写真を撮っているだけで。
だからそんなツマラナイ理由のために大学に行くとか、誰かのアシスタントになるとか、そんな大それたことを考えちゃいけなくて。
将来の夢ってもっとちゃんと考えて決めるもので、その場の成り行きできめちゃいけないもので。
それで。それで。
「君は、僕に対してだけ辛辣なのかと思っていたけど、自分に対してのコメントが一番辛辣だね」
ハラダが呆れたような声でそう言うのが聞こえる。
辛辣なんかじゃない、そう返せば、そう思ってることがもう既に辛辣だよと返された。
「承認欲求、大いに結構じゃないか」
「よくない。だって、みんなは認めてもらいたいからやってるわけじゃないもの。こんな情けない理由でカメラマンになりたいだなんて、ばかげてる……」
もう、ほとんど泣き声みたいになってる。
だって、呆れてるくせにハラダの声がとんでもなく優しくて、あたしを見ている顔があたしのこと許してる顔なんだもん。
あたしの言ってる事を聞いて、それのなにがいけないんだよーって言いたそうな顔はなるちゃんによく似ていた。
馬鹿げてるんだ、みんなの横にならんじゃいけないんだ、こんな不純な理由じゃ。
「ばかげていたって、始まりがなんだって、それは、かつての君が確かに選んだことじゃないか!」
声が、した。
それは目の前のハラダによく似ていて、でもハラダの声じゃなかった。
振り返る。
肩で息をするなるちゃんがいた。
「あたしだって、大学に入った後のことはまだ決めてないよ。でも、今やりたいから、チア続けたいって思ったから、それで大学に行こうと思っただけだよ。天音ちゃんとなんにも変わんないよ」
その後ろからゆいつんが飛び出してくる。
「そんなこと言ったら、俺の理由だってくだんねーよ、お前の言ってる高尚な理由ってやつじゃない」
かげちゃんが、呆れたようにそう言う。
「わ、私も!最初は、誰かに見てほしくて、私の世界を分かってほしくて、書き始めたところもあります!全然、安堵さんがだめとか、そんなことはないんです!」
ここちゃんが、顔を真っ赤にさせて、そう叫んだ。
いつの間にか、みんなが目の前にいた。
隣のハラダを見る。
「いやあ、文明の利器ってやつだね」なんて言いながら、この男はゆらゆらとスマホを握った手を揺らした。
こいつが呼んだのだとようやく理解する。
「よかったね、みんな君となにかしら一緒らしい。おや、困ったな」
君は友達が好きなのに、その友達には君が言うところのどうしようもない部分があるようだよ。
ハラダが言う。
「でも……でも、みんなはちゃんとしてて……だから……あたしはダメで……」
そりゃあ、多少似ているかもしれないけど。
でもあたしは、みんなの悪いところ、いっぱい集めたような人間だ。
だからみんなとは違くて。
「馬鹿ぁ!」
「ぐふっ」
どぉんって重たい衝撃が走った。
思わず後ろに倒れこむ。
あたしの上にゆいつんが馬乗りになってる。
目から涙をいっぱい落として、でも怒った顔したゆいつんがそのままあたしのことをぎゅっと抱きしめた。
見えてる光景とゆいつんの行動のギャップに頭がついていかなくて動きが止まる。
「天音ちゃんはすごいんだって、駄目なんかじゃないんだって、なんで分かってくれないのさ!」
そうして、ゆいつんの言葉に今度こそ完全に思考も止まった。
「な……なにいってんの」
震える声が喉の奥からこぼれる。
「あたし……あたしは、写真じゃなくてもよくて、だって、写真がすごく好きだったわけじゃないし、ずっとカメラマンになりたいって思ってたわけでもなくて、ただ、だれかに……誰かにいてもいいよって、認めてほしくて……」
それは生まれて初めて、友達に告げた本音だった。
なるちゃんが誘拐されたときだって、あたしはいつものままだった。
どうしようとか、だめだったらなんて絶対言わなかった。
だって、あたしが弱音はいたらみんなもっと暗くなっちゃうって、あたしは明るく馬鹿みたいにしてるのが一番みんなのためになるんだって、そう思ってたから。
あたしが弱音をはくなんて、そんなの、みんなに迷惑がかかる。
思っていることをそのまま話したら、きっとみんなはあたしのことを重荷に感じる。
こんな簡単なこともできないようなダメな子なんだってばれたら、きっと、嫌われてしまう。
だってあたしはできないあたしが嫌いで仕方がないのだから、きっとみんなもそうだろう。
そう思って本音を言わずに来たのだと、そのとききちんと理解した。
「写真だけじゃないよ、私は、安堵さんがいつだってみんなを引っ張っていってくれるところ、すごいって認めてるよ……!」
あたしを抱きしめるゆいつんのその後ろから、ここちゃんが腕を伸ばして抱きしめてくれる。
あれは、後先考えてないだけで、引っ張ってないと、置いていかれるから心配なだけで。
でもそれは、ここちゃんが認めている部分で?
「そうだよ、僕は安堵さんの力もあって今此処に居るんだよ。ダメだとか言わないでよ、寂しいよ」
なるちゃんが、控えめに背中の方から抱きしめてくる。
だって、あの時、あたしがいなくたってきっとゆいつんとかげちゃんとここちゃんだけでもなるちゃんは助けられた。
なのに、あたしの力も必要だった?
「う………うそ、だよ……みんな優しいからって、そんな嘘つかなくて、いいんだよ……」
情けなく震えた声を「ハンッ」と鼻で笑う音が裂く。
ゴーガンフソンに仁王立ちして笑ったかげちゃんがあたしを見下ろしていた。
「馬鹿だなあ、お前。ほんと馬鹿だ」
「そう、だよ……あたしばかだから、だから……」
「ちげーよ、なんにも分かってねーなお前」
ったくよー、仕方ないなあって声で言いながらなるちゃんの後ろからかげちゃんもあたしをぎゅっと抱きしめる。
「お前、こんだけ愛されてんだから、ちゃんと自覚持てよな」
ぽろり、また熱いものがほっぺたを転がり落ちていく。
ぽろぽろ、涙がこぼれていくのが分かるのに、なんでか学校で泣いた時みたいなしんどい感じはなかった。
「あ……」
あたし、なんにもできないのに。
真面目にするのも苦手で、じっとすることもできなくて、みんなみたいに「ちゃんと」してないのに。
「あたし……だれかに、大事にされて、いいの?」
なんのとりえもない、こんなダメダメで、自分の未来すら決められないようなあたしなのに、大事にされていいんだろうか。
何かを媒介にしてないのに、誰かに「好きだよ、ここにいていいよ」って言ってもらって、いいんだろうか。
答えなんか聞かなくても分かるくらいみんなのぎゅってする力が強くなった。
「当たり前だよ……だって天音ちゃん、あたしたちのこといつだって大事にしてくれるじゃん。あたしたち、友達じゃん」
ゆいつんがそう言って、片手であたしのほっぺたを撫でてくれる。
叩いてごめんねって言ったゆいつんは、泣いてたけどもう怒った顔はしてなかった。
「誰かの許しなんていらないんだ、君は自分で選んで、自分で動いていいんだよ」
ハラダの声がした。
抱きしめられてお団子みたいになってるあたしたちを見て、いつもと違う、優しい見守るみたいな顔をして、言葉を続ける。
「君は君の物語の主人公で、君がなんとなくでも何かを感じたなら、それが物語を進める理由になる。見えていないだけで、ちゃんと君の中には未来を選ぶ種が蒔かれているんだから」
「なにそれ………オトナぶってて、ちょー、うざぁ……」
そう言えば、ハラダは「そりゃあ大人だからね」って笑った。
ふんって鼻を鳴らして、それから目の前にいるみんなにぎゅっと抱き着いてみる。
弱音はいて、ダメダメで、かっこ悪いあたしでもぎゅってして、大事だよって言ってくれる。
嫌われるかもしれないって、びびってたのはあたしだけだったのかもしれない。
全然怖くないかって言われたら、めっちゃ怖い。
今はたまたま受け入れてくれただけで、あとからやっぱ無理って言われるかもって考えも過ぎる。
「あのね、あたしね……」
でも、今はこうして抱きしめて、友達だって言ってくれたみんなのことを信じてみよう。
助けてって口に出してみよう。
あたしのながぁい話を聞いたみんなは、「馬鹿だなあ」って、そう言って笑った。
明日山ちゃんに謝りに行くの、ついてきてくれるって言ってくれた。
「いつもは安堵さんが引っ張ってくれるから、今度は私たちの番だね」
ここちゃんがそう言って優しく笑うから、またちょっと泣いちゃったのは、内緒にしてしまおう。
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