night drive(ロー・現パロ)
*
『この前と同じコンビニ。着いた』
スマホの通知を確認すると、トラファルガー先生からのメッセージだった。 私は靴を履いてもう一度だけ玄関の鏡を見た。シフォン素材で生成のブラウスに淡いピンクのスカート。足は白のクルーソックスにブラウンのパンプス。気合い入れすぎに見えない様に一生懸命考え抜いたコーディネート。最後に前髪を整えて、単身住まい1DKの部屋の明かりを消し家を出た。
『了解です。今家を出ました』
自宅のマンションから最寄りのコンビニまでは三分程。外はとっくに暗い時間帯だけれど、街頭がたくさんあるお陰でこわいとは思わない。
コンビニに着くと、駐車場にトラファルガー先生の車が停まっていないか探した。 車種は分からないけれどセダン型の黒でナンバーは1006。 一番端にその車を見つけた私は小走りで車に近付いた。 助手席の窓から中を覗くと、運転席でスマホを眺めるトラファルガー先生の姿があった。 トラファルガー先生はすぐに私に気付き、こちらを向きながらスマホをジーンズのポケットにしまった。
私は重い車のドアを引き「こんばんは」と挨拶をして助手席に乗った。シートの柔らかい感触が心地好い。
「お待たせしてごめんなさい」
「別に待ってねェよ」
トラファルガー先生がエンジンを掛けてシートベルトを閉めた。私も同じくシートベルトを閉めると、トラファルガー先生はギアを入れて車を発進した。
トラファルガー先生からの誘いは突然だった。 私はトラファルガー先生の勤める総合病院で栄養士として働いている。 ある日、患者の食事について訊きたい事があり先生を訪ねた。一通り訊きたい事も聞けて、お礼を言い踵を返した所で『今度暇がある日はいつだ』と声を掛けられた。 ご飯に行こう、と誘われた私は断る理由もなかったので承諾して連絡先を交換した。 特に意識してなかった、と言えば嘘になるかもしれない。やはり院内一の色男なだけに、それなりに格好良いなあ、と思っていた。そんな男性に誘われてから、トラファルガー先生に会いそうな日は化粧や髪のセットに時間がかかる様になってしまった。 初めてご飯に行ったときはお昼だった。ただ、少し遠出してトラファルガー先生が良く行くらしい和食のお店でご飯をご馳走になっただけ。 ただそれから病院内で会うと、よく話すようになっていた。
車はコンビニから右折して緩やかに加速し始めた。
「飲み物、適当に買っておいた」
トラファルガー先生は片手でハンドルを持ちながらもう片方でドリンクホルダーを指差した。 助手席と運転席の間にあるドリンクホルダーには、缶コーヒーとミルクティーが並んでいた。私側に置かれていたのは、前にトラファルガー先生と出掛けた時、途中で寄ったコンビニで買ったミルクティーだった。
「あ、ありがとう。覚えててくれたんだ」
「ああ」
「今日はどこに行くんですか?」
友達なのか友達未満なのか。はっきりしない関係に私の口調も曖昧になる。 『日曜の夜空いてるか』と唐突にメッセージが来たのは三日前。食事に行って以来の誘い。つまり二回目。 丁度何の予定もなかったので『空いてます!』と返すと『二十時頃迎えに行く。ドライブ』と返事が来た。やり取りはそれだけ。
「特に決めてねェな。どこか行きたい所はあるか?」
「うーん……適当で良いよ」
「飯は」
「食べました」
「分かった」
直進していた車は左折し、大きな通りに出た。窓の外を見ると都会のネオンの眩しさに思わず目を細めた。
「先生は?ご飯食べました?」
「軽く食った」
「そっか。いつも忙しいイメージあるけど、大変?」
「最近はそうでもねェかな」
「あ、そういえば三◯二号室のサンジさん、退院が決まったそうですね」
「そうみたいだな」
「私はそんなに患者さんと接する事はないけど、何だかあの人とは良く会って話すんですよね」
「ああ、料理人って言ってたか」
「そうそう。私も料理は好きだから気があっちゃって」
「女好きで軟派な野郎だってうちの看護師達が言ってたぞ」
「あ、別に気になってるとかじゃなくて」
「何だ、そうか」
前の信号が青から黄色、赤と変わり、車が停止線の前で止まった。 カーステレオから控えめに流れる音楽が耳に入った。エレクトロとかハウスとか言うんだろうか、電子的だけれど低音が響かない様な、そんな音楽が流れている。 ちらりとトラファルガー先生に目線をやると、トラファルガー先生は缶コーヒーを開けて口を付けていた。 一瞬見ようとしただけなのに、妙に色気のある横顔に釘付けになっていた。コーヒーが喉を通るのに合わせて盛り上がった喉仏が上下した。 手の甲と指と、黒の七分袖から覗く前腕には刺青が彫ってある。指には「DEATH」なんて到底医者にはあるまじき文字が刻まれているけれど、誰もそれについて触れないので、私も触れないでおこうと思う。
私の目線が気になったのか、トラファルガー先生が横目でこちらを見た。不意に目が合い、反射的に目線を前に戻した。 トラファルガー先生が缶コーヒーをドリンクホルダーに戻したと同時に信号が青になり、車が動きだした。
「先生は独り暮らし?」
「ああ」
「どの辺なんですか?」
トラファルガー先生は私の家から少し距離のある、高いビルの建ち並ぶ"都会"のイメージがとても強い地名を答えた。
「はー、流石先生」
「いい加減先生って呼ぶのやめねェか。ここは病院じゃねェ」
トラファルガー先生の一層低い声に吃驚して肩を揺らした。
「ごめんなさい!」
「すまねェ、恐がらせるつもりじゃなかったんだが。あまり好きじゃねェんだ、そう言われるの」
「そ、そうなんですね……じゃあトラファルガーさんで」
「……まあ、いいか。星を見るのは好きか?」
「星?うん、好きです。うちの辺りじゃ良く見えないけど……」
「そうか」
トラファルガー先生、もといトラファルガーさんは進路を変えて都市高へと入った。 ポン、とETCカードがゲートに反応する音がして上がったバーを抜けると、ぐんぐんと加速し始めた。
「好きなんですか?星を見るの」
「ああ、まあ。天文学にはあまり詳しくねェがな」
「へー。綺麗に見られる所があるんですね」
「ああ。今から行こうと思う」
「良いですね!」
私は窓の外を覗いて夜空を眺めた。
「今日は月も出てないし、雲もあんまりないから丁度良さそう」
「だな」
わくわくした気分でふと目線を上から下に向けて見えた街の明かりが、宝石みたいに輝いて見えた。
「都会のネオンもこう見てみると綺麗」
「そりゃ良かった」
「……トラファルガーさんは、何でドライブに私を誘ったんですか?食事に行ったときもそうだけど……」
気になっていた事を勇気を出して訊いてみた。素朴な疑問のはずなのに、期待と不安で心拍数が上がっていく。
「面白れェかなと思った」
「面白い?」
「色んな男の誘いを断ってきたんだろ?」
「…………ああ……」
正直、デートの誘いは多かった。でも好みの人は全然居なかった。あの人やあの人……、誘って来た男の人を頭に浮かべたけれど、やっぱり好みじゃなくて苦い顔で「はは……」と笑った。申し訳ないとは思うけれど、トラファルガーさんとは月とスッポン。
「何でだ?」
「好みじゃなかったから」
「フッ、はっきり言うんだな」
トラファルガーさんは今日会って初めて笑顔を見せた。
「じゃあおれは好みだったって事か」
「あ、違、いや、違う訳じゃないけど」
ストレートに言われて顔が熱くなった。 トラファルガーさんは悪戯に笑みを浮かべていた。
「光栄な話じゃねェか」
「……そうやっていつも女を口説くんですか?」
「生憎そんな趣味はねェよ」
「ほんとに?」
「そうだったらおれは既に軟派野郎として院内に広まってる」
「まあ……確かに」
「信じとけ」
「うん、そうします。嬉しいです」
へらりと表情を緩ませた後、不意に「ふわあ」と欠伸をしてしまった。
「眠かったら寝とけ。まだかかる」
「ごめんなさい。何だか最近バタバタしてて」
「栄養士ってのも中々忙しそうだな」
「医師程じゃないと思うけど、家でもしないと追い付かなくて」
「明日は」
「普通に出勤です」
「遅くなりそうだが大丈夫か?」
「大丈夫です。というかトラファルガーさんも一緒じゃないですか?」
「おれは平気だ」
「ちゃんと寝てる?」
「健康を損なわない程度には」
「……あんまり説得力ないような」
私はじろりとトラファルガーさんの目の下の隈を見た。 それに気付いたトラファルガーさんは揉み込むように目の下を擦った。
「小せェ頃からこうなんだ」
「でも寝不足もあるでしょ?」
「さァな。とにかく気にするな」
これ以上突っ込むのはやめようと、私は一つ頷いた。 気付けば外の景色は都会の喧騒なんて微塵も感じさせなくなっていて、高くて黒い山が周りに見えるようになっていた。
流れていく自然の景色を眺めていると、段々と瞼が重くなった。 更に、心地好い揺れが私を眠りへと落としていった。
私が目を覚ましたのは、車が止まった時だった。
「起きたか」
「ごめんなさい、寝ちゃってました」
何度か瞬きをして、まだ少し重い瞼を開いた。 目の前は人工の明かりで明るかった。そこはコンビニだった。
「この先山道でコンビニねェから寄った。おれは飲み物買ってくるが、何か要るもんあるか?」
「あ、私も行きます」
私がそう言うと、トラファルガーさんは車のエンジンを切って車を降りた。私もそれに続く。 トラファルガーさんが手に握っている鍵にはかわいらしい白熊のぬいぐるみが付けられている。 この間見かけて「かわいいですね」と言うと「妹から貰った」と言っていたっけ。 コンビニに入ると私はお手洗いを済ませ、化粧を直した 店内に戻って、トラファルガーさんを探す。背が高いのですぐに見つかった。お菓子を物色していたようで、私が隣に立つとチョコレート菓子に伸ばした手が一瞬固まった。
「あ、これ私も好き。トラファルガーさんもお菓子とか食べるんですね」
「チョコは、食う。何か買うか?」
「ううん、大丈夫」
トラファルガーさんは「そうか」と言うとお目当てのお菓子を一箱取って追加の缶コーヒーと共にレジへと向かった。 会計を済ませ、車へ戻った。トラファルガーさんはレジ袋から買ったお菓子を出して封を開けると、一つ取り出して私の口の前へと差し出した。小さなクッキー生地にチョコレートがコーティングされているお菓子。 私は反射的に口を開けた。するとトラファルガーさんが私の口の中へ運んだ。 当然みたいにそうしたけれど、改めて考えてみて、心臓が跳ねた。
トラファルガーさんは自分の口にもお菓子を何個か放り込んでエンジンを掛けた。
車はコンビニを出ると山道へと入っていった。
「トラファルガーさんは二人きょうだい?」
「ああ」
「そっかあ、妹さんと仲良いんですね」
「まあ、それなりには」
「可愛いんだろうなあ」
「まあ、それなりには」
「ふふ、そっかあ」
妹を可愛がるトラファルガーさん、何だか可愛いなあ、と笑みがこぼれた。
山道を進むに連れて辺りは真っ暗になっていった。特に会話はしないけれど気まずいとは思わなかった。静かなエンジン音とカーステレオから流れる音楽に包まれながら山を登っていく。
坂道を抜けたところで車は止まり、トラファルガーさんが「着いたぞ」と私に声を掛けた。 エンジンが切られると車のライトも消え、真っ暗闇になった。 トラファルガーさんと同時に車を降りた。外灯などは全く見当たらなくて地面は闇に包まれていた。何があるのか、どこなのか想像もつかなかった。 冬を越えたとは言え、山の上なせいか肌寒く感じた。
「まだ上は見るなよ、そこから動くな」
言われた通りに視線も下のまま身体も動かさず待っていると、トラファルガーさんの足音が近付いてきた。 私のすぐ前でトラファルガーさんの影が止まった。その直後、私の手が大きな手に包まれた。 トラファルガーさんは私を連れてそのまま砂利道をゆっくり歩き始めて、一分ほどで歩を止めた。
「もう、良い?」
「ああ」
トラファルガーさんに許可を貰った私は目線を下に向けるのをやめて、夜空の明るい光に導かれる様に上を見た。そこには今まで見たことのない、絵みたいな星空が広がっていた。
「何、これ……」
まるで宇宙にある星が全部見えているようだった。七夕にしか見えないと思っていた天の河さえ見える。
「綺麗だろ」
「うん、すっごく綺麗…………」
私はため息を吐く様に言った。
「こんな場所があったんですね……」
「あまり人には教えたくねェ場所だがな」
「あ!」
私は一瞬、ひときわ輝いた場所を指差した。左手はトラファルガーさんと繋がったままなので、右手で。
「流れ星!」
「ここに居ると良く見るぞ」
「へぇ……」
星空を眺めていると、肌寒さが際立ってきて、私は左腕を擦った。
「寒いか」
「うん、少し……」
トラファルガーさんは「ちょっと待ってろ」と言うと車の方へ歩いて行った。 すぐに戻ってきたトラファルガーさんは私の肩に上着の様なものを掛けた。
「悪い、車に白衣しかなかった」
「いえ、ありがとうございます」
私は職場の匂いとトラファルガーさんの匂いが混じったぶかぶかの白衣に袖を通して、また空を見上げた。
「あ、また流れ星」
「おれも見えた」
「ほんとに良く見えますね。願い事たくさん叶いそう」
「そんなに願い事があるのか?」
「休みが増えますようにとか、痩せますようにとか、良い人と結婚できますようにとか……」
「休みが増えます様に、はおれも同感だな」
「あ、じゃあ一緒に願いましょう」
「面白ェ事言うな」
「二人で願った方が叶いそうだし」
そのまま暫く二人で流れ星を待ったけれど、なかなか現れなかった。
「お前らに休みなんかくれてやらねぇよ、って事ですかね」
「……かも知れねェな」
「……ねぇ、トラファルガーさん」
「どうした」
「私にはもう一つ、叶うと良いなって事があるんですけど」
「何だ」
「トラファルガーさんと仲良くなれますように」
「それは友達としてか?」
「分かりません。だけど、また、どこかに行ったり、ご飯に行ったりしたいなって」
この気持ちを安直に恋と言ってはいけない気がする。けれど、また、こうやってどきどきしてみたいな、と思った。
「……おれも同感だな」
「それは良かった。また誘ってくれたら嬉しいです」
「次はどこに行こうか」
「考えておきますね」
曖昧だけれど特別になれた気がして嬉しかった。背中合わせなのを良いことに私は顔を思う存分緩ませた。 その時だった。
「あ」 「あ」
二人で同時に声を上げた。見えた輝く星が、流れて消えていく間に私は『休みが増えますように』と願った。 『そしてトラファルガーさんと遊びに行く時間が増えます様に』と後から付け加えて。
「……願いました?」
「ああ」
「叶うと良いね」
「そうだな」
――――
「ん……」
目を覚ますと、見慣れた自宅のマンションの前だった。 帰路では殆ど眠りに落ちてしまっていた。 それでもトラファルガーさんは怒るどころか「遅くまで付き合わせてすまねェな」と謝った。 車の時計を見るとゆうに日付を越している時間だった。
「こちらこそまた寝ちゃっててごめんなさい。楽しかったです、ありがとう」
私はそう言ってトラファルガーさんの車を降りた。名残惜しい気持ちでいっぱいだったけれど、表に出さずに外から手を振った。
「じゃあまた朝に」
「ああ」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
トラファルガーさんの車が見えなくなるまで手を振って、次への期待に胸を膨らませながら帰宅した。
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