*51-Another
「ペンギンさんっ」
カリンは店に訪れたペンギンを明るい笑顔で迎えた。あれからイヴは何度か店に訪れたものの、ペンギンは一度も姿を見せず、ログが貯まる最終日になっていた。
「良かった、もう来てくれないのかと……」
胸に手を当ててカリンが安堵の息を漏らした。
「ああ……イヴから言われて来ようとはしていたんだが、色々と考えてしまっててな」
「あの時はすみませんでした、助けて頂いたのに、あんな言い方をしてしまって」
「いや、こちらこそ怖がらせてすまなかった。おれらはこういうの慣れてるから、大丈夫だ」
ペンギンは帽子の鍔を下げながら「けど、」と続けた。
「君に言われるのは少し辛いものがあった。だから、話し掛けたくても話すのが怖かったんだ」
「ペンギンさん……?」
「イヴや船長にあそこまでさせておいてこれ以上うじうじする訳にはいかないからな。ちゃんと言わせてくれ」
カリンは微笑みながらも、状況が分からず首を傾げた。ペンギンは高鳴る鼓動が表に出ないよう努めながら、カリンと目を合わせた。
「おれは、君に恋をした」
「え……?」
「殆ど話したこともないのに何を言ってるんだと思うだろうが、事実なんだ」
ペンギンからの突然の告白に、カリンはおろおろしながら顔を朱に染め上げていった。
「え、え……?」
「混乱させてごめんな。勿論、ついこないだまで海賊嫌いだった君に、好いて貰おうなんて思ってないさ。君に恋人が居るのかも知らないしな」
ペンギンは顔を赤くしたまま戸惑っているカリンが一層可愛らしく思えた。
「最後にちゃんと伝えたかっただけだから、気にしなくていい」
はは、と作り笑いをしたペンギンは小さく手を振って否定して見せた。
「……せん」
「ん?」
「……いま、せん」
カリンがもごもごと言葉を紡いだ。
「こ、恋人は、いません」
「あ……そうなのか……」
遅れてやってきた恥ずかしさが、ペンギンをカリンと同じ顔の色にさせた。
カリンは顔を掌で覆って、ペンギンは帽子を触ってはにかんだ。
「あまりこうやって言われた事がなかったので……すごく、照れますね」
「嘘だろ、こんなに……、あ、いや、何でも」
こんなに可愛いのに。と素直には言えず、ペンギンは目を反らして誤魔化した。
「私、この町じゃ嫌われ者だから……」
「は?どうして」
「あ、そろそろ帰ってくる時間……あんまり話してると怒られるので……」
カリンが見せた哀しげな表情に、ペンギンは胸を抉られるような想いがした。
「怒られる?」
「はい……この店のオーナーに」
「……詳しい話はよくわからないが、君はここに居たくないのか?」
ペンギンの率直な質問に、カリンは息を呑んだ。それから間を置いて、静かに深く頷いた。
「……この町にも?」
カリンはまた、同じように首を動かした。
ペンギンはほんの一秒だけ、思考を巡らせた。
この哀しげに自分を見る女性を、助ける方法を。
「……ここから逃げ出したいなら、今夜、日付が変わる時刻にここの入口まで迎えに来るから、荷物を纏めて待っててくれ。その後出港する。どうしたいかは君が決めるんだ」
カリンは驚きと期待を混じらせた顔で、またひとつ頷いた。
「おれは海賊だ。一人の人間を拐うくらい訳ないさ。海に出たら、そんな哀しい顔をする暇はないぞ」
ペンギンは「じゃあ」と言うと振り返って出口へと歩を進めた。
カリンは一歩、また一歩と離れていくペンギンの背中を見つめていた。
カリンは、このまま離れてしまえばもう二度と会えないのではないかという不安に襲われた。この本屋に住み込みで働き始めてから、一度たりとも夜中に外出した事がなかったからだ。
ついさっき好意を伝えられただけなのに、徐々に距離が長くなっていく背中を見て『寂しい』と感じた。
心臓が掴まされるような感覚と、ここから逃げ出したい、という衝動が見えない手になって、彼女の背中を押した。
歩くペンギンの足音と重なってもう一つ、足音がした。その音は徐々に間隔が狭まっていき、ペンギンが出口付近でそれに気付き振り返った時にはすでに、彼女の両手が伸ばされていた。
カリンは振り向いたペンギンの胸元に勢いよく飛び込んだ。ペンギンは彼女を彼女と認識できないほど咄嗟に受け止めた。
「……拐ってください。いますぐ」
ペンギンの胸に顔を埋めてカリンがはっきりと言った。ペンギンは驚きに硬直してしまった。
「自由に、なりたい」
ようやく状況を飲み込んだペンギンは、遊んでいる両手でカリンを包み込んで良いものか迷っていた。
「カリン!戻ったよ!」
店の裏口から男性とも女性ともつかない野太い声がした。身体を寄り添わせているペンギンにも伝わる程びくっとカリンの肩が揺れた。
「行こう」
ペンギンが素早くカリンの手を取って走り出した。
「カリン!?おい何やってるんだ!」
店の中から取り乱した怒鳴り声が聞こえた。それでもペンギンは後ろを振り返らず、その声が男のものか女のものかわからないままだった。
カリンも手を引かれながら決して速くはない足を、必死で動かした。
怒鳴り声が聞こえなくなった時には、カリンの手はぎゅっと握り返されていて、繋いだ手の先の頼もしい背中に、走っているからとはまた別の、脈拍の速さを感じていた。
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