罪悪の名は××

 被害者の家の床下から腐りかけた遺体が出てきた。ああ、言われた通りだな、と思っていると、部下が「第九様々だな」と憎らしげに言った。重要参考人として署に連れて行った娘の腕に手錠をかけるのにも、そう時間はとらないだろう。彼女は自らの母とこの遺体の死に関わっている。証拠は十分にあった。
 十龍之介は長い息を吐いた。
 腐敗臭がしないようにと何故か丁寧に密封された遺体は、娘と同じクラスの少年のものだった。彼は家出したと思われていて、当初は家族を含めてそれほど危機感を抱いていなかったらしい。さすがに長すぎる、と最近になって捜索届が出されているが、その頃にはもう彼は死んでいたと思われる。何がどうなって彼がこの床下に隠されたのかはこれから分かることだ。
 「ため息ついてると幸せが逃げるって言いますよ」
 そう言って同僚の和泉三月は龍之介の背中をぱしぱしと軽く叩き、ぼやく部下達の方へと歩いて行く。わかってるよ、と龍之介は呟いた。それでもため息を吐かずにはいられなかった。
 自分達がもっと有能であったら、この少年をせめて腐らせずに家に帰してあげられたのに。

***

 第九はとても優秀な研究室だ。叩き上げの龍之介や三月のような者では到底及ばないようなエリート達が支えていて、今回の事件の犯人と新しい被害者を見つけたのも他でもない彼等だ。
 龍之介はどうしても第九を好きになれなかった。人が死んでから動き出す捜査だからかもしれない。無残な遺体から遺族に頼み込んで無理に脳を取り出すからかもしれない。自分達ができないことを易々とやってのけるからかもしれない。なんだか正義と遠いところにあるような気がしている、それは僻みなんだろうけど。
 龍之介は過去に一度だけMRIの映像を見たことがあった。それなりに昔のことだし、どういう経緯があったのかは朧げだが、その画の鮮明さと、記憶を見ることへ恐怖だけははっきりと思い出せる。その行為は悪だと思った。暴かれていく秘密に後ろめたさを覚えた。正義の名の下に振り翳している罪悪だった。たとえ凶悪な殺人鬼の脳であっても。それに従事する彼等はさしずめ悪魔だと、その行為を手伝わされているのだと遺体を第九に引き渡すたびに思うのだ。

 母親の無残な遺体が見つかった時、もちろん容疑者の一人に娘の名前は挙がっていたのだが、決定的な何かが見つからずに犯人探しは難航していた。そこで、龍之介の預かり知らないところで色々なことがあって、MRI捜査が入ることになったのだった。
 遺体は顔を中心に鈍器で殴られており、脳の状態もあまり良いと言えない事は素人目にも分かったほどだったけれど、有能な第九は映像の復元に成功し、犯人が娘であると突き止めた。それをもとに物的証拠を探すのは、これまでが嘘のように順調だった。娘を殺人犯として拘束するのももう目前で、それなのにまだ第九はMRI捜査を続けていると聞いた。
 その時、龍之介は彼等を間違いなく悪魔だと思わざるをえなかった。もう犯人ははっきりしているのだ。これ以上、何の罪もないこの被害者女性の秘密を暴く必要はないのだ。それなのに。
 思わず力一杯立ち上がってしまって、机と椅子が派手な音を立てた。捜査官と刑事と同僚と上司と部下と、とにかくその場にいた全員の目が彼の方を向く。龍之介の恵まれた体躯はこういうときに邪魔だなと、後になって隣にいた三月から聞いた。前に並んだ上司達の席の、第九の席が不在であるのが目に付いた。
 立ち上がったものの言うべきことがあるわけでもない、これは言うべきではない、今この場では良くないと考えを巡らせているうちにガチャリと部屋のドアが開いた。
「被害者の家の床下を調べてください。少年の遺体があるはずです」
 挨拶をするでもなくノックもなしに入室したことを詫びるでもなく、ここには上司だっているのかもしれないのに男の声でそう宣った。よく見れば第九の室長だった。これだから第九は好かないのだと訳のわからないことを龍之介は思った。
「……彼が腐るまで動かないつもりですか」
 凍りついた部屋を見渡してそいつはまた言った。そういう態度が嫌われやすいのだと考えたことはないのだろうか。そんなことばかりが過る。いつもの自分らしくない、と頭の隅で誰かが言う。
 左腕のあたりを叩かれる。行こうと三月が目だけで言った。

***

 結局、娘は二人の人間を殺したとされた。彼女自身もそう供述した。
 はじめにクラスメイトの少年を家出に見せかけて殺害。母親は少年の死を知っていながら隠蔽に協力していたのだが、ついに耐えきれなくなって娘に自首をすすめ、口封じに彼女に殺された。口封じというよりは衝動かな、というのが龍之介の感想ではあったが。まだ未成年であるため、下される判決はいくらか軽くなるだろう。
「第九といえば」
 事件の解決を祝して、いつも龍之介と行動を共にする三月と共に軽い飲み会をしようと居酒屋に来ていた。ビールと焼き鳥とを交互に口にしながら、三月が思い出したように声を上げた。
「弟があそこに入ったんだよ」
 三月は公的な場所では敬語を使うが、それ以外ではフランクな言葉を使う。かつて龍之介がそうしてくれと頼んだからだ。確か彼の弟はとても賢い。一織といったか、かわいい弟なのだとアルコールが入る度に聞き及んでいた。
「へえ、それは、すごいね。おめでとう」
 自分が第九を悪魔の巣窟と思っていることは言わないで正解だった、とジョッキを煽る。よく冷えた炭酸がチリチリと喉を焼いた。
「室長いるじゃん、今日来てたひと」
「ああ、眼鏡の」
「そう、あのひと。笑顔が食えない良い男だって言ってたよ」
 けらけらと酒が回った勢いで三月は常よりよく笑った。龍之介は件の男を思い出そうとした。終始顰め面していた男の笑顔なんて思い浮かばなかった。
「初日は定時で帰ってきてさ、その日の晩メシはシチューだったんだけど、鍋かき混ぜてる俺見て一織トイレで吐いた。何を見てきたのかは分かんないけど、その日はやっぱり寝れなかったみたいなんだ」
 そう、大変なんだね。そうなんだよ、ちょっと心配で。あ、生中ひとつ。
「まあでも、やりがいがあるんだって言ってた。これで俺と並べるって嬉しそうだったよ。俺なんかよりずっと上にいるくせに生意気だよなー」
 三月は少しだけ自嘲を含んだ笑みで、嬉しそうに言う。相槌を打つ自分の声や顔は暗くないだろうか、龍之介は何本目かの砂肝を手に取って思う。
 やりがいだなんて! もしここが龍之介の部屋で、もっと強い酒を飲んでいたら叫んでいたかもしれない。やりがいだなんて。
 正義の名の下の罪悪だ。眼鏡の奥でずっと顰め面をしていた室長の顔ばかりが思い出される。三月や彼の弟には悪いが、やはり龍之介にとって第九は悪魔の巣窟だった。
「おまたせしましたー、ハツです」
 心臓の肉。待ってましたと手を伸ばす三月を見遣る。悪魔は心臓を食べるだろうか。

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