鈍行列車 | ナノ
05


× × ×


上司に報告書を提出して警察署を出る頃にはあたりはすっかり暗くなっていた。足早に暮れゆく一日に、道を歩く人々の足も早まっているようだ。
すずにとっても目まぐるしい一日だった。ため息にも似た深呼吸をひとつ零し、自宅へ向けて歩き出す。
ふと、帳の落ちきった景色の片隅に見覚えのある人影を見つけた。敷地内にある花壇に腰を下ろし、長い脚をプラプラと揺らして暇を持て余している様子だ。青いアウターに鮮やかな茶髪は遠目からでも彼とわかる出で立ちであった。

「まだいたの?」

近寄ると彼は――縢秀星は、待ってましたと言わんばかりにニタリと笑う。

「まあね。俺にも事情聴取とかあるんかと思って」
「今日はもうないよ。そんなことより病院は? ほんとに行かないつもり?」

笑顔から一転、縢はつまらなそうに眉を寄せた。
この表情、昼間にも見たな。わたしが拳銃ではなく手錠を出した際に見せたものと同じだ。

「でーじょーぶだって。心配性だな。あんくらいで死にゃしねえよ」

ぶっきらぼうに言うと縢はすっくと立ち上がった。わずかに夜風が吹き、花壇の中で小さな黄色い花がふわりと揺れる。

「秀星くん」
「あん?」
「ここからどうやって帰るの? もう遅いし、電車に乗るなら駅まで送るよ」

すずが申し出ると、縢が吹き出した。
こちらとしては縢は事件に巻き込まれた人間で(自分から巻き込まれに行った感は否めない)、のしかかられて首まで締められたのだ。本人が受診はしないと言い張るのでひとまず意思に従うことにしたが、帰り道くらいは安全に帰ってほしい。
……という気持ちからの申し出だったというのに、当の縢に意を汲んだ様子はなく笑い続けている。

「だってさ、ふつー逆じゃね? こういう時って」
「何よ、逆って。みんなの安全を守るのが警察官の仕事だもん。ほら、行こう」

すいと縢の横をすり抜けて家とは反対方向へ歩き出した。数秒の間を開けた後、うしろからパタパタと走り寄ってくる音がする。

「なんつーかすずちゃんって、コウちゃんに似てる気がする」

隣に並んだ縢は、両手を後頭部で組みながら呟いた。まだ笑いの余韻が残っている声の調子だ。

「コウちゃんって慎也くんのこと? まさか。……尊敬してる先輩だからそうだったら嬉しいけど」
「ぱっと見まじめでさ、堅物っぽいトコは二人共通だと思うんよね」
「……。それはそうと、どうしてそう思うの? 慎也くんだって初対面でしょ」
「初対面じゃねえよ。コウちゃんのはくじょーものめ。一緒に苦難を乗り越えてきたのに俺のこと忘れちゃうなんてさ」

縢はやけにゆっくりとした歩幅で歩いた。縢より身長が低く、そのため歩幅も小さいはずのすずでさえいつもより歩くスピードを落とすほどに。
帰りたくないんだろうか。
妙な勘繰りをしまった思考を、すずは頭を振って追い払った。

「……どした、急に立ち止まって」

数歩先で縢が立ち止まる。こちらを振り返った背景には、街の明かりに照らされた星のない夜空が広がっていた。

「秀星くんが言ってること、ほんとに聞こえちゃった」
「ばあか。冗談だっつの」
「……だよね」

相槌をうつと、縢は冷静に言い放った。

(人を撃つのってさ。こうやって)
(一瞬だぜ?)

あの時のくだけた口調、緊張感。成人男性を一人押さえきった動きを思い返す。どれをとっても彼は素人ではなかった。だけど。

(冗談だっつの。)

そう言った瞳が一瞬、寂しそうに遠くを見たのは気のせいだろうか。
素人ではないのは確か。だとしたら何者なの?
その疑問をうまく伝える自信がすずにはなかった。瞳に浮かんだ寂寞の色に気づいてからは、尚更。

「あっ。つーかさ、言い忘れてた」
「ん? 何?」
「俺電車使わねーの。だからそっち歩いても無駄〜」
「そういうことは早く言ってくれると嬉しいかな……」

駅はもうすぐそこだ。人通りが多く賑やかな通りを抜けた先に、この辺りでは中規模の駅建物がある。商店や雑貨屋が入った商業施設としても機能しており昼間は多くの人々が行き交うが、今の時間だとほとんどがサラリーマンか学生だ。スーツや制服姿の人々が二人の横をそぞろに追い抜いて行った。
「じゃあ家はどこなのよ」尋ねると縢は「あっち」と署の方向を指差した。今歩いてきた方角じゃん。
埒があかない。すずはため息をつくと思い切って方向転換した。駅の改札口を逸れ、隣接してあるスーパーへと向かう。
ついでだ、ついで。ここまで歩いてとんぼ返りするのも勿体無いし、夕飯でも買って帰ろう。

「秀星くん、わたし買い物してくる」
「買い物? 俺も行く!」

買い物という単語に敏感に反応した縢が駆け寄ってくる。並んで自動ドアをくぐると、縢は物珍しそうに辺りをぐるりと見渡した。
……いつも通りの店内風景だけど。

「すずちゃん、これ誰でも買っていーの?」

まるで初めて散歩に出た子犬のような動きで商品棚の隙間をうろついている縢に向けて「当たり前じゃん」とすずは苦笑した。
 
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