完結
 まだ、バレーをするようになって間もない頃は手と腕は痛いしサーブは決まらないしでなかなか上手くいかない日が続いた。それでもやっていくうちに少しずつきまっていくのはやはり嬉しかった。痛さを乗り越えていくことで、少しずつ上手くなっていくような気になった。
 少しずつサーブが成功していくようになった頃、初めての試合でサーブを打つことになった。負けている中サーブを打つのは怖かった。点差を広げるのが怖かった。チームメイトの背中が、何故かひどく遠くに思えた。いつも仲間として励ましあいながらやっているのに、決してこちらを見ない小さな仲間の背中がひどくこちらを拒絶しているように思えてしまった。緊張していたせいか足が震えた。サーブを打つ俺だけが、コートの外に出ているのは当たり前なはずなのに、寂しさを感じた。

 初めての試合で打ったそのサーブは緊張のせいか失敗してしまった。その試合は確か、負けてしまったと思う。まだバレーをやり始めて間もない頃の試合のせいかその他のことはよく覚えていない。今でもその初めての試合について思い出すのは、サーブを打つためにコートの方を見たあの景色だった。別に、この試合がトラウマになったわけではない。ただ、本当にあの頃から俺は緊張しやすかったのだと思う。


 青葉城西との試合でサーブを打った時は似たような景色のはずがあの頃と全く異なる景色に見えた。チームメイトが違う、体格が違う。確かにそう言われたらそうなのだが、それだけじゃないような気がするのだ。あの時遠くに思った背中は、俺を頼っていると語りかけるようにしっかりとしていた。ただひたすら前を向くチームメイトの姿がたまらなく嬉しかった。
 バレーをやりだしたあの時のチームが悪いわけではない。幼い俺たちはただ一つの失点に混乱する未熟さを持っていたのだから。あの時のさまざまな失敗と経験があったから今に繋がっているのだと、今は思う。あのサーブがあったから、今まで沢山のサーブを打ってきたからこそあの試合に繋がったのだと。

 今まで、ひたすら前を歩くツッキーを追いかけていた。
 最近、ツッキーの隣をしっかりと歩いていけているような気がする。

 そういうバレーでいっぱいだった俺の世界にとある女の子が少しずつ距離を縮めて走ってきているような気がする。
 不快ではない。むしろ一生懸命なその姿は……。

   ○

「名字さん」

 最近、彼女の名前を呼ぶことが多くなった。ツッキーは、時々よくわからない表情を僕と名字さんに向ける。呆れているような、でもそれだけじゃないような表情だ。名字さんはツッキーとも少しずつ話をするようになったようだ。その様子を見るのは嬉しいようで、少しだけ寂しい。

 名字さんと付き合っているのかとクラスの女子に聞かれたことがある。少しずつ親しくなっていった頃のことだ。事実を答えた。友達だと。でもその質問のせいか俺はその日の夜、名字さんと付き合っている夢を見た。彼女が嬉しそうに笑いかけてくれる夢だ。彼女は俺のことを好きだと言った。友達もいいけど、それだけじゃないんだよと言った彼女は受験の時のあの彼女とは別人のようであった。

「あれ、山口くん」

 俺の呼びかけに振り返った際に少しだけ名字さんの髪が揺れた。振り返った彼女の表情は少しだけあの時見た夢の彼女に似ていた。

「あのね、実は山口くんを探してたんだよ」
「えっ、どうしたの?」
「これ」

 見て、と彼女は嬉しそうに白い紙袋を掲げた。満足そうに歯を見せてさっきまでとは異なる、子供っぽい表情で俺を見た。

「この前買えなかった新作のパン。さっきようやく買えたの。それでね、あの、よかったら半分こしない?」

 照れくさそうに、名字さんは伺うようにして尋ねてきた。

「やだったらいいの。ただ、この前話してた時山口くんもちょっと気になるようなこと言ってたなぁって思って。本当は二つ買えば問題ないんだけど、これ人気だから一つしか買えなくて」

 恥ずかしそうに、顔を真っ赤にしながら名字さんは口早に説明する。その姿が可愛くて、ついつい笑ってしまった。

「うん。名字さんがいいなら」

 気にすることないのに。「俺たちは友達じゃないか」何故か、そう言いそうになって、すぐに止めた。俺にとっても名字さんにとっても最近は言わない方がいいように思うのだ。確かに、俺と名字さんは「友達」なのに……。

「じゃあ、あっちで食べよう」

 名字さんはそう言って背中を向いて歩いていった。彼女の背中を見ながらその後を追う。スカートが揺れ、髪も少し揺れ、彼女は俺の方を確認するように振り返った。

「楽しみだね」

 その優しく笑った顔を見てどきりと胸が鳴った。すぐに彼女の横まで並ぶ。隣を歩きながら彼女の表情を伺うと嬉しそうに笑っていた。

「やっぱり、隣を歩いている方が好きだな。私ね……山口くんのこと好きだよ」

 すっきりしたような顔で、静かに笑って名字さんはそう言った。

「友達としても、人間としても、男の子としても」

 じっと見極めるように、名字さんは俺のことを見る。突然のことに驚いてなんと言えばいいのかわからないままいると、彼女はへにゃっと困ったように笑った。

「ごめん突然。変なこと言ったね。あの、えっと……。これ山口くんが食べていいから」

 胸元に新作のパンの入った紙袋を押し付けるようにした彼女は今にも逃げようとしていた。
 それに気付いて慌てて彼女の手首を掴む。優しく、痛くないように、彼女が行ってしまわないように。


「名字さん行かないで。ねぇ、このパン半分こしよう。それで一緒に食べよう。……名字さん。俺もね、君が好きだよ」

 紙袋は彼女がぎゅっと握っていたせいか上部の部分に皺が強く入っていた。その紙袋を見るだけでも彼女の真剣さがわかる。困ったような顔をする彼女の顔は真っ赤になっていた。きっと、俺も同じだ。

 彼女のことが嫌いなわけがない。消しゴムを貸したあの時から、忘れられない存在になっていた。再会に驚いたのと同時に柄にもなく、恥ずかしいとも思うが運命的なものを感じてしまった。突然の再会に思わず口に出た友達になろうという自分自身の言葉に驚いた。偶然の再会から生まれた「友達」という関係が嬉しかったけれど「友達か」と少しだけ落胆した。彼女と話すのが好きだった。笑った時に俺を見る目が好きだ。困った時にする上目遣いにどきりとする。俺のことを気遣ってくれる言葉をかけてくれるだけで元気になる。どんどん、好きになっていることに気付いていた。

「好きだよ。名字さん、君が好きだ」

 すんなりと言えた言葉に驚いた。驚いたけれど後悔はないし満足している。名字さんは口をぱくぱくと小さく動かして俺を見ていた。目を大きく開けて凝視する彼女の手を優しく引っ張る。

「ね、名字さんが半分こしようって言ってくれたたこのパンを食べながらもう一度話をしよう。今度は友達じゃなくて恋人になろう」

 追いかけるのも、追いかけられるのも嫌じゃない。けれど俺は彼女と同じ速度で隣を歩く方がもっと好きだと気付いたのだ。彼女も、その方が好きだと思っていてくれたなら嬉しい。
 気付かれないように表情を確認すると彼女は緊張しながらも照れくさそうに頬を赤くしている。その表情を見れただけで満足する。ああ、きっと大丈夫だと。
 片手に持っている白い紙袋の中から甘い匂いがする。あぁ、今俺は、とても幸せだ。

20160425
20160430 加筆

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