友人に誕生日プレゼントとしてもらったお気に入りのオードトワレを手首に着ける。
もったいなくて頻繁に使うことのないその優しくてほのかに甘い匂いを嗅いだのは久しぶりで、胸の奥からじんわりと幸せな気持ちになる。そう、私は今幸せなのだ。
鏡の前で何度も前髪に触れ、後ろ姿も確認をする。
変なところはないか、少しでも可愛く見えるか。笑顔を作ったり、スカートを広げてみたりして何度も確認する。こんなにも鏡の前でいろんなポーズを取ったことは今までに一度もない。でもそのくらいしないと心配なのだ。
以前気になっていたチェックのスカートを着て、私は人生で初めてのデートをすることになった。好きだと言われ、私も好きだと言った男の子――田村とのデートだ。
あの日から、私たちは少し変わった。付き合おうとは言われてはいないしこちらも言ってないけれど、部活が終わった後に時間が合えば一緒に帰ったし、田村は時々恥ずかしそうに好きだと言ってくれる。
私たちは、きっと世に言う彼氏と彼女の関係に限りなく近いのではないだろうか。
田村の優しい目を見ると、きゅっと胸の辺りが苦しくなって好きだと言いそうになる。そのことに気付いたのは、つい最近だ。私たちは少しずつ恋人に近付いていっている。
数日前、部活が無いから日曜日に遊びに行こうと誘われた。好きだと言われたあの場所で、照れくさそうに耳を染めた田村に。
突然の誘いに驚いたものの、嬉しくて行きたいとすぐに言葉を返すと田村は嬉しそうに笑った。
時計を見て、もう家を出なくてはいけないことに気付く。
最終確認としてもう一度鏡の前に立つ。隣のクラスのタカ丸さんに聞いた「一人でも簡単に出来るヘアアレンジ」が崩れていないかを確認するためだ。
色んな角度から確認するも違和感はないためきっと大丈夫だろう。一つ深呼吸をして自分の部屋から出る。
さぁ、初デートだ。
○
地元駅の改札口で待ち合わせをした。
絶対に遅刻したくないから余裕を持って十分前には着くように家を出たけれど、気持ちが焦っていたのか十五分前に着いてしまった。
自分のことながら緊張してるなと少しだけ笑ってしまう。腕時計で時間を確認していると名前を呼ばれる。
「おはよう名字。……名字より先に着いてようと考えてたんだけど、甘かったな」
「田村おはよう。でも私そんなに待ってないから気にしないで」
「でも、やっぱりさ、名字が来るの待ってたいなぁって思ってたんだ」
「うん」
「……制服じゃない名字は初めてじゃないのにすごくドキドキする。すごく可愛いね、髪もいつもと違う」
「うん。頑張ってみたよ」
可愛いねともう一度田村は言った。すごく嬉しくて、とても恥ずかしい。
田村の私服を見たのは初めてだった。「田村も、かっこいいよ」と私が言えば、彼は照れくさそうに笑う。
改札を過ぎてから少しだけ田村との距離を縮める。
普段よりも少しだけ近くを歩いた。
その少しの違いに気付いてくれたのか、田村は私の方を見て小さく笑う。優しくて、こちらが恥ずかしくなるような笑い方。この笑い方は学校では絶対にしない、大人っぽい笑い方だ。同じ歳のはずなのに、それを忘れてしまうような気になる。この表情をされると私は顔が必ず熱くなって何も言えなくなるのだ。
「もし名字が良いなら、手を繋ぎたいな」
私が手を繋ぎたいと思ったことに気付いたのだろう。だけど田村はあえてこういう言い方をする。ずるいけど、でも嬉しい。田村の差し出した手に軽く手を置くと、優しく私の手を握った。
これは本当にあの田村だろうかと、時々思うことがある。まだ彼のことをよく知らない時に作られた田村像とは全く違う部分が出てくるとびっくりするのだ。
男子三日会わざればなんとやらと言うが、本当にその通りである。しかし、私の知る彼であることにも違いはない。こういうことをした後は必ず耳が真っ赤になるのを毎回確認する度に、彼を愛おしいと思うのだ。熱を帯びた顔を見せないためか、彼はすぐに顔を背けたが、その赤く染まった耳は私から決して隠れることなく彼の心を教えてくれる。
「今日、聞きたいことがあったんだ」
電車を待っている間、田村がそんなことを言った。
「名前と、そう呼んでもいいだろうか。私は、君の彼氏になりたいな」
顔を真っ赤にしながら田村はそう聞いてきた。
「うん。私も、そう言ってくれたらいいなって思ってたよ」
田村の提案がこんなにも嬉しくドキドキするものだとは思わなかった。
今まで、付き合おうという言葉はなくとも私は彼をただのクラスメイトとは思わなかったし、彼も私と同じであったと思う。
昨日までの私は彼にとっての彼女で無かったかとと言われればなんとも言えないのだけれど、それでもその田村が言った「彼氏」という言葉の響きは心が躍るような嬉しいものだった。
「それならよかった」
照れたように名前と言った田村に、私も照れながら彼の名前を初めて口にした。
自分の口から出た彼の名前に照れくささを感じるものの、ようやく彼女になれたような気がして、もう一度彼の名前を呟いた。
20150922
20160924 再修正