完結
 月島蛍くんと付き合って数ヶ月。「蛍くん」と彼の事を呼ぶ瞬間は今でも照れくさい。
 蛍くんは、私が彼の名を呼ぶと口元を少し緩める。そして耳を少し赤く染めてぷいとそっぽを向く。その一連の流れがとても愛おしくて、恥ずかしいと思いながらも彼の名を呼んでよかったと毎回思うのだ。
 彼に好きというのも慣れない。恥ずかしくてたまらない。蛍くんは私がそういうことを言おうとしているのがわかるのか、何も言わずに待ってくれる。その時だけは意地悪なことをしないから、私はやっぱり照れてしまう。
 蛍くんに何か意地悪なことをされたら今は言わなくていいかなって、話を逸らしたり別の機会に伝えればいいのかな、なんて思うのに。頭の良い彼は、もし彼が意地悪をしたら私が好きだなんて言わなくなると気付いているからじっと待っているのかなって最近思うようになった。


「名前、はやくして」
「うん、ちょっと待って」

 手を繋ぐ。その瞬間がとても嬉しい。
 自分のものとは違う体温が重なる瞬間、私は彼のことが好きだと何度も思わされる。手を繋ぐのが好きだと蛍くんに言えば、知ってると言われた。ぎゅっと手を握られたから私も握り返す。
 彼の親指が私の親指をすっと撫でる。私の気持ちを確認するように時々すっと撫でる彼の指がまだ慣れない。

 時々一緒に下校するようになった。
 今日も、いつもと同じように下駄箱で待ち合わせをして、正門を越えてから手を繋ぐ。お互いに何か言ったわけではないけれど、そういう流れが出来あがってもう二ヶ月になった。

 月が綺麗に輝いている。星もきらきらと光っていた。不思議なことに、彼との下校の際に未だに傘を使ったことがない。朝の天気予報で夕方から雨になるかも、なんてお姉さんが言ってるのを今までに何度も聞いたけれど、運がいいのか傘を鞄から出すことなく家に辿り着くのだ。
 そんなことを何度か経験したある非、私は蛍くんがいるからかな、なんて彼に伝えたことがある。馬鹿じゃないのとデコピンされた。半分冗談で、半分本気だった。彼と一緒にいる時に見る月は本当に綺麗だから、なんだか不思議な力が働いているんじゃないかって思ってしまったのだ。

「蛍くん、明日練習試合だっけ」
「そうだね」
「頑張ってね」
「……うん」

 一度だけ、自分の部活が休みの日にこっそりと彼の練習風景を見に行ったことがある。
 男子バレー部が活動している体育館は熱気がすごかったし、ちょっと怖かった。でもそれ以上に蛍くんがかっこいいと思った。けど、教室にいる時の蛍くんとは雰囲気が違って、なんだか少しさびしかった。
 寂しいなと思って、すぐにその場から逃げるように離れた。彼に練習風景を見たことは未だに言えていない。どうしてあの時そういう行動を取って、そして今も少しもやもやしているのか、はっきりとわからないままでいる。

「いつか、蛍くんが活躍する試合が見たいな」
「僕が普段試合で活躍してないみたいな言い方だね」
「違うよ、私が試合を見るっていう意味であって、そういう意味じゃ……」
「ひどいなぁ、名前は彼氏にそういうこと言うんだね」
「ち、違くて」

 私が焦っていると彼は本気じゃないよと笑いだした。蛍くんが眼鏡をくいっとあげる。月の光に照らされた彼の髪がきらきらして見えた。

「部活さ、今度は隠れてないでちゃんと見にきなよ」

 逆光で少しわかりずらいけれど、蛍くんの声色はすごく優しい。きっと優しい表情をしているのだろう。
 部活を見に行っていたことは彼にばれていたのか。それはなんだか恥ずかしいな。けど、ずっと胸のあたりを占めていたもやもやとした感情がすっきりしたように感じた。

 部活でバレーをしている蛍くんはどこまでも未知の存在のように思えた。私がバレーにそこまで詳しくないのも原因の一つだと思う。その「バレーをする蛍くん」を見て、私はすごくショックだったのだ。知らない蛍くんだったから。点を入れた時の蛍くんも、イライラしている時の蛍くんも、教室の蛍くんと似ているようで違うように思えた。でも、知らないならこれから知っていけばいいのだ。

 わからないものは誰だって怖い。
 前に数学の教科書をぱらぱらと確認していて、教わっていない範囲の問題を見て、こんなのが解けるのかと不安になったことがある。でもいざその範囲を教わって問題を解いていくと、少し前の自分が不安がったのがおかしいほど簡単に解けてしまったのだ。たぶん今回も、それに似たような出来事だったのかもしれない。今まで見てこなかった蛍くんを知って困惑して、逃げ出してしまったのだ。

「うん。今度は隠れずに、ちゃんと」

 そう私が言えば、ぎゅっと手を握られる。優しく握られた手を同じくらいの強さで握り返して、敵わないなぁなんて思いながらご機嫌な彼の隣りを歩いたのだった。

20150505
20200103 修正

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