完結
 以前よりも、郭くんと話をする機会が増えたと思う。今までだって別に挨拶くらいはしていたから会話量がいきなり増えたとかそういうことではない。でも郭くんと少しずついろんな話をするのが私はとても嬉しかった。

 挨拶で終わっていた今までとは異なり、宿題や彼が読んでいる本や私の部活のことを話した。そして彼は時々、サッカーのことも話してくれるようになった。
 郭くんは様々な種類の本を読んでいるようだった。郭くんはすごいねと私が言えば、名字はなんでもすごいって言うんだねと笑われてしまった。

 郭くんは以前の私が見たら驚くほど笑うようになった。純粋におかしくて笑うものからちょっと鼻で笑った感じのものもあり、様々な表情を見せてくれるようになった。もしかしたら前から男の子と話している時はそういう表情をしていたのかもしれない。私はいつも同じ表情をしている時しか見ていなかったから気付かなかっただけで、郭くんは感情をちゃんと表現していのだろう。近くで直接話すことによって気付くことがあるのだと実感した。

 以前の私は遠くから見ていた、同じクラスの落ち着いていて勉強ができてサッカーができるかっこいい男の子である郭くんを尊敬していた。
 そして以前よりも近い存在となった郭くんはさらに魅力的な男の子として私に見えている。時々見せる少し意地悪なところも、彼の魅力の一つなのだと思う。私は前よりも郭くんを尊敬し、素敵な男の子だなと思うようになった。

   ○

 数学がものすごく苦手というわけではないが、風邪で二日ほど学校を休んだら案外授業が進んでいて宿題として出されたプリントの問題にいくつか悩まされている。先生に聞けばいいのだが数学の先生は運動部の顧問で既に職員室にはいなかった。今日は部活がないため、先輩にも質問することができない。

 どうしようかと思いながら職員室を出て教室へと向かう。誰か教室に残っていないだろうかと期待しながら階段をのぼる。教室のドアを開けると郭くんがいた。窓を開けてそこから少しだけオレンジ色に染まった空を眺めている郭くんはとてもきれいだった。

「郭くん」

 どうして郭くんが教室にいるのだろう。彼に聞けば済む話だが、私はどうしてかその質問はすべきでないと思った。風が吹くたびに郭くんの髪はさらさらとゆれて、遠くを眺める彼の表情はなんだかとても寂しそうだった。ゆっくりと私の方を見て、小さく私の名を呼ぶ。

「部活は?」
「今日は休み。郭くんこそサッカーはどうしたの」
「今日は無いよ」

 郭くんは教室の時計を見てからもう一度私を見た。彼はどうして私がいるのか考えているようだった。

「郭くん、時間があればでいいんだけど、宿題でわからないところがあって……」
 そう言うと、彼はもう一度時計を見て小さく頷いた。彼の傍へいきプリントを見せる。彼は少し目を細めて問題を見てから、名字の席にしようと私の腕を軽く掴んで移動した。私は自分の席に、彼は私の隣の席から椅子を引きずって座る。


 郭くんはさっきの寂しそうな表情なんか嘘のようにきりっとした顔で問題の解き方を説明してくれた。彼の説明はとてもわかりやすかった。
 私が問題を解いている間、郭くんは自分の鞄から取り出した本を読んでいた。シャーペンで数字を書く音とページをめくる音がまるで音楽のように心地よいものと感じたのはこの時が初めてだ。でもそれは、隣りにいるのが郭くんだからなのかもしれない。

「郭くん、とてもわかりやすくて感動しました。有り難う」
「別にいいよ。今日は何も予定なかったし」

 どうしても答えが出なかった問題が、この三十分ですらすらと解けるようになるなんて思わなかった私はとても嬉しくて、上機嫌になっていた。

 問題を解く段階でも普段よりも彼との距離は近かった。教えてもらう時に腕が触れることがあったし、彼の服からかそれとも彼自身からか香るにおいを感じた。
 問題が解けて良い気分になっていた私は、さらに距離を縮めてしまっていた。私はそれに気付けないでいたのだ。

「郭くんは何を読んでいたの」

 そう言った後に私は、自分の失態に気付く。私は思った以上に彼に近付いていた。彼の綺麗な顔が顔のすぐ近くにあり、心臓がどくどくと大きな音で動いていくのがわかった。一気に顔に熱を持ち、本当に顔から火が出るかと思った。ごめんと言ってすぐに彼から離れた。その「ごめん」という言葉も声が裏返ってしまい更に恥ずかしくなってしまった。

 あぁ、私はどうしようもなく馬鹿だ。

20140301
2010928再修正

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