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はじめてのかんちがい The first difference that does not go away





二人で暮らして一年が経ったとなんとなく感じたのは、クリスマスケーキに口をつけた瞬間
だった。そういえば去年は何のケーキを食べただろうと二人は思い浮かべたのだが、去年は
ケーキを食べるどころか二人にとってあまり思い出したくはない聖夜だったことに気づいて、
閉口したのである。
「...美味しい?」
「うまいな」
「それ俺が焼いたんだ」
「すごいじゃないか」
昔のことなんて忘れよう、とエドワードはロイに話しかけながら考えていた。今はそれなり
に幸せなのだからと。
今日だって本当はもっと長く同伴に付き合ったっていいはずなのに、俺のために帰ってきて
くれたんだ、とエドワードは嬉しくなる。ロイの気持ちはこんなところから少なからず伝
わってきている。と、思う。
だがあまり自信が持てないのは、ロイのどっちつかずの態度からだった。それでもエドワー
ドは彼に問いかけることも、確かめることもしなかった。聞くのは野暮だと思っていた。何
を今さら確かめるのだと。もしくは逆に、それは相手の気持ちを疑うことになるのかもしれ
ない。
「ねぇ、明日は?」
「夜から店だよ」
つまりは昼までは一緒に寝てたっていいってことだ。休みを取っておいて良かった、とエド
ワードはぐっと拳を握る。テーブルの下で。ロイにはわからないようにだ。
ロイと予定を会わせるのはかなり至難の技だ。仕事の関係から同じ時間に帰るなどありえな
いし、ひどいときは明け方に玄関が開くこともある。それでもエドワードは、きちんと言葉
をもらったわけでもないのに盲目的に信じていた。ロイも同じ気持ちでいてくれているのだ
と。ケーキを終えて、代わる代わるに風呂に入って、ベッドに入ってロイを待つこと数分。
眠る前に店か、客かにメールを打っている彼に背を向けて眠ったふりをする。ようやくベッ
ドが少し傾いて、ロイがようやくベッドに入ったのが分かった。
「何を拗ねてるんだ?帰るのが遅かったから?」
「別に、拗ねてねぇよ」
後ろから抱き締められ、服を目繰り上げられながら、はしたなく高ぶる心臓を落ち着かせよ
うと深呼吸する。それがロイには悩ましげに聞こえたのか、両肩をベッドに押さえつけられ、
上から唇が覆い被さってきた。
「ん...」
信じていいんだよね、とエドワードもその首に腕をまわしながら思う。
その夜も熱い包容に任せて、一瞬の幸福に彼は身を投じるのであった。

「もう一年もたったのねぇ」
年の暮れ、もうすぐ日付が新しい西暦と干支がやってくる。来年は巳年であるので、例の
バーにはところどころ蛇の置物が不気味に置かれていた。
「なんかあっという間だったけどね」
一晩が三日になり、一週間が一年になった。ロイの家は居心地よく、彼の隣は心地良かった。
夜の戸張は何度でも、二人に一瞬の夢を思い出させた。
「で、そのロイちゃんはいつくるのよ」
「お店のカウントダウンパーティ終わってからくるって」
「いつよ!」
「知らないって」
彼氏の予定も把握してないの?と聞かれても、ロイが来るっていったんだから絶対来る、
とエドワードはそれを、いつだって信じるしかない。だって何一つはっきりとしたことは
いってくれないのだから。それがどんなに自分を不安にしているかなど、ロイには分かるは
ずもない。わかろうともしてくれない。でも、それでもいいのだ。自分たちにはそれがいい
のだ。つかずはなれずのこの距離が。
「まあね、ロイちゃんと付き合って一年続く方が驚きだけどね」
しかもあなたとなんて意外も意外よ、とガーフィールさんに酒を継ぎ足されながら言われて、
エドワードはいやあと照れ隠しに頭をかいた。
「そうそう、結構大変なんだよねー。飯作ってやってもさ、今日は食いたくないとかあれが
食べたいとか。あの顔で結構我が儘っていうか。まあ?頼られるのは嫌いじゃないし?時々
土産に高い酒とか店に連れていってもらったりもするしー」
最初はうんうんと頷いていたガーフィールだが、最後の方の高価な酒はお客さんからの貢ぎ
物で、店は下見に付き合わされているのではないかと思わず黙ってしまった。
「...ま、あんま深入りしてないから、かもだけど」
今までの彼氏とは全く違う。そう思うと、似たような男と付き合ってきたのだなとよく分か
る。これまでの人生を反省するべく、エドワードはぐいっと大盤振る舞いの酒を飲み干した。
飲み放題のせいか随分薄い気がした。
「そんなの身体でわかりあっちゃえばいいのよん」
付き合ってるんだよね、とまた不安になってきたエドワードに向かって、ガーフィールが筋
肉質な胸をよせながら言った。
「あんたは正月休みだし、ロイちゃんだって仕事ないんでしょ?」
「うーん...」
「今日は別の相手と好き勝手やってもいいしね」
「うーん...は?」
カウントダウンが始まり、テレビのアイドルたちと共に数える今年の残り数秒。ロイも今勤
める店でお客さんと新しい年を待っているのだと思ったら、ちくりと少し胸が痛んだ。
あれから一年が経った。もう一年先も、俺はロイと一緒にいるのだろうか。
今と何も変わらぬまま?
「「あけましておめでとうございまーす!」」
おおーっと野太い歓声の後、エドワードは目を疑った。
なんと目の前にいる男たちが盛大に脱ぎ始めたのだ。
「あ、ああ、...ガーフィールさん!これ...!?」
振り返った先で、なんとガーフィールまでもが服をまくっていた。ぎゃあああ、と悲鳴をあ
げてエドワードはその場から飛び退った。
「あらエドちゃん、何驚いてるの」
「なんで脱ぐんだよ!」
半泣きのエドワードとうっふんと肉体美をひけらかすガーフィールをちらちらと恥ずかしげ
に見つめている男たちの光景はまさしく異常だ。ここはそういう店じゃないはずなのに、と
エドワードはじわじわとあとじさる。
「この店は今日だけハッテン場なのよ〜ん。あんたも連れがこないなら楽しみなさいね」
さあ私に可愛がってもらいたい子猫ちゃんたちはおいでなさ〜いと手招きする彼女にわっと
男たちが群がる。
エドワードはその波からなんとか抜け出して、ごったがえしている店内を恐ろしげに見つめ
た。
そういえば今まで年末年始は彼氏がいたからこの店にはきたことなかった、と知らなかった
事実に蒼白になる。とにかく逃げよう!捕まえられたらまずいことになる、と経験からわかっ
ていたエドワードは人目を避けながら店の外へ向かおうとしたが、ほどなく相手の見つから
なかった男に抱き止められてしまった。
「なに...!?離せ...!」
「君可愛いじゃん。俺としよーよ」
羽目はずしてさ、と服の中に手をいられて、ひっと息を詰まらせる。
「やだ!...やめろ、このやろ!」
「そんな嫌がるなよ」
「あ...ッ!...い、た...ぃ」
やはり男の力は男相手にも強い。エドワードは小柄な分押さえつられると抵抗できなくなる
のが常だった。暴れないように腕をまとめられ、ぐっと強い力で握りこまれる。やばいと
焦った瞬間にジーパンの前を漁られて血の気が引いた。
「ぃゃーーーー」
「ぅっああいってー!」
ふいにエドワードは解放され、前に倒れそうになったところを誰かに支えられた。
一体誰だ、と目をあげると、視界が開ける前に衣服から香る女物の香水の臭いが鼻についた。
「乱暴にするのは関心しないな」
見知った声に胸が熱くなる。そして次に強く抱き抱えられて息が辛くなった。助かった、と
ほっとするどころではない。ちゃんと嫌がっているように見えただろうか。誤解されてはい
ないだろうか。違う男とする危機が去ったと同時に訪れる破局の危険を必死に回避しようと、
エドワードはロイの背広を握りしめた。
「悪いがこっちが先約だ。この子は諦めてもらおう」
そしてロイはエドワードを抱いたまま、不機嫌な顔でガーフィールを振り返った。
「このような余興は聞いていないんですけどね」
「やーね、ちょっとからかっただけじゃない」
にやりと笑う男顔にロイは殺意を覚えたが、はーと大きく息をついて彼はエドワードを肩に
担ぎ上げた。
「帰ります」
「部屋なら空いてるわよ」
ていうか、あんたたちのために取っておいた部屋だけど。という彼女のしたり顔に、昔から
嫌な人だとロイは振り返り、だが部屋は使わせてもらうと遠慮なく店の奥へと向かった。
手間がかかる子たちねぇと、彼女も自分の相手と楽しみながらそれを見送った。
「さあ、ここからがショータイムよぉ?」

店の奥に部屋なんかあったんだ、とエドワードは運ばれながら目を瞬いた。ロイが躊躇なく
スタッフオンリーと書かれた扉をくぐるのになんだか焦るが、ロイとガーフィールは旧知の
仲らしいし、成り行きにまかせようとロイの肩に身を預けた。
たどり着いた部屋はまるで安宿の一室だったが、居心地は悪くなさそうだった。とす、と
ベッドに下ろされてからロイを見上げると、いつものより何倍もロイが大きく見えた。
「一応聞いておくが、あっちの男のほうが良かったか?」
「なわけねーだろ!無理矢理やられるところだったんだぞ!」
死ぬかと思った、と瞳をうるませるエドワードの頭を、よしよし怖かったなとロイが撫でる。
「おせーよ...っ女の臭いなんかさせて...気が利かねぇんだから...!」
ファブリーズくらいしろ、ブレスケアはするくせに。と微妙な怒りをロイにぶつけるエドワ
ードだったが、すぐに彼に対する暴言は尽き果て、大人しくその腕のなかに収まった。
「私が良かったのか?」
「そんなの...」
決まって、と言葉にしようとして、エドワードは先を詰まらせた。
それを素直に認めるのはなんだか少し悔しい。理由はわかっている。はじまりの夜に、エド
ワードは言ってしまったからだ。別にロイでなくてもいいと言ったも同然の言葉を。
「わ、分かれよ...っ」
あんな奴よりもあんたのほうがずっといいことなんか、誰にだって分かるだろう?
「はっきり言え」
ぐっと肩を押さえつけられ、改めて見つめ合うと、大分据わっているロイの目と出会う。元
々そうなのか、それとも職業柄か、普段の生活から尖った言葉のでないロイが、エドワード
を押し倒しながらそう命令してくる。少し怖くて、息をのんだ。
縮こまっているエドワードの肩を今度は柔らかく撫でながら、ロイは耳元で猫撫で声で囁いた。
「なぁ、エドワード?教えてくれないのか?」
まるでこちらが悪いことをしているかのように、優しく責める声。いいように操られている
気がしないでもないが、エドワードはようやくロイにしがみつくように抱きついて、その後
ろ髪をかき混ぜた。

シャワーがついてて良かった、とロイはがしがしと髪を拭きながら思った。
疲れて眠っているエドワードの肩まで毛布を引き上げ、彼を残したまま扉を閉めて部屋を後
にする。
「あら色男さん、一杯どーお?」
廊下にでたロイに、そう話しかけたのはバスローブ姿のガーフィールだった。手には酒のボ
トルとグラスが握られている。
「金は出しませんよ」
「仕方ないから貢いであげるわよ」
貢がれるのが仕事でしょ?と言われて、まあそうですが、とロイは彼女についていきながら
肩を落とした。
「あなたもその歳だし結構落ち着いてるのかと思ったら、そうでもないじゃなーい」
「何の話です?」
男はそうでなくっちゃ、となぜか嬉しそうなガーフィールに注がれた酒を一口味わいながら、
ロイが眉を寄せると、彼女はやーねーしらばっくれちゃって、とカウンターの向こうでくね
くねする。
「さっきまであんなに激しくエドちゃんとしてーもう!」
見てたわよ〜、という言葉にもう一口と含んでいた酒をロイはぶーっと吐き出した。
「どこから!?」
「覗き穴から、もうばっちりよ」
ああっロイきもちいい、しんじゃうーっと数十分前のエドワードの真似をされても全くこち
らとしては嬉しくない。まだ湿っている髪の毛をかきあげて後ろに流して、ロイはそのまま
額を抑えた。
「あなたに覗き趣味まであったとは」
「だって気になるじゃない。エドちゃんに何度のろけられたと思ってるのよ」
いい営業妨害だわ、と憤慨するのは今度は彼女のほうであった。
「彼氏と別れて来なくなった分、あんたの愚痴をここに言いにきて大変だったんだからね」
あれですごく飲むじゃない。と彼女に言われて、去年何度か酔いつぶれたエドワードをここ
から連れて帰ったのを思い出した。その度に、ロイは二人の最初の夜を霞んだ記憶の向こう
に思い返していたのだから、それは何の苦労でもなかった。
「まぁ、半分のろけみたいなものだったからいいとして」
ねぇ、聞いてもいい?と彼女はカウンターから乗り出した。
「あんたたち、本当に付き合ってるわけ?」
「どうして?」
「あの子が不安がってるから。いい加減はっきりしなさいよ。そこんとこ」
もう誰もいなくなった店の一角で、見つめあう男たちの目は相手の真意を探るように揺らめ
いている。それに対し、ロイが何かを言うべく唇を開いて。
「...ロイ?...あ、ガーフィールさんも」
エドワードが奥の扉から顔を出した。
「あら〜おはよう。身体は大丈夫なのぉ?」
冷やかしてくる彼女にエドワードは赤面しながらロイの背中に走りよって隠れる。
「別にっ平気だよ、あれくらい」
「ほう、じゃあ次はもっと激しくしてもいいということかな」
背中に隠れたエドワードを膝にのせて、その腹に両腕を回しながらロイが言うと、エドワード
はあんたに出来んならな!と強がった。だが伝わってくる震えでそれを恐れているのは丸分
かりであった。ロイもやんちゃ過ぎたか、と反省しつつエドワードの湿った髪をすいた。
「ちゃんと分かってますよ」
「...そのよーね。いちゃいちゃするなら帰ってくださいます?」
そうします、というロイに支えられて、エドワードも照れて笑う。憎たらしいくらい仲のよ
ろしいことで、と言葉には出さずに彼らに店で預かっておいた奴、と鞄とコートを差し出し
て、ガーフィールも吊られて微笑む。
まだ少し湿り気を含んだ二人の頭には、外の寒風は少し応えた。あんたはそろそろ毛根労っ
たほうがいいんじゃねぇの、とエドワードがロイの背中の上でつんつんと一房、その黒髪を
引っ張ると、落とすぞとロイがおぶっている腕をほどこうとするので、エドワードは慌てて
その肩にしがみつく。ここで馬を失うわけにはいかない。まだ腰が痛いのだ。
「ねぇ、ロイ」
溢れるくらい伝わってきていると思っていた。今だって、この背中から感じる暖かさは嘘で
はないけれど。
俺たちこのまま、ずっと一緒にいられるんだよね。
「うん?」
こうして何度、俺はロイに迎えに来てもらってあの家に帰っただろう。
だって、ロイが絶対迎えに来てくれるって分かってたから。最初に帰らなかった日のことを
今も昨日のことのように思い出す。つまらないことで喧嘩して、俺はガーフィールさんに愚
痴りにいった。だけど言ってるあいだに本当に馬鹿馬鹿しくてくだらないことだと気づいて
怖くなった。もう一度帰りたいと思った。そういえば今までは、何で俺があんなこと言われ
なきゃいけないんだとむかついたり怒ったり悲しかったりはしたけど、喧嘩した奴とまた一
緒にいたいと思ったことはなかった。誰に関しても。
「帰ってこないと思ったら、こんなところにいたのか」
それから寂しくなる度に、俺はこの店にきては潰れた。ロイが迎えにきてくれることを確か
めたくて。
また迎えに来てくれる?
「ううん、なんでもない」
こうしていつも通り、俺は目を背けて汚いものに蓋をするのだ。

ホットケーキは生焼きで食べたら死ぬんだと思っていた。
小さい頃母さんにまだ食べれないの?まだ?まだ?としつこく聞いていたら、今食べたら死
ぬわよと脅されたのだった。
「付き合わないか?」
ぼた、とかけすぎた蜂蜜の上に一欠片、炭水化物の塊が落ちた。
「...え...?」
まあ実際は、食べちゃ悪いものなんか入ってなどいないのだから、生のホットケーキを食っ
たところで消化に悪い程度だろう。そしてロイの朝方、寝ぼけ眼で言ったまるでついでのよ
うな一言は、生焼けのホットケーキくらい消化に悪かったのだった。
「いや、ちゃんと言ったことなか...」
「どういう意味だよ、それ。今まで付き合ってなかったってこと?」
「え?そうだろう?」
くしくもその日起こってしまった、ホットケーキ二大抗争。もとい、ホットケーキ二つの伝
説。
「...俺は付き合ってると思ってた...」
「寝てただけでは?」
さらっと事実を告げたロイに、エドワードは言葉を失った。
「君の交際基準は随分あっさりだな」
一回寝たら彼氏なのか、と笑った彼の顔の横を、ナイフが風を切り裂いて飛んだ。
びぃぃん、と背後の壁に突き刺さったそれは、ロイの顔の位置から大分離れていたが、エド
ワードの静かな怒りはコンクリートの壁を粉砕する勢いである。やばい、とロイが少し慌て
る頃には、涙をめいっぱい溜めたエドワードの大きな瞳が、鋭く睨みつけてきていた。
「おっ、俺を弄んだな!」
「なんでそうなる」
「俺、俺は...っ仕事のこととか、お客さんのこととか、いっぱ、いっぱい、悩んでたのに
...うえーっ!」
「泣くなよ」
「ロイのばか!ばかばかばかばかっ!」
別れてやる!と立ち上がって駆け出したエドワードを慌ててロイが追いかける。靴をはこう
としている背中に追い付きなんとか玄関で彼を引き留める。というよりも、羽交い締めにする。
「はなせセフレホストー!」
「いって!馬鹿はどっちだこのやろ」
「ぎゃっあっははははは!ぎゃあああぁ」
「うぎゃっ顔はやめろ馬鹿!」
「う、えええぇ...うわあああぁ」
ついに号泣して座り込んだエドワードの横にロイも玄関に座り込む。
「何をそんなに...」
「馬鹿ぁ!好きなら好きって、さっさと言えよおおぉ!何年悩んだと思ってんだよぉ!」
いや一年だろう、とロイは突っ込みたくなったが、泣きわめくエドワードを見ているといち
いちつっかかるのも面倒になってきた。
「俺がどんっどんなっに、仕事のこととか、あんたの客のこととかっ悩んだか知らないくせ
にぃいい」
「...」
本当は、俺はこんなにも怖かったのだった。
ロイに邪魔だから出ていけと言われたら、そこでこの生活は終わりだから。
深く入り込めなかったのも、そうすることで煩わしく思われるのが怖くて怖くて仕方なかっ
たからなのだ。
怖くて仕方がなくなるほど、自分のほうが好きになってしまったからなのだ。
「もう最悪、もうやだ、大っ嫌いだ」
気づいてくれないなんて鈍すぎる!とエドワードは床を叩きのめしていたが、やがてその痛
む手の甲で涙を拭い始めた。
「...エドワード」
「出ていってやるぅーッ!」
立ち上がったエドワードをロイが引き留め、抱き締める。いや、抱きこんだ。どこにも行か
せないと言葉にする代わりに、それはもう力強くその腕はエドワードを閉じ込めた。
「なにっ...はなせよ!ばかー!だいっきらい!俺は出ていくんだああぁ」
「駄目だよ、絶対行かせない」
ひぅ、とか細い声が漏れる。ロイがさらに、エドワードを潰さんばかりに腕の力を強めたか
らだ。
「離せよ、俺のことなんとも思ってないくせにっ」
「今付き合おうと言ったばかりだろう。何を疑うんだ」
勘違いするな、とロイはエドワードを床に押し付けて上から覗き混んだ。
「だって、今付き合おうかって...言ったじゃんか...それまで俺のことなんか...っ」
「あのなぁ、そんなに他人が完璧だと思うのか?付き合おうと言った瞬間から好きになると
でも?」
そんなんじゃない。そんなわけない。
「もしお前がそうだとしても、私は違うぞ」
エドワードは今までのことを振り返った。告白はいつだって、相手まかせだった。今でさえ
も。ロイでさえも。
付き合おうと言われると、相手の気持ちがなだれ込んでくるようだった今までと違って、ロ
イにそう言われたときは絶望した。そうか俺、今まで告白してくれた奴をそのまま好きに
なっていたのか。付き合おうと言った瞬間から好きになっていたのは、俺のほうだったのだ。
だがロイは違うと言う。そんなんじゃないんだと。それはつまり、ずっと前から俺のことを
想っていてくれていたということで、いいんだろうか。今度こそ、勘違いなんかじゃなくて、
確かな形になるのだろうか。
ああ、こんなにあっさり取られてしまう蓋なんて、しなければ良かったのに。
「...おれ...っ」
「エドワード、私だってたまには誰かに貢ぎたくなる」
さあ教えてくれ。
「欲しいものは?」
答えなんてわかりきっているくせに。あんたはずるい人なのだ。
「...あんたしかいらない...っ!」
この世の他に、価値のあるものなどあろうか。

泣き続けるエドワードをあやしていたロイが、しゃくりあげるその唇に想いを重ねる。
応えるべくその背中に手のひらを這わせながら、エドワードはいついたばかりの頃を思い出
していた。たまたま休みが重なって家で二人、だらだらとテレビの画面を眺めていたのだっ
た。戯れにソファに寝そべっていたロイに抱きついてみると、なにも言わず頭の後ろを撫で
たロイの手のひらを、同じように感じる。どんな顔で俺の頭を撫でているのだろうと目を上
げると、不意をつかれた。してやったりと唇を嘗めるロイに、エドワードも燃えてしまって
ソファの上で大変なことになったのだった。
 だが今は、玄関の床で大変なことになっているのであった。
もがくエドワードの足が履かれていない靴をいくつか蹴った。その彼の足首をロイが掴んで
外に広げる。
「やだぁ...玄関なんて...!」
「ふん、精々声を我慢するんだな」
勘違いのお仕置きだ、と口の端を引き上げるロイの目は笑っていなかった。なんと恐ろしい。
エドワードはロイから離れようとしてうつ伏せに身体をひねり、家の方に震える指を伸ばし
たが、ロイの掌に覆われて阻まれる。
そんなエドワードに対して、まあもうガーフィールにも見られているのだし、とロイはかな
りオープンになっていた。楽しそうに後ろから服を引き剥がしながら露になった首筋に噛みつく。
「ぅあっ!...噛むなよ...ひッ」
さらに噛み跡の上から肌を吸われて、それが廊下の薄暗い闇のなかで鈍く赤く変わっていく。
「吸いすぎ...いてーよ...」
「悪いね、つい嬉しくて」
「嬉しかったら噛みちぎんのかよ」
「気持ちが抑えきれなかったんだよ」
人を好きになるということも、同じ屋根の下で暮らすということも、自分は何一つ分かって
はいなかったのだとロイは寒さに震える小さな身体を抱き締めながら思った。好きだと思う
とつい何でも与えてしまいたくなる。でもエドワードが自分でなくともいいのなら、そんな
のは悔しいから。
「今更だが、ちゃんと伝えて良かったな」
「い、言っとくけど、俺は一緒に住み始めた三ヶ月くらいからもう好きだったからな。はは
は!」
「そうかい。生憎だが先に惚れた方の負けだよ」
勝負ははじめから決まっていたのだ。
「ちくしょ...」
抜け出せねぇ!と涙目のエドワードに、そんなに悔しがる必要ないのに、とにっこり営業ス
マイルのロイがさらにのしかかる。
「せめて...ベッド...っ」
「だめ。思い知れよ、いい加減」
「何を...あぅ!」
ぐち、とロイの濡れた指がエドワードの中に入り込む。
「あっやぁ...ん...ッ」
「声が大きいよ」
咎める口調を聞いて咄嗟に右手で口を覆う。ロイの指は中を縦横無尽に抉り、その荒々しさ
にエドワードは苦しくなって眉をきつく寄せた。いつもは優しく時間かけてエドワードを扱
うロイも、今日ばかりは感情を押さえられないようなのだ。
「...入れていい?」
「だ、め...!」
「いい?」
「だめ...っ」
「いいよね?」
「うぁっ!?」
もう一度仰向けにひっくり返され、足を大きく広げられる。ちょっと怖いけど、もう仕方な
いんだとエドワードは目を閉じて、ロイを受け入れることを決めた。だが。
がらがらがら、と台車を押すような音が少しずつ近づいてきているのに、彼らは気づいた。
この音から推測するに、恐らく宅急便の配達員か何かだろう。重い物を運んでいるのか随分
とその歩みは遅い。
そういえば安かったから蟹を頼んだ気がする。とロイとエドワードは思い浮かべた。二人で
ネットサーフィンをしていたときに見つけた大安売りの蟹である。あれが届くのは今日だっ
たか明日だったか。
ここまできてやめられるか、とエドワードを押さえつけるロイに、何考えてんだこの野郎と
ロイを押し退けようとするエドワードが絡まりあってとんでもないことになる。
そうこうしているうちに靴音と台車を引きずる響きは近くなっていき、そして体重をかけて
迫ってくるロイにどんどん押し負けてしまい、ついにエドワードは屈してしまった。そのと
きだ。
ピンポーン。
隣の家のインターホンがなり響いた。

 がたん、と呼び鈴を押した家の、隣の扉から重いものが動く音が聞こえてきて、それまで台
 車で冷蔵庫を運んできた汗だくの配達員は額を拭いながら、犬でもいるのかなと首をかしげ
 た。そうしているうちに玄関が開いて、彼らは中へと冷蔵庫を入れるべくストッパーを外し
 始めた。

「んん...っぁ...!ふ、ん...!」
エドワードは袖口を噛んで声を殺すことに必死になっていた。
隣の家かよ、と安心した瞬間にロイの滑り止めも外れてしまったのだった。いきなり突っ込
むとかまじありえねぇと最初は怒りすら覚えていたエドワードだったが、さすがに慣れてい
るのですぐに身体が反応を返し始めた。気持ちがいいのか時折足の指先が閉じたり開いたり
するのを、目の端でとらえながらロイはエドワードの中を行き来する。
「あぅ...、はぁ、はぁ...っひゃ...」
いつもは二人でお互いを気遣いながら、共に頂点に向かって高め合おうとする行為なのだが、
今日はロイが一方的に攻め立ててきて、エドワードは防戦一方なのだった。ぼんやりとロイ
の肩の向こうに見える天井を眺めていると、まるで別の物への関心を咎めるように深く口付
けられる。防戦どころではなかった。負けっぱなしである。
「ん...っロイ、し、ぬ...っ!」
「はは、一回死んどこうか」
大丈夫、一緒だから。という言葉に、余裕がないのは自分だけかと心細かった胸が熱く広が
る。良かった。これでいいのだ。こうしていればいいのだ。でも、本当に良かった。ずっと
一緒にいられて。
「やばぃ...ア――っ」
ロイの吐息が落ちてくる。そのままふわりと頭を抱え込まれて抱き締められると、まるで涙
腺が崩壊したかのように涙が溢れた。
いつからこんなにこの人が好きになったのだろうと、エドワードはここ一年を振り替える。
たとえば今日みたいに、一緒にホットケーキを食べた朝だったのかもしれない。たとえば、
ふらりと一緒に買い物にでかけたあのスーパーかもしれない。たとえば酔いつぶれて、彼の
背中に揺られて帰ったあの夜かもしれない。ああ大事なことなのに、どうして思い出せない
のだろう。覚えておきたかったことがたくさんあった。はじめて外に一緒にご飯を食べたあ
の店は、どこだっただろう。そんな小さなことが気になり始める。悪い癖だ。そんなのもう、
どうでもいいのに。
「ねぇーあれどこー?」
「電話台の上」
「おっあったあった」
長い前髪をお気に入りの大きなヘアピンで止めながら、エドワードはうん?と首を捻った。
「あれでよく分かったね」
「愛してますから」
というわりには、ロイは読んでいる雑誌から目をあげない。煎餅をがりがりと食べながら新
しい髪型の研究に余念がないようだ。そんな彼にむっとして、エドワードはそらっと雑誌を
取り上げた。
「あっ!」
「あんたはこっち見てればいいんだよ!」
そうして雑誌を抱え込んでロイの膝に飛び乗るエドワードに、そんなこと思う必要ないのに
とロイは彼を抱き直しながらため息をつく。
「じゃあ枝毛探していい?」
「なんで?」
「毛繕いみたいでいいだろう」
「猿の親子みたい。やだ」
そんなんじゃなくて恋人っぽいことしたい!と首に腕を巻き付けて我が儘を言うエドワード
にはいはい答えながら露になっている額にキスをする。
彼には悪いが、今までの彼氏と破局してくれて良かったとロイは心から思うのだった。エド
ワードの煩い我が儘など、どれもたいしたことなどなかったのだから。。それよりも素直に
好意を示してくるエドワードのこの温もりが心地よくて彼は仕方ないのである。
今ならお客さんの気持ちが分かるな、とロイはまだ少し拗ねて膨らんでいるエドワードの頬
を指でいじくりながら眉を下げた。どうして高い酒をいれるのかも、プレゼントも。そうし
て与えられることに慣れていたロイは、逆に誰かに好意を示すことが上手く出来なくなって
いたのだった。いや、好意を示した後の相手の反応が怖かったのだった。エドワードはどう
思うだろう。自分でなくてもいいともう一度言われたら、今度は耐えられない気がしていた
のだ。でもエドワードは、言葉の端に、料理の中に、こうして寄り添う傍で、思い出させて
くれたのだった。本当は最初の夜から、ロイはずっと彼を想って生きてきたのである。だか
ら負けたのは私のほうなんだよ、とエドワードの頭を今度は撫でながら、目を閉じる。
「仕事何時だっけ?」
「今日は遅いから、先に寝てなさい」
「お客さんにきれいな人いるの...?」
「いません」
「ほんとに?」
「ほんとだよ。つまらない話はやめなさい」
なんなら証明しようか?というロイに、エドワードは笑顔になって、してみやがれと悪態を
ついた。




end

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