お月さまと
「あ、やべ」
朝練、俺が打ったボールが特大ホームランになり、体育館の舞台袖の方へ転がる。鎌先さんに「なにやってんだ二口!」って怒られたからついてない。俺は「はーい、すみませーん」と適当に謝っておいた。練習終わりに取りに行こうと思った。
......
練習が終わり、ボールを取りに行こうと舞台袖に向かう。舞台袖には色々なものがあった。照明、椅子や机、中でも目を引いたのが高飛び用のでっかいマットだ。ボールはマットの横にあった。近づいて取りに行くとマットが沈んでいることに気がつく。マットの方を見てみると、そこにはみょうじが丸まって寝ていた。
みょうじの寝顔をまじまじ見る。...こいつやっぱり可愛いよな。目つきが悪いせいであまり認識されてないが、みょうじは可愛い。目を瞑るとそれがよく分かる。ほんと、こいつの目つきが悪くてよかったと思う。じゃないと倍率跳ね上がっていただろう。
こんなところで寝ていたら風邪ひくなと思い、優しい俺はみょうじを起こすことにした。
「おい、起きろ。風邪ひくぞ」
みょうじの肩を揺さぶる。みょうじは眠そうに「ふえ?」と薄く目を開けた。
みょうじは「んー」と寝ぼけた声で言い、のそりと上半身を起こした。
「...先生」
「は?」
「先生が死んじゃったー」
そう言ってみょうじは泣きそうな顔になる。よく見ると目の淵が少し赤い。伊達工の先生は誰一人として死んでいない。つまりまた小説かなにかを読んでその中の登場人物が死んだのだろう。こいつは中々の活字中毒で中学からこういうことがたまにあった。
みょうじは「せんせー」と言いながらまた上半身をマットに沈める。「おい寝るなよ」と俺はみょうじの肩をまた揺すった。みょうじは「眠い」と起きようとしない。
「授業遅刻するぞー」
そう言ってやっとみょうじはマットから降りた。しかし、立ったまま寝れそうな勢いだ。俺はみょうじの腕を引く。思いの外細くてドキドキした。
ボールを直しに行くと茂庭さんが「だれその子?」と不思議そうに聞く。みょうじは俺の背中に頭を持たれかけて立ったまま寝ている。目をつむっているところをあまり見られてくないが、今は俺の背中で死角になって見えないだろう。
「クラスメイトっす。なぜかマットの上で寝てました。」
「何でまたそんな所で」
「なんででしょー」
俺もそこは心底不思議だ。俺はまたみょうじの腕を引き体育館の外に連れ出す。
「俺着替えてくるから、お前一人で教室行けるな?」
そう言いながら頬をペチペチ叩く。そんな俺たちの様子に先輩や同期たちはニヤニヤ笑っている。みせものじゃねーぞ。
みょうじは「んー」と生返事だ。これは着替えてからまた見に来た方がいいなという判断を下した。俺はできるだけ急いで着替えるとまた体育館に向かった。そこには案の定体育館のへりに体育座りで寝ているみょうじがいた。
「お前なあ」
ここまでよく眠られると呆れを通り超して感心してしまう。俺はみょうじの腕を持ち上げたたせる。みょうじは「うー」と言いながら少し抵抗したが、「授業遅れるぞ」の一声で素直に立ち上がった。
「お前どうしてあんな所で寝てたの」
俺はみょうじを喋らせることにした。喋ってる間は寝ないだろうという心遣いだ。
みょうじは二徹して某有名児童小説を七巻全部読破したらしい。読破し終わって気がついたら朝で、やばい、学校遅刻すると思って登校すると、まだ全然余裕だったことに気づき、寝やすいマットの上で寝ていた。保健室はまだ空いてなかったらしい。
「先生死んじゃったー」
「はいはい」
そんなことを喋らせてるうちに教室についた。みょうじを自分の席に座らせて俺も自分の席に座ると時間ギリギリだった。
みょうじは授業全部寝ていた。これは放課後、部活終わってからまた見に来た方がいいなと思った。こいつ絶対爆睡している。こうも甲斐甲斐しく世話される女子高生ってどうなんだろうと俺は苦笑した。
......
「起きろアホ。」
誰かに頭をはたかれて目覚める。バッと顔を上げるとそこには二口がいた。
「...寝てた」
「知ってる」
二口は呆れ顔でそういった。私は小説の内容を思い出し、じわりと涙が溢れてきた。
「先生死んじゃった。くそぅ」
「さんざん聞いたよ」
そう言いつつも二口は涙目の私の頭をポンポンと撫でた。その手が案外優しくてドキンと胸が高鳴った。
私はなんでもない風を装い大きく伸びをして、窓の外をみる。
「うーわ、もう真っ暗じゃん」
「あぶねーから送ってく。早く帰る支度しろ」
嬉しくてバッと二口の方を見ると二口は少したじろいだように「なんだよ」と言った。にやける頬を無理矢理おさえつけた。
「あんたが優しいなんて何かあったの?」
「俺はいつでも優しいだろうが!」
「今朝もお前を教室まで送ってやったの誰だと思ってるんだ」と二口はブツブツ文句をいう。あー、二口に送ってもらったのかーと頬をかく。今朝の記憶は眠気のあまりなかった。
「そのことに関しては感謝してます」
「えらい素直だな。なんか変なもんでも食ったか?」
「失礼な!てか何も食べてないし!」
そのタイミングでお腹がぐーとなった。私は腹を思いっきり殴った。二口をみると笑うのをこらえていた。頬が熱くなるのを感じる。
「...笑えばいいじゃない」
二口はなおも笑うのをこらえていて、時折笑い声が漏れていて、それが余計に腹が立った。私は勢いよくたちか上がって二口を殴る。二口はそんな私の反応が面白いのかついに声に出して笑った。私はそれをぶすくれて睨んだ。
やっと笑い終わった二口が「悪い、悪い」と言った。
「お詫びになんかおごってやるよ」
私は仏頂面のまま「あんまん食べたい」と言った。
「またあんまんかー、お前あんまん好きだな」
中学3年のころ、よく塾の帰りに二口とあんまんと肉まんを半分こして食べていた。今は二口と帰ることなんてそうそうない。そのころを思い出して久しぶりに食べたくなったのだ。
「じゃあ帰るか。」
「ん」
私たちは鞄を背負って歩き出した。
......
電車の途中のコンビニで私はあんまんを、二口は肉まんを買って半分こして食べ歩く。二口も中学のときのことを覚えていて、「久しぶりに半分こするか」なんてはにかんで言った。そのはにかんだ顔が可愛くて胸がキュンとなった。(男の子に可愛いなんて失礼だろうか。)
「そういえば、私二口が好き」
そう言って、あんまんを口に含んだ。あんまんとか肉まんって一口だとあんまでいかないんだよなー、なんて考えながら隣を見ると、猛烈にむせている二口がいた。なんか変なこと言ったかなと自分の台詞を検分すると、とんでもないことを言っていたのが分かった。
「二口目が好きってことね!二口とかけてみました!面白い?」
あははーなんて乾いた笑いがでる。内心冷や汗をかいていた。二口は「笑えねーよ」なんて言う。その表情は暗くてよく分からなかった。...動揺してくれたってことは少しは期待していいのかな、なんて甘い考えが湧きおこる。私はその甘さを振り払おうと肉まんにかぶりついた。
不意に二口が空を見上げる。私もつられて見上げると、お月様がキラキラと輝いていた。形はまん丸で、今夜は満月なのかな?なんて満月の日なんて知らないけど、少なくとも私にはそう見えた。
「でっけー」
「うん、大きい」
「月が綺麗だな」
「!」
「月が綺麗ですね」その言葉は夏目漱石が英語の「アイラブユー」を訳した言葉だ。二口は何の気なしに言っただけだろう。しかし、私はこう答えたかった。
「私もう死んでもいいよ」
この言葉は「月が綺麗ですね」の愛の告白に対するOKの言葉だ。
二口は予想通り怪訝そうな顔をした。
「なに言ってんだ、お前」
「知らなくていいよ、バカ二口」
「え?なに、俺もしかしてバカにされてる?」
「してないしてない、そのままの二口でいて」
「いや、思いっきりバカって言ったじゃん」
二口は不満そうに教えろと言った。私は頑として口を割らなかった。二口にこのことを調べられると死ねるな、と私はあんまんの最後の一口を食べた。