幻に願う声


くるくる、くるくる。
紫苑が、器用な手つきでこよりを作っている。七夕の短冊を吊るすための、こよりだ。
ネズミは暇で暇で仕方がなかったから、見るともなしに、紫苑の手さばきを眺めていた。





ネズミは紫苑の友達の個展ショップの手伝いスタッフとして、今日呼ばれていた。その友達というのは沙布といって、ガラス細工の作品を売っていた。その販売の手伝いのために、紫苑を介して呼ばれたのだった。ネズミが紫苑の頼みには弱いのを承知しているかのように、沙布はネズミにスタッフとして白主体の服装で来るようにと指定した。普段そんな色を着ないネズミは、渋々それを揃えた。もちろん、紫苑だけのために。

そこまでしたというのに、ネズミは何もすることがなかった。客の相手は沙布と紫苑が器用にこなしているし、会計はイヌカシが一人で手際良く捌いている。ネズミは壁際に突っ立って、来る人たちに愛想笑いをするだけ。時折ちらちらと客から視線を感じるので、何かご用ですか、と問うてみても、客はもごもごとなにか断ってすぐに離れて行ってしまう。そんな具合だから、本当にネズミはマネキンのように壁際に立っているしかなかった。

白装束が似合う紫苑は、穏やかに接客しながら、空き時間にはせっせとこよりを作っている。それをぼうっと見ていたら、ふいに紫苑は顔を上げた。不意打ちすぎて、どきりとネズミの心臓が跳ねる。

「ネズミも書く?」
「…へ?」

予想外の問いかけに、つい間抜けな声が出た。…書く?

「今日は、七夕だよ」
「え?…あ、ああ」
「これ、短冊。このこよりで笹の葉に吊るしてもらうんだ。ほら、あそこ。もうお客さんもたくさん書いていってくれたんだよ」
「ああ、そういうこと」
「…でも、今日は雨だねえ」

そう言って紫苑は悲しそうに、白くけぶる窓の外を見た。

「…時々、雨止んでるぜ」
「そっか、なら」

大丈夫かな、と紫苑は笑う。
ネズミもあえて、何が、とは聞かない。紫苑のことだ、考えていることは大体分かる。織姫と彦星。雨が降れば彼らは会えない。そんな御伽話の二人の逢瀬の心配。いかにも紫苑らしい。

「短冊、紫苑は…」
「あ、ぼくはもう書いたよ」
「へぇ、なんて」
「ふふっ、教えない。吊るしてあるから、探してみてよネズミ」

そう言って、紫苑はいたずらっぽく笑う。その笑顔に、ネズミの心臓はまた一回転する。

「……そう、じゃあ」

見てくるか。

「待ってネズミ。これ、ネズミのぶん」

にっこり笑って手渡された短冊とペンを片手に、ネズミは戸口に立てかけられた笹までのっそり歩いた。

ひとつひとつの短冊を、するりするりと視線を滑らしながら流し読みしていく。

ひらがなをはやくよめるようになりたい
はやくはしれるようになりたい
お花やさんになれますように
世界のピアニストになれますように
地球温暖化が止まりますように

ネズミとずっと一緒にいられますように

…それを見つけた瞬間、不覚にもネズミは赤面してしまった。慌てて踵を返し、自分の持ち場の、壁際に戻る。
そんなネズミの様子を見ていたらしい紫苑が、カウンターを離れてネズミの側まで歩いてくる。

「見つけた?ネズミ」

無邪気な笑顔で、幼子のような表情で、何かご褒美を期待するかのような無垢な瞳で。
あんたはおれの心を、どれだけ、どれだけ奪えば、気が済むんだ。

「ネズミ?」

顔を伏せる。紫苑の視線から逃れる。
こんな、こんな真っ赤なみっともない顔、紫苑に見せられるはずない。やめてくれ、これ以上おれを動揺させないでくれ。心臓が破裂する。

「あ、せっかく短冊あげたのに、ネズミ、書いてこなかったの?」

短冊は無残にもネズミの手の中でくしゃくしゃに潰れていた。ネズミはそれをさらに握り込む。握り潰す。

「…おれは、書かない」
「えー、なんで?」

紫苑がずっとおれの隣で笑えますように。
この日々がずっと変わらず続きますように。

「そんな、天の誰かに叶えてもらうようなことないからな」
「えー」
「夢は自分で叶えるもんさ」
「ふーん」

紫苑はじとりと不満そうにネズミを見上げる。その目や、少しすぼめた口元、それら全てが、あまりに可愛い。一旦引いていたのに、顔に熱がまた集まってくる。今日はおれはおかしいみたいだ、いつものポーカーフェイスが保てない。

「わかった、降参だよ紫苑。なら世界平和でも願ってくるから」

新しい短冊くれ。

「どこが、降参なんだか。意地っ張りだね、ネズミは」
「は?」

意味不明な一言を残し、紫苑は短冊をネズミの手に押し付け、カウンターに戻って行った。

…ほんとうは、願いたい事が多すぎて、選べなかったんだ、紫苑。
その願い事は全部、あんたに関するものだと、それを言ったらあの白い小悪魔は喜ぶだろうか。
そしてまた、その純真無垢な笑顔で、もっとおれを虜にするのだろう。
でもそれを言ってしまったら完全に負けだから、言ってやらない。今は、まだ。



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甘っ。そして一言も出番なかった沙布に土下座。ごめん沙布、ひたすらごめん。紫苑とネズミがふたりの世界つくってて余地がなかったの!ほんとはね、「ちょっとそこの二人、いつまでもいちゃつかないでよ、わたしの目の前で」くらい言わせたかったのよ、うん、絶対思ってた。
ていうかこれネズミ視点で書いちゃったから、白い服のネズミさんのかっこよさを描写出来なくて無念。


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