この世に平穏など存在しない


人を信じるな。心を許すな。

それは、育ての親である老婆が最期に遺した言葉だった。





ネズミは、大企業の社長の婚外子だった。婚外子は正式には非嫡出子のことで、婚姻関係にない男女から生まれた子供のことだ。
ネズミの母親はどこかのホステスだったらしく、ネズミの父親である社長──それほど老齢でないにも関わらず、尊敬を込めて「老」と呼ばれていた──には客として以上に尽くしていたそうだが、ネズミを身ごもっていることが分かる前に老と別れ、ネズミを産む頃にはもう別の男と結婚していた。
後にネズミの存在を知った老は、ネズミを子として認知し引き取ろうとしたが、子供の母が別の男性と結婚しており嫡出の推定が働く場合、子供はその夫婦の嫡出子となるため、嫡出否認の訴えが認められるまで認知できない。
裁判や複雑な手続きに辟易したネズミの母親がついに匙を投げたため、ネズミは父方の大叔母に引き取られる運びとなる。
ネズミが小学校に上がる頃には摘出の問題はあらかた片付いたものの、やはり身の回りは常に騒がしく落ち着かなかった。

幼少期をそんな環境で過ごして、子供がまっすぐな性格に育つはずもない。
加えて、人間不信で独り身の大叔母に溺愛されて育ったため、ネズミはすっかりひねくれ、悪賢く扱いづらい御曹子へと成長していった。

12歳の時に大叔母が亡くなり、ネズミは老の元に正式に引き取られたわけだが、そこは更なる地獄の始まりだった。

企業は、大きくなればなるほど裏の世界と通じているもの。
指折りの大御所である老もこの例に洩れず、暴力団と繋がりがあった。

いきなり外から跡取りとして抜擢されたネズミは、反感を向ける格好の標的で、裏の世界の子供達からよく喧嘩を吹っ掛けられ、中学の頃は生傷が絶えなかった。
だが、そのおかげで切磋琢磨され、厳しい現実を生き残るだけの能力を手に入れることができた。

悔しいが、おまえを認めよう。

裏側で長を張っているサソリにこう言われたのは、高校を卒業する頃。

だがおまえは、おれたちの上に立つに相応しい人間にならなければならない。

にやりと面白そうに笑うサソリに、ネズミも同じ笑みを浮かべて、もちろんだと返した。

じゃっ、あんたも、おれが背中を預けるに足る人間になることだな。

不敵な笑みを交わし、サソリとそう約束したことが、もう遠い昔のことのようだった。

老の跡継ぎがネズミに確立してから、次なる大きな問題は嫁取りだった。
次々と催されるパーティーは全て、ネズミの縁組みのため。時代錯誤な大騒ぎにネズミは目を回した。

結婚相手くらい、おれが決めてなにが悪い。

周囲を黙らせるため、カジノでたまたま助けた紫苑に恩を着せ、女装させて見合いパーティーに連れ出した。

もし紫苑の容姿を当てにして日本中を探しても、たとえ紫苑という名前が知られていたとしても、そんな「女」はこの世に存在しないのだから、身元が割れることはないだろう。
だから、そいつに…紫苑に、迷惑はかからないはずだ。

そんな…それだけの、少し利用するだけの、つもりだったのに。

何故だろう。

おれは、深みにはまってしまったのかもしれない。

あのパーティーが終わって数週間、紫苑の面影が頭から離れない。
帰りのタクシーで紫苑が見せた不可解な面にさえ、惹かれている。

こいつのことを、もっと知りたい。

そう思ってしまうことに、誰よりもネズミ自身が驚いていた。



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