愛苦しい、息苦しい 2



あれから何もなかった。今まで通り、四人で楽しくお喋りをして、ご飯を食べて、笑い合って。何もなかった。

――ほんとうに?

「はっ……は、ぁ」

グラウンドを駆け抜け、今はないゴールテープを体で切る。爽快、快感。汗が弾ける。じりじりと夏に近付いていく日の光と、土が放つ熱気。傾く夕日の時間は遅くなり、焦げるような朱は鮮やかだ。

「おつかれさま」
「あ、どうも」
「畑は相変わらず速いなぁ」
「いえ、そんな……」

朗らかに笑って言う顧問に、居心地悪くなる。言葉が有耶無耶になって、弱くなってしまった。前はもっと、はっきりと答えられたのに。もちろんですと、笑って言えたのに。速くて当然のプライドはどこ。

そんなことない。速くない。いや違う。速くないわけじゃなく、ただ焦る気持ちとは裏腹に、走る速度は思うように上がってくれない。この時間帯になると、どういうわけか足が縺れるような感覚を味わう。

(スランプ、とはまた違う……)

どうしよう。どうしよう。
走らないと、走り続けないと。
走って走って、何も考えられないように、あの、すべてを掻き消すような瞬間的な絶対を、追いかけないと。
自分だけが自分の世界に居て、他は一枚ガラスで隔てた数ミリの向こう側にいる、そんな感覚を取り戻さないと。

わすれないと

「――…!」

……なにを?

「あ、畑」
「……え、あ、はい」
「最近お前、焦りすぎ」
「え?」
「みんな心配してる。肩の力抜け」

ぽん、と肩をたたかれる。優しいその力加減に、自分が今までにないほど力んでいたのだと初めて知った。なんと情けない。しかし、自分は一人じゃないと安心した。恐ろしく弱さを孕んだ本音だった。

今自分はどんな顔をしているのか。酷い顔をしていることだけはわかっていたが、鏡のない今、確認する術はない。そっと、顧問を見上げれば、彼はにかりと笑っていた。小さく微笑むようなものじゃなくて。

「……先生」
「ん?」
「ありがとう、ございます」

彼はまた、嬉しそうに笑った。「おう」少し照れたような声で返事をする。しかしその直後、誤魔化すように彼はアタシの頭をかき混ぜた。髪がぐしゃぐしゃになる。けれどアタシは笑った。笑って、忘れる。



back - next
青いボクらは