ネクロフィリアの夢見るユートピア
「僕はね、ただ人が殺したいわけじゃないんだよ」
そう不気味に微笑みながら、目の前のやつはじりじりと近寄ってくる。やつの手にはナイフ。俺の後ろには壁。破裂してしまうのではないかと思うほど、早まる鼓動。目の前のやつは変わらず、にやにやしながら、ナイフの切っ先を俺に向けて、近づいてくる。
「僕はね……きみを殺したいだけなんだよ」
恐怖のあまり、声が出ない。声をあげたところで、ここは廃墟だ。誰も助けに来ない。なぜやつは、俺にそこまで執着するのか。それはわからない。――昨日まで、確かに普通の友人だったのに。
「勘違いしてはいけないよ。僕はきみが憎いわけじゃない」
わかるかい? と、微笑んだまま首をかしげ、俺に同意を求める。わかるわけ、ねぇだろ。心の中で反射的に返すが、声にはならない。
「今回はね、きみの死体をどうしても保存したいんだ。きみの死体が、僕のユートピアには必要なんだ。わかるかい?」
だから、わからねぇよ。どういうことだよ。今回はって、なんだよ。さまざまな問いが浮かぶものの、やはり声にはならない。
「何度きみを殺しても、物足りないんだよ。この殺し方もよかったけど、あの殺し方も試してみたい。あぁ、こんな殺し方もあるなって。そうだ。この前は、素敵な水葬を見せてくれてありがとう。その前は花葬。その前は、素敵な腕を提供してくれてありがとう。その前はなんだったかな、あぁ、火あぶりだったかなぁ。いろんなことを試した。だから次は、きみの死体を保存したいんだ。ホルマリン漬けだなんて、そんな意味のないことはしない。死後硬直すら、させはしない。そんなの、僕が許さない」
目の前のあいつは、さっきまでとは打って変って、真面目な顔で、俺の目を見て話す。やつの話を聞いて、体験したことのない記憶が、走馬灯のように、俺の頭の中を駆け巡る。
確かにあいつに何度も殺された。川に沈められた時の息苦しさ。美しい花に囲まれながら首を絞められ、遠のく意識。きみの腕がほしいんだとせがまれた。燃え盛る炎の中、煙に咽び、焼かれていく肌の痛みに泣き叫びながら息絶えた。……
俺は、やつに何度も殺されている。
「きみはね、僕の理想なんだ」
依然としてやつは、ゆっくりと俺に近づいてくる。猟奇的な言葉を紡いでいるにも関わらず、やつの表情は穏やかで、愛しいものを見るような目をしている。
「僕の理想なんだよ、男でも女でもない、性別のないきみが。アダムとイヴに逆らうきみが……!」
φ
「だから、次は、きみの死体を保存しようと思ってね」
やつは、笑顔でそう言う。
気がつけば、やつの息が顔に当たるほどに、やつは俺に近づいていた。初めてやつの目をまともに見る。その目は、狂気に駆られ、やつの言う、ユートピアというものが内在しているのがわかる。そのユートピアが、組みあがって行く姿が。そして、その一ピースに、自分が組み込まれていることが。さらに、また一人の自分(ここに存在する自分)が組み込まれるべき、部分が。
瞬間、俺は、やつの狂気に囚われる。
俺は、彼に殺されるべきだ。
力が抜け、すとん、と、床に座り込む。同じように彼も、俺の前にしゃがんだ。彼は、ふっと笑うと、
「わかってくれたかい?」
と、優しく言った。
彼の目をまっすぐ見つめ、俺は答える。
「俺がお前の、ユートピアのピースとなろう」
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