悲風


 鍛錬の刻限になっても、城の庭に姿を現さない曹叡を心配して、琉漣は曹叡の部屋を訪った。そこで、目を剥く羽目となる。

「な、あ、子然どのっ!」
「おや」

 窓辺に置かれた榻の上で、曹叡が司馬師に押し倒されて衣服を脱がされかけているのだから、驚かずにはいられないだろう。
 半ば呆然と立ち尽くす琉漣に気付いた曹叡は一瞬で、きめ細かい真珠のような肌を赤く染めて、のしかかる司馬師を退かそうと彼の肩を押した。けれど司馬師はびくともせず、衝立の横に立つ琉漣を悠然と振り向いた。

「これは子然殿。元仲様に、何か?」
「……え。……ああ、ええ。鍛錬の刻限なのですが、曹叡殿がお見えにならないので……」
「なるほど、時間切れ……というわけですか。これは惜しい」
「っちょ、子元!」
「……」

 至極残念そうに溜息をついた司馬師は、曹叡の開いた胸元に唇を寄せて、雪上に赤い花びらを一枚、散らした。
 他人の濡れ場に鉢合わせるなど、郭嘉のそれで慣れていたが、さすがに教え子同士のそれは居たたまれない。幼い頃から面倒を見てきただけに、尚のこと。曹叡が本心で嫌がっていないところが、また……。
 慌てふためく曹叡を無視して、彼のしっとりとした肌をひとしきり楽しんだ司馬師はようやく起き上がって、曹叡の乱れた服を整えた。
 そうしてから、司馬師は曹叡の耳朶に何事かを囁いて、ゆったりと退室していった。

「……」
「……曹叡殿」
「……ああ、鍛錬……ね。うん。すぐ、行くから……」

 お互いに眼を逸らしたまま、短い会話を交わす。
 司馬懿といい、司馬師といい、どうしてこうも……と内心で思う。未だに手の一つも出せずに悶えている司馬懿よりは、息子の方が積極的で剛胆なようだが。
 胸中だけで嘆息して、琉漣は庭に戻ろうと踵を返す。――そこを、慌てた曹叡の声が引き止めた。

「あの、子然どの!」
「はい」

 きちんと曹叡に向き直って、次の言葉を待つ。

「……その、今のことは、父上には黙っていてくれないかな」
「それは、まあ。ご報告申し上げたところで、痛い目を見るのは、どうせ司馬懿殿ですが」
「ああ、まあ父上は何かと理由をつけて司馬懿どのを蹴ろうとするけど……。って、そうじゃなくて。ほら、あの、こんな……子元と、あんな……その……」
「分を弁えぬ質問をお許しください。曹叡殿は、司馬師殿を好いておられる?」
「――っ!? な、わ、私は別にそんな! ……そんな、ことは……」

 一瞬で湯気が出そうなほどに顔を赤らめた曹叡の反応を見て、好きなのだな、と悟る。
 長くしなやかな美しい髪を弄っては、言い訳のような言葉を探す曹叡は、長身にも関わらず可愛らしく見える。こういうところが、余計司馬師を煽るのだろうな、というのは、黙っておいた。

「司馬師殿には、お伝えに?」

 とうとう俯いてしまった曹叡の首が、横に振られた。結い上げた髪の根元を飾る簪が、耳に良い細やかな音を立てる。女物の飾りや衣服を、美しいと言って好むのは、昔から変わらない。

「司馬師殿は気取っておられるようですが」
「……気恥ずかしいでしょう」
「だからといって、伝えないままでは後悔なさるのではないのですか」

 伝えられないままの言葉がある、ということは、胸に重たいしこりを残すのだ。人はそのしこりに、後悔、という呼び名をつける。
 曹叡に言う一方で――琉漣は自分の発言に驚いていた。義父や義兄に伝え残していることはないのに、どうしてこんなにも、自分は切なく思っているのだろう。――後悔しているのだろう。
 大切な思いを伝えないままで、隔たれてしまった。そのような感覚が、じわりと胸の奥から滲み出てくる。

(――"俺"の記憶か)

 魂に刻まれた、琉子然より前の思い出が、こんな胸を締めるような感情にさせているのだろうか。

「子然どの?」
「――あ、……いえ」

 思考の海に沈む琉漣を不思議そうに見遣る曹叡の声が、琉漣を現実に引き戻した。
 何でも、と首を振る琉漣を、けれど曹叡は暫く納得いかなそうに見つめていた。やがて軽く息を吐いて、曹叡は立ち上がる。

「――そうだね、いい加減に、あの人の声に答えた方が良いのだろう。立場柄、許されざる事だろうけれど、それでも……」

 少しの間だけでも、心を通じ合わせていたいのだ……と、曹叡は儚く笑んだ。


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