晶光




 琉漣はもう随分長いこと、そこに佇んで潤沢としたぬばたまの双眸を見つめていた。黒曜の持ち主も、ただ静かに琉漣の緑を帯びた黒い眸を見返している。

「おや、琉漣殿。何なすってるんです」
「――郭嘉殿。いえ、良い馬だと思って」

 ひょこりと厩に姿を現したのは、曹操が重用している神算鬼謀の軍師、郭嘉だった。戯志才の後任として荀イクの推挙で召し出された奇才だが、とんでもなく乱れた私生活を送っているのでたびたび陳羣から苦言を呈されている。
 だが呂布を討伐出来たのも、地力に勝る袁紹を破れたのも、彼の慧眼と神算によるところが大きい。今回の烏丸征伐も、彼の献策が勝利に多大な貢献をしたのだった。

「ああ、鹵獲した馬か。烏丸の馬は中原の方とは質が違うらしいですが」
「そのようです」

 琉漣が郭嘉に目もくれず見つめ続けているのも、そのうちの一頭だ。珍しい白い毛並みが目を引いて、次には玉のような穢れない眸に虜となった。よく育てられた身体も素晴らしい。

「随分惚れちまったみたいですねぇ、琉漣殿」
「ええ。他の方に懐く前に、何としても口説き落としておきたくて」
「どっちです?」
「彼女、ですね」
「へえぇ。こりゃ、良いとこのご令嬢方が袖を噛んで悔しがるな」
「何ですか、それ」
「あれ、ご存じないんですか。結構評判ですよ、琉漣殿。麗しの将軍がいらっしゃる、ってね。良家の令嬢なんかは、見合いを申し込んでるそうですが」
「ふうん。そう言う話は初耳ですね。私のところには見合い話は来ていませんし」
「もう良い歳でしょう。嫁の一人や二人、いたって良いんじゃないですか」
「お盛んな郭嘉殿には、何も言われたくありませんよ。嫁をもらう気もありません。……彼女なら別ですが」
「はああ、そりゃ結構ですけど、初めての相手が馬ってのは、やめときなさいよ」
「…………郭嘉殿」

 さすがにこれには、琉漣も馬から視線を外して郭嘉をじとりと見遣った。下品な発言をした当人は、からからと笑っている。
 ――そして実は、琉漣は未経験ではない。口に出して反論はしないが。十六以前に、恐らく情交したことがある。何となく、それを琉漣の身体が感覚で覚えている。
 "琉子然"としては未経験のままとも言えるので、とりあえず黙っておいた。――ところで、ふと気付く。

「何故郭嘉殿が私の下半身事情をご存知なんですか」

問いかけると、どういうわけか郭嘉がぎょっとしたような表情を見せた。

「下半身事情って、綺麗な顔して結構な表現しますね。琉漣殿の口から出ると、何だか心臓に悪いわ」

 意図せずすらりと出て来た言葉に、指摘されて指を口元にあてた。さては以前の自分が、こういった直接的な表現を用いていたのか。

「……割と下品な人間だったようです。――で?」
「ああ、そりゃ……ねえ。あんたが女を買ったら、絶対その界隈で噂になりますし。多いんですよ、琉漣殿に抱かれたいって遊女(あそびめ)。そんなのが広まったら絶対若が怒り狂うでしょうし。以前にも捨てる捨てないので痴話喧嘩なさったでしょう」
「痴話喧嘩って……。郭嘉殿、誤解してませんか。私と曹丕殿は単なる師弟ですよ」
「いやいや、そりゃ知ってますとも。でもねえ、ちょっとあんたらは"単なる"とか"普通の"とかとは逸脱してるから、タダナラヌ関係だって思ってるのも、いるんですって。もちろん、琉漣殿が女役でね」
「……もちろんという辺りが特に聞き捨てなりませんが、そもそも貴殿、どうして曹丕殿と喧嘩したのをご存知でいらっしゃる」
「ん? だってそりゃ夏侯楙殿が「子桓と琉漣殿が痴話喧嘩して抱き合ってんの見ちまったんだけど、俺どうしよう」って大勢の前で言いなすったんで」
「――後で殺す……」
「ははは、見物に行こうかな。手加減してやってくださいよ」

 さてね、と冷ややかな返答の後、白馬が不機嫌そうに鼻を鳴らした。琉漣が向き直ると、白馬は鼻面を琉漣の頬に摺り寄せてきた。

「、と……」
「おや、私はどうやらお邪魔虫みたいだな。蹴られちまう前に退散しますよ」

 相変わらず飄々とした、どこか掴みにくい背中を、琉漣は見送った。
 ――妙な咳をしている。大事ないと良いが……。顔を曇らせながら、摺り寄せられる鼻を撫でる。

「晶光、にしよう。これからあなたを晶光と呼ぶ。――よろしいか」

 玉のような眸に訊ねると、それは了承するかのように煌めいた。
 帰還後、一方的な琉漣と夏侯楙の手合わせを見物する姿の中に、彼の緩い笑貌は、なかった。



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