幼心


 ――長兄が死んだ。
 正月の事だ。張繍の征伐に向かった先で、戦死した。従兄の曹安民も、父の護衛の典韋も、炎の中で死んでいった。
 曹昂の部屋を覗いても、そこにあの不器用な優しさは存在しない。琉漣がいないころ、頭を撫でてくれたのは彼だった。厳しい顔立ちを必死に和らげて、よく面倒を見てくれた。
 だからといって特別親しいわけでもなかったが、もうあの凛とした聲を聞く事もないのだと思うと、心の端に空洞が出来たような、妙な心地になる。
 これが、死というものなのだと、曹丕は長兄の牀に腰掛けて思う。こうして待っていても、彼が部屋に入って来る事はないのだ。遠くへ行ってしまったから。
 更には次兄も長くない。曹昂の訃報が堪えたのか、近頃は臥せったきりで、会う事もままならない。彼は身体が弱いこともあって、数えるほどしか顔を合わせた事がないけれど、その数回はいつも穏やかな笑みを浮かべていた。その微笑も、近々途絶えるのだろう。
 琉漣も、このような空洞を持っているのだろうか。ふとそう思って、何だかひどく会いたくなった。燃え盛る宛城から助け出してくれたことへの礼を、まだきちんと伝えていないことを思い出す。それを口実にすればいいだろう。本当は、彼に会いにいくのに口実など要らない仲ではあるのだが。
 兄の部屋を出て回廊を足早に進む。日が暮れ始めるこの時間帯は、琉漣はいつも誰かしらと庭で手合わせをしているのだ。
 庭へ下りる階の近くまで行くと、談笑の聲が耳に届く。その中には聞き慣れた琉漣の聲も混ざってあったので、そろりと柱の影から庭を覗き見た。
 やはり手合わせをしていたのか、三人の男と琉漣の手にはそれぞれの得物が握られてある。そのうちの一人の武器と琉漣の武器はよく似ている。違うのは、琉漣の武器の刃が柄の両端に備えられているという事くらいだ。
 あの男等は確か、もと徐州牧とその義弟たちだ。呂布という男に破れ、曹操を頼ってきたと司馬懿に聞いた。
 粗野な男が琉漣に馴れ馴れしく触れて、琉漣もそれを特に拒まずにいるのを見て、曹丕の心中になにか黒いものが産まれる。

「……さわるな」

 黒いものは肥大して硬くなり、ずしりと心底に沈んでいく。と同時に、粗野な男を我知らず睨んでいた。呟いた言葉も、曹丕にはその自覚さえなかった。

「子然は、わたしのだ」

 ――と呟いて、はっと我に返った。自分は何を言っているのかと。
 幼い子供のような心が自分にあった事を認めたくなくて、けれどもしっかりと自覚してしまったのでどうしようもなくなり視線をさまよわせ、結局琉漣に留める。あのような我が儘な言葉を聞いたら、彼はどのように思うのだろうか。
 失望だけはされたくない。自分にはもう、琉漣しかいないのだ。昨年出仕してきた司馬懿はまだ、信用出来ない。少しずつ、心を委ねられる人を増やせれば良いと琉漣は言っていたけれど。

「……子然?」

 ふと、彼の笑顔がどこか冷たい事に気付く。いつも自分に向けてくれるようなやさしい笑貌ではなくて、一歩引いているような、造りものめいた微笑。
 あのような顔は見た事がなかった。少なくとも、共にあるときは。
 わずかに、黒いものが溶けた気がした。あの穏やかな笑みを向けてもらえるのは、自分だけなのだと思っていいのだろうか。
 問いかけてみたいと思ったが、曹孟徳の息子として然るべき振る舞いではないとも理解しているので、曹丕は静かに、彼の人の冷たい笑みに背を向けた。



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