掴んだ青の行方
前作「青を掴んだ休息」後日談。
倭姫に捧げます。巧さん宅からお子さんお借りしています。











思考が考えることを遅らせると、思いもよらない弊害が起こる。
先日そんなことを身を以て体験することとなったアルベルトは、その記憶をなるべく片隅へ追いやっていた。
考えれば嵌まり込む。それはいけない。決して。

そう思っているときに限って、その原因に当たる人物と出くわしてしまったりするのである。






+ + +


「クッソ、あいつ何考えてやがる…!」

空から地上へ戻ってきたアルベルトは、苛々と歩を進めていた。
ダンテの突拍子もない行動の、後始末を擦り付けられるのはいまに始まったことじゃない。もちろん褒められたことではないが。
それでも理不尽だと叫ばずにいれるほど大人でもなく、その苛立ちを表に出さないよう消化することが毎回できるほど器用でもない。
そんな理由で、いつもより深く眉間に皺を寄せたまま、アルベルトは食堂へと歩を進める。
甘いものが欲しい。切実にそう思った。
身体ではなく精神面が疲労している。労わるために好きなものが欲しいという欲求はごく自然なものだ。
またココアでも飲むことにしようかと思いながら足早に歩けば、周囲の人間はアルベルトから距離を取る。
彼の生来の顔立ちと不機嫌さが相まって、近づきたいと思える勇者は僅かだろう。今は関わりたくないと思われるのも仕方ない。
そしていざ食堂に辿り着けば、聞き覚えのある声がする。毎日のように聞いている声だ。

「いや、それが――」

フェルディオの声だ。どうやら誰かと会話をしているようだが、相手はあの整備士ではないらしい。声が違う。
明らかに女性の声だった。
あいつ女でもできたのか、と内心で少し驚いて、その横を通り過ぎようとしたときだった。

「あ、アルベルトさん!」

呼ばれて思わず足を止める。聞き覚えのある声だ。この、声は。
考えているうちに後ろから、袖を引かれた。青を掴む小さな手が視界に入る。
振り返れば、そこには整備士であるシズキがいた。
眉間の皺も何もかも、そのまま時が止まったように、アルベルトは一瞬硬直した。できれば暫く会いたくない相手だからだ。
頭の片隅に追いやった事実が浮上しかけたのを、瞬きの間に再び片隅に追いやった。
あの時とは違い、顔色のよくなったシズキは、アルベルトの正面に立つと、勢いよく頭を下げた。
整備士のはずなのに、軍人かと思うような立派な礼に、正直アルベルトは面食らった。

「先日は、ありがとうございました!」

栗色の髪がふわりと揺れる。頭を下げるシズキを見下ろしていたアルベルトは、フェルディオが不思議そうに視線を向けているのに気付くとシズキの肩を軽く叩く。

「シズキ、いいから顔あげろ」

はい、といい返事をしてシズキが顔を上げる。丸いキャラメル色の瞳は真っ直ぐにアルベルトを見つめている。
できればその事には触れてほしくなかったアルベルトである。しかしシズキはそれを知らない。
平常心を装うアルベルトに対して、彼女はそうだ、と笑顔を咲かせる。

「お礼と言ってはなんですが、お渡ししたいものがあるんです」

良ければ外のベンチに行きませんか。――その誘いを断る理由なんてない。とにかくこの場を離れたかった。
分かったと告げれば、シズキは嬉しそうにありがとうございます、というと、くるりと向きを変える。
場を離れるべきかと思案していたフェルディオに、「ありがとう!」と笑顔を向けた。
その行動に、何か靄のようなものが胸をかすめたのは、きっと気のせいだろうとアルベルトは外に向かった。






+ + + 



「これ、良かったら」

アルベルトに、「少し待っていてください!」と言い置いて走り去ったシズキが帰ってきたとき、その手には小さな紙袋を持っていた。
それを渡されて、なんだ?と首を傾げる。その時その紙袋から漂ってきた匂いに、アルベルトは敏感に反応した。
受け取って中身を見てみれば、案の上中身はお菓子である。どうやらクッキーを数種類いれてあるらしかった。
甘いものが欲しいと感じていた身体は、それを喜んで視界に入れた。

「いいのか?」

「はい。アルベルトさんの口に合えばいいんですけど」

微笑むシズキの言葉から察するに手作りだ。
いそいそと中身に手を伸ばすアルベルトの隣で、シズキは一緒に持ってきていたらしい水筒から紅茶を注ぐ。
どうぞ、とカップを手渡されて、反射的にそれを受け取ったアルベルトは、手にしたクッキーをひとつ、口に放り込んだ。
クッキーのバターの香りと、さくさくとした歯触りが口の中に広がる。いつの間にか苛々としていた気分は消えていた。
しかしその代わりのように、アルベルトの思考回路を占拠するものがある。
先日の、頭の片隅に追いやっていた、事柄についてだ。

先日、顔色の悪いシズキを見つけた。
立つのも不可能な状態の彼女を抱き上げ、疚しい気持ちがないとはいえ自分の部屋に連れ込み、あまつさえ「寝ていろ」と二人きりになってしまったなど。
若い男女が密室で二人きり、しかも男の部屋。最低すぎるとあとから気づいた。
薬で落ち着いたシズキは、目を覚ますなり真っ赤な顔をして部屋をあとにした。足取りはしっかりしていたので、一人で大丈夫ですという言葉を信じた。
あれから一週間あまり。シズキとは会うことはなかったのだ。
それなのに、この状況である。
なかったことにして会話をするには期間が短すぎるし、何よりシズキに「先日は」と切り出されていて逃げ場はない。
こうなれば早く謝罪すべきだと、クッキーを呑み込んでアルベルトは決意した。

「シズキ、その」
「はい?」
「先日は、悪かった」

なるべくシズキを目を合わせないようにそういえば、隣から返答はなかった。
そろりと伺い見れば、きょとんと目を大きく開いている。予想外の反応にアルベルトは内心首を傾げた。
なにか間違っただろうか。

「おい、」
「あ、はい。ええと…アルベルトさんが謝る理由、ありませんよね?」

問いかけられて驚いたのはアルベルトだった。理由はあるだろう!

「…疚しい気持ちがないとはいえ、体調の優れない女を部屋に連れ込むなんて最低の行いだろうが」

眉間にきゅ、と皺が寄ったのがわかった。
男の部屋に二人きりになる危険性を、まったく持っていないとでもいうのだろうか、この娘は。
それとも、自分は男として見られてもいないのか。
心が軋んだ音を立てた気がした。居心地の悪い圧迫感が喉を覆う。これ以上、言葉を紡ぐことが難しい。
このもやもやとした感覚の名前はなんだったろうか。

「…アルベルトさんが」

はっと目の前のシズキを見る。シズキは言葉を選んでいるようだった。
相手に、きちんと伝わるように、誠意を込めた声が鼓膜を震わせる。

「他意はなかったこと、わかっています。立ち上がれもしない私を、寝かせてあげようとしてくれた気持ちも伝わっています。…だから、アルベルトさんに謝る理由なんて、ないんですよ」


栗色の髪が風に流れる。その隙間から、優しく微笑むシズキの顔を見る。
もやもやしていたモノが、すっと掻き消えるのを感じて、ほっと息を吐いた。
そんなアルベルトの様子を見てか、シズキは口元を押さえて小さく笑う。

「アルベルトさん、考えすぎです。体調不良の理由が知られてしまって恥ずかしいとは思いましたけど、嫌だとか、怖いとか、少しも思っていないんです。アルベルトさんに、そんなこと思うわけないです」


優しく微笑むシズキを近くで感じたくなって、アルベルトは手を伸ばした。
口元を隠す倭姫の手を取る。整備の仕事で油の匂いの染みた手をぎゅっと握りこむ。
驚いたように固まっていたシズキの顔が、みるみる赤くなっていく。

あ、この顔。

いいな、と思って顎に手をかける。
くいと上を向かせれば、羞恥に潤んだキャラメルの瞳と視線がぶつがる。
――ああ、美味そうだ。

ちらりと周囲の気配を探る。好都合なことに、人の気配はしなかった。
それをいいことに、今だ驚きに潤むシズキの視線を捉えたまま、握りこんだ手を軽く引く。抵抗はなかった。
ゆっくりと熱が重なる。柔らかな温もりが、この上ない安堵と興奮を生む。

「ん…っ」

呼吸をするために一度少し口を離し、すぐに角度を変えて塞ぐ。
顎を掴んでいた手は項へと滑らせた。辿り着くまでに、さらりと流れる栗色の髪が肌を擽る。
項をゆっくりと撫で上げれば、シズキの体がぴくりと震えた。
きゅっと閉ざされた瞼の向こうのキャラメルが見たくなって、唇を離す。はあ、と熱っぽい吐息を漏らしたシズキに、熱の籠った視線を向けた。

「アルベルト、さん」
「…なんだ」

熱に浮かされたまま、シズキは甘い吐息とともにアルベルトの名を呼ぶ。
不器用に応えたアルベルトに、シズキは泣きそうな顔で笑った。

「好き、です」
「ああ。俺もだ」

気づけば大きくなっていた存在から、もう。
目を逸らすことなど、出来そうもない。





(その唇からは、甘いクッキーの味がした)


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