『女を、好きになれねえんだ』


 まさか、幻聴だろうと思った。そんな言葉が、この男の口から飛び出してくるなんて露ほども予想していなかった。何かを口にしようと思っても、停止して真っ白になってしまった頭は正常に作動してくれるはずもなく、そのときのオレはきっと間抜けなくらい驚きに呆けてしまっていたと思う。そんな様子を見て、ふっときれいな笑みを浮かべたサスケは、まるでさっきの発言などなかったかのように、じゃあな、と言った。気付けばそこはいつもの別れ道で、オレはその言葉に、返事が出来なかった。
 オレは、アスマ以外の男を好きだと思ったことはなかったし、いいなあ、なんて思ったこともなかった。たしかに、初恋は男で、その想いをいまだに引きずっては、いる。多分あきらめ切れないというよりは、それは長い期間、ほのかな恋心を募らせてきたものだから、それを簡単に捨ててしまうのは惜しいという気持ちがあったのだろう。ただ、きれいな女の人を見ても、いいなとは思いこそすれ、欲しいとは思わなかった。おかげさまで順調に童貞歴を重ねているのだけれど、いままで特に趣味といった趣味もなく、興味のままに勉強ばかりしていたのだから、仕方がないと言えば仕方ない、と自分を納得させていた。もしかしたら、オレはゲイなのだろうかと思ったこともある。でも、何度考えをめぐらせてもその結論は腑に落ちなかった。たまたま、好きになったのが男だっただけ。そんな風に理由をつけて、このことに対して深く考えるのを放棄した。他人と違うということが、怖かったからかもしれない。オレはそうだったというのに、サスケはどうだろう。あろうことか、それを事も無げに口にした。女を好きになることが出来ない、と。

 しばらく、その場に立ち尽くしていたのだろう。はっと気付いてサスケの歩いて行った方へ走ってみたが、そこにはもうサスケの姿はなかった。落ち着かない心のままに、オレはそこからアスマのマンションに向かうことにした。ぐるぐると頭の中を回るのはサスケのことばかりだった。どうして、サスケはあんなことを口にしたのだろうか。話の流れからして、オレがサスケに対して、女に興味がないのか、と聞きはしたけれど。それでも、まさかそんなカミングアウトが待っているなんて、思いもしないじゃないか。冗談にしては、性質が悪いと思えた。それは自分が微妙な想いを持っているからかもしれない。しかし、あのサスケの言葉を冗談だと片付けることは出来なかった。声のトーンは明らかに冗談を告げるそれではなかった。それなら、なぜそのことを打ち明けたのか。まさか自分の気持ちが透けていたのか、それでもアスマのことはかなり伏せて話していたはずだから、そこから何か気取られるなんて、スパイでもあるまいし。スパイがそんな能力を持っているなんて知らないけれど、そんなことをぐちゃぐちゃの思考の中考えながら、アスマの部屋のドアを開けた。


「今日は遅かったな」
「あー……うん、まあ……ちょっと」


 ちょうどキッチンからコーヒーを持って出てきたアスマに出迎えられ、投げられた言葉に歯切れ悪く返したが、アスマは気にしていないようだった。ビデオをローテーブルに投げ置くと、断りも入れずにソファーに腰かける。そこはアスマの特等席だと知っていたけれど、今はその柔らかな感触に沈みたい気持ちが先行している。ふう、と大きく息をついた。アスマもいい大人で、そしていつでも絶妙な距離(恋心を持っていたオレにとっては本当に焦れったいものだった)を保ってくれる。今日も、どうしたとか何があったとか、聞いてきたりはしなかった。それがアスマの優しさなのだと、オレは知っている。


「泊まってくだろ?」
「んー……」


 目を閉じて何も考えないようにしていたところにアスマの声がかかる。それに唸りながらも何度か頷いた。もう寝てしまいたい気分だ。ちょうどいい具合に眠気も訪れている。しかし、別れ際のサスケの笑みが頭に貼りついて離れない。次に会うとき、一体どんな顔をすればいいのか分からなかった。妙に意識してしまう気が……っておかしいおかしいおかしい。どうして意識してしまうんだ。サスケが男をそういう対象として見ているからといって、オレには関係のないことじゃ、ないのか。


「シカマル」
「っ! なんだ?」


 気付けば近くにいたアスマに本気で驚いてしまった。そういえば、アスマの部屋に来ているのにここまで他のことに思考を奪われてしまったのは初めてのような気がする。
声をかけてきたのだからきっと用があったのだろう、視線で続きを促すと、アスマは少し言い難そうに口ごもっていたが、頭をガシガシと掻いて口を開いた。


「あいつのところに戻ることにした」


 オレは、再び心の底から驚いてしまった。本日三度目の驚きではあったが、それでも驚いたは驚いた。アスマの言う、あいつ、が奥さんだということは容易に察しがつく。考えてみれば随分と長い別居(と言っていいのかよく分からないけれど)だった。眠気など、完全に飛んでしまった。


「あと二カ月くらいで臨月だしな。オレが折れてやらねえとしょうがねえ!」
「んだよ散々文句言うわ人をいいように使うわでこっちはいい迷惑だったっつの」
「悪かったって! また今度焼き肉連れてってやるからそう言うなよな」
「言ったな? もちろんオレ一人じゃねーから覚悟しろよ」


 それは、と焦るアスマを見てしてやったりと笑う。幼馴染カップルを連れて行けばさぞ喜ぶだろうし、同時にアスマの懐にもダメージを与えることが出来る。これで今までの仕返しとしてやろうというだけ、可愛いものだと思ってもらいたいものだ。
 そして、自分がまったくと言っていいほどに、動揺していないことに気付いた。オレは、アスマのことが好きだったはずだ。オレの頭を撫でてくれる手のひらがたまらなく好きだった、はずなのだ。それが、もうなくなってしまう。と、いうのに、オレの心に落胆の影は一切なかった。


「だから、これももう借りに行かなくていいからな。面倒かけて悪かったわ」
「え……」


 これ、と言って指されたそれはビデオで、つまり、サスケのバイト先なわけで。次に返しに行ったら最後、そのレンタルビデオ店で、アダルトビデオを借りる必要もないのだ。
 まさか、このタイミングで、オレはサスケに会うための理由を失ってしまったのだった。
 会う理由が無くなって、ほっとしているのか。そう自分に問いかければ即座に違う、と否定の言葉が返ってくる。どうして、その問いに、答える言葉はなかった。また、会いたいんじゃないのか、そうだ、会って話をしなければ。具体的な内容など思いつきはしなかったが、あんなカミングアウトをした相手に対して、会わないまま、なんてどう考えてもサスケを傷つけてしまうことになる。たしかに理由はない、けれど、会いに行こう。冷静になってみれば、別に金曜日である必要はなかった。サスケがバイトにいつ出てきているかなんていうのはすでに知っていたのだから。でも、つい、いつものくせで。


 その次の金曜日。なんという不運か、オレはその日近年稀に見るような体調の崩し方をして、ベッドの上から起き上がることすら叶わなかった。オレは、その日、サスケに会いに行くことが出来なかったのだった。



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101218





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