これの続き




 見も知らぬ部屋に一人取り残されて、サスケはしばらくそのまま呆然としていた。この、一ヶ月。様々なことが起こり過ぎて、容量オーバーでろくに何も考えることができなかった。シーツを握りしめていると、その手が清潔な包帯で手当てされていることに気付いた。身体を動かすと、背中に違和感を覚え手を伸ばす。シャツの隙間から差し込んだ手のひらに触れたものは、自分の皮膚ではなくガーゼだった。この場所は、たしか。
 下品な笑い声。品定めするように肌を這う視線。抵抗も虚しく取り押さえられ、押し付けられる熱せられた金属。それから、自身の悲鳴。
ぶわりと全身から汗が噴き出し、眩暈を覚える。目を両手で覆い、目蓋に焼き付いた情景を振り払おうと首を振った。まともな食事など摂っていなかったが、せり上がってくる嘔吐感に今度は口元を覆った。
 コンコン、とサスケの部屋の扉を叩く音が聞こえる。しかし今のサスケにはその音に応える余裕などなく、荒い呼吸のまま扉を睨みつけることしかできなかった。

「失礼します。……ああ、目を覚まされましたか。お加減はいかがですか?」
「……いいように、見えるか?」

 返事がないままに扉を開け、入ってきた男はサスケが身体を起こしているのを見て気遣うような言葉を発した。しかしその声は本当にサスケを案じているのか、感情の読めないものだった。サスケはそれに皮肉で答え、その男に頭の先から爪先まで視線を浴びせかけた。
 部屋に入ってきた男は身なりが整っており、飄々とした様子だった。その男はきりりと意欲的、と言うよりは適度に力を抜いた粋な表情を浮かべていた。口元には長い楊枝のようなものがくわえられている。喋り方や服装から、サスケはこの男がこの屋敷の執事であると思ったが、口元の楊枝に目が止まり自分の判断に自信を失った。

「オレは坊ちゃん……ああ、シカマル坊ちゃんの執事の不知火ゲンマと申します。着替えはオレが用意させていただきましたが……坊ちゃんとサイズがそう変わらないご様子で」

 口元をくいと引き上げたゲンマは執事らしからぬ態度でサスケの元へ歩み寄った。執事の態度ではない、とサスケは思ったが、ゲンマはサスケの執事であるわけでもなく、そして今のサスケは貴族であるどころか権利など一切持たない奴隷に身を堕としているのだった。
 歯噛みしたい思いに駆られたサスケだったが、清潔な衣服や部屋を与えられた手前文句など言えるはずもない。代わりに鋭い視線でゲンマを射抜いておいたが、そんなものゲンマはどこ吹く風だった。その様子が自分についていた執事とどこか似通っており、つい最近のことであるのに随分懐かしく感じた。

「……背中の“けが”のことですがね」

 ゲンマが言う“けが”は間違いなく奴隷の証である焼印のことだった。触れられたくないものに触れられたことでサスケは唇を噛んだ。自分の背中に烙印があることを、サスケは何より認めたくなかった。しかしまだわずかに痛むそこがたしかに存在を主張していた。

「炎症を起こしているようだったので、勝手ながら手当てさせてもらいましたよ。一応医学をかじったこともあるので言っておきますが、炎症が引いてもおそらく痕が残ると思います」

 先ほどまで緩めていた口元を引き結んだゲンマは真面目な声音でそう言った。背中の烙印は、消えない。絶望と屈辱にシーツをぎりぎりと握り締めた。
 リン、と遠くの方でベルがなり、ゲンマがそちらの方に顔を向けた。ふう、と息をついたゲンマはサスケの方に向き直り、ふっと表情を緩めた。

「サスケ様は坊ちゃんの客人ですから、気を楽に」

 ゲンマはサスケの頭にぽん、と手を置いて歯を見せて笑った。まったくもって執事らしくない。けれど、頭を撫でられたサスケの脳裏には幼い頃、執事にわがままを言っては宥めるように頭を撫でられた記憶がよみがえっていた。
 何かを懐かしむように細められた目を見たゲンマはふっと笑って、失礼しますと言葉を残して部屋を去って行った。



 今頃、あの執事は一体どこにいて何をしているのだろうか。銀髪を揺らして、片目を眼帯で覆った状態ながら何事もそつなくこなしている姿を思い浮かべる。サスケが物心ついた頃にはうちは家に仕えていた。詳しく聞いたわけではないからよく分からないが、イタチがカカシをうちは家へと連れてきたらしい。それもイタチがまだ幼い頃の話だ。サスケにとってはカカシが屋敷に仕えていることが当然のことだったからそれを不思議に思ったことはなかった。
 カカシはうちは家に仕えていたが、主にイタチの身の回りの世話をしている印象だった。他にもいくらか執事はいたけれど、イタチ絡みのことはいつもカカシがこなしていた。もちろんサスケもうちは家の人間であるのだから、朝食を出してもらったりだとかスケジュールの確認をしたりだとか、していたけれど。

『いけませんよサスケ坊ちゃん。本日のご予定は午前のうちに語学のお勉強、午後から経営学のお勉強と剣術の練習。これが終わるまでは遊びに行ってはいけません』

 小さい頃に何度も言われた言葉だ。別に外に遊びに行きたかったわけではなく、イタチに構って欲しかったのだと思う。けれど、イタチはその時すでに小さめの会社ではあったが実際に経営を任されていて、幼いながら忙しい身で。それを知ったのは構って欲しい年頃をすぎたあたりだった。サスケがイタチの元に行けばイタチの仕事の手が止まってしまうと分かって、サスケを足止めしていたのだろう。もしかしたらイタチに言いつけられていたのかもしれないし、カカシがイタチのことを思ってそうしたのかもしれなかった。
 思い返してみればいつも人の良さそうな顔で笑ってはいたけれど、色々なことをやんわりと止められていた気がする。
 『いけません』『駄目です』『だから駄目だって言ってるでしょーが!』
 面白いほど簡単に思い出せる。自覚こそしていなかったけれど、思っていた以上に悪ガキだったかもしれない。剣術の練習は好きだった。本を読むのも嫌いではなかった。家庭教師がやってきて勉強を教わるのは、かなり嫌いだった。父か母が屋敷にいる時は大人しく勉強していたけれど、両親が不在の時は毎回脱走を試みていた。毎回同じようにカカシに捕獲されていたことを思い出して笑みがこぼれた。


 執事だけではない。両親も、兄も。今頃どこで何をしているだろう。生きているだろうか。自分のような目に遭っていやしないかと気が気ではないけれど、考えたところでどうしようもない。今は何の因果か、変わり者のシカマルに拾われて難を逃れたのだから、自身の身の振り方を考えるしかない。シカマルの思惑が分からない以上下手に行動することもできないけれど。
 ぐうと腹の鳴る音がした。最後に物を食べたのはいつのことになるんだったか。ちょうどその時、部屋の扉を叩く音がした。



異色な執事と堕ちた少年


120205




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