正化31年。メディア良化法の成立から、約30年ほど。他国で聞く、紛争や戦争とはまた違った抗争による隊員の死傷すら合法となった、この現代。
何の因果か、はたまた、運命の悪戯というやつか。
図書館の"軍隊"にあたる図書隊防衛部は、今や警察や自衛隊よりも、そして、"武偵"と呼ばれる武装探偵とほぼ同列程度に、日々の危険度は高い職種と言われている。

関東図書基地。

東京武偵高を卒業した後の私は、各地をきょうだいと共に回りながら武偵として過ごして、約7年。思うところあって、少し前にここに入隊した。

「―――腕下げんな、笠原!!」

新隊員訓練ハイポート。というのはつまり、小銃を抱えた持久走。緑の生い茂る芝生の上を、多数の男性隊員に混じり、少数の女子隊員も見た目のいかつい重装備で小さめな銃を抱えて走る。走る。とにかく、走る。
これがまた、中々に辛いらしい。まだ春先だというのに服の中を汗が滑り落ち、じんわりと服を濡らしていく。懐かしい、気持ちの悪い感触だ。

……強襲科で経験した記憶がよみがえる。まるで、学生に戻ったようだ。

嬉しくないご指名で注意をされた年下の同僚を横目で追い、あまり下がってはいなかった自分の手元の銃を、心持ち上にあげた。





「あ〜もう、つっ…かれた〜〜!あのクソ教官、絶対あたしを目の敵にしてるって!!」

疲れ、有り余って元気100倍といった感じか。

恨み言にしては随分と大きな声をあげた笠原は、勢いよく振り上げたフォークを定食のハンバーグへと突き刺した。肉汁が、飛ぶ飛ぶ。
カレーうどんを食べていた私は、それを器用に避けつつ、向かい側に座る柴崎に布巾を手渡した。どうやら、笠原の油が飛んだらしい。眉間にシワが寄っているが、気持ちが高ぶっている笠原は気づかない。

「はぁ…クソ教官って、堂上教官のこと?」

まさかとは思うけど、小牧教官のことじゃないでしょう?と視線をよこしてきた柴崎に、視線で同意する。小牧教官を直接の教官とする教え子は私であって、笠原ではない。

「そうよね。遠山が誰かの愚痴言ってるの、想像できないし」
『口は災いの元だよ』

ましてや相手は教官だ。

「ぐあ〜〜!あんたは悟りでも開いてるのか!!そりゃあ、あたしだってわかってるし、愚痴もでないくらいいい人でしょうね!小牧教官は!!」
「……って言ってるけど?遠山」
『笠原にとってあそこまでいい人はいないと思うけどなぁ』

カレーうどんのいいところは、スープも2度おいしいというところじゃないだろうか。あっという間に麺を平らげ、スープを飲み干した私を前にして、笠原にあんた誰でもいい人って言ってるでしょ!?と噛み付かれた。別に誰にでもいい人と言っている訳ではないが、当たらずも遠からずというところで、思わず黙り込む。
図星か!と突っ込む笠原に、柴崎が、まあ落ち着きなさいよとデザートの苺を放り込む。例に倣って、私も苺を皿に放り込んでおいた。これでどうぞお怒りをお鎮めください。

「むぐっ……だって、あたしだけなの!他の女子がへばってても、あたしと同じ仕打ちしないわよあいつ」

基礎体力の問題では。言葉を飲み込むように、お冷をあおる。

「ハイポート男子と混ざって12位で一体何が文句あるって言うのよーー!」

きぃ〜〜ムカつく!!と机に伏せった笠原にふーんと視線だけ送っていた柴崎が、不意にこちらを振り向いた。
睫毛長すぎか。
その整った顔立ちに、思わず同性ながらドキッとしてしまう。もし柴崎が武偵高にいたならば、尋問科や情報科はもちろんのこと、CCRだって狙えただろう。ハニートラップ。むしろ、私が一度受けてみたいかもしれない。

「で?遠山は何位だったのよ」
『いち』
「…愚問だったわね」

まじかよ、とでも言いたげな顔で見てきた柴崎ににっかりと笑い返していると、笠原がまた発狂しだした。頭をがりがりとして、急にガバッと起き上がる。

「あんたは化物か!遠山!何であのあたしと同じような位置から、急に先頭になるのよ!」
『何ででしょう』
「腹立つ〜〜」
『急に何かしたんじゃないよ。数分間隔で少しずつ上げてたんだ』

このくらい慣れればこのくらいのスピードで行ける。それを何回か繰り返していけば、いつの間にか先頭には誰もいなかっただけの話だ。笠原のように最初から飛ばしていても後からへばってしまうし、ずっとゆっくりのペースで走っていても意味はない。ずっと走り続けることのできるペースで、スピードを徐々につけていけばいいだけの話なのだ。結局は。
あとは、武偵の意地だろうか。
納得してふうんと相槌を打つ柴崎の横で、ふと思う。でもなあ。今日の午前中の訓練だけを通してでも思うのは、最盛期の頃より体力が落ちたなということだ。確かに、この春先は入隊だ何だと忙しかったせいか、あまり自分の鍛錬の時間が取れず、記録は武偵として活動していた頃より落ちたように感じる。4年ほど前に、武偵であるきょうだいの金一と南米の方でスパイとして潜入捜査をしていた時があったが、あの時を最盛期としたら、今はその8割といったところだろうか。
だいぶここにも慣れてきたし、そろそろ自室での鍛錬の他にもやり始めようか。
柴崎が、私の話も聞け!と憤慨する笠原に「あの人結構好きだけど。ちょっとかっこよくない?」と返事をしているところにちょうど、食堂へと顔を見せた相手を発見した。

「柴崎あんた、目ェ腐ってんじゃないの!?あんなチビのどこがいいわけ!?」

視線を感じる。チビは禁句だった気がするよ、笠原。

「身長なんてあんたより高い人の方が珍しいわよ。あたしよりは高いし。遠山は?」
『それはどういう遠山は?』
「堂上教官はかっこいいかどうか、って質問」

正直、今このタイミングでそんな話題をこっちに振らないでほしかった。段々と近づいてくる気配に、もう気づいているのだろう柴崎は性悪だ。この場で唯一気づいていない笠原を、どうするつもりなのか。
笠原には悪いが、ここは知らぬ存ぜぬを決め通し、ふうむと唸る。この距離ならまだ聞こえないだろう。

『とても魅力的だと思うよ。ただ好みかどうかみたいな話なら、』
「話なら?」
『私は玄田隊長が好きだな。この人のためなら手足になってもいいって思う』

「今の絶対にそういう流れじゃなかったと思うんだけどなあ」

ぽん、と肩に置かれた手に、こっちの方が先に口を開くとは意外だったと思った。頭を倒すようにゆっくりと見上げて行けば、苦笑した表情の小牧教官。問題の人物は、その隣でむすっとした顔をしている。ああ、どんどん笠原の顔が引きつって……。

「こっ、小牧教官に…堂上教官……」

柴崎が堪えられずに吹き出したのを見て、どんな顔なのか見たいような、見たくないような複雑な気分になった。早々に向きを直してよかったのかもしれない。未だ背後に立ったままの教官を、もういない者として扱うことにした。

「…笠原……お前の俺に対する評価は、よーくわかった」
「ひぃっ…」

あたし達は褒めてたから関係ないですよね〜と呆気なく見捨てられた笠原を哀れとは感じるものの、悲しいことに同情は持ち得ない。だから口は災いの元だと言ったのだ。
彼女の午後の練習は、きっと地獄のように辛いことだろう。南無。

「ばかねえ」

next
×