遠くから近くから
降り注ぐ太陽の光がオアシスを眩しいくらいに煌めかせていた。とても暑い。昨夜のサーカスと同様か、それ以上の観客がひしめき合い、歓声が轟くこの場にカミュは少々げんなりする。すごく熱い。しかし我らが勇者さまはこれからこんな中でレースをするのだから、応援するこちらが弱音を吐いている場合ではない。
「カミュさま」
まだ出場もしていないのに、あちらこちらから王子様、と叫ぶ声が聞こえてきて、あのヘボ王子の人気ぶりを知る。実態はそんな風にもてはやされる人物ではないように思えるが、これも虹色の枝のため、黙っておくしかないか。
「カミュさまー?」
パドックで王子に扮装し、そう呼ばれるイレブンを見て、そういえばこいつも亡国とはいえ王子なんだよな、ということを思い出す。もしかしたら、こんな替え玉なんかではなくて、本物の一国の王子としてこのレースに参加していた未来だってあったかもしれないと考えると、少しやりきれない気持ちになった。だってあいつは本来陽の光のもとがよく似合うのだ。地の底なんかよりも、ずっと。
「カミュさま!」
「おわっ!? …な、なんだセーニャ、どうかしたか?」
「いえ、呼びかけても返事がなかったので、また具合でも悪いのかとてっきり…」
大丈夫ですか…? と顔を覗き込まれ、余計な心配をかけさせてしまっていたことに気付く。つい思考に耽ってしまっていた。日よけに被っていたフードを脱いで、笑ってみせた。
「ちっと考え事してただけだ、無視してたみたいで悪いな」
「ああ、それならよかったです」
胸をなでおろすセーニャの横に、いつもいるはずのちびっこがいない。まさかこの人混みにのまれて迷子にでもなっちまったか、とあたりを見回した。
「お姉さまならお手洗いですわ」
「…何だトイレか。大丈夫か一人で」
「子どもじゃないんだから平気よ! といって行かれました」
確かにベロニカは見た目こそは幼子だが、中身は自称お姉さんなのである。まあ心配はいらないか、というかセーニャを置いていったということは、多少なりとも自分を信用してくれているということでもあるのだろうか。
「ところでカミュさまはレースに出場されないのですか?」
「…おいおい、急だな…」
「イレブンさまが、ご自分よりカミュさまの方が速いと仰ってましたから、気になって」
と言われても、困る。恐らくあのデルカダールからの追っ手から逃げ切ったときのことをイレブンは話したのだろうが、何せあのときはがむしゃらだったのだ。レースのことはよく知らないが、作法もルールも何もわかったものではないカミュが走ったところで通用するとは思えない。それに何よりも、
「オレはお尋ねものだからな…」
暗がりで生きてきた自分には、この場は明るすぎるのだ。なんて、イレブン同様に陽の光が似合う彼女には言えないけれど。
セーニャは少し考え込んだ様子で、すぐに何か閃いたように両手をぽんと叩いた。
「では、カブトやフードで顔を隠してはどうでしょうか?」
「うーん…そういう問題でもないんだよな…」
そもそも何故カミュに出てほしそうなのだろうか。別に気に障るわけでもないが、ただ疑問だったので聞いてみると、
「カミュさまがご一緒であれば、イレブンさまの緊張もほぐれるかと思ったのですが…」
と何てことはないように答えられた。なるほど、と言っていいのか悪いのか。昨夜イレブンも似たようなことを言っていた気がする。先ほど別れる直前は可哀相なくらいにがちがちに緊張した様子だったけれど。ついていてやりたい気持ちもあるが、こればっかりは一人で頑張ってもらうしかない。
「…応援してほしいって言われたんだよ、あいつに」
「イレブンさまにですか?」
「ああ。…だからオレたちは、ここでイレブンの勇姿を見ててやろうぜ」
国民から期待を寄せられる王子様、ではなく。大国から追われている悪魔の子なんかでもなく。未だハッキリとしない勇者の使命を、投げ出さずに向き合おうとしているイレブンを。
―応援してほしい、なんて言われるまでもない。
「そうですね、私たちだけでもチカラいっぱいイレブンさまのこと応援しましょうね!」
「おう。…ただし、その名前は出さないようにな」
「あっ…気を付けます」
力強くこぶしを握るセーニャが慌てて口を押さえる姿がおかしくて、つい笑ってしまった。同時にああオレも変に緊張してたんだな、と気づく。情けねえなあ。
「ただいま、まだ始まってないわよね?」
「お帰りなさいお姉さま! まだ始まってませんよ」
「…ん? 何持ってきたんだお前」
戻ってきたベロニカが何やらカップを三つ抱えている。ぷるぷる震える小さな手が危なっかしい。
「あっちで販売してたから買ってきたの。はいセーニャの分」
「まあ、ありがとうございます」
「一応、あんたの分もあるわよ、はい」
「…おう、ありがとな」
中身は果汁ジュースのようだ。オレンジ色のそれは、一口飲んでみたら意外とすっきり喉を通った。少しはこのあつさも和らぐような冷たさが有り難い。おいしいです、と言いながら少しずつ口にするセーニャと相対的に、ベロニカは席に座って思い切りそれを煽った。小さな体に似つかわしくない飲み方である。
「あーおいしい」
「おいおい、酒じゃねえんだから…」
「ほんとはお酒もあったんだけど、やめといたわ」
虹色の枝を手に入れてから、でしょ?
思いがけない言葉と見透かしたようなその笑みに、むせてしまいそうになった。にやにやした顔が憎たらしい。くそ、こいつ昨晩のオレたちのやり取り聞いてやがったな。
「内緒にしたかったならもう少し声を抑えることね」
そう言われてしまえば返す言葉もなく、ばつが悪いのを誤魔化すようにカミュもジュースを煽った。
そのとき、わっと観客席の湧く声が強まった。レース参加者がいよいよ登場してきたようだ。やたらド派手な馬が目に入ったが、それよりも何よりも気になっている人物も馬に乗ってやってきた。
「あっイレブンさまですわ!」
「しっセーニャ」
「あ、すみません…」
落ち着かなそうにキョロキョロしている王子様…もといイレブンは、ふとこちらを見やる。カブト越しに目が合った、…ような気がした。この観衆の中からよく自分たちを見つけられたものだ。
ベロニカとセーニャが横で手を振っていて、カミュも軽く振った。イレブンも恐らく振り返そうとしたのであろう、手綱から離した手を上げようとして、止めた。その代わりなのか微かに頷いたのを、カミュは見逃さなかった。
「でもお姉さま、名前を呼ばずに応援するって難しくないですか…?」
「んーそうね…あのヘボ王子の名前を呼ぶのもシャクだし…これくらい歓声がすごければ、誰も気にしなそうだけれど…」
「…おいおい、念には念を入れとけよ」
「わかってるわよ!」
「あっ始まりますわお姉さま…! 頑張ってくださいー!」
「頑張りなさいよー!!」
姉妹は声を張り上げて応援するようだが、自分は黙って見ているつもりだったので名前は関係ない。心のうちでだけエールを送り続ける。
ー頑張れ、イレブン。
190204
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