Lambency
勇者さまでも、風邪、ひくんだな。
なんてあさってなことを思ってしまった。
デルカダール兵の猛追から一心不乱に逃げ、転がり込むように入った旅のほこらから、この地方へと飛んだ。いったいどんな魔法があのほこらに施されていたのかは不明だが、とにかく助かった、とそのときは思った。
しかしそこから先へ進んでみたらどうだ、気候が温暖だったデルカダール地方とは違い、活火山らしきものが遠くに見えるこの地は溶かされるような熱さがあった。勇者―イレブンはもちろん、世界を放浪していたカミュも訪れたことのない地を、このあつさの中でさ迷うのは苦難であった。
それでも何とかこの人里にたどり着いた瞬間に、イレブンがぐらりとふらついた。慌てて宿屋に駆け込み、今に至る。フトンに横たわるイレブンは少し熱があるだけで、呼吸や身体に異常は見られない。恐らく疲れが出ただけだろう、と医者知識などはないが、そこそこ旅をした経験からカミュはそう判断した。無理もない、今にも襲いかからんとばかりに追ってきた兵士たちから逃れたと思ったら、右も左もわからぬ土地を歩き回ったのだから。それでなくてもここ数日、彼は精神を張りつめていたのだから。
宿の女将に持ってきてもらった水が張った桶にタオルを浸し、それを絞ってからイレブンの額に置き、ぬるくなったらまた水に浸すのを繰り返す。
宿内もすっかり静まり返っているので、もう夜も遅いのだろう。ランプは眠りの妨げにならないように消したため、すっかり暗くなった部屋の中、窓から少しだけ漏れている月明かりが、眠る勇者の顔をカミュの目に映す。何だか、崖から飛び降り無傷ではあったものの気を失っていた彼を、教会まで背負っていったときのことを思い出した。あれはたった数日前のことなのに、抱えている気持ちはこんなにもあのときと違う。寝息が少し苦しそうな様子をじっと見ていたら、カミュはさきほど浮かんだ考えに自嘲した。
勇者だって風邪を引く。当たり前だ、そんなこと。腹が減れば小さな木の実にもかぶりつく、魔物と戦えば血が流れる、心が傷つけば涙が零れ、身体を酷使したら倒れる。当たり前だ――だってこいつは、人間なのだから。肉体が超人でも精神が強靭でもない、しかし――
「…かみゅ」
「…ん、起きたか?イレブン」
ふいに重たそうなまぶたがゆっくりと上がって、ぼんやりとした目がこちらに向けられた。何とも怠そうである。大丈夫か、と聞くまでもない。
「まだ夜だし、朝まで寝ておけよ」
「うん……かみゅ、は…?」
「? オレがどうかしたか?」
「休まない、の…?」
「……」
ここに来るまで、君だってつらそうだったから、と弱弱しい声で言われ、カミュは一瞬胸を突かれたが、すぐに笑みを作った。
「お前が寝こけてる間に十分休んださ」
「…ほんとに?」
「ああ……というか、人より自分の心配しろよな」
とっとと寝ろ、とイレブンの視界を片手で塞いだ。イレブンは少しだけ身じろいだが、すぐに寝息が聞こえてきたので手を離す。熱は徐々に下がっているようだが、恐らくまだ動けないだろう。それなのにこちらの心配などしてくるのだ、この勇者さまは。
”カ、カミュ! …その、助けてくれて、本当にありがとう…”
”いっぱいよくしてもらったし…少しでも君にしてあげられることはないかなって思ったんだけど…”
”カミュがいらなかったわけなんて、ないよ”
”足手まといかもしれなくても、僕は、君と一緒に行くよ”
己の身を明かせないままのカミュを、こころひとつで、本当に一生懸命に想ってくれている。泣きたくなるほどに。
カミュは知っている。“勇者”が完璧な存在ではないこと。16歳になりたてのただの心優しい青年であること。亡くなった祖父や育ての母親や幼馴染たちを大切に思っていること。その人たちに大切に育てられたのだということ。そんな故郷を理不尽に奪われた様を目の当たりにし、謂れのない罪で追い立てられても、勇者としての使命が何なのかわからずとも投げ出さずに、顔を上げて前へ進もうとしていることを。
デルカダール兵に追われたあのとき、落馬したイレブンを助けるために無我夢中に差し出した左手は、まだじんと疼いている気がする。カミュのこの手が痛むぐらいに掴んだ力強さは、そのままイレブンの諦めない意志なのだろう。生きる意志だ。こいつにはそれがある。揺らめくともしびは今にも消えそうになりながら、決して尽きることなく煌めいていることを、知っている。
だからカミュは、ここにいるのだ。今もこれから先も、自分などの存在がこの若き勇者にどう作用するのか、――お前の使命とオレの贖罪、果たしてどう絡んでくるのかわからずとも、出来うる限りのチカラを貸そう。
汗で張り付いたイレブンの前髪を払い、カミュは祈るように、誓うように、それからいたわりを込めて、そっとその額にぬくもりを落とした。
180511(お題「風邪」)
181205(リメイク)
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