「雨が、降るわね」

 栗毛の馬に跨がり、艶やかな蒼い衣を着込んだ女性が空を見上げる。
 どんよりと、今の気分を反映したかのように、空は分厚い雲が立ち込めていた。

 彼女の名は張韻。
 とある国で最前線の太守を任されている女将で、齢五十近くにもなるが、その覇気は一向に衰える様子が無い。
 彼女が振り返れば、五万の精兵と、堅牢な城壁が聳え立っている。
 幾度となく、漣のように寄せては反す敵の攻撃を耐え続け、幾年の年月が経った事だろうか。

「太守様、南西方向に砂塵を確認。敵の先鋒隊のようです」

 黒い髪をなびかせる張韻の傍らに、急いで駆け寄った兵が声を上げる。
 現実に引き戻された張韻は、腰に佩いた剣の柄を握り締め、勢いに任せて引き抜いた。

「鬨の声を上げよ! 我らの勝利が、この国を再び勝利へと導く礎となるのは必定! 膝を折る事は、私が許さぬ!」

 張韻は地響きのような喚声に後押しを受けつつ、馬を走らせた。
 眼前の土煙は、肉眼でもはっきりと見て取れる程大きな物となっている。
 斥候の話によれば、部隊を率いている男は張韻のよく知る人間だと言う。
 だが、一軍を率いる者同士、私情を挟んでなどおれぬ事くらい、お互い理解している。
 負ける訳にはいかない。
 張韻は剣を持つ手に再び、力を込めた。

 戦に勝つ事が、民の為になるのか。
 自分の我が儘で戦を長引かせ、民を疲弊させているだけではないか……。
 いつも張韻の胸に『投降』と言う言葉が浮かんでは消えた。
 だが、それを打ち消すように、鮮明に声が響く。

「――信じているぞ、紅藍」

 人生の幕を閉じる、その直前の言葉を思い出し、張韻は前を向く。

「……私もです。義兄上」

 小さく呟き、馬の腹を蹴った。


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