唯「ゾンビの平沢」

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★10

翌日、私は寝坊をした。
ここに来てから、いつも目覚ましが鳴る前に自然と目が覚めていたのに。

私は昨日の出来事を思い出そうとした。
しかし、私の記憶は靄が掛かった様に曖昧になっていた。

隣にムギちゃんの姿は見えなかった。
ふと、全裸の自分に気が付く。
とりあえず、ベッドから出て服を着る事にした

時計を見ると、午前10時半を少し過ぎた所だ。
服を着て、リビングルームに移動する。
部屋を見渡すと、中央にある台の上に、メモとおにぎりが置かれていた。

「お腹が空いたらこれを食べて下さい。私は点滴に行ってきます。紬」

私はムギちゃんの作ってくれたおにぎりを口にした。
朝に作った物だろう。
すっかり冷めてはいたけれど、塩がしっかり効いていて美味しかった。

歯磨きをし、髪を整え、私は医務室に向かった。


紬「おはよう、唯ちゃん」

私が声を掛けるより早く、ムギちゃんが口を開いた。

唯「おはよう、ムギちゃん。昨日は色々ごめんなさい……」

紬「ううん、気にしないで。もうちょっとで終わるから待っててね」

唯「うん」

私は近くの椅子に腰を掛けた。

ムギちゃんは私に安らぎを与えてくれる。

ムギちゃんを見ているだけで、私の「心」は暖かくなる。
ムギちゃんさえ傍にいてくれれば、私はきっと大丈夫だ。

紬「お待たせ、唯ちゃん。今日はちょっと私に付き合ってくれる?」

唯「うん、いいよ」


私はムギちゃんに連れられ、施設の中の喫茶店に来ていた。
VIP専用の喫茶店とあって、私が今まで見てきたそれとは全く違う。

喫茶店とは、本来寛ぐ為の空間であるが、あまりにも雅やかな趣に圧倒され、私は萎縮してしまっていた。

ムギちゃんは、慣れた様子でメニューを注文する。
唯ちゃんはどうする?
彼女の問い掛けに、私も同じ物を、と答えた。

暫くすると、私達のテーブルに、レモンティーとチョコレートケーキが運ばれてきた。
ムギちゃんはレモンティーをストローで一口啜り、私に話し掛けた。

紬「クリスマスパーティーに参加しない?」

クリスマス、私はその存在をすっかり忘れていた。
今日は12月22日、クリスマスは3日後だ。

紬「そこでね、私は唯ちゃんを親友として皆に紹介したいの」

何故、突然ムギちゃんがその様な事を言い出したのか、私にはすぐに理解出来た。
ムギちゃんは、私を「権力」によって守ろうとしているのだ。
琴吹家はその財力によって、経済界、政界に絶大な影響力を誇っている。
つまり、この施設に居る「有力者」達に顔が利くのだ。
さらに、琴吹家はこの施設の建設にも関わっている。

この場所で琴吹家を敵に回そうとする者などいる筈が無いのだ。

ムギちゃんはその権力によって守られている。
特権階級の者達においては、権力こそ全てだ。
私がムギちゃんの友人と知れれば、誰も私を傷付けようとはしまい。

自分より強い相手を傷付けようとする者などいないのだ。

しかし、権力に縁の無い人間は、時にその力の威力を知らずに牙を剥く。
だからと言って、ムギちゃんは私に対して何もせずには居られなかったのだろう。

唯「……分かった。私もクリスマスパーティーに参加するよ」

紬「ありがとう、唯ちゃん」

お礼を言うのは私の方なのに……。
私はムギちゃんの好意を受け取る事にした。

紬「じゃあ、早速パーティー用のドレスを見に行きましょう?」


私達は、以前に来た衣装場を再び訪れた。
クリスマスが近い所為か、私達同様、ドレスを探しに来た女性達で溢れていた。
健康的な顔色、膨よかな体型、そこからは苦労など微塵も感じさせない。
皆楽しそうにお喋りをしながら、煌びやかな衣装を手に取り品定めしている。

何でそんなに楽しそうにしているんだこいつらは。

私の心の底に、どす黒い怒りの感情が湧いて来た。
私の妹と親友達は痛みに耐え、苦しみを堪え、必死に生き、死んでいったというのに。

惰性を貪り、のうのうと生きるこいつらが許せない。
皆と同じ苦しみ、痛みを与えてやりたい。
私の中のゾンビがゆっくりと動き出す。

お 前 達 を 殺 し て や ろ う か

怒りに満ちた、殺戮の衝動が津波の様に押し寄せた。
私の牙で、ここにいる全員を噛み殺してやりたい。

……駄目だ、落ち着け。そんな事をしてどうなる。
ムギちゃんが苦しむだけじゃないか。
私は理性で激情を押さえ込んだ。

そう、私はムギちゃんと楽しいショッピングに来ているのだ。
私はムギちゃんだけを見ていればいい。

私は視界から他の女性達の映像を消し去った。


12月25日

クリスマスパーティー当日になった。

私は柄にも無く緊張していた。
粗相をして、ムギちゃんに迷惑を掛けるのではないかと不安になっていた。

17時、私達は斉藤さんの案内でメイク室に来ていた。
ここでプロが本格的なメイクをしてくれるらしい。

椅子に座って待っていると、4人の女性達が部屋に入ってきた。
女性達は笑顔で挨拶をし、慣れた手付きで事を開始した。
雑談を踏まえながら、和やかな雰囲気の中で作業が続く。

私は目を瞑り、彼女達に身を任せた。

そうだ、人形になろう。
今日一日、私は物言わぬ人形になろう。
ただムギちゃんの傍らで微笑む人形に。

メイク「終わりましたよ」

メイクさんの言葉を聞き、私はゆっくりと目を開いた。
目の前の鏡には、私でない私が映し出されていた。


「凄く綺麗よ」

「女優みたいね」

「実際いけるんじゃないかしら」

「私が担当しているモデルよりいいわ」

彼女達は皆、私の姿を見て絶賛した。

紬「本当に綺麗よ、唯ちゃん」

唯「ありがとう、ムギちゃん。ムギちゃんも綺麗だよ」

ムギちゃんには、窶れた顔をカバーする様なメイクが施されていた。
私はその姿から、健康的だった頃のムギちゃんの面影を見ていた。

私達はメイク室を後にし、衣装室へと急いだ。

そこには既に別のスタッフが待機していて、この前私達が選んだドレスも用意されていた。

メイクやエクステが崩れないよう、スタッフが丁寧かつ迅速に作業を進める。
ムギちゃんは純白のドレスに、私は漆黒のドレスに身を包んだ。

そこに服飾コーディネーターが、燦爛とした宝飾品を添える。
頭に、耳に、胸に、手に、色鮮やかな宝石達が輝く。
しかしそれらは派手過ぎず、私達の存在をより引き立たせていた。
ムギちゃんは太陽の様に、私は月の様に。

光と影。密接に関わり合うその二つは、まさに今の私達の様だった。


19時半、パーティー開始時刻から1時間半が過ぎていた。
最初はつまらない話だからと、ワザと参加時刻を遅らせたのだ。

私はともかく、ムギちゃんに長時間の参席は酷だろうという斉藤さんの配慮だった。

衣装室を出ると、斉藤さんが私達をエスコートする為に待っていた。
私達は、斉藤さんと共にパーティー会場へと向かった。


パーティー会場入り口には、参加受付所があった。
私達は受付で参加の手続きを済ませ、会場へと続く扉を開いた。

会場は既にかなりの盛り上がりを見せていた。
数百人は収容出来るであろう巨大なホールには、立食形式で様々な料理が並べられていた。
ステージでは、プロのオーケストラがクラシカルな楽曲を奏でている。

辺りを見渡すと、テレビで見た事のある人物達もいた。
人々はグラスを持ち、そこかしこでそれぞれ歓談していた。

私達が会場に入ると、周囲から多くの視線を感じた。
中には私達に近付こうとする男達もいたが、斉藤さんが厳格な表情でそれを牽制した。

斉藤さんは、私達を紬父の前まで案内すると、失礼しますと言い、一人その場を後にした。

「こちらが私の娘の紬、そして友人の平沢唯さんだ」

ムギちゃんは笑顔で上品にお辞儀をした。
こういう気品溢れる応対を見ると、改めて彼女がお嬢様であるという事実を再認識する。
私もムギちゃんの見様見真似でお辞儀をした。

その後、多くの人達が入れ替わり立ち代りで挨拶にやって来た。
そして、老若男女問わず、私の美しさを賛美した。
さらに、容姿から性格を勝手に妄想し、美化し、語る。

私の事など何も知らないくせに。

挨拶をしただけで、聡明怜悧、清楚可憐、温厚篤実……。
讃辞を呈して私の機嫌を取るつもりか。逆効果だよ。

ありがとうございます、私は微笑みながらそれに応えた。

私はここにいる俗物達の笑顔が何よりも不快だった。
その微笑みの仮面の下から覗く、醜悪な実像。
私は知っている。お前達の醜行を。

薬、買春……。

夜中、ギターの練習をする為にスタジオに行く途中、窓の外に二つの人影を見た。
私は興味本位で彼等に近付いた。

銃を持った警備の兵士が、男に何かが入った袋を渡していた。
それを受け取ると、男は兵士に札束を渡したのだ。

その時は、受け渡していた袋の中身が何なのか分からなかった。

しかし、人気の無いこんな時間に行う取引だ。
何か疚しい行為だったのではないか、という疑念はあった。

あの時の女の言葉を聞いて、疑念は確信へと変わった。

兵士達がどのようにして「薬」を入手しているかは分からない。
しかし、彼等はこの施設から様々な名目で外に出る機会がある。

彼等が外で何をしているのか、私達にそれを知る術はないのだ。

基本的に、特権階級の居住区に一般人は入れない。
仕事などで、許可を得た者だけが特別に立ち入りを許される。

ところが、明らかに不自然な者達がいたのだ。

これもギターの練習の為、夜中に出歩いていた時の話だ。
見掛けた女性達は、配給された普段着を着ていた。間違いなく一般人だ。

時計は23時を回っている。
就寝時間後に、特権階級の居住区にいる一般人の女性達。

私は彼女達を何度も見掛ける内、その目的に興味をそそられた。

私はある日、気付かれぬ様に女性達を尾行した。
とある広めの個室に入っていく一般人の若い女性達。

私は、恐る恐るゆっくりと扉の前まで近付いた。
耳を澄ますと、中から何か聞こえてくる。

女達の艶かしい喘ぎ声だった。

この部屋の中で、何が行われているのかは明白だった。
私は早足でその場から立ち去った。

一般人の居住区にあった監視カメラは、ここには設置されていない。
特権階級の人間は、完全に「自由」なのである。

ここは、お金さえ支払えば全てが許される法外地域なのだ。

だからこそ、殺人者である私が今のような生活を普通に送れているのだ。
私にはお金など無いが、琴吹家という後ろ盾がある。

殺人すら許される環境において、買春や麻薬がなんだというのだ。

しかし、お金や後ろ盾の無い者には一切の容赦が無い。
この前、それを裏付ける一部始終を見た。

泣き叫ぶ男を、無理矢理連れて行く兵士達。
金は後で払う、ちゃんと払うからと懇願するその男を、兵士達は無表情で拘引していった。

ここは歪んでいる。

私達が今まで暮らしていた社会とは異質な場所。
狂気と欲望が渦巻く奈落なのだ。

最も、今の私にはこの地獄こそ相応しいのかもしれない。


私は最低限の会話しかせず、ムギちゃんの横でただ微笑み頷く事に終始した。
このパーティーを、何事も無く無難にやり過ごす為に。

しかし、周りがそうはさせなかった。

紬父との挨拶を済ませた面々は、その後私に質問の嵐を浴びせた。
私の存在は、彼等の好奇心を掻き立てた。

気付けば、私達は人ごみに囲まれていた。

私は無意識の内にムギちゃんの腕にしがみ付いていた。
ムギちゃんはそんな私に気付き、質問攻めの私に助け舟を出してくれた。
そのお陰で、私は何とかその場を乗り切る事が出来た。

そんな中、私がバンドのボーカルをしていた事が話題になった。
その事から連想される事態は、誰にでも簡単に分かるだろう。

私の歌を聴きたいと皆が言い出したのだ。

私の意思に関係なく、場の雰囲気は私が唄う方向に進んでいた。
皆、私に期待の眼差しを向けている。
もはや、私自身がこの空気を変える事など不可能だった。

私は皆の前で歌を披露する決意した。
琴吹家の面目にも関わる事だ。失敗は許されない。

私はステージに向かった。

伴奏は、その場に居た楽団員達によって行われる事になった。

舞台には、楽譜や歌詞を表示する為の小さなモニターが複数設置されている。
これがあれば、彼等はどんな曲でも即興で演奏する事が出来るらしい。

私も歌詞さえ見られれば、そのレパートリーは十二分だ。
ギターならば体が曲を覚えているけれど、歌詞はそうはいかなかったのだ。

今の私には不安材料など全くなかった。

ステージに立つと、私に会場の視線が集中した。
何か余興が始まるのかと、皆興味津々だ。

とりあえず、この場に相応しい選曲をしなければ。
ここにいる人達の多くに受け入れて貰えそうな楽曲は……。
私はジャズ系の曲を選択した。
私は渾身の力を込めて、その一曲を歌い上げた。

会場が静まり返った。
数百人の観客達は、皆時が止まったかの様に静止していた。

次の瞬間、会場には割れん許りの拍手と歓声が響いた。
楽団員達も皆それぞれの楽器を置き、私に激励の拍手を送っていた。

その後、私は70年代ロックの名盤から近年のヒットチャートまで、様々なジャンルの名曲、ヒット曲を立て続けに熱唱した。

観衆達は足で、体で、全身を振るってリズムを取っている。
トランス状態に陥ったかの様に、会場は異様な熱気に包まれた。

私は今、私の持つ「歌」という「力」でこの場を完全に支配した。


歌い終え、喝采と拍手が鳴り止まぬ中、私はステージを降りた。
注がれる熱い視線を余所目に、私はムギちゃんの元へと戻った。

ムギちゃんは目を輝かせながら拍手をしていた。
紬父も感嘆の表情をしながら手を叩いている。

周りにいた人間達は、皆私に讃辞の言葉を投げ掛けた。
私はそれに応え、笑顔で愛想を振り撒いた。

パーティーも終盤となり、紬父と別れ、私達は会場を後にしようとした。

「すいません、ちょっといいですか?」

私は突然背後から肩をを叩かれ、振り返った。
そこには、サングラスを掛けた40代後半位の男が立っている。

渡された名刺には、番組プロデューサーという肩書きが載っていた。

男は、大晦日に行われる番組に出演してみないか、という話を持ち掛けてきた。
その番組の出演者には、大物歌手や俳優、アイドルなども名を連ねているらしい。
衛星放送で生中継され、この施設や同様の他の施設のテレビに流れるそうだ。

少し考えさせて下さい。
そう言うと、彼は明日返事を聞かせて欲しいと言い残し去っていった。


私達は部屋に戻り、お風呂を済ませ、ワインを片手に椅子に座った。
暫く沈黙が続いた後、ムギちゃんが最初に口を開いた。

紬「……番組出演の件、唯ちゃんはどうするの?」

唯「私は……あんまり気が進まないかな……」

紬「そうなんだ……」

唯「ムギちゃんはどう思ってるの?」

紬「私は……唯ちゃんにテレビに出て欲しいと思っているわ」

唯「どうして?」

紬「さっきの舞台での唯ちゃんは凄く輝いてた。
私は、その姿を見て思ったの。
唯ちゃんの本当の居場所はあそこなんだって」

紬「唯ちゃんには才能がある。音楽の才能、人々に感動を与える才能よ。
私はそんな唯ちゃんの姿を、音楽を、多くの人に見て聴いて欲しいの。
テレビで多くの人達が唯ちゃんの演奏を聴く。
それは武道館ライブと同じ位、価値のある事だと思うの」

武道館ライブ……。
ムギちゃんは、まだあの冗談の様な約束を覚えていた。

ムギちゃんは部屋に置いてあるノートパソコンを開き電源を入れた。
カチカチと操作し、私の方に画面を向ける。
そこには、私が密かに作詞した歌詞と、作りかけの楽譜が映っていた。

唯「それは……」

紬「勝手に見てしまってごめんなさい。
この前パソコンを使っている時に、偶然見てしまったの。
でも、この詞も曲も、私は凄く良いと思うわ。
唯ちゃんの強くて真っ直ぐな想いが伝わってくるの。
私はこの曲をみんなに聴いて欲しいわ」

唯「でも……その曲はまだ完成してないし……」

紬「まだ時間はあるし、私も協力するわ。だから……ね?」

唯「ムギちゃんも……」

唯「ムギちゃんも出るなら、出てもいいよ……」

紬「え……」

唯「私は一人でテレビに出る気はないよ……。
みんなと……放課後ティータイムとしてじゃなきゃ嫌なの」

ムギちゃんは俯き考えていた。

今の窶れている姿でテレビに出る事は、彼女にとって酷な事だろう。
しかし、私はどうしてもそこだけは譲れなかった。

紬「私はみんなと別れて以来、キーボードに触っていないわ。
きっと唯ちゃんに迷惑を掛けてしまうと思うの……」

唯「キーボードの部分は簡単なモノにするよ。
それに、ムギちゃんは放課後ティータイムの一員だよ?
私にとっては、ムギちゃんがいない事が一番迷惑なんだよ?」

紬「唯ちゃん……」

紬「……分かったわ。私、唯ちゃんと一緒に演奏する。演奏したい!」

唯「ありがとう、ムギちゃん。明日から一緒に曲を作って、一緒に演奏しよう」

紬「うん!」

私達はワインを飲み干し、そのままベッドに入った。

唯「明日から一緒に頑張ろうね、ムギちゃん」

紬「ええ、唯ちゃん」

私達は固く手を握り合い、そのまま眠りに就いた。


次の日、私達はプロデューサーに会い、出演する意を伝えた。

最初、彼はムギちゃんが出る事に否定的だった。
体調を考慮して、などと奇麗事を並べていたが、ムギちゃんの容姿の事を気にしている事はバレバレだ。

私は、彼女が一緒に出なければ絶対に出ないと、断固として譲らなかった。
最終的に彼が折れ、私達は一緒に出演する事が決まった。

私は日々の運動や特訓を一旦打ち切り、この曲を完成させる事に全力を注いだ。
ムギちゃんのお陰で、曲の未完部分は円滑に仕上げる事が出来た。

ムギちゃんは今、必死にキーボードの練習をしている。
点滴を受けながら弾けるよう、片手で出来る様に編曲した。
ムギちゃん程の腕前なら、僅かな期間でも完璧に弾ける様になるだろう。

私はその横で、ベースやドラムなど、各パートの打ち込みの補完、修正をしていた。
演奏者不足は、パソコンを使って補うのだ。
パソコンの打ち込みについては、以前澪ちゃんに少しだけ教わった事があった。

曲は、私のイメージしていたモノよりも、ずっと良く仕上がっていた。

私一人では、ここまで素晴らしいモノは出来なかっただろう。
一人ではなく二人だから……ムギちゃんと二人だからこそ……。


12月31日

私達は施設の音楽ホールに来ていた。
ここで私達は演奏を披露する事になる。
周りには多くの著名人の姿が見られた。

他の各施設でも同様の事が行われる。
それらの映像を合わせて、一つの番組にするのだという。

ステージには、大きなスクリーンがある。
他の施設の人達が歌や演奏を披露する時には、そこに映像が映し出されるのだ。

司会が現れた。テレビで見た事がある。
バラエティー番組に引っ張り蛸の人気司会者だ。

スクリーンに別の施設の司会者が映し出された。
その人物も、誰もが知っているであろう有名人だった。
流石はプロ達、お互い流暢な語りで滞り無く番組を進行させていった。

私達の施設は、番組の最後の方で登場する予定になっている。

軽井沢という、日本有数の避暑地にあるこの施設。
その所為か、ここにはVIPの中のVIP達が多く集まっていた。
この番組に出演するアーティスト達もそうだ。

その中で、私達は一番最初に演奏する事になっていた。


スクリーンでは、他の施設の有名人達が各々のパフォーマンスを繰り広げていた。
芸能界での勝ち組。逸早く危険を知り、逃げる事の出来た者達。
会場の人間達は、彼等の演芸に歓喜していた。

この場所でただ一人、私は彼等に嫌忌の念を抱いていた。
もし、私の妹と親友達も彼等と共に「選ばれた人間」として救われていたなら、私もこのショーを楽しく鑑賞していたのだろうか……。

この世に「もし」なんてモノは存在しない。そんな事は分かっている。
しかし、この答えの出ない仮定の話が、ずっと私の頭から離れなかった。

私には、自分が選ばれるべき人間ではないという自覚があった。
その事で煩悶し、それこそが私と彼等の違いだと考えていた。

私の方が「心」を持った「人間」として上位な存在であるのだと。

だが、果たして本当にそうであろうか?
一般居住区の人間や、未だに施設外にいる人間からしてみれば、私とて彼等と同類なのだ。
実際、私はムギちゃんによって「選ばれた人間」なのだから。
いくら悩み苦しもうが、今の待遇を享受している時点で、私に彼等を批判する権利など無い。

偽善者。

そう、私は偽善者なのだ。
彼等と同じ厚遇を受けながら、彼等を批難し、自らを崇高な「人間」であろうとしている。

私は彼等よりずっと低劣な人間じゃないか。

そもそも、私に人間の「心」などあるのだろうか。

私の「心」は、憂達が死んだ時に既に壊れてしまったのだ。
今の私か持っている心は、「平沢唯」を演じる為の贋作の心。
本物の「心」じゃないんだ。

例え人形が命を吹き込まれたとしても、人間になどなれぬのだ。

そう、私は偽善者以下。
もはや人ですらないのだから。

全てが偽り、嘘で塗り固められた仮面。

それが真実だ。



紬「そろそろ私達の出番が回ってくるわ。舞台袖に行きましょう」

ムギちゃんの言葉で私は我に返った。
そうだね、と応え、私達は舞台袖に移動した。
そこには既に、出番を待つ有名人達がいた。
私達は彼等に挨拶をし、隅の方で待機した。
暫くして、プロデューサーが声を掛けて来た

プ「平沢さん、琴吹さん、そろそろ準備をお願いします」

私達はスクリーン裏に移動した。
事前に打ち合わせをした通り、機材が指定の場所に配置されていた。

斉藤「平沢様、ギターをお持ちしました」

舞台袖から斉藤さんが、私のギターを持って現れた。
大きなギターを持って移動をすると人の邪魔になる為、斉藤さんに後から持って来て貰う手筈になっていたのだ。

唯「ありがとうございます」

斉藤「いえ、お二人の演奏を楽しみにしております」

斉藤「紬お嬢様、今までの成果を存分に出されますよう、心から願っております」

紬「ありがとう、斉藤」

斉藤「それでは、失礼致します」

斉藤さんはそう言うと、舞台の陰に消えていった。


スクリーンと幕が上がる。

司会が私達を紹介する。
その主な内容は、この前のクリスマスパーティーでの事だ。
司会は私を持ち上げ、会場の空気を熱くする。

司会「それではお願いします」

司会はMCを私に受け渡す。
私は深呼吸をし、心を落ち着けた。

唯「皆さんこんばんわ、平沢唯です。隣にいるのは琴吹紬ちゃんです」

唯「私達は、東京の桜ヶ丘高校の軽音部で『放課後ティータイム』というバンドを組んでいました」

唯「私達のメンバーは他に8人いましたが、今はもういません。
みんなは傷付き、苦しみ、それでも私を必死に危険から守ってくれました。
今、私がここにいるのは、その素晴らしい仲間達のお陰です。
この場を借りて、彼女達にお礼と謝罪をしたいと思います」

唯「みんな、ありがとう。みんなのお陰で、私は今もこんなに元気です。
そしてごめんなさい。私はみんなの苦しみを全然知りませんでした。
親友として失格だよね。もし、もう一度みんなに会えるなら、私は……」

私の瞳から涙が溢れ出した。嗚咽で上手く言葉が出て来ない。

ムギちゃんがハンカチを取り出し、私の涙を拭いながら、背中を優しく撫でてくれた。


これは全部偽りの涙だ。
私が「平沢唯」を演じているから出てくる、ただの水だ。
絶対そうだ。そうでなくちゃいけないんだ。

なのに何故、私は今、言葉を発する事が出来ないのだろう。

苦しい。

何でこんなに胸が締め付けられるの?

やっぱり私には出来ない。
皆に対する想いだけは偽る事が出来ない。

それは私の弱さ。
でも、それが私の強さでもあるんだ。


唯「ごめんなさい……」

会場から、頑張ってという声援が聞こえた。

唯「私には、憂という妹がいました。私が世界で一番愛している人です。
可愛くて、しっかりしていて、優しくて、たまに甘えん坊で……。
駄目駄目な私を、いつもしっかり支えてくれていました。
憂、こんな駄目なお姉ちゃんでごめんね……」

唯「憂は、世界で一番素敵で最高な妹でした。
私は憂のお姉ちゃんでいられて、本当に幸せでした」

唯「この曲は、その妹の為に作りました」

唯「今日は、『放課後ティータイム』として皆さんの前で演奏したいと思います」

ステージの上の、誰もいないドラム、ベース、ギターに目をやる。
しかし、私にはしっかりとその姿が見えていた。
りっちゃん、澪ちゃん、あずにゃん……。
そして、会場に見える5つの空席。
斉藤さんに無理を言って取って貰った席。
憂、和ちゃん、純ちゃん、いちごちゃん、しずかちゃん……。

私はここにいるよ。みんなのお陰で今、ここにいるよ。

唯「聴いて下さい。『U&I』!」



憂、聞こえる?
お姉ちゃんはここにいるよ。

この曲はね、憂の為に作ったんだよ。
憂に伝えたい気持ちを、いっぱいいっぱい込めて作ったんだよ。

世界で一番大切な憂、世界で一番大好きな憂。
その想いが、いっぱいいっぱい詰まっているんだよ。

憂はいつも私にご飯を作ってくれていたよね。
私ね、憂のご飯がどうしてあんなに美味しいのか、漸く気付いたよ。
憂はご飯を作る時、こういう気持ちを込めて作っていたんだね。
だから、憂のご飯は最高に美味しかったんだね。

当たり前の事だと思っていて気付けなかった事、憂に謝りたいよ。
近過ぎて気付けなかった憂の想い、優しさ、今更気付いても遅過ぎるよね。

だけど、どうしても憂に伝えたい想いがあるんだ。
だから、この曲に乗せて君に届けたい。

私は、憂が何処に居ても、この想いが必ず届くって信じてる。



演奏が終わると、盛大な拍手と喝采が会場から溢れた。
ありがとうございます、私とムギちゃんは深々と頭を下げた。

舞台袖に戻ると、斉藤さんや他のアーティストが励ましの言葉と共に拍手で迎えてくれた。

斉藤「お二人とも、素晴らしい演奏でした」

唯「ありがとうございます」

紬「皆さん、ありがとう」

私達は会場の席に戻らず、そのまま部屋に帰る事にした。
プロデューサーには、最後のカーテンロールにも出て欲しいと懇願された。

しかし、私達は体調不良を理由にそれを辞退した。

実際、私は演奏で全ての力を使い尽くし、足元もフラフラになっていた。

私は、斉藤さんに抱き抱えられる様にして部屋まで送って貰った。
斉藤さんからは、ムギちゃんと同じ温もりを感じていた。


1月1日

新しい一年が始まると同時に、私達にも大きな変化が訪れていた。
クリスマスと大晦日のライブによって、私達の知名度は鰻登りに上昇していた。

部屋を出て食堂に行くと、待ち構えていたかの様に人が集まり、すぐに人垣が出来た。
調理をしている時も食事をしている時も、多くの視線が私達に付き纏った。
その者達は私達に近付こうと、どうでもよい話や質問などを次々と投げ掛けてくる。
私は、当たり障りの無い受け答えで、その場をなんとか切り抜けた。

午後、医務室でムギちゃんと別れプールに行くと、そこでもまた同じ様な事が起こった。
水着姿の私に、男達の舐める様な視線が集中する。少し気持ちが悪い。
私はいつもより早めに泳ぐ事を切り上げ、大浴場で体を流し、部屋に戻った。
私達の部屋は、特権階級の中でも一部の者しか入れない場所にある。
部屋の前まで彼等が来ない事がせめてもの救いだった。

私達の平穏な日常は失われてしまった。

私は待ち伏せていた男達を掻き分け、ムギちゃんのいる医務室に向かった。
男達は医務室の中にまで来て、ムギちゃんから私の情報を探っていたらしい。
それには流石に医師も怒り、彼等を追い出してくれたらしい。

ここから部屋に戻るまで、またあの男達の中を潜り抜けて行かねばならないのか。
私は、斉藤さんから貰った特殊な携帯で彼を呼んだ。
この携帯は、施設内及びその周辺なら今でも使う事が出来るのだ。

斉藤さんには、今まで散々お世話になっている。
出来るだけ迷惑は掛けたくないけれど、ムギちゃんの事も考えると彼を呼ばざるを得なかった。

この時間は忙しい斉藤さんだが、私達の為に彼はすぐに駆け付けてくれた。
彼は周囲の男達を追い払い、私達を部屋まで送ってくれた。

部屋で、私達は今日の状況を彼に話した。
困りましたね、彼は頷き、右手を顎に当て考えを巡らしていた。

斉藤「状況は分かりました。私がなんとか致しますので、今日の所は出来るだけ部屋から出ないで下さい」

唯「斉藤さんには毎回迷惑ばかり掛けてしまってすみません……」

斉藤「いえ、お二人を助ける事も私の仕事ですから」

斉藤さんはそう言うと優しく微笑んだ。

斉藤「それでは紬お嬢様、平沢様、失礼致します」

唯「あ、斉藤さん……」

斉藤「なんでしょう?」

唯「私の事は唯って呼んでくれませんか……?」

斉藤「……畏まりました、唯様」

斉藤さんは私に笑顔を見せ、それでは、と部屋を出て行った。

翌日、私達に再び静穏な日々が帰って来た。
私達に男達が近付けない様、斉藤さんが裏で何かをしたのだろう。
今でも、遠くから私達を眺めている男達はいる。
しかし、昨日の状況に比べれば全然ましだった。

そんな中、昼食を取っていた私達に、20代半ば位の若い男が近付いてきた。
眉目秀麗なその男は、今までに私達に近付いてきた男達とはオーラが全く違う。
圧倒的存在感、カリスマ性とでもいうべき物を彼は持っていた。

?「君が琴吹紬さんだね?」

いつもの男達とは違い、私ではなくムギちゃんに用がある様だ。

紬「ええっと……どちら様でしょう?」

?「あはは、僕、こう見えても有名なアーティストなんだけどね」

男は爽やかな笑顔を見せた。
普通の女性がその笑顔を見たならば、即恋に落ちてしまうかもしれない。

紬「ごめんなさい……」

?「君も僕の事、知らない?」

男は私に話を振って来た。

唯「はい……。すみません……。」

?「あはは、ちょっと悲しいなぁ……」

男は自分の素性を語り出した。
彼は今、音楽業界で一番売れているロックバンドのボーカルだった。

バンド名を聞いて、私は思い出した。
確か、純ちゃんが嵌っていたバンドだ。
クラスメイトの何人かが、そのファンクラブに入っているという噂も聞いた事がある。

私も一度、純ちゃんからCDを借りて聴いた事がある。

正直に言うと、散々な演奏、歌……。

それでも彼等は人気ナンバーワンのバンドで在り続けていた。

その理由は簡単だった。
彼等のバンドは、全員が並外れて美しいルックスを持っていたのだ。
さらに、彼等は皆権力者、金持ちの子息達だった。
ボーカルのこの男は、国会の有力議員の息子だ。
私はこの男より、議員の父の方をテレビでよく見て知っていた。

ボ「僕の父が、紬さんのお父さんに凄くお世話になっているんですよ」

紬「はぁ……」

ボ「本当はクリスマスの時に紬さんに挨拶をしたかったのですが、ちょっと用事がありまして、パーティーに参加出来なかったんです……」

そう言うと、ボーカルは突然涙を流し始めた。

私とムギちゃんは、突然の出来事に驚き狼狽した。

紬「えっ? えっ? どうかなさったんですか?」

ボ「すみません……。その……非常に言いにくいのですが……」

ボ「紬さんの姿を見て……凄く辛い目に遭われたのかと思って……。
僕の父と一緒に写っていた写真の姿からは変わり果てていたので……」

ボーカルは目に涙を溜め、悲しみの表情でムギちゃんを見詰めた。

紬「えっ……」

ムギちゃんの態度が少し女の子になっていた。

ボ「その……女性の容姿について失礼な事を言ってすみませんでした。
ただ、これだけは信じて下さい。僕は貴女の力になりたいんです。
貴女は、父が色々お世話になっている方の御令嬢ですから」

紬「あ、ありがとうございます……」

ムギちゃんは顔を真っ赤にして俯いた。

ムギちゃんはいつも、女の子達が仲良くしている所をうっとりと眺めていた。
だから私は、彼女が男性に余り興味を持っていないのだとばかり思っていた。
しかし、それは間違いの様だった。
彼女が今、この男を異性として意識している事は明らかだった。

ムギちゃんはボーカルに恋をしてしまった様だ。

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