第3話・明晰な怒り








 ノーマン軍曹はぎょろりと書記官を牽制した。こそこそとした書記官の笑い声はにわかに引き攣り、それを庇うようにアレクセイエフが2人の間に割って入る。
少佐は未だに信じられないらしく、3人、いや、2人と1機を代わる代わる見比べては「へー」「ほう」と嘆息するばかりであった。

「学習と更新、手間を惜しまなかった甲斐がありましたね。ご紹介にあずかれば、彼がこのたび任務にあたって起用された巡査ロボット、アレクセイエフです。もっとも任務の運びに合わせて刑事に昇格の予定ですが」

意外と敏捷な書記官はそそくさとソファに座り直し、念のためと隣席にアレクセイエフを置いた。やや早口だが部下の成り立ちを自信ありげに繰り出して、純粋に誇らしげだ

いよいよもって冗談ではない。相変わらず己の眼光が潜む気配は見えなかったが、傍らでアレクセイエフに毒気のない笑みを向けられるとそのエネルギーがやり場を失ってしまうような、そんな居心地の悪さを感じノーマンは押し黙った。
本当に。ガチもんは肌に合わない。
腹いせに書記官を今一度睨みつけて退室を決め込もうと動くも、抜群のタイミングでするりと右手が差し出された。
途端、アレクセイエフの柔らかい笑みがノーマンの脳裏を駆け巡る。
かのロボットは軍曹をその笑顔で縫い止めて握手を求めている。凝り固まった武骨な人間の右手はぎこちなくそれに応え、一見して平和な空間がにわか構築された。
少佐はそれを見計らい、ぽんぽんとソファを叩いて部下を促す。仕切り直しだ。癪なんてものではないものの、ノーマンは敬愛する上官に従う他なかった。


軍曹が無言でカタログを電脳にコピーする間、ステイシー少佐とアレクセイエフは随分と打ち解けたようだった。打ち解ける、なんて機能がこのデカブツにあるのかは疑問だが、巷で見かけるAIと人間の押し問答とは一線を隔てた奇妙なコミュニケーションがそこに成り立っていた。
面接のようでもあり、若輩とベテランが交わす駄弁りのようでもあり。少佐が煙草を2、3本消費する頃にはアレクセイエフの職務にあたる様子、癖、生活模様までもがほぼ手に取るように各人に伝わっていた。
ノーマンはそんなロボットをずっと眺めていた。時々書記官の衣服の擦れや手癖を観察し、窓辺で書類整理にあたる女性秘書の手元で揺れる指輪を追いかける。誰ともなくコーヒーをお代わりして、民間の会社でミーティングを行っている時のような独特の香りが部屋に満ちた。
これかもしれない、とノーマンはふと思った。
何事も目に留まる事もない。引っかかる様子もないまま過ぎていく。
ひたすらモーションを省エネモードにシフトして考え込んだ結果、合点した。違和感を感じない事に違和感を感じるのだ。アレクセイエフがロボットであるという前置きがあってこそこなれたこの場なのかもしれないが、見た目のデザインより若い印象をもたらすこの機械の内面はAI嫌いのノーマンすら看破しようとしている。それ自体が気に食わないのではない。あまりに合理的過ぎる現在に軍曹の野性的な思考は警笛を鳴らして収まらない。
思い出したように言葉を探しては押し黙る軍曹の傍ら、少佐は楽しげに身を乗り出した。

「睡眠を必要とする機種、と要項にはあったがどういう事なんだ?アレクセイエフ」
「1日3、4時間ほど記憶の整理に充てるのです。その間にボディの定期メンテナンスも挟んで次の業務に入ります」
「ほー、巷で流行りのショートスリーパーってやつじゃないか」

なあカーライル、と上官は突然部下に話題を降りかけた。心なしちりちり熱を持ち始めた米神のコネクタを押さえてノーマンは歯噛みする。
要は任務だ。与えられるであろう任務に注力してこその軍人であるから。円錐のプロジェクターが投影する資料映像を横目に考え込むが、熟考ほど慣れぬものはない。任務にあたっては獣のごとき直感がそれを補って余りある力を発揮してきたので、歴戦の軍人は今回も直感に頼ることとした。
その直感にこんなにも引っかかるモノとは、何だ。
幾度となく潜り抜けた前線、その残忍な経過、飛び交う視線、銃弾、抉るような臭気、突き刺さる閃光、灼熱、極寒。彼の五感が素早く過去を走り抜け、情報の収集を始めた。機械にはあり得ない直感。いや、直感だけではなく全ての記憶を縫い糸のように束ねる感情が彼の脳裏で一筋、また一筋と呼応していく。やがてそれと無しに導き出した。
一連の熱い演算を束ねたのは、例に漏れず紛れもない一閃の怒りであった。ロボットの完璧な笑みに一度は摘み取られた奮起はそこに報いた。

「ミスター・アヴェリン」
「どうしましたか、軍曹殿」
「<A-FORC-242501-02>は巡査からすぐに要人警護のポジションに就いたという事でしたね」

アヴェリン書記官はたじろいだ。
アレクセイエフの型番だ。Aタイプ、FORCE志向の242501-02番。思い直して眼鏡をずり上げ、高級な役人は軍曹をまじまじと見つめる。

「その通りですね。アレクセイエフは元々護衛に特化した機種ですから。数多くのケースを学習した後、犯罪率の高い区画で稼働して経験を積んできたのですよ」
「…睡眠を必要とする設計、というのは?人間のように規則正しいリズムで?」
「ええ、本人が言うように平均して24時間中3時間。ある程度の融通は利くように設計されていますよ」

渦中のロボットに合いの手のつもりで目配せすれば力強い頷きを得た。どうです、と軍曹に向き直る。しかしまた書記官は喉の奥で悲鳴を飲み込む羽目となりのけぞった。
ノーマンは笑っていた。先ほどの引き攣った笑いとは打って変わって愛想にあふれたスマイルで、しかし有無を言わせぬ異様な覇気を見る者に突き刺さした。

「軍曹、」
「これからよろしく頼む。<A-FORC-242501-02>」

将校は一字一句、正確に明瞭に型番を読み上げる。一官僚の制止など効果があるはずもなく、ずいと進み出て型番の主を促し右手を差し出した。
実際に向き合ってみるとアレクセイエフは大きい。この部屋の誰よりも背が高く、しかし皆を見下ろしているというのに威圧感を殆ど感じさせなかった。微笑みは絶やさず、そこに少し「困ったな」という風な味を加えてヒューマノイドは上司に視線を送る。ぶんぶんと縦に首を振ってアヴェリンはその背を押した。ある程度は互いに電脳での通信を介しているのかもしれないが、人間、身に染みた慣習はいつまでも捨てがたいものである。

「よろしくお願いします、こちらこそ。軍曹」

静かによどみなく、一呼吸おいてアレクセイエフは大きく平たい掌を差し出した。
冬の入りに加えて緯度の高いこの帝国はしんしんと冷え込みを増していたが、室内は上品な温度と湿度を提供している。この時になってその部屋の空気がするすると音も聞こえそうな対流のもと、一巡したように思えた。
最中、軍人と警官の握手が実現し、
一気に対流は不測の躍動へと転じた。

ノーマンが口角から顔全体を激しく歪め釣り上げる。百戦錬磨の少佐すらまるで反応が追いつかなかったのだから、右手をがっちりつかまれたアレクセイエフなどは微笑みを崩す間もなかった。護身術の風体で軍曹は合金の右手、右腕、半身を瞬く間に絡め取り、ぎっしりと回路を詰め込んだボディを懐を懐柔し突き崩す。
人間のモーションを限りなく理想の形で実現した機構はあっけなくバランスを崩し、200kg超えの巨体を分厚い絨毯にめり込ませた。

「睡眠不足が祟ったみてえだな?おまわりさん。『より良いAI』の名折れだぜ」

ずっしりとした余韻を残して室内が再び静けさを取り戻す。凶暴な軍人の押し殺した猛りだけが静けさに重みと熱を添加し、こだまして膨張を続けた。



それからは行政の管轄とはいえ全てが迅速だった。締め出されるまでに10分も掛からなかったかもしれない。
アヴェリンは生まれも育ちも中央ときて、淀みない標準語でニュースキャスターのように軍人たちの非礼をまくしたてた。カーペットに叩きつけられたヒューマノイドが笑顔もそのままに立ち上がってからはもはや教師が教え子に、もとい言葉の通じない匪賊と対峙する官軍のごとき勇猛さで、「横柄な武人諸兄は車に詰め込み、自動制御で軍部へ送り返す。それまでは一切の途中降車は認めない」とのお達しを述べる。
それをもって極秘会合はお開きとなった。

「この国の未来がパー、だな」

ステイシーが愉快そうに自分より上背のある部下を仰ぎ見る。ステイシー当人とて決してチビた将校というわけではなく、軍服にきっちり収めた体躯から在りし日の戦地を匂わせた。
よく考えれば自分たちの浮きっぷりは相当だろうな、と2人は周りを見渡して笑いを交わす。

共に目を細めつつ、改めて慎ましい初冬の太陽を仰ぎ見た。やはりこの自然光が一番馴染む。仕事一辺倒な空気も目に染ませるような人工照明は、自分には少々刺激が強かったようだ。
上官がきびきびと消音タイルを踏み鳴らす音に合わせて、ノーマンはガス抜きのように深呼吸を繰り出し、車に乗り込む。

「途中から腹を揺らして笑ってたのはどちら様でしたっけね」
「久々に部下の勇姿をこんな間近で見ておいてはな。笑わない手はないぞ」

威勢のいい笑い声が胸の底に響く。

「まだお前の腕っ節は鈍っとらんだわけだから尚更だ」
「安心した、などとおっしゃった日には貴方もよほど参謀界隈のご隠居魂に毒された事になりますよ。残念な事に」
「やかましい」

少佐は楽しげにポケットからひしゃげた煙草の紙箱を取り出したが、自動制御の車内においては換気も制限されている事に気付いたのか、黙ってノーマンに煙草を投げ渡した。

行政区はいつ来ても緑に溢れ、落葉1枚1枚までも計算され尽くしたかのようで鷹揚な様相を保っている。公用車の耳当たりの良い駆動音も葉擦れの音を邪魔する事はなく、悠然と渦中の軍人を送り返そうとしていた。

「お前は昔っから変わらんな。今の政府の風情を毛嫌いする気持ちは分かるが、20の頃より尖っていてはあっという間に…」
「お言葉ですがね、少佐」
「分かってる分かってる。不満そうな顔をするだけで、突っぱねる気概が最近のお前には感じられなかったものでな。そろそろ引退かと勘ぐっていたが今日の大立ち回りを見てまあ、お前なら前線だろうがシティであろうが『適役』ってもんだろ」

公用車は静かに停車し、これも卒のない官僚で溢れる公園を臨みながら自動で空調を切り替えた。
ノーマンは少佐の投げた煙草を開封する。ただでさえ質の悪い紙煙草が千切れていないか確認した後、上着の釦を1つ外して大仰に息を吐いた。戦地で愛用していた迷彩服や防護服が未だ懐かしい。あれはあれで窮屈なしつらえだったが、機能を能動的に反映した硬い生地には好感を持てた。

「卒がない人間、ってのはどうにも邪推してしまいまして。あの人間もどきにしてもそうだ」
「気に入らないにしたってあそこまで突っぱねなくても良いだろうに。危うく床が抜けるところだったぞ」
「抜けたら抜けたで良い火種になったでしょう」

このトリガー・ハッピーめ、と少佐は実際に紫煙でも吐くかのように全身をしぼませて座席に沈んだ。

「お前のロボット嫌いも大概だよ、全く」
「単にヒューマノイドが受け付けないだけであります。あれも良く出来た人形だったが、荒事に挑むには絶対に必要になるモノを持ってなかった」
「モノ?」
「『敵意』」

上官から座席ごとド突かれ、ノーマンは背筋を大げさに引き伸ばしつつ振り向いた。何とも、お互いヤニ切れの兆候が著しい。

「お前、そんな事が気に食わなくて役所の床に穴を開けようとしたってのか!大概な奴だな全く!」
「お言葉ですがねえ、少佐」
「言い訳は本部に戻ってからだ。そりゃあ標的の敵意や悪意ってものが分からずに、そいつらが向かっている先も何も把握できなければ任務に支障を来すだろうが…書記官の演説映像でもあの男は観客席に座ってたんだぞ。お前も映像資料は見ただろ」
「護衛対象の安全確保、それに関してはクリアしていたと見えますよ。しかし、いざ自分が攻撃の対象となった場合は駄目だ。ひたすら護衛対象の事を優先し過ぎて、要は善の塊、献身的過ぎるんです。あれを雇うよりは防弾チョッキを着ていた方が確実かもしれない。自分も専門的な事は分かりませんが、友好的な思考から戦闘モードへの切り替えがスムーズじゃないんですよ」

少佐がもごもごと窮してしまったので、ノーマンもその場は退いた。今はあのロボットは脇に置いても障りはしないだろう。出来ればこの場で主題を持ち上げる。それが得策だ。

ブラックボックス統合研究所。今まで帝国とは表向き和平を謳歌していたあの集団が、今になって何故取り沙汰されているのか。其処を聞かず役所を追い出されてしまったのだから。
乗合いの公用車なので先程の文民達が目下盗聴中、といううすら寒い事態も想定は可能である。しかしここより安全な場所もそうそうない。したがってノーマンは少佐の采配に従うことにした。
ステイシーも鷹揚に頷いて髭をしごき、助手席で身を乗り出した。

「…アヴェリンとはお互いのプロフィールデータを交換したきりで、会ったのは先程が初めてだ。先方が手札にロボットを起用すると通達してきたものでな。改めてこっちもお前を前線から引き戻して、…おい、何だその目は。あのロボットのカタログもなかなか面白かったじゃないか」
「あんたも上に食い込んでから随分タヌキになったなと、それだけですよ」

カタログ。もとい企画書。もとい使用説明書。だったような。
文民が野蛮な前線上がりにスマイル0円人型兵器をオススメする、なんてタブロイドに持ち込んだら割と高値を期待できるネタなのだろうが

「お前のような人間とあのロボットが組んで成功すればそりゃ、御の字じゃないか。今後危険で複雑な作業も機械が肩代わりできるって証明に…」
「それで、解剖は軍が担当したと聞いていますがそこのところは?」
「どの口がタヌキなんぞとほざくんだ、おい!嗅ぎ付ける鼻だけはそこらの犬より鋭くなりよって」

死臭もスナック感覚の世界で暮らしてるから仕方がない。
ノーマンは心の内でぼやいて窓を開けた。その現実に関して後悔はないし、しかし多少の引け目は感じている。特に養子を貰い受ける立場にあっては。
既に車は商業区域に差し掛かっており、行政区に次いで育ちのいい喧噪がガラスの向こうでひしめき合っていた。ビル群よりも丈の低い商業施設達が整然と並び空を切り取る。あの色。今日あたり、雪が降るだろうか。
少佐は何度目かのため息と共に部下にも新聞のスクラップ画像を送信し、再び後部座席に背を向けた。青空を背景にして軍曹の視野に小さな見出しが踊る。画像の出所は一般の新聞だった。先ほど取り込んだ資料の続きをかいつまんだようなものだと少佐は付け加えた。

『漁礁遺跡、一部崩落』。

近い。シティからやや離れた沿岸部での事故だ。いや、事件?
ステイシーはちょいちょいとミラーを叩いて再度ノーマンを促し、数分程度の動画も自らの電脳から投げた。人間由来の電脳に極秘情報を保存する行為は決して安全とは言えないのだが、その分、ひっ迫した現状がかいま見える。

白い影。

夜半の漁礁遺跡を監視カメラが撮影したものだ。ああいった現在も稼働中の遺跡には帝国政府がステルス・カメラを投入して管理に当たっているのである。その固定された視界の端を白い影、いや、白い衣服に身を包んだ男が通過する様子が見て取れた。
やたら長身で細身の男。早足で滑るように遺跡の地下通路に消えてしまった。
そのあとを追いかける警察官の群れにノーマンはハッとする。白い男とまるで動きが違う。もっとどやどやとしていて、いや、男のモーションがあまりに無機的だったのだ。考えたくはないが、幽霊。カメラのバグにしては明瞭過ぎるし、合成にしてはお粗末だった。

「…ここは確か公官関係の人間以外立ち入り禁止でしたね?」
「その通りだ。近々発破をかけて鉄道を通すはずだったらしい。この男がどうやってこんな場所に入り込んだのかはさておき…よく見ておけ」

軍曹の瞳孔がぐっと収縮する。獲物を求めるような、ぎらぎらと生気に満ちた変化であった。
逃がしてなるものか。決して。


[第2話][novel top][TOP][第4話]

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -