第2話・奴はロボット








行政区中心部に林立するビルディングに、碁盤目の道路が絡みつくように縫うように駆け巡る。幾何学的な立体群像は薄曇りの空を背におだやかに照り輝いていた。

「こんな機会はまたとないぞ」
「と言いますと」
「そう簡単にあの商業区よりガラの悪い方面に顔を出さんような、要はエリートだな、身分のある輩との会合が今から始まるってことだ」

ノーマンと少佐が目指した建物はその中でも中枢に近い。その分役職の高い官僚が集中する一角である。つまりノーマンの毛嫌いする役人が詰める密室の集合体だ。血気盛んな軍曹は凶悪な形相を前面に出して目に入るものにケンカを売りまくる。
エントランスで彼らを出迎えた女性は若干訝しげににそれを出迎えた。渦中の輩の秘書と名乗ったその女性は、濃いグレーのパンツスーツに青みのかかったグレーの髪を束ね、胸には古いブローチを整えている。見るからに育ちがよさそうでこちらに歩む様は清潔感にあふれていたが、それが人間味を薄めてしまうようで何とも勿体ない。

「最上階にて書記官がお待ちしております。こちらへ」

ノーマンはうへえ、と顔をしかめた。最上階で書記官で、こんな美人の秘書がいて、そんなお偉いさんと秘密裏の会合とは。嫌な予感が押し寄せてやまない。

「少佐、まさか書記官って」

ステイシー少佐は苦笑いを浮かべてノーマンをエレベーターに押し込んだ。ノーマンは電脳で思い当たるインタビュー記事を呼び出そうとしたが、あまりにも面倒だったのでやめた。ガラス張りのエレベーター内は清涼な空気と日光に満ちていたが、ノーマンの凶悪な形相はますます怒気をたぎらせる。くそったれ、としか言いようがなかった。ひたすらに前線が恋しく、もしくは眼下に広がる行政区を超えた先、街の端にこびりつくスラム街で片っ端からスリをとっ捕まえたい衝動がノーマンを苛んだ。人の為に暴虐をこなせるのであれば何だって構わない。

「少佐」
「何だ」
「出合い頭に相手ののど仏めがけてズドン、というのはいかがですか」
「ないな。こんな物資の供給がままならない状況でそりゃなしだ。背水の陣どころじゃない」

少佐も中々意地の悪い笑顔を見せる。秘書はいよいよ表情を曇らせた。ノーマンは「威嚇射撃ってのがありましてね」と、懐に下げた空のホルスターを叩いてそれに応えるも、そのツラは誤魔化しようのない柄の悪さだ。
ごほん、と少佐は咳払いをして高速のエレベーターが向かう先を顎で示した。

「冗談を言わせる為におまえに忠告しているわけじゃないんだぞ、言っておくがな。心してかかれ」




「冗談じゃない」

そして今、ノーマンの額には土手のような青筋が浮かび赤毛は燃え盛らんばかりに逆立っていた。

彼の予感は悪寒へと変わり的中を下してしまったのである。物々しい両開きの扉を開けた先には確かに、Webニュースや街頭の政情パネルでたびたび見かける男が胡散臭い笑顔を湛えて待っていた。レオニード・アヴェリン書記官。この役職としては異例だが、次期大統領の噂も纏うエリート中のエリートだ。
栗毛と白髪を丹念に染め分け、仕立ての良いオーダーメイドらしきスーツを着込んでおり、しかし眼鏡からタイピンにまで光り輝く宝石の数々が厭味ったらしい。1つ1つの装いはこの上なく高級なのにここまで胡散臭い空気を作り上げる男に対し、ノーマンは感心すら覚えた。

今一度軍曹は、この悪いジョークを持ち込んだアヴェリン書記官を一睨みして黙らせようと試みる。戦地であればこれで大概の上官は退いたのだが。書記官は首をすくめてこれ見よがしに官僚の証たる銅のバッジを弄くった。
文民を前に武力行使に出る軍人はまさに恥である、と何処かの武将が物申していたように思う。しかし目の前の官僚がその文民としての真価を有するかは定かでない。

「しかし、これは大統領から下った秘密裏かつ正式な辞令でして、貴方には早急に任務に当たってもらわねば…」
「何がどうだろうが俺には度が過ぎた任務、で、あります」

敬愛する少佐の顔を背負っての手前、ノーマンはフォーマルな物言いを崩さぬよう必死だった。その傍ら少佐は部下と共にソファに腰かけ、笑いを堪えるのに忙しそうだ。

「ロボットと組めだって?何のつもりでございましょうか?」
「こちらで徹底した学習と教育を経た一級の警官ロボットをご用意した次第です、きっとお2人ならいい仕事をしてくれる」

ノーマンの押し殺した溜息は怒気に震えている。
「お2人」とこの男が形容した通り、ノーマンは少佐の指揮下のもと任務にあたる事になったようで、少佐の顔を汚す事なきようと努めねばならない現況の束縛がますます事の理不尽を際立たせた。
書記官の笑みはあまりに胡散臭くて徹頭徹尾信用に足るものではない。少なくともノーマンにはそう思えて、たまらず少佐を横目で認めるもどこ吹く風。上司はロボットのカタログ(のような書類の束)を丹念に確認しているところだった。

次発の溜息を飲み込もうとノーマンは出されたコーヒーを煽った。妙に口に合うのがとても腹立たしい。ガツンとソーサーにカップを戻す。何が面白くてロボットなんかと組む必要があるのか。ロボットは真に人命が人命により危ぶまれる状況下には不向きである、と少なくとも自分の世代では教科書の常套句だった。複雑なコマンドとタスク、アラート、エマージェンシーの嵐に放り込まれればお堅いコンピューターなどあっという間に焼き切れると。自身も何度となくAIの誤作動に遭遇し命を危険に晒してきた為か、軍事的活動において戦地でAIと2人きりなどという滅茶苦茶な苦境は死んでもごめんだと強く願った。

書類を叩きつけて帰ろうと軍曹は腰を浮かせる。すると不意に、彼の視界が大きな陰りに覆われた。
しかめ面をそのままに見上げてみる。いつの間にか長身にこれもスーツの男がコーヒーポットを片手に微笑んでいた。

「コーヒー、どうです、もう1杯いかがですか?」

アヴェリンがいちいち気に障る気障なスマイルと共に問うた。

「いや、…いらねえよ」

つい西方の訛りが飛び出してしまう。
この男。いつからこんな間近にいたのだろう。
ノーマンは人知れず目を見張った。足音や気配、といった問題ではない。接近すれば自然去来するであろう空気のぶれすら感じなかった。風貌はどこにでもいるような壮年の男性、としか言いようがないほど平凡で、街中ですれ違えばただ「のっぽな男」程度の印象しか残らないような、在り来たりな出で立ちだ。枯草のような金髪に深い緑の目、少し頬骨が出ているが痩せているわけではない。
ただ単に影が薄いのだろうか。それにしては男の比較的がっしりとした体格と余りに正確な動作がノーマンの目に留まった。警戒するに足るSPか、事務官か。戦地で場馴れしていた筈の彼の観察眼はその男の周りで混乱を極め、停滞し曇っていた。

この男。
誰だ。


不意に、先ほどまで熱心に冊子に目を通していたステイシー少佐が口を開く。

「ブラックボックス統合研究所の意向を探れ、とおっしゃいますが、遂に奴らもしっぽを出したのですか」

軍曹もハッとしてアヴェリンを睨みつけた。ロボットと組め、という無茶振りを前に頭に血が上っていたが、本来の任務自体は相当に人を選ぶ案件のもと組まれていたのだ。何せブラックボックス統合研究所が正式に絡んでいる。このような前例は軒並み極秘事項に埋もれてノーマンの耳にも届くことは稀だった。
ロボットとツーマン・セルを強いられる条件でなければノーマンの意欲は滾らずにいられなかった筈だ。

「ええ、昔からきな臭い噂は絶えなかった、その割にご自慢のロストテクノロジーを引き合いに奴らは数々の事件を煙に巻いてきた。それはあなた方もご存じでしょう」

アヴェリンはノーマンの凄みにも慣れてしまったのか訳知り顔で頷いた。軍人達は無言で頷き応答とする。

「我々軍部においても目の上のこぶであります。知っている程度のレベルでは済まされないでしょうな」

少佐はふと窓の外に目を移し、重々しく呟いた。


ブラックボックス研究所とそれを取り巻く『良家』のコロニーは戦後間もなく築かれ、つい最近まで独立国家として帝国としのぎを削ってきた一群である。インフラの整備や人員の補填、資源のやりくりなど「餌」を掲示し、コロニー(と呼ぶにはあまりに大きく複雑な居住集合体)と帝国は近年合併されたものの、秘密主義や『良家』の権力は未だ健在である。名に冠する旧時代の記憶装置「ブラックボックス」から引き揚げた技術情報を切り売りして未だ奴らは各国で金儲けをしているらしいが、アヴェリンの言うように連中はその卓越したテクノロジーを悪用してか手がかりと呼べる物を片っ端から抹消し、その悪名は今に至る。
先程商業地区で見かけた人だかりの中にも『良家』の人間や使用人として雇われた者が大勢いたはずだ。もしかしたらあのブルジョワジーの少年も。
『良家』、もとい半ば貴族のように権力をほしいままにする彼らは遠東の国々から移住してきた技術者集団を祖とし、頭脳階級とも呼ばれ未だ覇権を握る家系である。研究所の上層もほぼ『良家』の人間だが、世襲制がたたって余り風通しが良いとは言えず、最近は外部の優秀な人員を招致する動きも活発だと聞かされている。自然な潮流ではあるが、ノーマンにとってはこれが面白くなかった。学術区への寄付も年々増加傾向にあるが、その区に属する全寮制の学校に彼の引き取った養子が通っているのである。
「あの研究所に入れば毎日紙の本が読める」
彼女は目を輝かせて研究所のポスターを見せに来た。奴らが施行する奨学金制度を宣伝するための張り紙だ。
ノーマンは断固として、あんな怪しい集団に娘を預けるつもりはない。研究所の内情はあまりに不透明で、帝国にとって必ずしも恩恵だけをもたらすとは言えないのだ。
全く。くそくらえだ。

「奴らとの交渉だけならその手のネゴシエイターなり、それこそロボット単独での介入でよろしいのではないですか」

ノーマンは少佐に押し付けられた冊子を一瞥して鼻を鳴らした。彼の性質は敢えて言えば切り込み隊長である。そんな自分が地道に巨悪のほつれを手繰り寄せるようなデリケートな任務に向くとは思えない。それを承知で少佐がこの話を進めていたのであれば応えたいと思うのが人情だが、ロボットが出張るとなれば話は別だ。
なぜか少佐は苦笑いを浮かべる。似たような困り笑いを送る書記官と目配せをして、ノーマンをなだめるように先ほどの男にコーヒーを頼んだ。

「アレクセイエフ、窓の遮光度数を上げてくれ」

男は流れるような動作で皆のカップにコーヒーを注ぐ。最後の1滴まで男の意思が通ったかのようにコーヒーは香味を含んでカップに流れ込んだ。
アレクセイエフと呼ばれたのもこの男なのだろう。男は軽く書記官に会釈すると、窓についっと手をかざした。大きな全面張りの窓は灰色に曇り、室内から陽の光を取り除いてしまう。

「例の映像資料はそろってるだろうな」
「はい、ただいま投影致します」

男の声はそれほど通りは良くないが、柔らかくて人好きのする色を帯びていた。事務官、ではなく職務内容の様相を見れば執事だろうか。巷で流行りの武装執事という奴かもしれないが、それにしてはあまりに荒事からかけ離れた柔和な空気を滲ませるものである。

彼が円錐の投影用プロジェクタを机の中心に設える様子を、ノーマンは呆けたように見つめていた。
なぜかこの男を見ていると怒りが薄れるのだ。
いつも背を押し蹴飛ばし、冷静さを奪い去るあの怒りが鳴りを潜め視界が晴れるのを感じた。その割にこのアレクセイエフ氏の仔細はまるで読み取れずにいるのだが、そのもどかしさが怒りにすり替わることも今のところ無い。

「それで、いかがですか」

ノーマンはぼんやりとアヴェリンに目を戻した。

「…受けさせて頂くならそのロボットとじかに会ってからにして欲しいものですね?」
「そのロボットに関しても、いかがでしたか、と改めてお聞きしているんです」

ノーマンは虚を突かれて身をすくませた。途端に脱力していた自分に猛烈な憤りを感じた。何をやっているんだ馬鹿野郎。

今、この役人は何と言った。
しまった。

弾かれたようにノーマンは立ち上がった。少佐の安否だけは確固たるものにしなければならない。背水の陣が現実のものとなろうとは思わなかった。
当の少佐は驚いて部下を凝視している。ノーマンは出来るだけ声量を抑えて少佐に通信を送った。

『気を付けてください、こいつはロボットだ』
『は?』
『そっちじゃない、書記官ではなく!そこのデカブツ!』

上官の視線はあちこちに躍っている。何をそんなに警戒する必要があるのかとその目が咎めている。

『アレクセイエフ!』

ノーマンの怒声が通信に有りっ丈流れ、少佐のどんぐり眼はこぼれそうだ。
しかし厭味ったらしい官僚らしき官僚はにやにや笑いを無遠慮に絶やさず、まあまあと軍曹の両肩を抑えてなだめて見せる。

「ロボット三原則をご存じでしょうね?ロボットは人を傷つける挙動は許されていません。無論、他の人間を傷つけるような人間であればその例が適用されるかは…」

忘れそうになった怒りが、己の原動力が堰を切ったように溢れ出す。ノーマンは書記官の手を全く無視して、アレクセイエフと、カタログでその骨格だけが記載されてスキンをまるで描写されていなかった男性型ロボットと対峙した。
アレクセイエフは全く変わらぬ微笑を向ける。とても人好きのする、意図され人心の本能に沿って作られた模範的な笑みを。


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