第7話・作為的挙動








 時折ベアリングやジョイントの軋む音がちりちりと神経を刺激する。金属と金属が甲高くこすれ合う独特のノイズ。音の源は部屋中に配置されたマニピュレータだろうか。もしかするとアレクさんのボディか、俺のサイボーグ化された身体の唸りかもしれない。突然の事に、皆が困惑している為の異音。そう思いたい。

「…アレクさん?」

多大な沈黙を吸って膨らんだ空気は重苦しい。水槽越しに俺はアレクさんを呼び止めた。粘性の強い緩衝液に満たされた水槽は青白い光を気まぐれに反射して、辺りの影を散り散りに照らし出し妙な美しさを内包していた。

「アレクさん」
「行こう」
「はい?」
「今すぐに移動しよう、この棟の中枢に研究チームは在住している」
「今すぐ?どうして」
「私は君の護衛と、君を研究チームに合流させる任務を併せて命じられている。チーム主任とも連絡は取れるはずだから…」
「あの?」
「君の安全が最優先だ」

今まで背を向けていたアレクさんが勢いよく振り向いた。どうした事だろうか、その表情は硬直を超えて一切の微動を見せず、まるで温度を感じさせない。どこかに微笑の隠れたあの柔らかい風貌は見る影もなく、たった今仕事を終えた殺し屋のような慈悲も余裕も見当たらない顔。まるで別人だ。
別人。人。先程まで人と見紛うばかりの複雑な空気を発していた筈のこの人。しかし今この時点ではマネキンとまでいかないにせよ、彼の目に俺の姿が映っているとは到底思えなかった。

「アレクさん、あの安濃津という男」

言うや否やアレクさんの目が限界まで見開かれた。監視カメラがターゲットを視認した時のような、無機的な攻撃性を孕んだ挙動である。俺は不本意ながらたじろいだ。この男も危険なのだ。あらゆる方面に認めた不信感も次第に首をもたげ思考を塗りつぶす。それこそあらゆる、この研究所で出会う全てが疑わしくて仕方がない。
ここに来て2か月、自らの目的も明らかに掲げて歩んできたつもりだった、そのはずだったのに。
作為を感じる。アレクさんから、あの粗暴な所長においても、無論あの喪服の男からも。今の今まで俺は「この研究所であれば妹を助ける術を見いだせる」という確信のもと、がむしゃらに下積みに励んできた。あちらこちらの研究室に顔を出し、やはりここは国内きっての、いや、世界でも類を見ない設備を整えた最高の機関だと安堵を得て、中枢たるブラックボックス研究チームへの配属が決まったその日は一抹の疑いこそあれ、救われた心持だったのだ。
しかし、その結果がこれとは。何だっていうんだ。
志願して兵士となった昔と似た、あの理不尽が足に絡まり自由を奪う感覚を思い出した。あの時はそういえば留学のような調子で志願を推す世間の風潮に乗って、生活が楽になるならと戦地に足を踏み入れたものの帰還兵を待っていた眼差しはとても冷たかった。戦局があまり芳しいものでなかったため、国民の不満が嫌というほど俺達兵士に突き刺さったのである。結果として俺達は学校に残った同級生よりも徹底したレールを敷かれ、少年兵として人生の固定を余儀なくされ機械に置換した身体を持て余した。戦争がまた激化の兆候を見せる今こそあまり取り沙汰されていないが、それらはれっきとした社会問題として今なお俺達のルーツ、根底を塗りつぶしている。
一様に暗い顔をして彷徨うかつての級友達が思いやられた。彼らはあの薄暗いリハビリ施設から出る事は適ったのだろうか。今の俺のように為す術もない息苦しさを何処かで感じているのだろうか。自分の意志で学業に返り咲いたつもりがその節目を圧倒的権力と意味不明な暴虐にこてんぱんに伸された俺よりかは、まともに日々を踏みしめているのかもしれない。

「ジャック、その名前をどこで認識した」
「メッセージが届いたんです」
「…君も所長のように頭脳のクリーンアップを受ける事をすすめる。あの男は危険過ぎる。次に思考媒体でなく実体を介して襲撃を受けたら、危機レベルは私の対応範囲を超えてしまう恐れがある」

アレクさんのあの緑色のオブシディアンを埋め込んだような瞳は見る影もなく、限界まで一切の曇りを捨てて俺を映し込んだ。映っているとはいえ、困惑を憮然に変えて押し黙る俺の表情が彼の心に届いているのかは怪しい。いや、届く先に心などあるか、それこそが怪しい。アレクさんの挙動は段々と硬く単調に変調をきたし、俺の荒んだ心を遠ざけた。
かぱりと、ダストシュートのようにただ口を開くだけの心もとない動作をアレクさんは繰り返し、間髪入れずに言い放った。

「私は君を守らなければならない」

俺は遂に自ら堪忍袋の緒を引きちぎった。それは良くない事だ、とどこかで理性が警笛を鳴らしたが俺だってそこまで大人じゃない。

「俺は、護ってくれと頼んだ覚えはない」

貴方の事を無情とは言わない。言えるものか。俺は心の中で力なく訴える自分を情けなく思った。
そもそもアレクさんの全ては仮初めのモーションなのかもしれないが、それでもこんなに情を感じさせるロボットには今まで出会った事がなかった。正直様々なヒューマノイドに再三出会ってきたものの、そのどれもが不気味の谷を彷彿とさせる為か俺は彼らに馴染む事を諦めていた。そんな中、アレクさんの挙動や表情の微細な動きはそれらを払しょくする温かみを含み、俺にとって内実共に「助け」となって今に至る。
だが、どんなに表情豊かであっても彼は今、非情である。
彼が示す意思は「情に非ず」。感情がもたらす焦りや狼狽より、彼に与えられたコマンドがここに来て鋭く熱を持ちそれでいてアレクさんの全てを冷たく覆っているかのようだった。

「ジャック、君の立場はとても危険な状況に」
「俺は狙われるような覚えはないし、人間のもっと柔軟な判断を聞き入れる事だって貴方なら出来るはずだ」
「君は保護対象にあるのだから、発言の適用には制限が」
「貴方よりも自分が弱い立場である事は分かっているつもりですが、」
「君の意思は『いかなる場合も生存を選択する』傾向を人格検査でも強く見せた。従って君は一時の気の迷いを見せているだけだと、私は推測する」
「こうして言葉にしてる時点で今の僕の意思は明らかだと思いませんか」


感情をつかさどるは脳、俺に残された頭部がつまりは全ての激情を余りあるほど賄っている。血がのぼる頭が生身である事が何とも呪わしい。どんどんとアレクさんの冷たい眼差しに疑念が募る。冷たくて、分からず屋で、見下しているかのようなその冷たい眼差しに、耐えられない。

「機械の貴方に何が分かる」

アレクさんをこれ以上直視できなかった。でもどれだけ注視しても、もうアレクさんの顔に穏やかさが戻ってくる事はないように思えた。


本当に、俺は守られる事が嫌いなのだ。
自分でも呆れてしまうが、この斜に構えるどころでない生き方が染み付いてしまい久しい。人為的な善意の塊であるロボットを前にしてもその恐怖はぬぐい去れなかったわけだ。無力にも守られる状況に徹する自分から、何も守る気概のない性根を目の当たりにする瞬間。それがある種のトラウマとなっているのである。
トラウマは妹の身を案じて思案に暮れるたびに俺を襲った。妹の家族はもう俺1人を置いて他にいないのだから俺が守らなければいけない。しかしその妹も先が長くはない。俺はあいつを守り切る事が出来なかったと、現実が俺を砕くその時がもうすぐ訪れようとしている。だから、俺は妹を守りたい心ひとつでここに来たわけではない。妹を失う日を介して自分があらゆる物を失うその時が怖くて突き進んできたのだ。守る、ただそれだけの人生が終わり、その守る過程ですら何も出来ずに終わる時を俺は恐れている。
守られ、無力さはまた染み入る。来る未来が背後にちらつく。それが嫌で嫌でたまらない。妹の事を何だと思っているのか、と己を叱責しては有り余る諦観でそれを塗りつぶしてきた。

アレクさんがまた言葉を繋げようと俺に近づいた。俺は大股で一歩後ずさろうと身を固くした。すると、サイボーグ化してからやたら鋭敏になった顔を、頬を一陣の風がさらりと撫で過ぎ去っていった。またしても何かがこの場に襲撃を図ったのだろうか。
いつの間にかきりきりと、金属質で無駄に耳当たりの良い音と共にドアがスライドしていく。真正面からあの奇術師のような男が突入してくる筈もないなと、俺は妙な悟りを開き棒立ちでそれを見送る。
そこにはくすんだ金髪を三つ編みに束ね、白衣を羽織った女性が仁王立ちになっていた。俺とアレクさんをじろじろと睨むように確認すると、腕にがっちりと巻いた電脳ガードルを大手で振り回しながらつかつか部屋に踏み入る。見たところアレクさんの言っていた「応援」「援護」といった風体ではない。姿を現したのは彼女1人だけのようだし、端から端まで見るからに当人の身なりは普段着だ。デニムのシャツに邪魔にならない程度の装飾が施されたスカート、そこにわりと実用的なエナメルのパンプスが照り輝く。今の今までラボで研究に当たっていたか、外部との人間とのアポイントメントに勤しんでいたのか。頭脳階層の人間として卒のない、そんな様相だ。

「アンジュ、」

ぐるりと首だけで三つ編みの女性に向き直り、アレクさんはずんずんと歩み寄った。

「丁度良かった、アンジュ。君も彼の話を聞いてやってくれ、私は彼の護衛に尽力してきたが事態は私の予測よりも」
「ええ、そうね、」

アンジュと呼ばれた女性の声色には覚えがあった。所長
室で出会った防護服の一団に、彼女とよく似た柔らかい色合いの金髪をたたえる人員を確かに見たのだ。
「その男に触れるな」と鋭い一声を発した女性。よもや再会するとは思わなかった。
金髪の女性は有無を言わせぬ淀みない動作で、腕に取り付けたごついネックカバーから有線コネクタを引き出した。間髪入れずに棒立ちのアレクさんの首に手を回すと、

「貴方は通常の業務に戻って。あっちも人が足りてないの」

ガチ、という人間に接続したなら考えられない重いノイズを伴い、コネクタを突き刺した。
ほんの一瞬アレクさんは完全に静止した。そのボディからは金属が帯電した時のようなちりちりとした静かな動作音が聞こえた。指先や髪の先、鼻先のようなより繊細な部位ほど強い変調に震えている、そんな気がした。そしてすぐさま次のモーションが繰り出される。
まるで無人格の精密機器がリブートするさまを人間の身体で表現しているかのようだった。

「・・・アレクさん?」

すい、と振り向く。とても柔和な動作を取り戻してアレクさんは俺と視線を合わせてくれた。監視カメラのようなぎょろついたなりは身を潜め、その瞳はグリーンのオブシディアンが宿すあの偏光を思わせる。でもよく見ると、その目の奥、奥のまた奥で集積回路がちかちかと瞬いている様子が伺えた。
リブート。リ・スタート。ファイン。ファイン。
少しだけ笑うようにくっと表情を崩してアレクさんは今度はアンジュと呼ばれた女性に会釈した。

「アンジュ、通常の業務というと」
「まあ、いつも通りね。午後からのワークをリ・スタートしてくれれば良し」
「了解した。では、」

ジャック。

俺は半ば放心して目前の2人を見比べた。アンジュ氏はこともなげに、いや、俺に絶えず目配せを送って簡易メッセージを俺の網膜に投影した。この人も俺のIDを知っているのだろうか?
整った回線に乗って瞬時に送られてきたメッセの差出人を見て俺は納得した。

『アンジュ・A・スウォルスキー:ブラックボックス研究チーム主任』

これから俺の上司となるスタッフだった。アレクさんが俺と引き合わせる事に終始していたという女性が、自らこの場に駆けつけたのである。

『ロボットだって疲れるのよ。特に貴方のようなワガママな人間の前ではね』

ミズ・スウォルスキーは苛立っているのか疲れているのか、とにかく眉間に皺を深く刻み俺に向けて深く頷いたのであった。


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