不穏な始まり(2) 「………今から行く」 「っ! 分かりました、準備して待ってますっ」 パッと表情を明るくして、凛はドア越しに軽くお辞儀をして、急いで一階に戻った。心臓が飛び跳ねるように仕事をしている。慌てているからではなく、嬉しいからだ。 夏芽はいつも研究室に閉じ籠っていて、魔法薬の製造や実験が一段落つくまで出てこないので、食事の時間が不規則だ。そのため、凛が母と朝食を共にするのは、実に久しぶりなのだ。 頬と口元が自然と緩むのを感じながら、凛はリビングに駆け込んで、パタパタと母の食事の準備を始めた。 朝食を器によそい、テーブルの上に並べたとき、ちょうどリビングのドアが開き、夏芽が欠伸をしながら入ってきた。凛は彼女に微笑みかけた。 「おはようございます、母さん。ご飯、準備できてますよ」 「………ああ」 気のない返事をして、夏芽はテーブルに着き、もう一度欠伸をしてから、箸を手に取って食事を始める。 凛がリンゴの皮を剥いていたとき、ドアがまた開いて小さな猿が現れた。こちらも欠伸を噛み殺し損なっている。 「スイ、おはよう」 「うん ――― ふぁ、あ ――― おはよう」 人間のように挨拶を返し、テーブルの上に座ってコップの水を飲む猿に、誰も何も言わない。この光景も慣れたものだったし、そうでなくても、凛も夏芽も特に反応しなかっただろう。この母娘は、あまり深く物事に関心を示さない。 「今日は、買い物に行くんだったな」 味噌汁を啜った夏芽が、不意に言った。 「はい」 ようやく席に着いた凛は、母の言葉に首肯した。一昨日、凛の通うホグワーツ魔法魔術学校から手紙が届いたので、凛は今日、新学期用の新しい教科書などを買うため、ロンドンのダイアゴン横丁に行くことになっていた。しかし、それがどうかしたのだろうか? 凛は首を傾げて母を見る。夏芽は椀を置いた。 「ちょうど薬の材料をいくつか仕入れたいと思ってたところだ。せっかくだし、ついていってやる」 だから、どうしてそうも上から目線なんだ。スイは心中で悪態をついたが、その横で凛が嬉しそうに微笑むので、空気をぶち壊さないためにも、悪態をリンゴと一緒に飲み込んだ。 → (3) |