「嘆きのマートル」の物語(3)



「オォォォォゥ、怖かったわ……そして、一瞬だった……」



 ぶわりと膨れ上がったマートルは、リンを中心にして円を描き、リンの前へと移動した。たっぷりと恐怖を味わうような声を出し、リンの顔を、分厚い乳白色のメガネ越しに覗き込む。


 普通の人間なら飛び退くところだが、リンは、静かにマートルを見つめ返した。それが、どういうわけか、マートルの機嫌をさらに良くしたらしい。マートルは、いつもと少し違う調子で饒舌になった。



「まさにここだったの。この小部屋で死んだのよ。ええ……よく覚えてるわ。オリーブ・ホーンビーが私のメガネのことをからかったから、ここに隠れてたの。鍵をかけて泣いていたら、誰かが入ってきたわ……何か変なことを言ってた。外国語、だったと思うわ……」



 マートルは、学生時代から陰気な性格だったのか。なんて思いつつ、リンは、黙って彼女の話を聞いていた。誰かが言っていた「変なこと」というのが若干気になったが、マートルが絶え間なく喋り続けているので、あとにすることにした。



「とにかく、嫌だったのは、喋ってるのが男子だったってこと。分かるでしょ? だから私、出ていけ、男子トイレを使え、って言うつもりで、鍵を開けて、そして ――― 」



 マートルは偉そうに反〔そ〕っくり返って、リンが ――― そして、おそらく彼女を知っている(もしくは知っていた)誰もが、いままで見たことがないほど、顔を輝かせた。



「 ――― 死んだの


「……どうやって?」



 わけが分からない気持ちで、リンが聞いた。姿を見せただけで人間が死ぬなど、あり得ない。困惑するリンに、マートルも「分からない」と声を落とした。



「覚えてるのは、大きな黄色い目玉が二つ。身体全体がギュッと金縛りにあったみたいで、それから、ふーっと浮いて……」



 マートルは、自分の言葉に合わせて「ふーっと」浮き上がったあと、怪訝そうな表情をしているリンを、夢見るような目で見下ろした。



「そして、また戻ってきたの」


「その目玉は、正確にはどこで見たの?」



 リンが尋ねると、マートルは、小部屋の前の手洗い台の辺りを漠然と指差す。リンがそこに近寄ろうとしたときだった。



「やっぱりここにいた!」



 トイレのドアが勢いよく開けられ、ベティが荒々しく入ってきた。眉を吊り上げて、腰に両手を当てて、リンを睨みつけている。



→ (4)


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