ホグワーツでの授業はなかなか大変なものだ。魔法史の授業を受けながら、リンは思った。

 まず、この授業は退屈すぎる。講義は一本調子だし、やることはたいしてないし、なによりビンズの声はどうも眠たくなる。

 リンとしては、もっと活動的な授業のほうが楽しくて好きだった。たとえば、スプラウトの「薬草学」とか、マクゴナガルの「変身術」とか。フリットウィックによる「妖精の魔法」の授業も、名前は少しふざけている感じがするが、実用的な授業だ。

 そんなことを考えながら、リンは羊皮紙に年号や人名を書き込む。とある奇人の名前を書いたところで、授業が終了した。

 みんなと同じように、羊皮紙と羽根ペン、インク瓶、教科書を鞄にしまい込んで、リンは立ち上がった。

「あっ、リンッ!」

 鞄を肩からかけてさっさと歩き出したとき、名前を呼ばれて、リンは振り向いた。少し後ろから、金髪のおさげの少女がリンを追いかけてくる。

 リンは気まずそうな表情を浮かべたあと、通行の邪魔にならないよう少し壁際に寄って立ち止まった。

 ようやく追いついた少女は、当然だが怒っているようだった。

「置いていくなんてひどいわ、リン」

「……ごめん、ハンナ。つい」

 謝って、リンはハンナと並んで歩き出す。今まで誰かと ――― スイは別として ――― 行動を共にするということがなかったので、本当に「つい」うっかりと彼女の存在を忘れてしまったのだ。

 気をつけないと、とリンはハンナの存在を記憶に叩き込んだ。

「えーと、次は何の授業だったかしら?」

「魔法薬学。レイブンクローと合同」

 ハンナの呟きにリンが淡々と答えると、彼女は言葉を失い、眉をひそめて露骨に嫌そうな顔をした。

「嫌だわ。魔法薬学って、あのセブルス・スネイプの授業でしょう?」

「……うん、そうらしいね」

 階段の消えてしまった一段を飛び越えながら、リンは半分聞き流すように返事をした。

 入学して、先輩方からスネイプについていろいろ聞かされて以来、ハンナはスネイプの授業を受けたくないとずっと言っていたので、彼女が今見せた態度なんて充分に予測できていた。つまり、ハンナはスネイプがあまり好きではないのだ。

 もちろん、彼のことはリンの耳にもしっかりと入っている。といっても、スネイプはスリザリンの寮監で、グリフィンドール生を毛嫌いし、スリザリン生を贔屓するということくらいしか覚えていないが。

 贔屓は少し看過ごせないが、べつに魔法薬の授業でいい成績を取りたいとか、そういうのでもないのだから、特に問題を起こさなければ自分にとって不利になるなんてことはないだろう。それがリンの意見だった。

 そもそも魔法薬学はわりと興味がある科目だ ――― これは、魔法薬を作って売っている母の影響だろう。

 それに、母から「セブの授業は死んでも受けろ。絶対に欠席するな」と言われている。

 「セブ」というのは、きっとスネイプの愛称なのだろう。いったい二人がどういう関係なのかは疑問だが、母の出身もスリザリンだと聞いたので、何かしら繋がりがあったのだろうと、リンは推測している。彼女に質問はしない(できない)。

 角を曲がると、また階段があった。どうやら地下へ続いているらしい。前を歩いていたハッフルパフ生がそこを降りていくので、リンとハンナも続いた。

「……教室って、地下牢なの?」

「……そうみたい」

 壁にずらりと並ぶアルコール漬けにされた動物を眺めながら、リンが相槌を打った。ハンナは涙目だった。さすがに可哀想で、リンはなるべくそれらから離れた席にハンナを連れて座った。

 しばらくして、スネイプが入ってきた。相変わらず唇を引き結んで不機嫌そうだ。

 スネイプはまず初めに出席を取り ――― なぜかリンのところで少し止まった ――― それが終わると、生徒たちを見渡し、話し始めた。

「このクラスでは、魔法薬調剤の微妙な科学と厳密な芸術を学ぶ」

 まるで呟くような話し方なのに、不思議と地下牢に響き渡っているように聞こえた。これこそ魔法では、とリンは思った。

「このクラスでは、杖を振り回すような馬鹿げたことはやらん。これでも魔法かと思う諸君が多いかもしれん。フツフツと沸く大釜、ユラユラと立ち昇る湯気、人の血管の中をはいめぐる液体の繊細な力、心を惑わせ、感覚を狂わせる魔力……この見事さを諸君が真に理解するとは期待しておらん。――― だが、我輩がこれまでに教えてきたウスノロたちより諸君がまだましであるというのなら、名声を瓶詰めにし、栄光を醸造し、死にさえ蓋をする方法を伝授しよう」

 大演説である。よくこんなセリフを長々と語れるなぁとリンが頬杖をついて聞いていると、不意にスネイプと目が合った。

「 ――― ヨシノ」

 クラス中の目がリンに向いた。視線に居心地の悪さを感じながら、リンは首を傾げてみせた。

 スネイプはいったい何のつもりなのだろうか。真面目に聞いていなかったリンが気に食わなかったのか。だとしたら、スピーチの内容を言わされるかもしれない。

 身構えるリンの前で、スネイプは口を開いた。

「一つ、『生ける屍の水薬』を作るのに必要なものを三つほど。二つ、山羊の胃から取り出すことのできるものと、その効用。三つ、とりかぶとを指す単語を三通り」

「……え?」

 リンだけでなく、教室にいた生徒全員も呆然とした。ハンナに至っては「スネイプは突然何を言い出したの?」と顔にありありと書いてある。

 黙ったままのリンに、スネイプは口元に薄笑いを浮かべる。

「君の母親であれば即座に答えられるものだが、どうかね?」

「……、答えを言えばいいんですか?」

 スネイプの発言の意図を理解できていなかったリンだったが、ようやく合点がいき、スネイプを見上げた。

「……一つめの答えは、アスフォデルの球根の粉末、ニガヨモギを煎じたもの、カノコソウの根を刻んだもの、催眠豆の汁、など。二つめはベゾアール石で、たいていの薬に対する解毒剤になると記憶してます。三つめ、モンクスフードとウルフスベーン、それからアコナイト、だったと思います……」

 そっとスネイプの顔色を窺ってみるものの、無表情すぎて何も読み取れない。ポーカーフェイスの完成度半端ないなぁなんて思っていると、スネイプの引き結ばれた口元が少し緩んだように見えた。

「……どうやら、こちらの有名人は、実もあるようだな」

 よく分からないが、とりあえず褒められているようだ。その証拠に、スネイプは満足げに鼻を鳴らした。

「よかろう。ハッフルパフに十点をくれてやる」

 教室が一気にざわめきで支配されたが、スネイプが咳払いすると、水を打ったように再び静かになった。

「気をつけたまえ、特にハッフルパフの諸君。あまり騒がしいならば、せっかくミス・ヨシノが獲得した十点を、五分と経たずに失う羽目になってしまうかもしれん……」

 一瞬リンに視線を向けたあと、スネイプは、ローブを翻して、授業の説明を始めた……。

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