新学期初日の朝、リンは、珍しく眠そうな顔で大広間に向かった。まだ昨日の疲れが取れていないせいなのだが、学校では睡眠時間はある程度限られるものなので、こればかりはどうしようもなかった。

 気遣わしげなジャスティンがかけてくる言葉の一つ一つに応答しつつ大広間に入ると、ちょうどスリザリンのテーブルから笑い声が上がった。リンは特に気にしていないようだったが、スイは何事かと視線を向けた。

 どうやら、マルフォイの話で大勢のスリザリン生が沸いているらしい。リンたちが通り過ぎるとき、マルフォイが馬鹿馬鹿しい仕草で気絶する真似をした。スイは眉を吊り上げてリンの頬を叩こうとしたが、その前に声が聞こえてきた。

「あのろくでなし野郎」

 低い声が聞こえ、リンは足を止めて振り返り、声の主に微笑みかけた。

「おはよう、ジョージ。朝から物騒な雰囲気を醸し出してるね」

 そのテーブルにいたグリフィンドール生全員が、一斉にリンを見た。

「やあ、リン! おはよう!」

「少し顔色が悪いけど、大丈夫かい?」

 フレッドとジョージが挨拶をした。ジョージの問いには、リンは曖昧な笑みだけを返す。みんなが互いに挨拶をしたあと、アーニーが誰にとはなしに質問をした。

「ところで誰か、マルフォイがどうしてあんなに調子に乗ってるのか知ってる?」

 空気が凍ったように思われた。スーザンがアーニーの足を踏んだ気配が、リンの横で感じられた。馬鹿だなあとスイは思った。

「……べつに、そんな理由、聞かなくても問題ないと思うけど」

 気まずい沈黙の中、アーニーに向かってリンが言った。ハリーがリンを見る。

「誰かの必死な話を滑稽な話に変えるのが、彼の悪癖なんだから」

 スイは瞬いた。いつものリンからはあまり想像のつかない冷めた声だった。相当疲れているようだ。スイが労わるようにリンの頬を撫でると、リンは力なく微笑んだ。

「あんまり気にしないほうがいいよ、ハリー」

「そうよ、マルフォイって性格悪いんだから」

 ハンナが賛同した。アーニーも空気を悪くした責任を感じているので、必死に頷く。ベティは眉を吊り上げて、またしても恐怖で気絶する真似をしているマルフォイを、ぞんざいに指差した。

「あのバカ、昨夜はあんなに気取っちゃいられなかったのよ? みっともなくリンに助けられたんだから」

「それ、どういうこと?」

 ハリーが真っ先に反応して質問した。ジャスティンを初めとしたハッフルパフ・メンバーが、嬉々として昨夜のホグワーツ特急の中での出来事を語っている間、リンはスイを撫で、スリザリンのテーブルへ視線を向けた。

 飽きもせずにマルフォイが何度目かの気絶する真似(あれがハリーを示唆しているとするなら、まったく演技の才能がないと思うが)をして、笑い声が上がったとき、ふとマルフォイとリンの目が合った。

 スイがマルフォイに見えるように大振りに尻尾を振ると、彼は一瞬で耳まで赤くして、そのまま無言でトーストを食べ始めた。

「フン」

 スイが大きく鼻を鳴らした。スリザリン生は、なぜか突然パントマイムをやめて朝食を取ることに集中し始めたマルフォイに首を傾げている。

「可愛くない奴だよ、まったく」

「……珍しいね、声に出して言うなんて」

 口元に手を当てて小さく欠伸をしながら、リンが言った。スイはヒュンヒュンと尻尾を振る。勢いがよすぎて、時折リンの背中にバシンと当たって地味に痛かったが、リンは何も言わなかった。

「だって腹立たしいじゃないか! それに、あいつ今日、」

「静かに」

 リンが囁いた。スリザリン生が一人、席を立って足早にリンのほうへやってくるのに気がついたのだ。スイは素早く口を閉じて、リンの右肩から左肩へと移動する。その間に、スリザリン生はリンの前に到着した。

「……おはよう」

「おはよう」

 素っ気なく呟いた相手とは対照的に、リンは朗らかに挨拶を返した。スイは、じっと男子生徒を見つめた。

 スリザリンの男子生徒は、ガッシリしている体育会系か、ヒョロリとした理系タイプのどちらかだ(とスイは勝手に思っている)。目の前の彼は明らかに後者だ。細身で、十三、四歳にしては背が高く、かなり賢そうな顔立ちをしている。落ち着いた雰囲気で、わりとイケメンだ。

 それにしても、この顔にはすごく見覚えがある。スイが首を傾げたとき、彼が、後ろに隠すようにしていた腕を動かし ――― パパパァンッ! と音が鳴った。

「……あのさ、ジャス。武装解除してくれなくていいから」

 スリザリン生に向けて無表情で杖を構えている友人に溜め息をついて、リンが言った。透明な膜のようなものが、リンとスリザリン生の周りを囲っている。どうやら、ジャスティンからの攻撃を防いだらしい。

 スイはシパシパと瞬いて、ふと、正面のスリザリン生が持っているものを見た。

「ハリー、フレッドとジョージもね」

 ジャスティンと同じく杖を構えてスリザリン生を睨んでいる三人に注意して、リンはもう一度溜め息をついた。

「自分の身くらい自分で守れるし。だいたい……ノットは武器なんて持ってないよ」

 たしかにそうだった。スイの視線の先では、綺麗に包装された箱がノットの手に握り締められていた。見るからに「贈り物」だ。

 ノットというスリザリン生に敵意を剥き出しにする男子生徒数人を適当に宥めるリンの肩の上で、スイはノットを見つめる。

 複数人に攻撃されて、気が立ったり敵意を抱いたりしたかと思えば、そうでもないようで、ハリーたちを睨んではいるものの、杖を出すことはない。あくまでも理性的だ。

 スリザリン生にしては珍しいタイプだと感心したスイが尻尾を振ったとき、ようやくリンがノットに向き直った。

「えっと、中断しちゃってごめん」

「……いや」

 気にしてない風情で首を緩く振り、ノットは改めてリンを見据えて「贈り物」を差し出してきた。リンは首を傾げる。呪いがかけられているとか、そういう危険な感じはしないが、彼に「贈り物」をされる理由が分からない。

「……私に?」

 失礼にならない程度に探りを入れると、ノットは無言で、しかし力強く頷いた。リンはどうしたものかと悩んだが、大広間中の視線が集まっていたし、スイが尻尾で背中を叩いてきたので、大人しく受け取っておくことにした。

「あの、ありがとう」

 曖昧に笑ってリンが箱を受け取ろうと手を伸ばした瞬間、ノットが突然、「贈り物」を持っていない方の手で、リンの手を取った。リンとスイが目を丸くする傍ら、ジャスティンとハリーが動き出したが、すぐに動きを止めることになった。


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