「 ――― 冗談はさておき」

「完全に冗談で済ませる辺り、リンらしいよ」

 アーニーが大きく肩を竦めて言った。リンは無視して、彼の背後にいるウィーズリーを覗き込んだ。

 少しだけだが、頬が緩んでいる ――― どうやら笑っていてくれたらしい。リンはニッコリ笑いかけた。

「少しでも元気が出たようでよかったよ」

 タラシかとベティがツッコミを入れる。ハンナがベティに抗議しているのを聞き流して、リンはウィーズリーの小さな背中をポンと叩いた。

「グレンジャーは大丈夫だよ。顔は私も見てないけど、彼女、毎日元気に宿題を片付けてるみたいだし……うん。病状は不明だけど、とりあえず、襲われたわけではないよ」

「……そう……それなら、いいの」

 溜め息をついたウィーズリーの表情を見て、リンは瞬いた。

 なんとも言えない顔をしている。安堵してもいるが、同時に、何か期待が外れて落ち込んでいるみたいで、それでいて、ひどく追い詰められたかのようだった。

 リンが微かに眉を寄せたとき、ウィーズリーが顔を上げた。リンは眉間の皺をサッと消した。

「……あの、私、ちょっと元気が出たみたい……ありがとう、リン」

「私の名前は知ってるんだね」

「ええ……とっても有名だから」

 ちょっと悪戯っぽく微笑んだあと、彼女はジニー・ウィーズリーと名乗った。

 「あらやだ有名ですって、リンさん」と笑っていたベティの足を踏みつけて、リンはジニーにハンナたちを軽く紹介し、それから彼女が帰っていくのを見送った。

「……じゃあ、私たちも帰ろうか」

「あ ――― 待って、リン。これ、落とし物じゃない?」

 歩き出したリンに駆け寄って、ハンナが小さな本を差し出してきた。ボロボロの黒い表紙の、小さく薄い本だ。受け取って観察して、リンは首を傾げた。

「これ、私のじゃないよ。ハンナたちのじゃないの?」

「うそ……私てっきり、リンが転んだ振りをしたときに落としたんだと……これ、私のじゃないわ」

「アタシのでもないわよ」

 ベティの言葉に、アーニーとスーザンも同意する。残った可能性に、リンは溜め息をついた。

「仕方ないな……届けてくるか」

「ついていこうか?」

「いや、いいよ。先に帰って、課題やってて」

 そう言って、リンは駆け出す。ハンナの「一人でなんて危険よ!」という金切り声は無視させてもらった。

 さすがに人目のあるところで超能力を使うわけにもいかないので、地道に階段を駆け上っていく。それでも問題はないだろうとリンは思った。ジニーは小柄なので、そんなに速くはないはずだ。

 四階から五階へ続く階段に差し掛かったところで、リンはジニーを見つけて声をかけた。赤毛を揺らして振り返ったジニーが、パチクリ目を瞬かせた。

「リン? どうしたの?」

「君の落とし物を見つけたから、届けにきたんだ」

 リンの言葉を聞いて、ジニーは申し訳なさそうな顔をしたが、リンが差し出した本を見ると一変、顔から一切の表情を消した。そして、リンから本を引ったくろうというのか、素早く手を伸ばした。

 あまりの速さに、リンは思わず手を引っ込めた。ジニーの手が空を切る。

「……返してくれるんじゃないの?」

「そうだけど……その、予想外の反応速度に、びっくりして」

 ジニーのひんやりした声にも驚きつつ、リンは冷静に彼女を見た。この豹変ぶりは、いったい何が原因なのか ――― この本が少なからず関係していることは分かる。

 本を返すことに躊躇を覚え出すリンを、ジニーは挑むように睨む。先輩相手になかなかの迫力……などと感心している場合ではなさそうだ。

 一歩前に踏み出したジニーに、リンは息を吸って心を構えた。

「お願い、リン、返して」

「……一つだけ聞かせてもらっていいかな?」

 返さない口実や言い訳の代わりに、リンはこう言った。ジニーが不思議そうな顔をする。

 何かと問うているようで、リンの言葉を拒んではいないと判断して、リンは質問を口にした。

「君がいま、いちばん怖いと思っているのは何?」

 ジニーの周りだけ、時間が止まったように思えた。ジニーは目を見開き、息すら忘れたようだった。ただ唇を震わせている。目はリンに向けられてはいたが、リンを見ているわけではなさそうだとリンは感じた。

 リンは辛抱強く待ったが、三十秒ほど経過してもジニーが答えないので、諦めることにした。話したくないのなら、仕方ない。無理強いはしたくないのだ。

「……変なことを聞いたね。ごめん」

 静かに息をついて、リンはジニーとの距離を詰め、彼女に本を差し出した。しかし、ジニーは反応しない。

 リンは彼女の手を取り、本を持たせた。それからジニーにちょっと微笑んで、背を向けて歩き出す。

「………リンは、自分が怖いと思ったこと、ある?」

 囁くような声が、リンを追ってきた。リンは足を止めて振り返った。ジニーが蒼白な顔でリンを見ていた。

「なんだか自分を見失っているような ――― そんな感覚、経験したことある? もしあったら、リンなら、どうする?」

「……原因が何なのかを突き止めるよ」

 リンが静かに言うと、ジニーはパチクリ瞬いた。カタカタ震えていた身体が、目に見えて大人しくなる。呆然としているようだった。

 いったいどんな返答を予想(期待)していたのやら……リンは肩を竦めた。

「怖い怖いと思っていても、何も変わらないでしょう? 怖い状況を変えたいなら、どうしようって悩む前に、どうしてこうなったのか考えなくちゃ。原因と結果は繋がってる。結果をどうこうできたとしても、原因がそのまま残っていれば、結局変わらない。同じことを繰り返すだけ。憂えるべきなのは、結果とか現状じゃない。原因だよ」

 ジニーは大きな目でジッとリンを見た。リンのほうは、果たして彼女の質問に答えることができているのかと疑問だったが、まぁいいかと自己完結した。

「君は、原因が何か、気づいてないだけで知ってるはずだよ。だから早くそれに気づいて、変えるなり変わるなり、腹を割るなり遠ざけるなり、何かすればいいと思う」

 必要なら先生に相談するといいとリンがアドバイスしたとき、ジニーはふと笑い出した。

 ……突然どうした。呆気に取られるリンに、ニッコリ笑う。

「リンってすごいのね。あたし、ちょっと気が楽になったわ」

 ありがとうと言うジニーに、リンは目を瞬かせたあと、曖昧に微笑み返した。なんだかよく分からないが、とりあえず、彼女を元気にさせる役には立ったらしい。

 ジニーはすっかり肩の重い荷が下りた様子で、明るくリンに挨拶をして、自寮へと帰っていった。

 再び彼女の後ろ姿を見送って、リンは嘆息した。

 まったく、今のはいったいなんだったのか……思春期特有の、傍から見たら他愛無いものだが、本人にとっては深刻な悩みの類だろうか?

 あれだけの情報では、はっきりとは分からない。そもそも悩み事というものは、他人が重みを測れるものではないのだ。

「……めんどくさいな」

 いずれにせよ、部外者であるリンにはどうもできない。それに元々関係もないので、とりあえずは放っておこう。そう判断して、リンは寮への帰路についた。

 せめて、原因が見つかっても一人で解決しようとせず、兄とか先生に相談してほしい……階段を降りながら、リンは思った。

2-15. 軽いか、重いか
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