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見知らぬ者よ 入るがよい 欲のむくいを 知るがよい 奪うばかりで 稼がぬものは やがてはつけを 払うべし おのれのものに あらざる宝 わが床下に 求める者よ 盗人よ 気をつけよ 宝のほかに 潜むものあり
そんな言葉が刻まれた銀色の扉を入った先に広がる大理石のホールに、リンとスイはいた。
二人の周りでは、百人を超える小鬼が忙しなく活動している。時折彼らが視線を向けてくるのは、果たして気のせいなのだろうか……。考え込むスイとは対照的に、リンはいつも通りの平然とした様子で静かに本を読んでいた。
「……ナツメさんは、まだかな?」
「……さぁ……どうだろ」
ぽそり、小鬼に聞こえない程度に呟くスイに、リンが本のページをめくりながら返事をした。
適当に返してきたような感じがするが、あながちそうでもなかったりする。ナツメ ――― つまり、リンの母親の行動は、読むのがとても難しいのだ。
もっともスイは、彼女がリンの親だなんて認めてはいないのだが。
「 ――― 待たせたね」
リンとスイが顔を上げると、そこには待ち人が立っていた。セリフの割に全然悪びれている様子がないじゃないかとスイは心中で悪態をつくが、リンのほうは何も言わずに立ち上がる。
「退屈だったか?」
「いえ……本、読んでたので」
「そう」
淡々と会話をしながら、二人は出口へと向かって歩く。スイは、母親を追いかけて自然と早足になっているリンの肩に乗り、彼女の服にしがみついて、ナツメをじっと見つめていた。ナツメは視線を意に介さずに話し続ける。
「とりあえず、オリバンダーの店に行ってこい。杖を見てもらうんだ。その間に、教科書とかいろいろ買っておいてやるから」
リンが頷くと、ナツメは簡単に道順を伝えてから人混みに混じっていき、あっという間に見えなくなってしまった。
残されたリンは、スイと目を見合わせ、肩を竦める。そして、教えてもらった通りに歩き出した。
最初の買い物の店は、狭くてみすぼらしかった。埃っぽいショーウィンドウに、色褪せた紫色のクッションと、その上に杖が一本だけ置かれていた。扉には、剥がれかかった金色の文字で“オリバンダーの店 ――― 紀元前三八二年創業 高級杖メーカー”と書いてある。
「……これ、本当かな……」
「……さあね」
中に入ると、どこか奥のほうでチリンチリンとベルが鳴った。店内を見渡して、リンは感嘆の息を吐いた。
小さな店内の天井近くまで、何千という細長い箱が整然と積み重ねられている。こんなにあったら、どれがどれだか分からない。というか、これはすべて杖ということなのだろうか? すごい生産能力だ。
「いらっしゃいませ」
柔らかな声がした。突然のことにスイがビクッとした。リンは静かに声のしたほうへ目を向ける。
一人の老人が立っていた。店の薄明かりの中で、彼の大きな薄い色の目が二つの月のように輝いている。
「……こんにちは」
とりあえずといった風に、リンは静かに挨拶した。スイは彼女の服にしがみついて、老人を睨んでいる。
老人は、じっとリンを見たあと「おお、おお」と息を漏らした。
「そうじゃとも。まもなくお目にかかれると思っていましたよ、ヨシノさん」
なぜ名前を? とリンが聞く前に、老人が続けた。
「お父さんと同じ目をしていなさる……懐かしい……あの子がここに来て最初の杖を買っていったのが、ほんの昨日のことのようじゃ。あの杖は二十八センチの長さ。黒檀に一角獣のたてがみ。良質でしなやか……」
話しながら、オリバンダー老人はさらにリンに近寄った。
「お母さんは桜の杖が気に入られてな。二十六センチで、少し気まぐれな杖じゃった……あの子には合うようだったが……いや、母上が気に入ったと言うたが……実はもちろん、杖が持ち主の魔法使いを選ぶのじゃよ」
すごい記憶力と肺活量だ。オリバンダーの話を聞きながら、リンはぼんやりとそう思った。
やがて老人は話を終えたらしく、ポケットから銀色の目盛りの入った長い巻尺を取り出した。
「さて、それではヨシノさん。拝見しましょうか。どちらが杖腕で?」
「……あ、両利きですけど……よく使うのは右、かな」
「腕を伸ばして。そうそう」
スイはリンの肩から飛び降りて、机の上に乗り、老人がリンの肩から指先、手首から肘、肩から床……と寸法を採るのを見た。
一通り採寸した後、オリバンダー老人は棚の間を飛び回って箱を取り出した。
「では、ヨシノさん。これをお試しください。楓の木にドラゴンの心臓の琴線。二十四センチ、振り応えがある。手に取って振ってごらんなさい」
リンは杖を取り、軽く振ってみた。ぶわりと老人の周囲を風が取り巻く。オリバンダーはあっという間にリンの手からその杖をもぎ取ってしまった。
「マホガニーに一角獣のたてがみ。二十三センチ、よくしなる。どうぞ」
リンは試してみた……しかし、振り上げるか上げないうちに老人がひったくってしまった。すごい観察眼と反射神経だ。
思わず感心してしまうリンの見ている前で、オリバンダーは首を振って、ブツブツ呟きながら、杖の入った箱の山を漁る。
「だめだ、いかん ――― 次はトネリコ材に不死鳥の羽根。三十二センチ、バネのよう」
リンは杖を差し出されるまま次々と試してみた。いったいオリバンダー老人は何を期待しているのだろう……リンにはさっぱり分からない。
試し終わった杖の山が、古い椅子の上にだんだん高く積み上げられていく。最初は興味津々で食い入るように眺めていたスイも、さすがに退屈になったらしく、小さく欠伸をしていた。
一方、老人は、棚から新しい杖を下ろす度にますます嬉しそうな顔をした。
「難しい客じゃの。え? 心配なさるな。必ずやピッタリ合うのをお探ししますぞ。……さて、次はどうするかな……おお、そうじゃ……黒檀に不死鳥の羽根、二十八センチ、良質でとてもしなやか。じゃが、少し気難しい」
差し出された杖を、リンは疲れた顔をしながらも手に取った。ふわりと周囲で空気が動いた気がした。
軽く振ると、杖の先から、白、金、緋色、色とりどりの羽根が出てきた。オリバンダーは「おお――っ」と声を上げた。
「いやはや、素晴らしい。よかった……非常によかった……」
老人はリンの杖を箱に戻し、茶色の紙で丁寧に包みながら、ブツブツと繰り返した。
「この杖は、作られてから長いことここにあった……今までこの杖が気に入る人が現れなかったでの……あなたの父上と母上も偶然お試しになったが、まったく……いやはや……あなたはきっと、何か偉大なことをなさるのだろう……」
「……いえ、たぶん、何もしないと思います……」
見つめてくる淡い色の目から逃れるように呟いて、リンは杖の代金として六ガリオンを支払った。
スイを再び肩に乗せ、リンは、オリバンダーのお辞儀に送られて、外へ続く扉へ向かう。
ところで、あの試し済みの杖の山はどうするのだろう? ふと疑問に思ったが、すぐに彼が魔法使いだと思い当たり、杖を一振りして元に戻すのかと納得する。
魔法が使えなかったら大変だよなぁ、いやその前に、魔法が使えなかったら、あんなに箱を積んだりしないか。
そんなことを考えながら扉を開けたところで、誰かと鉢合わせ、リンは相手にぶつかってしまった。
衝撃が強く、後ろに倒れそうになる。だが、大きな手が背中に回され、リンの体を支えた。
「おっと! すまんな」
「あ、いえ、こちらこそ、すいません」
顔を上げると、一面に黒いコート。もう少し顔を上に上げて、ようやくリンは相手と目を合わせた。
真っ黒な黄金虫のようなキラキラした目が印象的な、とても大きな男だ。並の人の二倍はある。ボウボウと長い髪、モジャモジャの荒々しいひげのせいで、顔はほとんど見えない。
にもかかわらず、なぜだかリンは ――― もともとリンはあまり何かを怖がったりしないのだが ――― 怖いとは思わなかった。
「大丈夫か?」
「はい、無事です。ありがとうございました」
「いや、礼には及ばんよ」
リンをしっかりと立たせ、男は店の中へ入っていく。一気に開けた視界に小柄な少年が映った。どうやら大男の後ろにいたらしい。リンは少年とパッチリと目が合った。
「……あ、えっと、大丈夫だった?」
「え? ……ああ、うん」
ぎこちなく声をかけられて、リンは少しだけ驚いた。まさか話しかけられるとは思わなかった。
大丈夫だとリンが返事をすると、少年は「そっか」と笑った。緊張しているのだろうか、少し声が上擦っている。でも、なんだか嬉しそうだった。まるで会話が成立したこと自体に喜んでいるみたいだ。
「君も、その、ホグワーツの子なの?」
「今年入学するの」
「本当? 僕もなんだ!」
少年は嬉しそうに声を上げて、リンを見つめた。
「ねえ、君は……」
「おーい、ハリー! 何しちょる!」
少年が何か言おうとしたが、大きな声に邪魔をされた。リンが振り返ると、さっきの男が扉から顔を出して少年を見ていた。この少年はハリーというらしい。
「……君、呼ばれてるみたい」
「ああ……うん」
残念そうな表情を浮かべて、少年は「じゃあ……またね」とリンに手を振って、店の中に消えていった。
その後ろ姿を見送って、リンは踵〔きびす〕を返した。母を探さなければ。
歩き出したリンの肩の上で、スイが、オリバンダーの店を見つめていた。
1-2. ダイアゴン横丁
**** フラグが折れた
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