はじめて彼女の存在を知ったのは、たしか双子の会話だった。『俺たちの見分けがつく子がいて』『おまけに美人で、しかも話すとおもしろい』と、エジプトにいるというのに日本人について楽しそうに話す双子を見て、なんとなく興味を持った。

 はじめて彼女を目にしたのは、クィディッチ・ワールドカップのために帰国したときだった。なるほど美人だ。というのが第一の感想で、さすが容姿端麗でも有名なヨシノの血だなと思った。

 はじめて彼女をもっと知りたいと思ったのは、ワールドカップから帰宅したときだった。青白い顔で、たとえるなら羨望と寂寥と諦念を押し殺したような冷淡な目で、ウィーズリー家の背中を見ていた。訳ありかなと気になりつつも、無遠慮に踏み込むのはタブーだと分かっていたので、とくに何も触れなかった。ただ、さりげなく触れた背中がやけに華奢で、その感触がなかなか消えなかった。


 母親がカギだというのは、グリモールド・プレイスの屋敷で一緒に過ごすうちに、なんとなく察した。ビルの目から見て、たいそう分かりやすかった。

 友達でも父親でもなく、ただ母親から、たった一言。それも「好き」じゃなく「きらいじゃない」でかまわない。そんな彼女の望みに気づいたときは、無欲というより卑屈だと思った。もっと欲張りになればいいのに。

 ほかのものに興味を示して、それで幸せになればいい。なんて考えながら日々いろいろと彼女に話題を振っていくうちに、自分が彼女を欲しがるようになったとは、実に笑える話だ。


「……俺からしたら、まったく笑えないのですが」

 眉間に皺を寄せて、ジンが言った。ビルは「うん?」と首をかしげつつ、自陣の駒を動かした。ジンの眉間の皺が深くなり、ビルはにっこり笑いかける。

「はい、オーテ」

「………」

 つい先月に将棋を知ったばかりの人間に負けるとは、これ如何に(しかも相手は途中いろいろと語る余裕すらあったという)。悔しさを通り越して疑問を感じつつ、ジンは潔く降参した。

 ちなみにこれ、ビルがリンに交際を申し込んだと耳にしたジンが「人となりを詳しく知らない以上、少なくとも俺より賢く強い人間でなければ認めない」とこぼしたのを機に勃発した戦いである。結果は三戦三敗と、まさしく完敗だった。双子が「ビルは頭がいい」と再三口にしていたが、身内の贔屓目ではなかったらしい。

 渋面でビルを見つめるジンを見て、観戦していたアキヒトが「ジンもまだまだだなあ」と快活に笑う。ジンはじろりと視線を叔父に向けた。

「叔父上こそ、先ほど囲碁で負けていたじゃないですか」

「それな。いやまさか教えた俺が負けるとはね。マジでビル頭いいわ。魔法省で働く気ない?」

 惜しげもなく称賛した上さりげなく勧誘するアキヒトに、ビルは笑顔のまま「ありがとうございます、でも俺は呪い破りが好きだから」と受け流した。アキヒトが「それは残念だ」と肩をすくめる。

「で、リンのどういうところが好きなんだ?」

 将棋道具一式を片づけながら、アキヒトが尋ねた。どうしてこう軽い調子で恋愛話を振ることができるんだろう。ジンは不思議に思った。ジンやハルヨシにはない才能だ。

「たくさんあるけど……きれいな目と、心地良い声と、ちょっと低い体温かな」

「予想外の回答」

 マグル界隈で流行りのwwという記号が語尾につくような調子で、アキヒトが静かに笑った。ジンは無表情で、しかし困惑を視線に含ませてビルを見る。視線に気づいたビルが「ごめんごめん」と笑みをこぼす。

「しっかりしてそうで意外と抜けてるっていうか、ズレてる?ところとか。落ち着いた雰囲気と静かな表情の下で実は関係ないこと考えてたり投げやりになってたり困惑してたりするところとか。見てておもしろいし、かわいいと思う」

「観察力あるなあ」

 アキヒトが感嘆の息を漏らす。ジンもすごいと思った。たいして付き合いが長くもないのに(別に悪く言っているつもりはない)よく気づけるものだ。ビルは「見てれば分かる」と笑ったあと、また話を続ける。

「で、かわいいなって思いながら見てると、そのうち……リンが自主的にか、ほかのやつらが俺を巻き込んでの結果かは置いといて、目が合ったり、リンが俺に話を振ってきたり、俺がリンの頭を撫でるとかしてさ。そういう瞬間に、かわいいが膨らむっていうか、幸せだなって思う」

 柔らかく笑うビルを見て、ジンはなるべく無音でため息をこぼした。聞いていて気恥ずかしい。「かわいいが膨らむ」ってどういうことだ……。ジンには分からない。女子なら「表現がかわいい」とか言うのだろうか。スイあたりが聞いていたらバンバンとテーブルやら何やらを叩いていそうな気がする。……思考が逸れた。ジンが意識を現実に戻すと、何故かアキヒトが青春の思い出を語りはじめていた。

「俺と嫁さんはさ、大恋愛の末、両家の合意をもぎ取っての結婚だったんだよな。兄さんは幼少からの婚約で、姉さんは……駆け落ち?だったけど」

 はじめて知った。思わずジンはアキヒトをまじまじと見つめた。てっきり、一族全員、親の決めた相手と結婚するのがふつうだと思っていた。

「俺の嫁さん、すごいかわいいの。小柄で色白で柔らかくて、あったかい。性格は素直で控えめで、でも意外と肝が据わってるっつーか、サプライズ仕掛けてもそんなに取り乱さない。ただ困ったように苦笑してるのが無性にかわいい」

 唐突に妻自慢をはじめたアキヒトに、ジンはため息をついた。相変わらず仲の良い夫婦である。耳タコなため若干憂鬱なジンとは対照的に、ビルは存外楽しそうに聞いている。聞き役がいるなら自分は離席してもかまわないだろう。そう判断して、ジンは静かに厨房をあとにした。

「あら、ジン」

 一階に上がったところで、ウィーズリー夫人と出くわした。「ビルとのチェスの試合はどうだった?」と尋ねられたので、無表情で「チェスも囲碁も将棋も完敗でした」と返す。夫人はうれしそうに笑った。

「あの子、とっても賢いでしょう? それでいて勤勉で優しくて、母親ながらに良い男だと思うのよ。まぁ髪型とイヤリングはちょっと遊びすぎな気がするけど……」

「……良いひとだとは思ってますよ」

 それ以上に、強か〔したたか〕というか、手強いと思う。誰も彼もがビルを応援(もしくは容認)していて、さりげなく外堀を埋めてきている感が否めない。

(……誠実さは大切だが、多少のズルい戦略も必要……か)

 昔にアキヒトがこぼしていた言葉をふと思い出して、ため息をついた。


5-33. 将棋に似ている
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