「感情豊かなことはすばらしいが、冷静さを欠くのはいただけないな」

 グリフィンドール対スリザリンのクィディッチ対抗試合が二週間後に迫ってきたころ、『闇の魔術に対する防衛術』の授業でアキヒトが言った。最近、寮生同士の小競り合いで呪いが頻繁に校内を飛び交っていることに対してのコメントだろうか。ハリーは心のなかで考えた。そのあいだも、アキヒトはつらつら語る。

「冷静さは生き延びるうえで大切だ。冷静に観察・洞察・判断できない者は勝てない。勝つためには勇気や気迫も必要ではあるが、それも状況判断ができていることが前提の話だからな。勇敢と無謀は別物だ」

 ……どこかで聞いたことがあるセリフだなと、ハリーは思った。記憶を手繰るまでもない。リンだ。

「さて、では、冷静でいることを妨げるものは何か? ミスター・マルフォイ、ひとつ挙げてごらん」

「……臆病さ?」

「いい線いってるな。スリザリンに五点」

 パンジー・パーキンソンが「さすがね! すごいわ!」という顔でマルフォイを見た。マルフォイは満足げに口元を緩める。ハリーがイライラしていると、名前が呼ばれた。

「ミスター・ポッター、ほかに何か思いつくかい?」

「え? あ……あー……イライラ?」

「よろしい。グリフィンドールに五点」

 横目でマルフォイを見てみると、おもしろくなさげな顔でハリーをにらんでいた。ハリーも負けじとにらみ返し、きっかり三秒にらみ合ったあと、フンと互いに視線をそらした。

「……恐怖に怒り。ほかには、焦り、悲しみ、楽観、慢心、動揺、困惑、迷い。すなわち感情。精神状態が、脳の情報処理の精度に影響を与える」

 ハリーとマルフォイの様子に笑いをこらえて、アキヒトが話しはじめた。そろそろメモを取る気になった生徒が多いらしく、カリカリと文字を書く音が聞こえてくる。

「精神状態はあらゆる言動と密接に関係している。確固たる自信に満ちている者は、本来もっている以上の力を発揮する。反対に、不安を抱いている者は、本来の力を発揮することができない」

 ハリーの頭のなかに、クィディッチでのロンのプレイが浮かんだ。調子のいいときには驚くほどのファインプレイを連発するが、一度失敗すると惨憺たるプレイになる。ロンの様子を横目でうかがうと、真剣にメモを取ってはいたが、耳が真っ赤だった。

「とはいえ、プラスの感情がプラスの結果を引き起こし、マイナスの感情がマイナスの結果を引き起こすとは、一概には言い切れない。たとえば、自信が過ぎれば油断・慢心となり、戦況を覆されたら脆く態勢が崩れる。心配性なやつほど、知恵を巡らせ、最低限の目的を達成してみせる」

 たしかに。と、何人かの生徒がうなずいているのがハリーの目に入る。アキヒトは口角を上げ、どこからともなく取り出した水で喉を潤し、水をどこかへと消した。

「感情を捨てろとは言わない。人間として必要なものだ。ただ、感情をいつまでも引きずることが問題だな。すばやく上手に切り替えること。これが成功への鍵だ。プラスの感情に浸りすぎず、マイナスの感情に振り回されすぎず、ニュートラルへと切り替える。プラスにもマイナスにも振れていないゼロのところに冷静さはある」

 なんだか格言めいた言葉だと、ハリーは思った。すごくカッコいいことを言っているんだろうとは分かる。けど、イマイチ分かりづらい。羊皮紙から視線を上げてアキヒトを見ると、バッチリ目が合った。緩く微笑みを返される。

「分かりやすく言うと、感情を消化して、意思へと変換できればいいってことだ。具体的にたとえるとだな……んー……たとえばクィディッチで負けた、悔しい、どうして負けた、スニッチは取れたけどクアッフルで点を取られすぎたからだ、それならディフェンスの練習をがんばろうって感じだ。感情が湧き上がったときの状況を分析して、次の行動を考え、そちらに意識を集中させる」

 魔法使いの戦闘でも同じだと、アキヒトは続ける。

「戦闘中は怖くなったりしてしまうものだが、その感情を糧に考えてほしい。やられるかもしれない、殺されるかもしれない……そこで終わるな。やられないために、殺されないために、どうすべきか考えろ。呪文の応酬のなかで、相手の呪文の効果……自分にどれくらいのダメージを与えてくるのかを把握し、自分の呪文の効果も把握し、次の一手を決めろ」

 慣れたら反射と勘でできるようになる。と小さめの声でアキヒトが続けたとき、ェヘンと咳払いがした(今日もアンブリッジの存在感は薄い)。アキヒトはかすかに肩をすくめるにとどめて、気を取り直した風情で口角を上げた。

「しかし経験が浅い場合は、下手に考えるより数種類の呪文を使い回すほうが易しい。そのほうが敵の油断も誘いやすいし。とりあえず、困ったら『盾の呪文』を連発して、相手と同時かそれより速く動けるときには『武装解除術』をぶつけておけば、たいていはなんとかなる」

 なんとかなるのか……? 疑問に思ったハリーだったが、そういえばヴォルデモート相手に『エクスペリアームス』で乗り切った覚えがあるなと思い出して、納得した。たしかになんとかなるかもしれない。

「あとは『妨害の呪い』とか『姿くらまし』とか……防御や撤退に適した呪文のレパートリーを持っておけば、ある程度はしのげる。これが基本だ。命をかけてる以上、守備ができていてこその攻撃だからな」

 さらりと怖い単語を織り交ぜられて、ペンの音が一瞬止まる。その合間に「ェヘン」と咳払いが起こったが、やはり無視された。

「身を守るための魔法は会得しやすい。なにせ死活問題だからな、意思も自然と強くなる。きちんと具体的な意図でもって発動すれば、効果はより強まる。だから今一度、復習してレベルを上げておいてほしい」

 課題というわけではないけれど。と付け加えつつ、アキヒトは視線を滑らせた。どことなく小馬鹿にしたような顔をしているブレーズ・ザビニとマルフォイに目をとめ、神妙な表情を浮かべる。

「防御魔法なんて地味だとバカにする者も多いが、侮るなかれ。自分の攻撃があっさりと防がれたときの動揺というのは案外大きい。防御力の程度によっては、相手の戦意を削ぐことだって可能……あるいは、防いだあとに『ショボい呪文だな』なんて挑発し、相手の感情を利用し手玉に取ることもできなくはない。そこを突くのも立派な戦略一つだ」

 しみじみとした風情で語るアキヒトに、ザビニとマルフォイがまじめな顔つきで顔を見合わせた。授業がうまいなと、ハリーは思った。

「感情から思考へと切り替えること。守備に使える呪文を考えて、習得あるいはレベルを上げておくこと。この二つを覚えたところで、本日の授業は終わり」

 お疲れ様。とアキヒトがにっこりしたところで、終業のベルが鳴り響いた。


5-23. 防御の大切さ
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