――― 母さんへ

 お久しぶりです。お元気でしょうか? 音信がないことは何事もない証拠だとは思っていますが、少しだけ不安です。しっかりした食事と適度な休息を取ってくださいね。

 私は元気です。毎日なにかと彼らに構われて少し憂鬱ではありますが。もちろん、気をかけてもらえて嬉しい気持ちもあるので、総合的に見たら、たぶん幸せです。これで母さんがいたら、これ以上ない





「 ――― やあ、リン、おはよう」

「っ!」

 唐突に声をかけられて、リンは肩を跳ねさせた。手紙を書きかけのままパッと顔を上げると、穏やかな目とかち合う。リンは肩の力を抜いた。

「……リーマス……おはよう。驚かさないで」

「それはすまない。そんなつもりはなかったけどね」

 クスクス笑って、リーマスは椅子に腰かけ、リンの手元を一瞥した。リンは条件反射で手紙を自分の方へと手繰り寄せ、彼から見えないようにする。リーマスは眉を下げた。

「……お邪魔してしまったかな?」

「ううん……大丈夫。暇潰しに書いてただけだから」

 リンは曖昧に微笑んで、手紙を適当に畳み、レターセットが入ったケースの中へと仕舞った。テーブルの上に置いてあるペンも片付ける。それから、彼女の動作を見ていたリーマスへ向き直り、今度は屈託なく笑いかけた。

「朝ご飯は食べた? まだだったら、適当に何か用意するけど」

「じゃあ、頼もうかな」

「分かった ――― ああ、新聞ならそこにあるよ」

 立ち上がりながら、リンはリーマスより先に言葉を放った。リーマスはちょっと瞬いたあと、曖昧な笑みを漏らし、新聞へと手を伸ばす。それを見てから、リンはキッチンへと向かった。

 リーマスやシリウスと暮らし始めて、一か月と少しが過ぎた。スイ以外の存在がリンに声をかけ話をし……朝から晩まで可能な限りリンと共にいるという生活に、最初は戸惑っていたリンだったが、ようやく慣れてきた。

 自分の傍に、保護者のような存在 ――― スイとは違う、つまり、きちんとした大人がいてくれるのは、なんだかくすぐったい気分だ。これがナツメだったら、と思ったところで、リンはハッとして頭〔かぶり〕を振った。

 母であるナツメは、決して“そういう”人ではない。もし“そう”なら、リンはいまごろ彼女の元へと帰れている。いや、実際そうではないが、それでもあの家で暮らせている。彼女の性格は充分把握している(と思いたい)し、彼女と生活する上での留意点なども心得ているのだ。問題はない。

 しかし例年と違ってリンがナツメのいる家へと帰らないのには、ちゃんと理由があった。

 まず、ナツメの機嫌がひどく悪いことが挙げられる。というのも、二か月前のある大きな事件の余波が、ナツメの生活を乱しているのだ。

 その事件は、魔法使いの監獄アズカバンを脱獄した凶悪な殺人犯、シリウス・ブラックが実は無実だったことが証明されたことだ。史上最悪の闇の魔法使い、ヴォルデモートの家来であるピーター・ペティグリューが、自分の罪をシリウスに着せた ――― そのことが、ペティグリュー本人を生き証人として、立証されたのだ。

 実際にペティグリューを捕まえたのはリンと彼女の友人たちだが、彼らは未成年で信用性に欠けていた。そのため、ナツメとセブルス・スネイプが代わりに魔法省に働きかけてくれた。

 おかげで、魔法界の司法やら歴史やらがいろいろとひっくり返り、シリウスが自由の身となり、ペティグリューがアズカバンに投獄され ――― そして、ナツメとスネイプが小さな英雄として称えられるようになった。

 これは大問題だった。なにせナツメは世間や世論、好奇心、果ては人間といった「喧しくて煩わしいもの」が大嫌いなのだ。新聞の記者や世の人々の視線に我慢ができるはずがない。

 結果として、ナツメは失踪した。驚くことに宣言付きだった。訪ねてきた自分の兄(つまり、リンの伯父)に「ほとぼりが冷めるまで消える」と言い捨て、一瞬の隙を突いて行方をくらましたとか聞いている。

 なんとも母らしい ――― 置いてけぼりを食らったリンは感嘆してしまった。伯父や祖父、スイがカンカンになっているのに対して、リンは諦めていた。怒っても泣いても仕方ないと分かり切っていた。

 それだけならまだマシだった。リンは家に一人という状況でもやっていける自信があった。元々ナツメはリンに干渉してこなかったのだから、いままでと変わりはない。しかし、新たに現れた問題が「家」だった。

 ナツメが施した仕掛けによって、ナツメとリンの家は現在、誰も ――― 住人であるリンとスイですら立ち入らせないのだ。これが厄介な仕掛けで、ナツメ以外には解けないらしい。

 そして、そのナツメがどこにいるのか誰にも皆目見当がつかないのが悩みどころだ。リンも、手紙を書いても届かないだろうことは理解している。あの母がフクロウに見つかるわけがない。

 というわけで、万事休す、リンは帰る場所を失ったのであった。

 自宅に帰れないなら、ヨシノの本家で世話を見てもらえばいい。そういう案もあったが、そこにシリウスが(間接的にだが)介入した。リンと生活をしたいと申し出たのだ。


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