どっかの大聖堂みたいに高い天井。
あぁ、ほんとに縮んじゃったんだなって思った。
(ああぁ、私が16年間つちかってきた一般常識よ…、)
普通じゃありえない。
正直にちょっと、気がおかしくなりそう。
私はなんでいきなり縮んで、素っ裸になってこんな。
なんだか、この短時間でいろんなフシギがおこりすぎている。
廊下が長かったり、3階にあるはずの私の教室が4階のここにあったり、ウサギがサラリーマンだったり、腕がパンだったり、それでパンを食べると体が縮んじゃったり。
唯一まともらしい人に会っても、その当人はなに考えてるかわかんないし。
(あれ?)
よくよく考えてみると、変なことがおきたのは、この、…ツナさんに会ってからだ。
気付いて、すこしこわくなった。
ちらりとツナさんを見てみると、私がお願いしたときのまま、後ろをむいている。
え、意外と素直…
(いや、だめよ。だって、得体の知れない…)
ぐっと、なんとなく心が苦しくなったが、彼は怪しい人に変わりない。
おいていこう。
私には、やらなきゃならないことがある。
そろ―、と、足音がしないように、慎重に右足を踏み出した。
「どこいくの、アリス。」
「!!」
思わず叫びそうになった。
ばっと振り向くと、彼は相変わらず後ろをむいている。
(背中か頭に目でもあるのかっ!)
「…どこもいかないわ。」
「そ。後ろ向いてもいい?」
「…だめ。」
「わかった。」
それだけいって、ツナさんはそのまま黙り込んだ。
(うぅ、なんでこんなに素直なのよ、心が痛むわ。)
それでも私は、ぐっと唇を引き締めて、小さくなってしまったらしい手のひらでスカーフをおさえた。
そろり、…とて、
「どこいくの、アリス。」
「!!!」
そろそろ本気で彼は変人だ。
大変なことに、胸がざわざわしてきた。こわい、のだと、思う。
「どこへも、」
「なら、後ろを向いてもいい?」
「だっだめよ!」
「…そう?」
また再び、余裕の声色で後ろを向いたまま黙り込む。
(だめだ、もう、)
足元で絡まってしまうことがないように、スカーフをたくしあげて、きつく握りしめた。
そろり、…
「アリス、」
「っどこへも、行かないってばっ!」
「…」
ツナさんが何も言わなかったのをいいことに、とうとう私は、制服を踏み荒らしながら、足音をたてないように走り出した。
(とにかく、とにかくまかないと!)
走って、走って、息がきれはじめたころに、例のすてきな細工を施した扉が見えた。
(よし、…よし!)
今のサイズなら、ちょっと小さめのただのドアだ。
この先には階段があって、そこをおりれば外に、
「どこいくんだいアリスちゃん。」
「っひぇぁぁああ!!!」
「ねぇ、ちゃんとそっち向いていいかな?」
「なっなななっ、」
いきなり真上から聞こえた声に、涙がでるかと思った。
震える肩をがっちりと抱いて、がばりと振り向くと、ちょっと横向き気味に近くに立ち尽くす、ツナさんの姿。
相変わらずちょっと笑っているのがかえってなんだか不気味だ。(しっ失礼かな、これ。)
「アリス。そっち向いていい?」
「だ、…だ、だめ!!」
もうここまできたら負けたくない。意地だ。
「…そう?」
(うぅ…。)
そう?と言って、またちょっと後ろ向き気味に立ち尽くす。
そろりとツナさんを見ながらドアへ歩くと、するするとこちらへ歩み寄ってくる。私が立ち止まると、止まる。
(くっ、やっぱりちょっと不気味だ!)
目元はたしかにフードで覆われてるし、なんだかちょっとかわいくその上から手でおさえている。
見えるはずは、ないんだ。
「…ついて、こないでください。」
「なんで?」
「だって!…あなたといると、怖い目にばっかりあうんだもの!!」
「えっ、でも」
「いいからついてこないでっ!!」
「…俺らのアリス、君が望むなら。」
そう、すこし小さな声で言ったツナさんを後目に猛然とかけだし、私は勢いよくドアにはりつき、ノブを回して思いっきり強く押した。
バタン!!
「っふぅぅ…、」
後ろ背にドアを構えたまま、ずるずると座り込んだ。
この扉は小さいから、彼はこちらがわには来れないだろう。
ちょっと小さく呟いた声のあとに、長く、長くため息をついた。
「くぅぅ…っなんで、こんな、」
涙腺がゆるむ。ほっとしといてなんだが、こんな小さくなっちゃって、私はこれからどうすればいいのだろう。
外に出れたって、こんな格好で、
「なぁに泣いてるんですかぁ、お嬢さん!」
「!!」
ぱちりと、目を開いて頭上からの声に上を向いた。
(くっ?)
「…くまさん!?」
「へっ?」
くまだ!!
と、思って肩をすくめてから、異変に気が付いた。
(…どうしてくまが、エプロンつけて…言葉、しかも日本語しゃべってるのよ。)
いや、これで外国語しゃべられたらかえってびびっちゃうけど、それ以前の問題だ。しゃべるくまなんて、聞いたこともないよ。
「あ、の、くまさん、」
「へっ?」
「あれ、くまさん…?」
よくみると、ちょっとくまっぽくない。
くまってもうちょっと、ぶぁ―!ぐぁ―!ふさぁ―!ってかんじだった気がする。
「やだなぁ、僕くまなんかじゃないですよぅ、立派なハリネズミです!」
にこにこ笑ってそう言われて、なんとなく奇妙にしっくりきた。(あ、ハリネズミかぁ!)
いやそれにしたって、やっぱり変。
ん?でも、それでも、さっきの猫だってじゅうぶん変だ、
「っ!!」
もう一度、ハリネズミを見てみようとぱっとあげた顔。
ハリネズミの姿は、もはや顔のパーツしかわからないくらいに、接近していた。
「ちょっ、なん、近くないですか…っ!?」
「へっ?」
「あの、ちょ、」
「あぁすいません、つい!」
にこにこと笑って遠ざかるハリネズミ。
なんだったのかしら、今の。いきなり急接近してくるだなんて、やっぱりなんだか変。
「ところでお嬢さん、どうしたんですかぁ?」
「えっ?」
「何かあったんですかぁ?」
のんびりと笑いながら問いかけてくる姿に、力が抜けた。
(助けて、くれるかな?)
いくらハリネズミだといっても、誰もいないより全然ましだ。
思い切って、私は口をひらいた。
「…困ってるの。」
「お困りですかぁ。」
「うん。だって…、こんなちっちゃくなっちゃうし、服はないし、学校の外にでられないし、」
「ちっちゃい?あははっちっちゃくなんかないですよう!」
「わっ私はもっとおっきいの!おっきいほうがいいわっ!」
「ちっちゃいのもかわいいですけどぉ…」
慰めてくれているのか、ハリネズミさんは朗らかに笑った。
それはちょっと嬉しい、けど、
(…また近付いてきてますが!)
くんかくんかと鼻を動かして、再び近付くハリネズミさん。
…私、もしかして、くさい?
「…なにか、へんなにおいする?」
「へっ?しないですよぅへんなにおいなんて!」
「そう、かな?」
なかなか自分ではわからないからな、におい。
香水なんてつけてないし、寒いくらいだから汗もかいてないけど。
(でもほんとにくさかったらだいぶショックだなぁ。)
「それよりお嬢さん、」
「え?」
「もしかして、…アリスじゃないですか?」
どくんっ
「ち、…っちが、います、わたし、」
「あぁぁぁぁ、…違うのかぁぁ…」
「う、」
ここまで落ち込まれると、なんだか弱い。
さっきまでさんざん私をアリスと呼んできたあの人からようやく逃げてきたってのに、次はハリネズミさんまで私のこと、アリスって言うもんだから、ちょっと気味が悪くなったけれど。
「あ、の、…」
「うぅ…」
「ち、違うけど、ツナさん…チェシャ猫って人にはそう呼ばれたわ、あの、灰色の、」
フードの、と、言おうとした私は、それを口にすることも叶わずに圧倒された。
「じゃあアリスですね!!?」
「はっ!?や、ちが!」
「いいえ、猫が言うならアリスです!!」
がつりと肩をつかまれて、間近でそう叫ばれた。
なんていう勢いだろう、反論も許されないまま、ハリネズミさんはきらきらとまんまるの瞳を輝かせた。
「やっぱりなぁあ、そうだと思ったんですよ、だってにお、」
「…にお?」
なぜそこで黙るの。
ハリネズミさんは語尾に「にお、」と言ってから、押し黙った。
「にお、…い?」
「へっ?なんです?」
「えっ?」
すっとぼけた顔をして、にこにこと笑うハリネズミさん。(うわぁ気になる。)
「それよりアリス、お帰りなさい!!」
「きゃあっ!!」
勢いよく抱きついてくるハリネズミさん。ちょ、ちょっと痛いうえに私いま半裸なんですけどっ、
「いやぁぁ噂には聞いてたんです!まさか本当にアリスが帰ってきただなんて!!」
「いやだから、私は」
「僕はまだ若いんで、会ったことがなかったから感動です!もう絶対会えないと思って、夢にまでみました!いつか絶対、」
絶対、
そう言って、ハリネズミさんはまた黙り込んだ。
またちょっと変なタイミングで、気になる言葉の途中で。
(クク、)
「…いま、」
「へっ?なんです?」
「あ、いや、」
「そうだぁアリス!ぜひ当店にお越しください!!」
「え、」
にこにこと笑いながら言った。
でもまって、さっきちょっと、ハリネズミさんが不穏な笑い声を出していた気がするけど、気のせい?
そろりとハリネズミさんを見上げると、人畜無害そうな笑顔で、やっぱりにこにこと笑っている。
(気のせい、…よね。)
「あ、の、当店って?」
「うちのお店ですぅ!親方がテーラーをやってるんですよ!」
がつりと私の手を握って、ものすごい力で私をひっぱりあげる。
「ささ、いきましょいきましょ!すぐそこです!親方にもわけてあげたいですしぃっ」
「わけ?」
「服だって、ウチにはアリスの服がありますので!!」
「あ、あり?」
私の言葉をご丁寧にきれいさっぱりスルーしちゃうくらいに興奮して、ハリネズミさんは私の手をひっぱった。階段をおりていくようだ。
「運が良かった、アリスの服を置いてるのはウチだけなんですよお!」
「ね、ねぇ、わたしお金持ってないわ!」
「お金ぇ?お金なんていりませんよお、お金なんてのはねえ!」
にこにこと、ちょっとだけ気味が悪いくらい朗らかに笑って、ハリネズミさんはぐんぐん私の手を引いていく。
私が一歩進むごとにひくひくと鼻を動かすことに少し不気味さを覚えながら、半ば強制的に、私はとうとう階段までひっぱられていった。
階段はゆうに私の胸あたりまでの高さがあって、亀スピードでやっとたどりついた1階。
2、3階はどうも、はじめから存在しないかのように壁でかためられていて、ただ単純に階段を降りていくことしかできなかった。
ぜぇはぁと荒い呼吸でたどりついた1階では、いまだ、私がツナさんと会ったときのような夕日が、あかあかと廊下を照らしていた。
(時間の感覚が、狂っちゃうみたい。)
「さぁっここです!」
ぱしんっと示すように手を広げたハリネズミさん。
その先には、4階にあったようなかんじのドアと、看板。
(したてや、服お作りします。)
思わず上を見上げると、ドアの上のプレートには黒く「被服室」の文字が記されていた。
「…被服室じゃ、ないの?」
「いいえ、したてやですよう!さっ入った入った!」
うう、エプロンをつけたハリネズミが言うと、ちょっと違和感なく納得しそうになるけど落ち着こう。
ハリネズミがエプロンつけてること自体がまず違和感ありすぎなんだってば。
そうは思いつつも、私は促されるままにその小さなドア、まぁ今の私にはちょっと背の低いドアを、くぐった。
*.crimson red